第3話
「速水様、こちらよろしかったらお持ち帰り下さい」

 店を出たところで、店員に紙袋を渡される。マヤの分もある。驚いて、店員と真澄の顔を交互に見比べる。

「お土産のマカロンでございます」

「マカロン?! 凄い! 私大好きです! いいんですか? ありがとうございますっ!!」

「ぜひお召し上がり ください」

 子どものような反 応をしてしまった自分に対しても、店員はにこやかに笑う。

「速水様、いつも本当にありがとうございます。またお越し下さい」

 恐らくVIPなのであろう真澄に対しては、そう言って深々と頭を下げた。


 月の美しい夜だった。
 二週連続で週末を襲った台風が去ると、秋よりも冬を感じさせる冷たい空気が、より一層美しく
月を銀色に照らす。

「マカロンって凄い高いんですよ。一個300円以上するから、一口に換算すると150円ぐらい! 自分じゃ絶対買えないので、すっごく嬉しいです!!」

 マカロンの入った紙袋を、まるで神様から授けられた宝物のようにマヤは両手で掲げる。

「そんなに好きならこっちも持って帰るといい。青木君へのお土産にもなるな」

 そう言って、笑いながら真澄がもう一つの袋を差し出す。

「え? いいんですかっ?! こんな美味しいもの、後できっと後悔しますよ?!」

「大丈夫だ。甘いものは元々あまり得意じゃない。君がそんなに喜んでくれるなら、マカロンもそのほうがいいだろ?」

 宝物が二つに増える。今度は袋二つを高く掲げて、全身で喜びを表現すると、口元を覆いながら堪えきれないように真澄が笑った。

「今日は本当に楽しかった。ありがとう」

 はしゃいだあまりに片側が外れて後ろに行ってしまったマフラーの端を、真澄がふわりと首元に巻き直す。真澄の指先が首筋に触れ、一瞬にして熱くなる。

「い……いえ、あんな素敵な豪華なディナーを奢っていただいて、御礼を言うのはこちらのほうです。ごちそうさまでした!」

「いや、俺のつまらない想い出に付き合ってくれてありがとう」

 その瞬間、強烈なデジャヴュがマヤを襲う。

「それ……、前にも言われました。物凄く遠い昔に……」

 蘇るプラネタリウムの光景。
 結局あの日も、真澄が何を考えているのか分からないまま、一日は終わってしまった。ただ一つ違うのは、あの時と今では自分の気持を今の自分は 知っているということだけだった。
 もしもあの時すでに自分の気持ちに気付いていたら、何かが変わっていただろうか?
 ぼんやりとそんな事を考える。

 いや……、きっと何も変わらない。臆病な自分は、きっとあの時だって臆病だったはずだ。

「チビちゃん、着いたぞ」

 意識を遠い昔に彷徨わせるあまり、タクシーがアパートの前に着いた事にも気付かなかった。慌てて車を降りると、真澄もそれに続いて降りた。てっきり別れ の挨拶を済ませたら、再び乗り込むものだと思っていたら、タクシーはすぐに走り去ってしまった。

「おやすみ」

 穏やかな低い声が、真っ直ぐにこちらを見つめながら言う。何か言うべきことがあるような気がして、マヤは対になる別れの挨拶を口に出来ず、モジモジと不 自然に動く。

「どうした? もう寒い。早く入りなさい」

「速水さんは? どうやって帰るの? タクシー帰っちゃったじゃないですか」

「君がドアに入る所まで見届けたらちゃんと帰る。俺の心配はしなくていい。もう子どもじゃない。一人で帰れる。誘拐されたりも、もうしないさ」

 そう言って、笑った。
 もうそれ以上は、その人を引き止める言葉も、あるいは何とも言えない自分の中で消化しきれないこの焦燥感を言い表す言葉が見つからず、仕方なくマヤは告 げる。

「おやすみなさい。今日は本当にありがとうございました。あと……、マカロンも!」

 そう言って、もう一度二つの紙袋を高く掲げる。いつまでも、いくらでも、真澄と本当は居たいという気持ちを振り切るように振り返ると、一気にアパートの 階段を駆け上がる。最後に小さくドアの前で手を振ると、真澄も片手をあげて、それに応えてくれた。

