15 シンドローム
"恋愛症候群〜その発病ときっかけ〜" 4
written byきょん
大都劇場の舞台上では信じられないことが起きていた。
半信半疑で練習の舞台に立たせたマヤだったが、なんと本当にセリフも動きも完璧に覚えていたのだ。しかも、もう何年も舞台に立っているようなスムーズさである。
一通り練習が終わると、劇団員と演出家が真澄のところにやってきた。

「やだなぁ、社長。こんな女優隠していたなんて。昨日よりもずっといいですよ。なんで最初から出してくれないんですか。」

真澄は苦笑しながらも「まさか、本当に覚えていたとはな・・・。」と、驚きとともに舞台を中止させなくてもよくなったことに心から安堵していた。



しかし、彼らは本番ではもっと驚くことになった。
マヤは練習の時とは比較にならない魅力的な演技で、観衆はもちろんのこと共演者たちさえもぐいぐいと引っ張っていったのだ。
舞台袖で真澄の目はいつの間にかマヤの姿だけを追っていた。
やがて芝居が終わり、万雷の拍手の中マヤが舞台袖に戻ってきた。
真澄はマヤと目が合うと周りに人がいることも忘れて力一杯マヤを抱きしめていた。

「マヤ!ありがとう。君はすばらしい女優だ。俺は今日ほど感動したことはない。」

初めて「マヤ」と呼ばれ、羞恥で真っ赤になって真澄の腕の中にいたマヤだが、やがて何かを思いついたようにパッと離れると、無言でお辞儀をして楽屋へ去っていった。

「ダメ!あの人には婚約者がいるのよ!困った顔の社長を見るのは辛かったから、少しでも役に立てればと思ったけれど、この気持ちは何?どうして苦しいの?」



楽屋に戻ると机の上には紫の薔薇の花束が置かれていた。

「北島マヤさんへ」と記されたカードには「素敵な舞台でした。あなたのファンより」と 書かれていた。

「誰なんだろう?アタシのファン?今日初めて舞台に立ったのに・・・。」

マヤは花束を抱きしめてしばらく泣き続けていた。


翌日以降もマヤは舞台に立った。

「ドジで失敗ばかりのアタシだけれど、少しでも社長の役に立てるなら・・・」

その思いがマヤの舞台を生き生きと活気付かせていた。
やがて全く無名のOL出身の女優として、マヤは一躍人気者になっていった。
しかしマヤの初日以降、真澄が劇場に姿を見せることはなかった。
毎日のように楽屋に届く紫の薔薇の花束に、マヤは「きっと社長が直接来る代わりに贈ってくれたに違いない。」と信じて自分を奮い立たせていた。






真澄は自分の気持ちを持て余していた。
会社のためと思って見合いをして婚約をした自分。
政略結婚をする自分に少しも後悔などないし、紫織を丸め込むことなど簡単だった。
どんな悪どいことも平気だったし、騙すより騙される方が悪くて、負けるヤツは力がないだけだと疑わなかった。
それなのにあの子、北島マヤの舞台を見てからは自分の生き方に疑問が生じた。
あんなに何かに情熱を傾けたことが今まであっただろうか。
あんなに生き生きと何かに取り組んだことがあっただろうか。

マヤの舞台を見て以来、紫織と話をしていても「あの子ならこう答えただろう。」とか、車の信号待ちで見えた歩道のショーウィンドウを見ては「あの子に似合いそうな服だな。」と思ってしまう自分が信じられなかった。

「何と言うことだ。大都芸能の冷血漢とさえ言われた俺が・・・。」






無事に千秋楽を終えて、翌日出社したマヤの周りには人垣ができていた。

「次の舞台は決まったの?絶対観に行くよ!」

「マヤちゃん、もちろん女優に転身するんでしょ?」

同僚たちがワイワイ騒ぐ中、マヤは「アタシは大都芸能の社員だから。」と一言呟いて秘書室へ向かった。
一週間ぶりに秘書室の机に座ると亜弓がやってきた。

「あー、もうあったまきちゃう!やっと昨日合コンで一緒になった木村拓真まで『今度はマヤちゃんも連れてきてよ』だってさ。あんた本当に人気者になっちゃったね。」

マヤは亜弓の話を苦笑しながら聞いていた。

「アタシは、亜弓みたいに徹夜でボーリングやってカラオケ歌うエネルギーないから。」不意に亜弓がマヤをじっと見つめた。

「マヤ、あなた何か雰囲気変わったわ。何て言うか・・・急に大人っぽくなったというか。あ!わかった!マヤ、あなた恋してるでしょ?」

飲みかけていたお茶を吹き出しそうになりながら、マヤは赤くなってワタワタと答えた。

「何バカなこと言ってるのよ!あ、そろそろ社長が出社してこられるわ。私コーヒー持って行かなくちゃ水城さんに怒られちゃう。」





「失礼します。」

マヤが社長室に入ると、真澄はマヤに背を向けて窓の外を見ていた。
いつもなら必ずマヤをからかっていた真澄が、今日は無言のまま背を向けていた。
机の上にコーヒーを置くと、背を向けた真澄に深々とお辞儀をしながら言った。

