第三話


 そして誕生日がやってくる。
 元々この日は祝日だ。普通にしておけば、仕事は入らない。もっとも芸能事務所の社長という職業柄、入れようと思えばいくらでも接待ゴルフやらイベントや ら、入 れることは可能であったが、何もこの日に限って無理をする必要は勿論ない訳で、普通にしておいたため、普通に家に居る事になった。
 鷹宮との婚約解消騒動の際に、速水の屋敷は出た。ホテル暮らしを経て、現在は大都芸能本社にも近いタワーマンション暮らしだ。
 絵に描いたような、三十過ぎの独身男の無機質な暮らしに、マヤはいとも簡単にするりと入り込んで来た。人との関わり合いにおいて、決してある一定以上の 距離を詰めさせる事など許さなかった自分には、こうして誰かが自分の生活の中に侵入する事を歓迎するなど、考えられないはずだった。けれども彼女は、そん な 事をいとも簡単に、まるで呼吸をするかのようにやってのける。
予定調和を崩す異質な、けれども愛すべき存在とでも言うべ きか。

今の私が一番あげたいものをあ げることにしたので、貰って下さいね

 それが一体なんであるのか、さっぱり見当もつかない。
 宅配業者が鳴らす呼び出し音を、今か今かと待ちわびてしまう。

 ピンポーン──。
 果たして二十時ちょうどに、その呼び出し音は鳴る。まるで小さな子供のようにその瞬間を待ちわびていた事に、真澄は苦笑する。

「まるでサンタクロースを待っている子供だな」

 自分自身を持て余すかのように、笑いながらモニターを覗いた真澄は絶句する。

「おいおい……、それは反則だろ……」

 モニター画面の向こう、宅配業者にはどう見ても見間違える事の出来ない存在が声をあげる。

「宅急便でーす。速水真澄様に誕生日のお届けものですっ!」

 開け放ったドアの向こう、両手に沢山の荷物を抱えたその人が笑う。

「えへへ、来ちゃった!」

「来ちゃった、じゃないだろうが……」

 状況がまだ理解出来ない事への不安と焦燥と、そして望み過ぎたものが突如として目の前に現れた事への戸惑い、それらがごちゃ混ぜになって真澄にぶっきら ぼうな声を出させる。

「京都ー品川って、結構あっという間ですね。ドキドキしてたらついちゃいました」

「撮影はどうしたんだ?」

「大丈夫です。私のシーンは今日の分はもう終わってたし、明日も午後からだって聞いたから、明日の朝一で帰れば間に合います」

 現場に穴を空けてきた訳ではないのは分かったが、それにしてもこの無鉄砲さはどういう事だ。余計な体力を消耗し、撮影にも響くのではないか、とつい心配 から小言を言い出しそうになる。

「疲れるだろ」

「疲れません。だって若いですから」

 その一言に、どこか真澄の体の力が抜ける。
 せっかく京都から自分ために、それもたった数時間の滞在のために、走って来てくれた存在を素直に抱きとめる事が出来ないでいた。所属事務所の社長という 立場の 責任感からか、あるいは振り回される恋愛には慣れていないという焦燥からか。

「それに会いたかったから。三十三歳の速水さんに、やっぱり会いたかった」

 ついに耐えかねるように真澄はマヤを抱き締める。

「あんまり大人を振り回すな。君みたいに若くないんだ」

 抱き締めたマヤの肩に、降参す るように真澄は額を落とす。
 どこまでもつまらないはずだった予定調和のこの人生を、鮮やかに掻き乱すその存在に、心の中で白旗を振る。

「だって……こんな時ぐらい、若いのと付き合っててよかったって、速水さんに思ってもらえたらなって。だってあたし、いつもほんとに子供っぽくて、速水さ んガッカリさせてばかりだから」

「俺がいつガッカリしたって言うんだ」

「だって、キスとか、その……ヘタだし」

「君がそんなふうに思ってたことのほうがガッカリだな」
 
 そう言って笑いながら唇をそっと奪う。またしても緊張したようにマヤの体に震えが走る。ガチリと歯が噛み合う音すらした。
 きっとマヤが言っているのはこれらの事だろう。
 けれども彼女は知らない。
 その初々しい反応こそが、余計に男を煽っていることに。
 悪戯心も手伝って、真澄はそのまま歯列をこじあけ、より深くマヤの舌を奪うようなキスをする。玄関先で立ったままするにはあまりに濃厚過ぎるその行為 に、ついにマヤが悲鳴を上げる。

