06 レトロ
" retrospect -追想- "
written by YOYO
車のエンジンを切ると、波の音がダイレクトに聞こえてきた。
初夏の風が真澄の髪を揺らす。別荘に入ると全ての窓を開け放し、澱んだ空気のすき間から新鮮な風を取り込んだ。ここに来る途中で、気に入りの珈琲店からブルーマウンテンの挽きたての豆を買ってきていた。袋を開けると芳しい香りが部屋中に溢れる。熱いコーヒーを入れテラスに出る。空はどこまでも青い。

明日も、きっとこんな空に違いない…。

ふと、思いついて書斎に行き再びテラスに戻る。手にしているものは、一冊のアルバム。「紫の薔薇の人へのお礼だそうです。」と、聖を通じて手渡された宝物。

シガレットケースから一本取り出し、デュポンのライターで火を付ける。波の音が心地いい。アルバムを開くと、そこには、真澄が長い長い間見守り続けた最愛の人が、舞台上で生き生きと輝いた姿を見せていた。


初舞台の「若草物語」のベス…。この舞台を見たときから、俺の人生は変わったのかもしれないな。この小さな少女の内に秘めた情熱を感じてしまったときから…。
「たけくらべ」の美登利、「ジーナと5つの青いつぼ」、「嵐が丘」のキャシー、そして「奇跡の人」。舞台に上がるたびに、惹かれてしまっていたのに、それを認めようとしなかった自分も舞台写真を見ると、また思い出される…。11歳も年下の少女に惹かれている自分がまるで信じられなかった。

…そして、「シャングリラ」、「夜叉姫物語」。ビジネスとして、冷酷な判断を下すならば…いや、人としての判断でも同じだな…。あれは、完全に俺の償いきれない判断ミスだ…。どのぐらい彼女を傷つけただろうか…と、考えれば考えるほど、迷路に入り込んでいくような気がした。彼女が、その笑顔を自分に向けてくれるようになった今でも、決して忘れてはならない出来事だと思う。

「真夏の夜の夢」のパック。ただの一度も歩くことない躍動感溢れるパックとなり、役者として蘇った彼女を見たとき、どんなに胸が躍ったことだろう…。
この稽古を野外ステージのある公園に視察に行ったときだったな…。一緒にボートに乗ったのは。いや、強引にというべきか。月影先生の容態をエサにまんまとボートに乗せたのだった…。最初は暴れていた彼女も最後は不思議そうな顔で俺を見ていたな。…不思議だっただろう…、俺自身も、そんなことをしている自分が不思議でならなかったのだから…。

「ふたりの王女」のアルディス姫。王家の深窓の姫君の役が掴めなくて悩んでいると聞いて、無理に用を作って亜弓君の家に様子を見に行ったな。軽くピアノを弾いて彼女を誘い出すと、意外そうな顔をして出てきたのだった。彼女の本気を目覚めさせるため…なんて、自分に言い訳してみたところで、本当のところは、なんでもいい、彼女と話しがしたかったのだろうな。彼女との会話は、俺が唯一俺でいられる時間だったのだから。
舞台に登場したときの驚きは、たぶん、一番だな…なんて言ったら彼女が怒るかな…くくっ。なにしろ、あんなに美しくなって表れたのだから。ふだんは平凡なちびちゃんが、舞台の上であんなに輝きを放つなんて、誰が想像するだろう。


アルバムの写真はそこで終わっていた。静かに背表紙を閉じると、少し冷めてしまったコーヒーを口にした。煙草を揉み消し、立ち上がって海を眺める。


プラネタリウムを見に行ったあの日、もし告白できていたら、こんなに長い遠回りをせずに済んだのかも知れない。たった一言「愛している」と告げていたら…。
人生には、「if」という言葉は通用しない。だが、あの日に告白できなかったという事実は大きい。その後、真澄は自分に課せられた運命に逆らうことなく見合いをして、婚約してしまったのだから。

マヤの紅天女の舞台を観て、いよいよ自分に嘘がつけないと思った。ここで決断しなければ、きっともう後には引き返せなくなる。自分の優柔不断さが引き起こしたこの事態から、なんとか脱却しなければならない…。