「社長、長い間留守にしてすいませんでした。今日からまた本務に戻ります。」

振り向いた真澄と目が合うと、マヤは初日に抱きしめられたことを思い出して俯いてしまった。

「長い間ご苦労だった。慣れない仕事で疲れただろう。2〜3日休んでもいいんだぞ。」

真澄の優しい言葉にマヤは涙が出そうだった。

「本務に戻ると言ったが、君は本格的に女優になる気はないのか?君さえその気なら考えてやってもいいんだぞ。」

溢れそうな涙をこらえ、お盆を握りしめて俯いたままマヤが答える。

「いえ、女優なんてなりたいとは思いません。そもそも舞台に立ったのも社長の役に立ちたかったからで、女優になんかなったら秘書室にいられなくなる。私、こうして毎日社長にコーヒーを運びたい。社長の笑顔を見ていたい。たとえ、社長が結婚しても・・・」

自分が言った言葉にハッと驚き真澄を見上げると、真澄も驚いたようにこちらを見ていた。「す・・・すいません!私ったら社長になんてことを!忘れて下さい。今言ったことみんな忘れて下さい!」
そういうとマヤは踵を返して社長室を出ていった。






翌日、マヤは水城に「退職願」を提出していた。

「北島さん、このまま辞めてしまっても本当にいいの?後悔はしないの?」

マヤは涙を堪えて頷いた。このままここにいられる訳がない。真澄への恋心に気付いたマヤが一晩かけて悩み、一睡もしないで書き上げた退職願いなのだ。

「すいません、水城さん。短い間だったけど本当によくしてもらったのに。でも、私・・・私・・・。」

涙で後が続かないマヤに水城は優しく諭した。

「じゃあ、ちゃんと社長にご挨拶していらっしゃい。このままじゃ終われないでしょ。」

そう言うと、そっと社長室の扉を開いた。
マヤが入って社長室が閉まると、水城はマヤの退職願いをヒラヒラさせながら「さぁて、本当にこれが必要になるかしらね。」と無造作にポケットにしまい込んだ。

社長室に入り、いつものようにコーヒーを置くと、真澄が机に両手を組んで顎を載せたまま黙ってマヤを迎えた。
マヤは意を決して口を開いた。

「社長、この度、一身上の都合で退職をお願いしたく・・・」

涙声で後が続かない。
真澄はそっと立ち上がると、ふわとマヤを包み込むように抱きしめた。

「だめだ。退職なんて認められない。昨日の君の言葉はシュレッダーにもかからないし、初期化もできない。しっかり俺の心に記録されたからな。」

マヤは驚いて真澄を見上げた。真澄は両手でマヤの頬を包み込み、親指でそっと涙をぬぐいながら囁いた。

「君の舞台を見た時から恋に墜ちた。いや、本当は初めて会った時から君が気になっていたのかもしれない。俺を心から笑わせてくれたのは君だけだったから。でも自分でそれを認められなかった。君の舞台を見てからというもの、何を見ても何を聞いても君のことを思い出している自分に気がついたんだ。こんな気持ちは初めてだった。」

熱に浮かされたように自分を見つめる真澄にマヤはちょっと不安になる。

「社長・・・その言葉はもしかしたら舞台を観て下さった感動の続きですか?ひょっとしたら一時の熱で、冷めちゃうかもしれませんよ。そしたら、ドジで平凡なアタシなんかに告白したこと後悔するかもしれませんよ。」

「後悔なんかするもんか。この熱は一生冷めることはないよ。そうだ、今日付けで君に新しい辞令を出そう。社長室付け秘書じゃなく『社長付け秘書』でいいかな。」

そう言うと、そっとマヤの唇に自分の唇を寄せていった。



中の様子を伺っていた水城は、「ほらね、やっぱり」という顔でポケットからマヤの退職願いを取り出すと手で破ってゴミ箱に捨てていた。

「まぁ、どっちにしてもこれは退職願としての効力は発揮しないわね。だって『限職願』ではどうしようもないもの。」と一人ほくそ笑んでいた。



真澄の腕の中でマヤがうっとりとしながら言った。

「あの舞台の間中、社長自身は来て下さらなかったけど、毎日紫の薔薇の花束を贈って下さったでしょう?あれがとっても励みになったんです。」

真澄が怪訝そうな顔で答えた。

「紫の薔薇?いや、俺は贈ってないぞ。誰だ?今時そんな少女マンガみたいな気障なことをするヤツは?」



マヤはまだ気付いていない。
『あなたのファンより』とかかれたカードの隅に小さく『YOU』という文字がエンボス加工されていたことを・・・。  



5.11.2003



<Fin>





□きょんさんより□
一時BBSで名古屋バナシが盛り上がっていましたので、つい使ってしまいました。ふわふわさんゴメンよぉ!まじめに書きたかったのかコメディにしたかったのかよくわかんない駄文ですいません。例のごとく笑って読み流してやって下さい。
つまりは、どう出会っても二人は惹かれ合う運命にあるだよってことが言いたかっただけで、それがこんなに長くなってしまいました。
題名は「さだまさし」さんの「恋愛症候群〜その発病と傾向と対策に関する一考察〜」からいただきました。本当はその中の「恐らく求め続けていくのが恋、奪うのが恋。与え続けていく物が愛、変わらぬ愛。だから、ありったけの想いをあなたに投げ続けられたらそれだけでいい。」というフレーズを使いたかったのですが・・・。
杏子センセイ、お忙しいときにつまんないもの受け取らせてすいませんでした。





□杏子より□
もしも二人は違う出会いをしてたら〜。。。そそられるお題ですよねぇ。新人ドンクサOLマヤちゃん、 堪能させて頂きました!お芝居の申し子マヤちゃんは、何度生まれ変わっても、どう生まれても、この運命なのねぇ。
そして、速水さんとの運命も…。
パラレルワールド存分に楽しませていただきました!!
きょんさん、超大作ありがとうございました!





30 Stories top / home