 ──パタン。
 辺りを包む、住宅街の静けさの中にドアの音が小さく響く。

「何もそんなに逃げるように走って帰ることもないだろうが」

 真澄の苦笑が、そのドアの音を追いかけるように小さく漏れた。









「ただいまー」

 コートにマフラーと厚着をしたまま、稽古用の大きなバッグを抱え、さらにお土産の紙袋を二つも抱えて入ると、小さな玄関は異様な狭さを感じさせる。鍵を 掛けた後、体の向きを変えた拍子に下駄箱に立てかけていた傘が倒れた。

「これ、お土産。高級マカロン〜」

 そう言って、マヤは麗に袋を渡す。

「どうしたんだ? これ」

「あ、なんかね、いきなり速水さんにフレンチレストランに連れて行かれたの」

「は? 速水さんに? 何で?」

 コートやマフラーをハンガーに掛けながら、マヤは背中越しに答える。

「知らない。稽古場にいきなり来て、いきなり誘われた。どうせ暇だろ、とか言われて。今日は一人でご飯食べたくなかったんだって」

「あの人が一人でご飯を食べたくない? そんな事言うんだ……」

 あまりの寒さに今朝から出されたこたつの中へと、マヤはいそいそと入り込む。

「ね……、似合わないよね。なんかちょっとヘンだったもん。そんな事言う速水さんも、そもそもあたしなんかを誘う速水さんも……。ねぇ、一個食べない?」

 そう言ってマヤはマカロンの箱を取り出す。

「二個あるの?」

同じ包みが二つあることに、麗が気付く。

「お店の人がお土産にどうぞって用意してくれたんだけど、ほんとは一個は速水さん用だったの。でも甘いもの好きじゃないし、いらないって」

「ほんとはあんたが欲しい、欲しいって騒いだんじゃないのか?」

「あー、半分ぐらいそうかも。でも麗へのお土産にもなるから、ってそんな気の利いた事まで言ってくれたんだよ」

 そんな他愛もないおしゃべりをしながら、マカロンボックスを取り出したマヤの指先が止まる。

「なに……これ……」

 袋の一つからカードが出てくる。


『速水様

本日はお誕生日おめでとうご ざいます。
いつも御愛顧賜り、誠にあり がとうございます。
速水様の素晴らしい一年をお 祈り申し上げます。
またのご来店を、一同お待ち申し上げます。

 
レストラン 
Troisgros

 


 マヤの指先から滑り落ちたカードを麗が確認する。

「今日は一人でいたくないって、誕生日だったのか……」

 脳裏で真澄の声が蘇る。

 ──
今日は一人で食事がしたく なくて、君を誘った

「そんな……、そんなこと速水さん、一言も言わなかった……」

「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんじゃないか?」

 想定外の事態に、マヤはじっと箱の中の色とりどりのマカロンを見つめる。まるでその中に隠されたキーワードを探すかのように。

「でも……、どうして? どうしてあたしなの? 一番暇そうだからって、あたしを誘ったんじゃないの?」

「分からないよそんなの。速水さんじゃないと分からない」

 
取り乱すマヤをたしなめるよう に、麗は落ち着いた声でそう言う。まるで、混乱するマヤの中の散らばった感情一つ一つに語り掛けるよ うに。

「分からなかったら聞けばいい。その人の本当の気持ちはその人にしか分からない」

 体のあちこちで騒ぎ立てていた神経が、瞬時に一つに集まる。真澄の気持ちは真澄にしか分からない。先回りして否定したり、推し量ってみたところで結局の ところ何の意味もない。だったら自分は今、聞きに行くしかないのだ。
 今夜、今この瞬間、真澄の誕生日が終る前に──。

「あたし、行ってくる!!」

 こたつの上のカードを掴むと、マヤは外へと飛び出す。
 ぐるりとその場で辺りを見回したが、勿論そこに真澄の姿はもうない。
 カードを強く握り締める。
 大丈夫、きっと見つけられる。
 一人も悪くない──、そう言ったあの人はきっと一人で歩いている。冷えた月明かりの下、自分の感情をどこまでも研ぎ澄まして、この日生まれた自分の孤独な想い ときっと向き合っている。 
 住宅街を全速力で駆け抜け、角を二回曲がったところで、果たしてその後ろ姿をマヤは見つける。