「ケ、ケ、ケーキ! ケーキ溶けちゃうから冷蔵庫入れさせて下さいっ!!」

 そんな様子もたまらなく可愛らしいということも、今はまだ黙っておこう。マヤの両手一杯の荷物を受け取りながら、真澄は穏やかに笑った。

 







「プレゼント、ほんとに思いつかなくて……。速水さんみたいな大人の男の人に喜んで貰える物なんて、あたし全然分からなくて……」

 テーブルの上に所狭しと並べられたオードブルにケーキにシャンパン。全てはマヤが準備して持って来てくれたものだ。

「だからこうやって誕生日をプレゼントする事にしたんです」

 目の前のテーブルを見渡すようにしてマヤが笑う。

「誕生日をプレゼント……」

 思わずその言葉を反芻する。

「今日、一緒にこうやってお祝いして、楽しかったとか嬉しかったとか、そういう時間をプレゼントしたいなって」

 そこまで言うと、マヤがそっとグラスに手を伸ばす。

「速水さん、お誕生日おめでとう!」

 マヤが掲げたグラスの向こうで、シャンパンの泡が弾ける。
 同時に、真澄の胸の奥でも僅かな気泡が弾ける音がした。いつだって自分はどこか、幸せという存在を疎んでいた。縁が無いと分かっていたからこそ、こちら からだって距離を置いていた。近寄るものかと頑なにすらなっていた。そんなもの達が、胸の奥で人知れず弾け、泡となって消えて行く。
 代わりにその胸に、温かなものが満ちて行く。その正体を、マヤが用意した”一緒に過ごす初めての誕生日”という時間の中で、
真澄はゆっくりと確かめてい く。
 他愛ないおしゃべりの中に、マヤがテーブルの上にこぼしたキャビアの上に、お皿の上に堆く重ねられて行くムール貝の殻の横に、あるいは二人で散らかした テーブルの上のパン屑とともに……。

 
 食事も終わり、お腹と心、その両方が満ち足りたもので一杯になっている。むしろ心のほうは溢れ出るほどに。そしてそれはそのまま音になって、真澄の唇か らそっと零れ落ちる。

「ありがとう……」

 思った以上に素直な声が出た。今なら言えると、更に言葉が口をついて出る。

「幸せだな……。とても幸せだ」

 マヤが少し驚いたように、固まっている。やはり自分らしくない言葉だったのだろうか。
 何かを言おうとした瞬間、そのマヤの瞳から涙が零れ落ちた。

「そんなこと……言って貰えるなんて、思ってもいなかったから……。ご、ごめんなさい、泣いたりして。でも嬉しくて……、嬉しくて……。あたしを選んだ ばっかりに速水さん大変な事になって、苦労かけたり、迷惑かけたり、この先の速水さんの人生、ずっとそんなだったらどうしようって、いつも不安で──」

「逆だ。君がいなければ……、君を手に入れることが出来なければ、俺はいつまでも半分の人間だった。一人で居ることになんの疑問も持たないような、そんな 生き方しか出来ないまま人生を終える事になっていたはずだ。君がいるから俺は強くなれる。君がいるから、俺は生きていける」

 溢れ出る涙はそのままに、その穢れなき無垢な瞳がじっとこちらを見つめる。何かを待っている。待ち望んだ何かを。ようやく全てを明け渡す用意のあるその 瞳が待って いる。

「愛させてくれないか?」

 それがマヤが待ち望んだものと同じである事を祈りながら。
 出来るだけ優しいキスをする。彼女が一番好きな優しいキスを。そしてその後は、己の心の中で、圧を増すように膨れ上がる気持ちが迸る熱いキスを。

「君なんだろ?」

「え?」

 キスの合間に零れ落ちた、吐息まじりの真澄のその問いに、マヤが反応する。

「今の君が一番あげたかったというのは」

 途端に目の前のその存在は真っ赤になって息を呑む。

「そ、それは──」

「君が一番あげたかったものが君であるなら、今夜こそ君を愛させてくれ。俺が一番欲しかったものは、いつだって君だった。最高の誕生日にしてくれるんじゃ ないのか?」

 そうまで言うと、ようやく観念したようにマヤはコクリと頷いて真澄の胸の中に顔を埋める。

「上手に出来なくて、あんまりいいプレゼントにはならないかもしれないけど、受け取って下さい……」

「最高のプレゼントだ」

 そう言って真横に抱き上げると、額に柔らかなキスを一つ落とす。首の後ろに回された細い腕にキュッと力が入る。

「速水さん、お誕生日おめでとう……」

 まるで夢の国への最後の扉が開く呪文のように、マヤがそっと口にする。

「ありがとう」

 真澄の穏やかな微笑とともに夜陰に放たれたその言葉が、真澄の三十三歳の誕生日の夜への扉を開ける。人生で唯一望んだ、たった一つの幸せを確かにその腕 に抱き締めたまま……。






