第5話 〜最終話〜
「長財布、ありがとうございました。がま口と折り畳むタイプのしか持ったことなかったので、憧れてたんです。嬉しいです」

「気に入って貰えたなら嬉しいよ」

 さらりとそうかわされたけれど、マヤの脳裏には麗のあの言葉が蘇る。


 ──マヤに特別なものをあげたくて、あの人だってもしかしたら苦労したのかもしれない。簡単なんかじゃなかったかもしれないよ──


「あの……、凄く高価な物なんですよね。それから限定品だとかで、手に入れるのも難しいって聞きました。私なんかがこんなにして頂いていいのかなって、お礼なんて相応なこと出来ないから困ったなって……」

 真澄の真意に触れるつもりが、言葉を選ぶあまりにどこか核心からずれていくような焦燥感がマヤを襲う。言いたいことはそんな事ではなくて──。

「困らせているんだ」

 俯くマヤに真澄の意外な声が届き、ハッとして顔を上げる。

「困らせてでも君の気を引きたいと思っている」
 
 本気で言っているのだろうかと、マヤはまじまじと真澄の顔を見つめる。

「そうやって君の中に少しでも入り込めたらいいと──」

 そこまで言って真澄がニヤリと笑う。

「……と、男はそんなふうにして女に贈り物をする。君はそう思っているんだろ?」

「そ、そんなこと……」

「あながちハズレじゃない。大嫌いだ、ゲジゲジだと散々罵られてきた君から、ようやく今年は義理とは言えチョコレートも貰った。このぐらいしても許されるだろ」

 すました顔でそんな事を言って、真澄はグラスを傾ける。
 大人の男のシーソーゲームの真意は、複雑に味付けされた目の前のフレンチのソースのようで、マヤには何が入っているのかなど見当もつかない。
 だから、無骨な幼い言葉がこぼれ落ちた。
 駆け引きを知らない自分は、ストレートに聞くというカードしか持っていない。

「プレゼント……、選ぶの悩みました?」

 少しの間が出来る。真澄の中で、僅かにでもマヤの言葉に対して引っかかりを覚えるようなそういう間が。

「ああ、悩んだ」

 やがて静かに真澄はそう答える。

「迷いました?」

「ああ……、迷った」

 何か特別な言葉だった訳ではない。
 けれども、自分の問いに対して、ただ素直に肯定した真澄のその言葉は、マヤの心に真っ直ぐに響く。その余韻を確かめるように、何度も頷きながらマヤは笑う。

「じゃぁ、嬉しい。その気持ちが何より嬉しいです」

 真澄の中に僅かにでも存在した、自分に対して想いを巡らせた時間。その時間をたまらなく愛おしくマヤは思う。
 それはきっとどんなに高価なプレゼントよりも、自分には大切なものだ。この財布には、そんな真澄の時間も入っているのだと思うことで、尚更愛おしさが増した。








 夢のような時間の終わりが近づく。
 二時間かかってゆっくりと運ばれて来たフレンチのフルコースも、いよいよ最後のデザートプレートがマヤの前に置かれる。
 ローズと名付けられた、ライチのムースに赤いベリーソースがあしらわれた美しい深紅のデザートを前に、金色のデザートスプーンを持ったマヤの手が止まる。

「どうした? 君のおまちかねのデザートじゃないのか?」

 からかうような真澄のその声に、じっと皿の一点を見つめていたマヤが曖昧に笑う。

「これを食べたらおしまいなんて、寂しいなぁって」

 言った瞬間、なんのオブラートにも包まれていない本音がそのままこぼれ落ちてしまった事にマヤは慌てる。例えて言えば、チョコレートやアイシングで美しく彩るはずだったケーキを間違えてそのまま出してしまったような。

「あ、すっごく美味しくって、ずーっと食べてたいなぁって意味で」

 必死で上手くごまかしたつもりだが、美しいコーヒーカップの淵に唇を寄せた真澄が、目を伏せて笑う。

「食事ぐらい、いつでもまた連れて来てやる。君もこうして大人になったのだから、社長の機嫌ぐらい取れるだろう?」

 その落ち着き払った表情に、不意に距離を感じた。
 それが本音なのか社交辞令なのか、分からないニュアンスでこうやって試される。本当かどうかも分からない約束に振り回される。それでも会えたら、どうしようもなく嬉しくなる。

 あと何回、こんなことを繰り返すのだろうか。

 年齢を重ねれば近づけるのだと思っていた。
 あと何年経てばそこに行ける?
 どうしたら大人になれる?
 どうしたらこの人と対等になれる?
 どうしたら十一歳の年の差は埋められる?
 何をすれば、この人に追いつける?

