あなたに繋がる時間
これと言って行くあてがあったわけではない。
行くあてなんていつだって、自分にはないのだ。
ひとりぼっちの自分には、そんなものあるわけないのだ。

ひさしのないホームの先端に立つ。
9月だというのに、東京から離れたこの地方ではまだまだ日差しが強く、駅の名前が刻まれた錆びた白い看板に手を触れると、火傷するほどの熱さに慌ててその手を引っ込めた。
割れたコンクリートの合間から雑草が顔を出す。そんなところでも逞しく生きているその姿を、まるで自分のようだとマヤは一瞬思い、けれどもすぐその後に、それは自分で自分を買いかぶりすぎではないか、とも思う。
けれども、一つだけこの雑草と自分は同じ、と言えることがあるとすれば、こんなところで精一杯咲いてみたところで、誰一人見つけてくれやしない、それだけは同じ運命であるように思え、途端にその雑草の白い花を愛しく、哀れに思うと、不覚にも涙が零れ落ちた。

いつまで立っても電車は来ない。
到着予定時刻をもう10分は軽く過ぎている。いくらなんでもおかしい、そう思ってもう一度、駅の入り口の時刻表のある場所まで戻る。無人駅のため、駅員室はあれども、人影はない。
人差し指でゆっくりと、13時の欄を辿る。

「あ……、今日、休日だった」

声に出して、自分の間抜けさに呆れながら、赤い文字で『休日』と書かれた、左側の欄に指を走らせる。

「うそっ……」

間の抜けた声が上がる。
次の電車は2時間後だった。






『手紙なんて書くつもりなんてなかったのに、
いきなり2時間も放り出されてしまったので、
こんな手紙をあなたに書いてます。
元気ですか?
ちゃんとご飯食べてますか?
ちゃんと寝てますか?
仕事ははかどってますか?


私なんかいなくても、
1mmの変化もない生活を送っているであろう、あなた。
私のことなど、思い出しもしないであろう、あなた。

あなたと一緒に居たとき、よく
”ワケもなく楽しい”
とか
”ワケもなく嬉しい”
とか、言ったけれど、今になって気付く。
本当はいつもちゃんとワケがあった。
あなたと一緒だから、あなたが居てくれたから、って
そういう理由がちゃんとあった。
そんなことに今頃気付くなんて、
私はホントに馬鹿な子だ。
速水さんが言うところの、
”馬鹿娘”ってヤツですね。
そして、今、
”ワケもなく哀しく”て
”ワケもなく泣けてくる”私は、
あなたの居ないこの場所で、その哀しみにもその涙にも
ちゃんと理由があることを
思い知らされています。

あなたが居ないという理由があることを……。

あと少しだけ、ほんの少しだけ元気になったら、
ほんの少しだけ、あなたのことを考える時間が減ったら、
東京に帰ります。

今はもう、あなたに愛されていない私より』







書いたところでそんなハガキを出すつもりはなかった。まるで、日記を書くように、出すつもりのないハガキをマヤはしたためた。
2時間待ちぼうけをくらったその見知らぬ町の、大きな名も知らぬ木の下で、見知らぬ町の風が前髪を揺らす。

とてつもなく、寂しく、後悔だらけの気持ちだった。






「源造さん、源造さん、ここに置いておいたあたしの本、見ませんでした?」

「見ましたよ、これですね?裏の畑に落ちてましたよ」

源造に差し出された薄翠色の装丁のその本に、マヤは慌てて指をかける。

「畑って……」

訝しげにページをめくりながら、あやふやな記憶を呼び出す。

「やだ、あたし一昨日、読書する女になって、そのまま居眠りする女になって、それで忘れちゃったんだ。もぉ、恥ずかしい」

そう笑いながら答えるけれど、胸の高鳴りは納まらない。ページを何度行ったり来たりしても、それはどこのページの網にもかからない。

(ない、ない、ない……)