 まっさらな朝がやってくる。
 浅い眠りの淵で何度も目覚めては、自分の体は温かな逞しい両腕に緩やかに抱かれ、そして静かな寝息を感じられる距離で、長い睫毛に縁取られた美しい寝顔 を確認する。
 確かに自分は真澄に愛された──。
 浮かんでは消える、体と心、そのどちらにも刻まれた詳細な愛の記憶に、思わず声を上げそうになるほどマヤは赤面する。
 時計を見れば五時。六時の品川発の新幹線に乗るには、もう起きなくてはならない。真澄を起こさないよう、細心の注意を払ってベッドを後にしようとした が、真澄に気付かれてしまった。

「品川まで送っていく」

 おはようの挨拶でも、起きたのかの確認でも、早いなの当たり障りない言葉でもなく、目を瞑ったままいきなりそんな事を言われたので驚く。

「えっ、い、いいですってば。速水さんはまだ寝てて下さい。今日だってお仕事あるんですから」

「君だって同じだろうが。若いから平気だ、なんて言うなよ。俺だって充分に若い。何なら今ここで証明してやっても──」

 そんな事を言って、嘘とも本気ともつかない勢いで、真澄の指先がマヤの体をまさぐり始めたのでマヤは慌てて飛び起きる。

「わ、わ、わ、分かりましたってば! 送って頂きます! だから早く起きて下さいっ」

 大声で笑う真澄の様子に、またしても真澄のペースに乗せられた事に気付く。けれどもそれすらも心地よい。安心して、自分は真澄にようやく甘えられるよう に なったのだと、はにかむようにマヤはそっと笑った。

 身支度を整える中、バッグの中に忍ばせていた細長い包みがマヤの指先に触れる。置き手紙とともにテーブルの上に置いていくつもりだったが、起きてしまっ たのではそうはいかない。

「あの、プレゼント……、ないとか言ってほんとはあるんです」

 Yシャツのボタンを留めていた真澄が、背中越しに振り返る。

「すっごいベタなんですけど」

 そう言って包みを差し出す。真澄の指先がそれを受け取った瞬間、猛烈な恥ずかしさや、これではないものが良かったのではないか、いや、そもそもいらな かったのではないか、など遅過ぎる困惑と早過ぎる後悔がマヤを襲う。

「男の人へのプレゼントって、もうネクタイ! しか私浮かばなくて、趣味とか難しいとか、気に入らないの貰って使うのは拷問、とか色々聞いて、ないな、っ て思ってたんですけど、でもやっぱり贈ってみたくって……」

 包みを開けた真澄が、濃紺のシルクの生地をそっと指先で撫ぜる。

「ネクタイって私にとって、働く大人の男の人の象徴なんです。幼い頃に父も亡くしているので、父のネクタイ姿も記憶にないし、お芝居やってる周りの男の子 はネクタイなんて、中々、普段締めたりしないし。でも速水さんはいつも素敵なネクタイをキュっと締めてて、カッコイイなぁ、大人だなぁって、ずっと思って た んです」

 子供染みたことを言っていると分かっていたが、ほんとの事だから仕方ない。願わくば、その濃紺の美しい光沢を放つそのネクタイが、真澄に似合いますよう に──。

「締めてくれ」

「え?」

 余りにも想定外の真澄のその言葉に、マヤは不意をつかれる。

「ネクタイは締めるまでがプレゼントだ」

「ええっ?! そ、そうなんですかっ?! 嘘……、私そんな事も知らなくって──」

「冗談だよ。だが、君に首輪をかけられるのは悪くない。締めてくれないか?」

 その言葉に、マヤはおずおずと近寄ると、戸惑いながらもネクタイを受け取る。Yシャツを着終えた真澄がそっとこちらに身を屈める。

「ネクタイ自体は一ツ星学園の制服で毎日結んでたから出来ますけど……、お、男の人に締めてあげるなんて、生まれて初めてなんですから、ちゃんと出来なく ても 笑わないで下さいよっ」

