04 遊園地
" 地上より愛を込めて 2"
written by 杏子
『僕は今でも君が好きだ。ずっと、好きだった……』

観覧車の窓の向こう、灰色の海が見える。その手前を電車が横切っていくのを、マヤはぼんやりと眺めながら、 里美の言葉を脳内で再生する。

『今でも君が好きだ……』

その言葉の持つ意味と、重さを理解しようとする。
自分は数年前、確かに里美が好きだった。初恋と言えるその幼い種類の感情は、不器用で、純粋で、相手が里美であったということ以外は、 どこにでもあるような小さな恋だった。けれども、極端に恋愛経験の少ないマヤにとって、それは大切な思い出であり、 また記憶の隅の忘却という場所に葬り去るには、あまりに中途半端な終わり方をしていた。

嫌いになって別れたわけではない……。

何か言わなければ、と言葉を探すが何も見つからず、マヤは悪戯に下唇を前歯で噛む。

「あの頃は、若すぎて、無力で、どうすることも出来なかった。君を守れなかった。けれども、それは僕の中で君が 居なくなったとか、君を好きでなくなったということじゃない。むしろ、その逆で……」

そこまで言うと、里美は窓に背を向け、こちらに一歩踏み出す。

「こうして、君の前にもう一度立つのに5年かかった。
今の僕は……、5年前より、さらに5年分君が好きだ」

あまりにストレートな里美のその言葉は、なぜか痛みを持ってマヤを刺す。膝の上の両手のこぶしを、ぐっと握ると、スカートに皺がよる。

「里美くん、あの……」

そう言って、俯いていた顔を上げた瞬間、いつの間にか目の前に立った里美の指が顎に触れる。

「マヤちゃんは、僕をどう見てるの?5年前と同じようにように、僕を見る。
君の心は?どこにあるの?」

さきほど、ワゴン内での撮影で、二人は初めてのデートで意識しすぎ、観覧車の中というベタなシチュエーションに負けてしまって キスも出来なかったぎこちない恋人を演じたばかりだった。

「さ、里美くんは、里美くんだよ。5年経っても、あの頃と同じ。優しくて、素敵で……。里美くんは……」

顎を持ち上げられたまま、上手く喋ることが出来ず、マヤは言葉に詰まる。そんなマヤの様子を、里美は柔らかく笑う。

「マヤちゃん、僕のことは聞いてないよ。僕は君のことを聞いてるんだ。言っただろ、5年前の僕も、今の僕も、同じように 君を好きだって。
ただ……」

その瞬間、マヤの顎にかけられた里美の指に、力が加わる。

「僕ももう、あの頃のように、子供じゃない。キスも出来なかった、お子様じゃない。こういうことも出来るんだ」

そう言って、呆然と固まったままのマヤの目の前に、圧倒するように里美の端整な顔が近づいてくる。






ノロノロと渋滞に巻き込まれた真澄の乗った車が、テーマパークに着いたのは、結局事件発生から1時間以上も経ってからだった。 車が停車するかしないかの状態で、真澄は乱暴にドアを開け放ち、飛び降りる。すでに、観覧車の下では関係者の人だかりの他にも、 どこから聞きつけたのか芸能記者まで集まっていた。
今クールの連ドラの中では群を抜いて、高視聴率をマークしてるドラマだけある。かつてのマヤと里美の関係を引き合いに出し、 面白おかしくすでに報道している週刊誌もあったぐらいだ。このアクシデントは話題に事欠く、芸能記者の連中にとっては 格好のネタとなっても不思議はない。真澄は、歯軋りする思いでそんな記者の間をすり抜け、関係者の集まる輪の中に突き進む。

「なかなかいい絵だよなぁ、この二人。やっぱ、デキてるんじゃないかぁ?」

望遠レンズをいっぱいに伸ばし、観覧車内を激写する記者の声がそんな真澄の耳に刺さる。真澄の中のマグマが沸騰する。もう一言 何か余計な言葉がその耳に入ってきたら、真澄は自分が取った次の行動に全く自信がなかった。こぶしを強く握りしめ、 なんとか足を前へと進める。