パラパラと薄い紙が流れる音だけがする。

「源造さん、あの、この本の中に、あの……、凄く大事な、あの……、ハガキが……」

マヤは縋るような瞳で、穏やかにこちらを見つめる源造の顔を覗き込む。

「大事なものだったのですか?」

――大事なもの。

心の中で、マヤは自分に問いただす。大事なものなのか、大事なものだったのか……。

「大事なものです。凄く、大事なものです。今でも……」

穏やかな源造の瞳に、さらに穏やかな笑みが浮かぶ。何もかも知ってるような、それでいて何も知らないような、遠巻きに全てを包み込むような笑み。

「大事なものならば、決して失くしたりなんてしませんよ。そういうものです」

源造のその言葉に、体の思わぬ部分を掴まれたように、マヤは立ち止まる。

「そうそう、先ほど、東京からあなた宛にハガキが来ていました。今、あなたに持っていこうと思っていたところだったのですよ」

源造の太く荒れた指先が差し出す、白いハガキにマヤは、一瞬の内に脳も心も、白く染め抜かれうろたえる。
震える指で、そのハガキに触れ、その文字を見た瞬間、今まで自分の体の中で無理矢理止められていた時間が動き出す。
その人に繋がっていた時間が、動き出す。
あれほど、押し込めていた想いが溢れ出す。






『「あなたは私が居なくても生きていける」
そんな台詞を残してあなたは出て行きましたね。
あなたは、あの時私がどれほどその言葉に驚いたか
きっと分からないのでしょう。
どれだけ、私があなたのことを心配したのか、
あなたが分からないのと同じように、
どれだけ私があなたのことを愛しているのか、
やはりあなたには分からないのでしょう。

力ずくで、無理矢理に、例えば声を荒げて叫んだとして、
あなたは分かってくれたでしょうか?

例えば、あのとき、すぐにあなたのあとを追いかけて、
「馬鹿な真似はよしなさい」
とあなたを叱り付ければ分かってもらえたのでしょうか?

「あなたは私が居なくても生きていける」

そんな恐ろしいことを平気で言うあなたに、

「あなたが居なければ私は少しも生きていけない」

ということを証明するために、
私はあなたを行かせました。

食事も喉を通らず、
夜も眠れず、
考えることはあなたのことばかり。
あなたが居なければ私は、もうほんの少しでも
生きてはいけないのです。

「今はもうあなたに愛されていない」

などと、そんなことを言うあなたを
私は許せるでしょうか?


もう、あなたがどれだけ嫌だ、と叫んでも、
駄々をこねても、悪態をついても、
二度とそんなことには耳を貸さないと
決めました。
あなたを二度と離しません。


今もあなたしか愛せない私より


PS.このハガキがつく頃、私は電車を降り、あなたの側にいるでしょう。』







遠くのほうで聞こえた、田舎には不似合いな車のエンジン音が聞こえる。それは遠ざかるどころか、次第に音の輪郭をはっきりとさせ近づいてくる。
目の前で止まる、この村でたった一台のタクシー。

ゆっくりと開いた扉から現われた、1週間ぶりのその人に向かって、止まっていた一週間分の時間と、押し込めていた想いが走り出す。
大きなその胸の中で、声を上げて泣き出すと、一週間分の心の棘と、後悔が溶け出し、今はもう一生ここに居たいというその想いだけに、満たされる。

「ごめんなさい、ごめんなさい。ほんとに速水さんが私のこと愛してくれてるのか、分からなくて恐くなって逃げてしまった。
ごめんなさい。試すようなことして、ごめんなさい」

「お詫びに、もう二度と逃げないこと。一生、側に居てくれること。
約束したら、許してやろう」

時計の針が動き出す。
永遠の始まりを刻み出す……。




9.17.2003








約一年前に、敬愛するまゆ姐さんのサイトに献上させて頂いたもの。100のお題の”絵葉書”にぶちこませて頂きました。
短編はめったに書かない杏子ですが、いきなりこうやって本題に入れちゃう、書きたいシーンだけ書けちゃうというのが、パロの素晴らしいところですなぁ。
冒頭の駅のシーン、梅の里なぞ知らんので、一生懸命、昔よくいった湯河原駅を思い出してました。
今読むと、夏休みボケな感じが出てるなぁ、と。そういえばこの夏は、確か一度も旅行にも行けず、旅をしたかったのかもしれませんな。
手紙ネタが大好きな杏子としましては、王道なお話でありました。手紙はやっぱり、”あなた”です!!









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