 一つ年をとって、大人になったつもりでいたけれど、その分真澄もまた階段を一段登るように、一つ先へと行ってしまった気がして、永遠に追いつけない二人の距離にマヤの心の奥が震える。

「どうして……、どうしてここまでしてくれるんですか? 私が大都の女優だからですか? 紅天女だからですか?」

 ライチのムースに添えられた、バラ色のソルベが溶け始める。溢れ出した気持ちは、誰にも止める事が出来ないのと同じように。

「今日、こうやって誕生日のデートに誘って下さって、本当に嬉しかった。凄く楽しかった。幸せだった。でも、私一人舞い上がってるみたいで、速水さんの気持ちがよく分からない」

 分からない事を分からないと口にするのが、こんなにも難しかった。これほど答を聞くのが恐ろしい問いは初めてだ。

「そうかもな……。俺はそういう努力をしてこなかった」

 しばしの沈黙の後、真澄が慎重に口にした言葉からは先程までのからかうような様子は一切消えていた。

「ずっと一人のつもりで生きてきたから、別にそれでよかった。誰かを愛することも、愛されることも無縁の人生を選んだのだからと、納得ずくで生きてきた」

 そこで真澄が少しだけ遠くを見る。過去のどこかで殺してきたもの達の残像を見るように。

「だが、君に出会った。生まれて初めて、何かをどうしても欲しいと思った。だからもうその生き方ではだめなのだと」

 その瞳がマヤを捉えて離さない。マヤは初めて、自分の輪郭をその人の瞳の中に見る。

「あの日、俺は間違いを犯した。今日と同じように、こうしてチケットで君を呼び出して、想いを告げるつもりが、逆に手放した」

 側面しか知り得なかった過去の出来事の奥に眠っていた真実を前に、マヤは息を呑む。

「想いを告げる、それだけの事がどうしても出来なかった。そのことを酷く後悔した。もう同じ間違いはしない。今こそ君を取り戻したい」

 何かが溢れ出す。圧倒的な何かが押し寄せる。

「あの時言えなかったことを、今言う」

 その予感に、マヤは息を止める。

「君が好きだ。そして俺が紫のバラの人だ」

 そして差し出される、一輪の紫のバラ。
 待ちこがれ過ぎたその瞬間の濃度に、マヤは目眩がする。それを現実と受け止める事をためらう余りに、浅い乱れた呼吸を繰り返しながら、頭を左右に振る。

「そ……んな、あたし……」

 上手く、呼吸が出来ない。
 その様子を見て、真澄の指先がテーブルの上で震えるマヤの手を包む。

「俺はただ、君の隣で、君のことを見ていたい。今までも、そしてこれかもずっと。他の誰でもない。その役目は俺でなければならない、そう思っている」

 やがて差し出された真澄の手のひらの上には、ベルベットのジュエリーケース。白いテーブルクロスの上、マヤの目の前にそれがそっと置かれる。

「このカードに書かれた君の想いが本当ならば、どうかイエスと言って欲しい」

 真澄がスーツの内ポケットから取り出した一枚の小さなカードには、確かにあの日マヤがしたためた小さな文字が告げている。

【 好 き で す 】

 届くはずもないと最初から諦めていた自分の本当の気持ちは、同じように自分を想い続けてくれたその人が、大切に拾い上げてくれた。

 震える手で、ジュエリーケースに触れる。
 丸みを帯びたその蓋を開けると、眩い光が、今この瞬間の輝きこそが永遠であるとマヤに告げる。

「はい……、ついて行きます」

 二人が共に歩くべきであった一本の真っ直ぐな道に、光が差す。
 どれだけ道を間違えても、どれほどの回り道をしてでも、それでも二人がここに辿り着く事を選び取った奇跡を祝福するかのように……。









 レストランを出ると、二月の外気が心地よく頬を刺す。
 左手の薬指に光る石をずっと見ていたくて、マヤは手袋をはめずに歩き出す。そんなマヤの指先を真澄の手が、そっと包む。