「あ、速水社長……!」

ディレクターのその一言で関係者一同が振り返った瞬間、真澄のあまりの形相に人々は震え上がる。

「まだ、直らないのかっ?!」

睨みつけるような厳しさで、刺々しく真澄は言い放つ。

「え、ええ……、故障箇所は判明したとのことで、間もなく復旧するとは思いますが……」

現場関係者が、尻すぼみに答える。

「北島の乗ったワゴンはどれだ?」

少しも声のトーンを落とさずに真澄は、言う。関係者の一人が真澄に、双眼鏡を手渡し、早口に伝える。

「時計の針の11時のあたりです。黄色のワゴン、見えますか?」

そう言われ、真澄は双眼鏡の二つの穴を覗き込み、11時のあたりに黄色いワゴンを探す。

(あれか……)

二つの人影が見えるそのワゴンを見つけ、真澄は焦点を合わせるようにピントを絞っていく。ぼやけた映像がようやくハッキリしたその 瞬間、騒然としていたあたりの音が真澄の耳の中で、一瞬全て消える。

真っ白な沈黙――。

双眼鏡の向こう、はるかかなた100m先に見えた二人は、真澄の目の前で唇を重ねた。






「さ、里美くんっ!」

吐息が混ざり、唇の皮が触れたかと思った瞬間、ようやくマヤは電気が通ったように、体制を起こし里美を突き飛ばす。一瞬、 唇は確かに触れてしまった気がした。マヤは呆然と口元を押さえる。

「僕は本気だよ」

里美の落ち着いた声が、俯くマヤの頭上に降ってくる。
あまりのことに、マヤは感情がついていかない。言うべき言葉も、見失って俯くばかりの自分が情けなくなる。
里美のことは嫌いではない、好きだと思う好意的な感情さえ持ち合わせている。けれども、さっき、この唇が触れかかった瞬間、 マヤの脳裏に叫ぶように浮かんだのは真澄の顔だった。
好きなどという当たり前の感情では納まりきらない、恋などというどこかにスペアがありそうな形じゃない、 自分には真澄しか意味をなさない。他のどんなに素晴らしい全てのものも、真澄の前では、意味を失い、存在を 失う、そんな当たり前のことにマヤはようやく気づく。

伝えなければ……。
まだ湧き上がったばかりで、言葉にすることさえ難しいこの気持ち、けれども一世一代の告白をしてくれた、 こんな自分を今でも好きだと言ってくれた里美に伝えなければならない。
マヤは一度、大きく深呼吸をする。ようやく、唇から落ちた言葉は、少し震えていたけれど、落ち着いたものだった。

「里美くん……、あたしも里美くんのこと、好きだよ。里美くんは、今も昔もすごく素敵。あたしなんかには もったいないくらい、かっこよくて、優しくて、もてるし……、ほんと、あたしなんかにはもったいない……」

そこまで聞いて、里美はマヤの言葉の方向性が半分ぐらい見えた気がして、顔をしかめる。

「マヤちゃん、迂回しないで、ハッキリ言ってくれないかな」

マヤは丁寧に言葉を選んでいたつもりだが、かえってそれが里美を不快にさせてるのでは、と一気に不安になり、慌てて次の 言葉を探す。

「あたしっ……、あのね、あのね、他に好きな人がいるの!」

それは間違った場所で息継ぎをしてしまったように、切り取られたみたいな奇声になってしまった。

「もの凄く好きな人がいるの。その人じゃないとダメなの。その人しか、愛せないの」

そう、自分は真澄しか愛せない……。
言葉以上に、強い思いと決意が伝わるよう、マヤは瞳に力をいれ、毅然と里美を見つめ返す。
「愛している」そんな言葉はまだ、真澄にも伝えたことがなかった。大好き、そう伝えるのが精一杯で、一度も口に出したことは ない。
けれど、自分は真澄を愛している、そうだ、愛しているのだ。
どこからともなく、紛れもない自信が沸いて来る。

「参ったね、5年もかけて思ってきたのに、フラれるのは一瞬か……」

里美は笑いながら、マヤの向かい側にどっかりと腰を下ろす。里美が笑うのは、笑う以外に方法がないからだ。

『ごめんなさい』

一瞬、そんな言葉がマヤの喉をでかかる。けれども、それは相応しくないような気がして、マヤは慌てて引っ込める。変わりに出てきた言葉は、 穏やかな調子でマヤの唇から滑り落ちる。