「速水さんっ!!」

 驚いたその人がゆっくりと振り返る。
 すぐ近くまで駆け寄ると、ついに息が切れて、マヤはガクリと膝に手を付くと、カードを差し出した。

「これ……、マカロンに入ってて……。あたし、知らなくって……。今日が……、速水さんのお誕生日だったなんて……知らなくて……」

 心臓の激しい鼓動が肋骨を叩く。
 白い息が溢れる。
 そして、真澄への想いも溢れ出す。

「どうして今日、私を誘ったんですか? 教えて下さいっ!」

 しんと冷えた空気の中、マヤの荒い息遣いだけが響く。マヤの呼吸が次第に落ち着くのを待って、やがて真澄がゆっくりと語り出す。

「どうして自分が生きているのか分からなくなる時がある。あるいは、どうして生きている事が許されているのか……。そもそもどうして生まれてきたのか。何 の為に生まれてきたのか……。毎年この日が来るたびに、生まれて来た事を後悔する」

 色を抜かれたような外灯の灯りが、真澄の孤独な心を照らす。どれほど長い間この人は、その自問の中にとどまっていたのだろう。

「そんな気持ちを忘れたくて、君を誘った。君を見ていると、君に出会う為に生まれてきたような気持ちになる。なぜだか満たされ、とても幸せな気持ちになる んだ」

「だから、あたしの事ずっと見ててくれたんですか?」

 その言葉の真意は、紫のバラの人であれば伝わるはずだと、マヤは祈るような想いで真澄を見つめる。

「そうだな……。ずっと君を見ていた……」
 
 真澄の瞳がしっかりとマヤを捉えている。その言葉の続きをマヤは予感する。

「いつも、あなたを見ています」

 その瞬間、マヤは自分を縛る全ての鎖から解き放たれたかのように真澄の胸へ飛び込む。

「待たせてすまなかった。本当は本公演の初日、俺の手から紫のバラを贈るつもりだったんだ」

 やがて語られる、ここ数ヶ月の間にマヤの与り知らぬ場所で起きていた真実。全ての責を負う事を覚悟した上での破談、その為に今日まで死に物狂いで仕事を してきたこと、全ては本公演の初日の幕を開ける為に奔走していた真澄の姿だった。

「本当はもっと早く、君に伝えたかった。だが自分にはまだその資格がないと、どうしても言えなかった」

「試演の後、全然会えなくなったから凄い不安でした。嫌われちゃったのかな、とか──」

「そんなことある訳ない」

 そう言うと、改めて真澄が強く抱き締める。

「あの……、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

 穏やかに真澄が笑う。

「ごめんなさい。あたし知らなかったから、プレゼントとかなくて──」

「もう貰ったからいい」

「え?」

 その言葉に驚いて、マヤは真澄の胸の中に埋めていた顔を上げると、それを待っていたかのように真澄の熱いキスがマヤの唇を捉える。

 自分と会うと満たされ、幸せな気持ちになると真澄は言った。その気持ちがマヤをも満たしていく。まるでキスを通して想いを注ぎ込まれるかのように。
 
 ゆっくりと真澄の中の凍てついた世界を溶かしていったそれは、柔らかく、温かく、やがて世界の全てを満たしていく。

 二人の脳裏を幾つもの瞬間が駆け抜けていく。
 それは三十二年前のこの日に、真澄が生まれた瞬間からずっと探し求めていた唯一無二の存在へと辿り着くための軌跡。その長い長い旅路の果てにこうして結ばれた奇跡を、二人はいつまでも抱き締めた。




2017 . 11 . 5





FIN











photo by StormPenguin-Stock









あとがき


おみやのマカロンで誕生日バレ!!

思いついたネタはそれだけでした。そこから例によって、伸ばして伸ばして伸ばして、ピザ3枚分ぐらいまで伸ばして3日間粘りましたw

何でしょうねぇ、シャチョーの孤独な影、そこに惹かれて何十年。
真澄様の美しい横顔は、美しい月の陰影に似ていて、見えている部分が全てではないというミステリアスさと、簡単には近づけない高貴さを感じさせます。

シャチョーが心から笑うのはマヤちゃんの前だけ。
シャチョーが本当に心を許せるのはマヤちゃんだけ。
そこに異常に萌える私なのですが、今回は私のパロ史上、初めて誘拐についての回想も入れてみました。


毎年、誕マスになると、

ただただ、シャチョーに幸せになって欲しい!!

というその気持ちだけの原動力で、自分が突き動かされている事を再確認します。汗

現実にその日が来る事を、今年も執念深く祈るしかないです!


久しぶりの連載。
マス誕当日まで旅に出るという想定外のヘマをしでかし、バタバタの舞台裏でしたが、何とかお祝い出来て良かったです。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

真澄様〜、お誕生日おめでとうございます!!
いつまでもついて行きます!!



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