「あのチョコ……、全部食べてくれてたんですね」

「当然だろ」

「でも、速水さん貰ったチョコは全部まとめて寄付してるって聞いたから……。あれって、都市伝説みたいな噂だったんですね。振り回されて、馬鹿みたい、あたし──」

「いや、本当の話だ。毎年、全て施設に寄付している」

 驚いてマヤは、手をつないだまま立ち止まる。

「え……と、じゃぁ、なんで──」

「だから君だけだ」

 耳の奥がまた白くなる。俄に信じ難い言葉を聞いた瞬間、それを確かめようと細胞達が一斉に耳をそばだてるような感覚。

「君から貰ったチョコしか食べていないし、開けてもいない」

「そんな……」

 どう反応していいか分からず、言葉にならない曖昧な息だけをマヤは吐く。
この人はいつだってこうやって、突然人の思考を止めるのだ。
 真澄の情熱と真意にようやく辿り着いたばかりのマヤにとって、当たり前のように囁かれる愛の言葉や、その想いの深さには戸惑うばかりだ。

「あんなメモ一枚で、ここまで俺を振り回して、君こそとんだ小悪魔だ。もしもあれが君流のただの冗談だったとしたら、俺はとんだピエロだと、何度も薄ら寒い想像もした」

 バツが悪そうに真澄はそう言って、軽く弾くようにマヤの額に指先で触れる。

「だがそれでもいいと思った。義理でも冗談でも何でも、君が俺からの誘いだと分かった上で、こうして俺の隣の席へ来てくれたら、その時はもう絶対に迷わないし、絶対に君を俺のものにすると決めていた」

 冷たいとばかり思っていたその瞳に、熱いものが宿っている。
 その瞳の中心にいるのは、間違いなくマヤ自身で。

「なんか……、夢みたい。私の人生にこんなこと、絶対起こりっこないって思い込んでたから……。今日のこと、一生忘れないです。今までで一番幸せな誕生日です」

「来年も再来年もある。今日だけじゃない。君はもっと幸せになるんだ」

 未来の確かな予言を、真澄が告げる。

「そ、そんなに甘やかさないで下さい。あたし、もっと好きになりますよ? いいんですか?!」

 照れ臭さと、胸に残る最後の不安の一欠片がマヤにそんな声を出させる。

「問題ない。俺のほうが好きだ」

 そう言って、甘く唇を塞がれる。
 胸にあったはずの、最後の不安の欠片が、跡形もなく溶けて行く。


 最初は凄く苦かった。
 でも、結局最後は凄く甘かった。
 

 そう、まるで口内でゆっくりと溶けてゆくビタースウィートのチョコレートのように、私はあなたに恋をした……。







 
2016 . 2 . 20







FIN











2016年、バレンタイン&マヤ誕連載、無事終りました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

今年は休止中だし、難しいかなと諦めモードだったんですが、シマタカヤのアレのせいで
”店が開けるほどにチョコを貰うモテモテシャチョー”
が書きたくてタマランチになって、結局こうなりました。

もともと、誕生日にお財布+チケットというネタはあったんですが、上手い事バレンタインとくっつけたというか。
去年も同じことやってましたね、私。ははは


特に大きな事件も起こらず、奇をてらった展開にもならず、二人が可愛く甘くじれったくやりとりする様が、私は大好きです。
シャチョーが、ちょいちょいエロい事言ったり、キザなこと言ったりするのが大好きです。
マヤちゃんがモジモジしながら、弱気になりながら、それでも頑張ろうと前向きになるところが大好きです。
そんでもって、美味しいご飯とか、楽しいショッピングとか、ときめきプレゼントとか、ドレスとか靴とか、そういう私が大好き〜なものを目一杯詰め込んだ!
それが、今年のマヤ誕だったように思います。

シャチョーがなんの迷いもなくスーパー積極的だったのは、そう、とっととあのチョコを食べて、あのカードをちゃっかり見つけたからに違いありません!
シャチョーはやれば出来る子なのでw、マヤの気持ちにさえ気付けば一気に押してくれるだろうと。ていうか、頼む、押してくれ。マジで。

50巻への怪しいカウントダウンが囁かれ始めた今日この頃、そんな日々の中で、ひととき、ニヤニヤと少しでも楽しんで頂けたのであれば、嬉しく思います。


同人誌にいつの日かこのお話が再録される時は、きっとこれに

「ところで君、今日はどれぐらい酔っているんだ? 持って帰っていいのか?」

とお持ち帰りされるエロバナが付け足されるのに1000000シマタカヤ!! 


ではでは、またどこかでお会い出来ますように♪


最後に

マヤちゃん、お誕生日おめでとう!!
あなたの幸せを何より願っています!!




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