「好きになってくれて、ありがとう。
こんなどうしょもない子、好きになってくれて、ありがとう」

それがマヤには精一杯だった。
里美は口元に、穏やかな笑みを一つ浮かべると、目を瞑って首を左右に振る。

「やられたよ。地上100mで大失恋。連ドラの主役がカッコ悪いなぁ……」

そうおどける様子が、里美の優しさであることが痛いほど伝わって、マヤの心臓は音をたてて軋む。

「誰?」

里美の瞳から、曖昧な笑みが消え、まっすぐに強く見つめられる。逃げるのも、誤魔化すのも間違っている気が、マヤはした。
ゆっくりと立ち上げると、細い指先を雲った窓ガラスに這わせる。


と、その瞬間、愕然とする。
地上100mでも、自分はその人を見つけられる。
一秒も迷わずに、見つけられる。
こちらをじっと見上げるその人に、マヤは溢れるほどの愛が、目元を押し上げるように、苦しくさせるのを感じる。

(見ただけで泣けちゃうぐらい、好きなんだ、あたし……)

「ずっとあたしのこと、見てくれてた人。いつでも、一番側に居てくれた人。 あたしが一番辛かった時も、一番嬉しかった時も、最初っから最後まで その人は見守って、支えてくれてたの。
今この瞬間も……、こうして、あたしのこと見てる……」

そう言ってマヤが見つめる、窓の向こう、はるか下のあたりを里美も目を凝らして見つめる。
全てのカラクリが解けたかのように、里美の肩から力が抜ける。

――そうか、あの人か……。

里美は諦めたような苦笑を一つ浮かべると、両手をポケットに突っ込む。その瞬間、右手の指先に当たった固い異物に、驚く。

「マヤちゃん、何か言いたいことない?地上100mから、その人に言いたいことあるんじゃない?」

里美のその試すような言い方に、マヤは首をかしげる。

「言うって、何を?っていうか、どうやって?」

里美は穏やかに笑いながら、ゆっくりとポケットからシルバーの物体を取り出す。

「今の今まで、ここに入ってるって知らなかったよ」

そう言ってマヤの手のひらにそれを乗せる。驚いて、マヤが瞳を見開いて見つめ返すと、少しもふざけた調子を含まない、 真剣な声がワゴンの中に響く。

「マヤちゃん、人生は一瞬一瞬が大切だよ。その時思ったことは、その時言わないと、あとで後悔する。
あとでもっと上手くやろう、とか、また別の機会に、なんて思っちゃだめだ。
……僕が言うんだから、本当だよ」

そう言って、いつもの柔らかい苦笑をまた浮かべる。

「気持ちは、思った時に伝えたほうがいい」

静かに、背中を押すように、里美の声が優しく手のひらの携帯電話を包む。
マヤは里美の瞳を数秒見つめたあと、こくりと小さく頷くと、携帯を開く。ゆっくりと、その番号を押す。
100mも先の地上のその人が、慌てたように動いたのが見えた。

「もしもし?」

見ず知らずの番号に、戸惑う声が聞こえる。低い、大人の男の声。

(声だけでも、自分はこんなにこの人が好き)

そう思うだけで、マヤは胸が苦しくなって、言う言葉を見失いそうになる。じっとりと汗をかいた手のひらで、もう一度 強く携帯を握り締めると、マヤは大きく一度息を吐いたあと、言葉を繋ぐ。

「速水さん、あたし……」

携帯の向こうから、無防備に突然聞こえてきたその声に、真澄は飛び上がるほどに動転する。

「マヤっ?どうやってそこから……、里美の携帯か?持っているんだったら、 どうして今までかけてこなかったんだ?!どれだけ心配したと思ってるんだ?!
だいたい、君たちはそんなところでこの非常事態に、何をやってる――」

畳み掛けるように怒鳴る真澄の声に一瞬圧倒されながらも、マヤは必死でそれを遮る。

「速水さん、いいから聞いて!!お願いだから、そんなに怒らないで!!
……速水さん、愛してる。誰よりも、何よりも、あなたのこと愛してる。一生、あなたのことしか愛せないし、 愛さない。このまま、こっから飛び降りてもいいぐらい、速水さんのこと愛してる!!」