 そう言って悪戦苦闘しながら生まれて初めて他人に結んだネクタイは少し歪んでいた。真澄の長い指先が鏡の前で、その結び目を少し調節し満足げに笑う。

「悪くないな。実は俺も夢だったんだ」

「何がですか?」

 真澄の口から夢、などという似つかわしくない言葉にマヤは訝しげに首をかしげる。

「愛する奥さんに毎朝こうしてネクタイを締めてもらう」

「う、う、う、嘘っ!! 速水さん、そういうこと言うキャラじゃないでしょっ?! やめて下さい、そういう適当な事言うのっ!!」

 案の定、からかわれたと憤慨するマヤのその様子を見て、真澄は大笑いしている。

「嘘じゃないさ。その証拠にこれから毎朝でも君にネクタイを締めて欲しいと思っている」

「本気で言ってるの?」

 真澄の声音から冗談の笑いが消える。

「ついに君を手に入れた。もうこれ以上は何にも遠慮しないつもりだ。勢いで言っている訳でも、適当な事を言っている訳でもない。君にネクタイを締めてもら いながら、君が奥さんになってくれたらどれだけ幸せか、そう思ったんだ」

 じっと真澄のその瞳を見つめる。
 この人の事を何も知らなかった頃は、その瞳を冷たいと思った。
 何を考えているのか分からなかった頃は、悪魔だとすら思った。
 愛を分かち合えさえすれば、その瞳はこんなにも温かなものであった事にマヤは静かな感動を覚える。

「結婚して欲しい」

 もう冗談ではないその響きに、自然と唇は引き寄せられる。

「は……い……」

 なんの飾り気もない正直な一言が零れ落ちたその唇を承認するように、真澄の唇がそっと塞ぐ。
 もう永遠に失うことはないその存在に、己の全てを賭けて、真澄は誓う。

「愛している。俺の残りの人生の全てを君に捧ぐ。この先、女優としての君を支えるのも、一人の女性として幸せにするのも、その役目は俺でありたい」

 私なんか──、
 でも──、
 
 いつもの自分であれば、そんな後ろ向きな言葉はいくらでもきっと出て来た。けれども今なら素直になれる気がした。
 幸せになるには、二人で幸せを信じなければいけなかったのだ。人は一人では決して生きてはいけないように。

「じゃぁ、ネクタイ締めるのも私だけにさせて下さいね」

「当たり前だ」

 あの優しく、甘いキスが唇を塞ぐ。


 今宵、ついにあなただけの私。

 いいえ、永遠にあなただけの私。

 







FIN









【あとがき】

ガラパロ書きにとって、一年一度、ガラカメ愛、いやシャチョー愛が試される試金石的なこの日に、今年も何とかお話を書く事が出来ました。
ただただ、”シャチョーに(せめてパロの中だけででも)幸あれ!” という気持ちだけで書いたお話なので、そんな雰囲気のお話になっていれば幸いです。

誕生日がくるたびに、誕生日がらみのネタを毎度毎度、絞り出さなければならないこの行事ですが、

”ぴんぽーん♪宅急便です!”
”来ちゃった!”

今年、思いついたネタはそれだけでした。
そこから金の延べ棒(謎)でネタを伸ばして、伸ばして、伸ばして、ピザ三枚分ぐらいにはなったでしょうか。(謎)

清々しいほどの朝チュンですが、誕生日ネタ&WEBではこのぐらいの爽やかさがちょうどいいような気がしましてね。WEBでは二度とエロは書かない宣言もしてるので、エロエロしいのはまた同人誌のほうで でも……。


速水さーん、永遠の3?歳。(うちではいつも33歳、なんでだ 笑)
お誕生日おめでとうございまーす! 
”憧れの大人の男”の代名詞であったはずのあなたが、いつの間にやら”年しーたのおとこのこ”になってしまって久しい訳ですが、細かい事には目を瞑りま すので、早いとこほんとに幸せになって下さい。お願いしますっ!!

という訳で、お付き合い頂きありがとうございました!
今年も出そうもない50巻ですが、シャチョー祭をお祝いする気持ちだけでも皆様と分かち合えたのであれば幸いです。





今宵こそ、感想、嬉しいです♪
拍手




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