必死の覚悟でマヤを呼び出して告白した時のことを思い出し、真澄は苦笑いする。

「ずっと前から、君を愛していた…」

そう、告げたとき。
鳩が豆鉄砲を食らったときの顔っていうのは、ああいう顔をいうのだろうな…。
もともと大きな目を、もっと丸くしたマヤは、

「は…速水さん??どうしちゃったんですか…??」

とだけ言って、口を半開きにしてポカンとしていた。
まったく…どうしちゃった…は、ないだろうが…。人が必死で胸の内の想いを告げたというのに…。俺が言った台詞を理解してもらうのに、ゆうに半日はかかったな…。

「…それで? やっとご理解していただけたところで、君の気持ちをお聞かせ願いたいんだが…。」

溜息と笑顔が混じった顔で、真っ赤なマヤを見ながら問うと、

「じ…実は…。あたしも・・・・した。」

「え?なんだ?…肝心なところが聞こえない。」

「だからっ!!あたしも、好きでしたって言ったんですっ!!!」

嬉しさと、ちびちゃんらしい告白ぶりが可笑しくて、可愛くて、小さな彼女を抱き上げて、久しぶりに心から笑った。俺の笑い声にふくれっ面をしていた彼女も、結局最後は一緒になって笑っていた…。


泥沼の様相を見せた婚約解消劇も、今は過去のこととなった。まちがった婚約で傷つけた人も、既に新しい生活を始めている。
煙草を取り出し、火を付け煙を細く吐き出す。海風がテラスの緑を揺らしている。







煙草は家では控えるようにしよう…。いや、マヤと過ごしていたら煙草なんかに頼らなくても、きっとイライラすることなんて無くなってしまうかもしれない。…まあ…仕事中は、きっと吸ってしまうだろうけどな…。

独身最後の日を、友人に囲まれて過ごしているであろう彼女を想う。たった一日離れているだけで、こんなに会いたくなってしまうなんて、どうかしている…と、苦笑しながら。彼女にも同じ気持ちでいて欲しいと、欲張ってみながら。


テラスの木製のテーブルに置いたアルバムに目をやる。
このアルバムを初めて開いた頃の自分に伝えたい。
一生叶わないと思っていた願いが、明日現実のものとなるのだ…と。無駄なことは何一つ無かった。いろいろな過去を乗り越えた二人だからこそ、明日という日を迎えられるのだ…と。

このアルバム、屋敷に持って帰ろうかとも思ったが、やはり、ここに置いていこう…。明日からは、いつも自分の隣にマヤはいてくれるのだから。
明日からは、二人で一緒に新しいページを創っていくのだから。


煙草を消してコーヒーカップを運び、窓を閉める。
書斎の本棚にアルバムを大切にしまって呟いた。

「今度は、二人で来るよ。」


西の空がオレンジ色に染まり始めた。
波の音に別れを告げ、車のエンジンを鳴らす。

明日の花嫁の元に向かうために。




6.4.2003



<Fin>





□YOYOさんより□
結婚式の前日って、女性も男性もきっと感慨深いものがあるような気がするんです。まあ、現実は、遠くから来る親戚の対応やら、準備が追いつかなかったり、新婚旅行のために休暇をとらなくちゃいけなくて、仕事が立て込んで直前までバタバタしたり…だと思うのですが。真澄さんこそ、直前まで仕事していそうですが、ちょっと今回は水城さんに頼んで休暇を取って貰いました。
お気に入りの場所まで一人でドライブして(その場合、空は青くなくちゃいけない)、お気に入りの珈琲を飲んで、好きな煙草を吸いながら、ちょっと今までを振り返る…というのも前日の過ごし方として、悪くないかな…と。
レトロというお題にretrospect -追想-というのは、少々(かなり?)強引だったかもしれませんが、そこは、暖かいお気持ちで、お許しくださいましぇ〜。






□杏子より□
なんだかね〜、波の音が聞こえてくるようなお話でした。長かった道のりを追想しながらの速水さんの感無量な思い、じ〜んと伝わって きました。そして……、頼むから、早くこういう日よ来ておくれ〜〜。
青い空、穏やかな海、コーヒーの香り、立ち昇る紫煙……。絵になるお話だなぁ、と思っていたら、すでに絵になっておりました。 挿絵つきのお話なんて、なんて贅沢なんでしょう!!
芸達者なYOYOさんに乾杯〜!!





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