あまりの告白に、真澄は面食らって口を開けたまま、固まる。至近距離でそれを聞かされた、里美もそのあまりの内容に固まる。
どれほど『愛している』と伝えても、『私もです』とか『大好きです』というのが、精一杯であったマヤの 大告白、真澄は自分の耳を疑いたくなる。しかも自分はついさっき、二人のキスをこの目で見てしまったばかりなのだ。

「さっきのキスは、じゃぁ、なんなんだ」

マヤの告白を受け止めるよりも、先ほどのキスの釈明を求める自分の男としての器の小ささが嫌になるが、やはりあれを見過ごす ことは到底自分には出来ないと真澄は思う。

「えっ、キスって……、見てたんですか?速水さんっ」

明らかに動揺したマヤの声が腹立たしく、真澄は憮然として答える。

「見てたんじゃない、見えたんだ」

「あ、あれは、注射みたいなものだったの。あたしが、どれだけ速水さんのこと好きか、気づかせられた注射」

マヤらしい言い訳に聞こえた。おそらく、里美が無理矢理、というシチュエーションだったのだろう、ぼーっとしたマヤのことだ、 想像もつく。

「それにね、キス……してないです。未遂です」

言い訳ではなく本当のことを言ったつもりだった。唇はやっぱり触れてなかった、マヤは確信的にそう思う。思い込むように、そう思う。

「してませんっ!!」

真澄が無言なので、マヤは押し切るようにそう言い切る。

「……まぁ、いい、地上に降りてきたらたっぷり、お仕置きだ」

そう、真澄が意味深に電話越しに言った瞬間、ガタンとワゴンが揺れる。

2時間ぶりに、マヤと里美を乗せた観覧車は、地上に向かって降りていく。



『たっぷり、お仕置きだ』
その真澄の放った言葉の意味を、マヤはワゴンがようやく地上についた途端に思い知らされる。
ドアが開け放たれ、一斉に報道陣からフラッシュを焚かれる中、マネージャーが差し出す水よりも早く、マヤの唇を奪ったのは 真澄だった。
里美の側から奪い去るように引き離し、その小さな体を腕の中に抱きしめると、有無を言わせず唇を重ねる。あまりの事に マヤは瞼を閉じるのも忘れ、固まるが、かつてないほどの真澄のその情熱的なキスに、我を忘れそうになる。何度も何度も、唇の 形を確かめるような丁寧でそして熱のこもったキスに、報道陣は一斉にどよめきを上げ、狂ったようにシャッターを押す。

「危ない乗り物に、俺なしで乗るな。他の男なんかと二人きりになるな。二度と俺から離れるな」

キスの嵐の合間に、真澄はマヤにだけしか聞こえない声でそう囁く。そんなことは無理な注文だ、とマヤは反論 しかかるが、マヤの息継ぎの先に出てきそうな言葉の気配を真澄は察知すると、さらに強引に舌を絡めるようなキスをしてきた。
返事をすることも出来ずに呆然とするマヤの下唇を真澄は薄く噛んだまま、口の端をあげ、余裕の笑みさえ浮かべて言う。

「約束しないと、ここでいつまでもキスをするぞ」

そう真澄の目が、冗談とも思えないふうに妖しく光ったので、マヤは言葉もなく、コクコクと大きく頷くのが精一杯だった。



翌朝、スポーツ紙の一面を飾ったのは、真澄の手によって厳重に処理されたマヤと里美のキスシーンの代わりに、 マヤと真澄の濃厚なショットだった。
『地上より愛をこめて』と題されたそれらの記事は、事件の顛末よりも、公になったマヤと真澄の関係について大きく紙面が割かれ、 しばし芸能界の話題を独占することとなる。    




6.8.2003



<FIN>





”里見茂のカッコ悪いフラれ方”、いかがでしたでしょうか?嫉妬マスミンは、当店の人気商品でもありますが、 嫉妬の相手を今回は里美氏にお願い、どっかのサクランボだとてんでやる気が出ない杏子ですが、シゲルのためなら、とがんばりました。
シゲルの出番、速水氏と張れるほど多かったのでは?
でもねぇ、悪いがやっぱりシゲルもフラれる運命なのだな。すまない、シゲル、この埋め合わせ は……、う、ないだろうな。(鬼)





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