第3話



 
「誕生日……、知ってたんです か?」

 前触れもなく誕生日を祝う言葉で乾杯をされ、マヤは驚きを隠しきれない。

「当たり前だろ。君の事なら、何でも知ってる」

「何か、速水さんがそう言うとすっごいいやらしい感じがするからやめて下さいっ!」

 自分が二月二十日をリクエストした理由も気持ちも、全てバレバレであったのかと思うと、いたたまれなさからマヤは思わず噛み付くように言う。

「何だそれは」

 それすらも相手にしないとでも言うように、真澄は涼しい顔で笑う。

「じゃぁ……、最初から分かってたんですよね。何であたしが今日という日を選んだのか」

「君が誕生日を一緒に過ごす相手として俺を選んでくれた事は嬉しく思っている。ただ、若い女優だからな。誕生日ディナーを派手にご馳走してくれるには丁度 いいおじさんだった、という説もあるから、素直に喜ぶにはまだ早い」

「何ですか、それっ!」

 今度はマヤが食い気味に噛み付くと、二人は耐えきれなくなって笑い合う。しばらく笑った後で、マヤはずっと気になっていた事を口にする。

「そろそろ種明かし、してくれない んですか?」

 美女と野獣ネタのまま、燭台のルミエールが作ってくれた事で押し切られそうだったが、こんなに美味しい料理がどこからどうやってきたのか、どうしたって 気になる。勿論、それらを少しも損なう事なく手を加え、美しく盛り付けていく真澄の料理の腕前にも完全に脱帽している。真澄はしばらくとぼけた顔をしてい たが、ようやく事の真相を話してくれた。

「この近くに長年夫婦だけでやっているイタリアンがある。地元の別荘住民にも愛され、夏の間はほぼ毎日やっているんだが、2月は人もいないので閉めてい る。個人的な付き合いもあって、普段から良くして貰っていた。今夜は特別な夜にしたいと言って、鍵を渡して料理を頼んだんだ」

「す、凄い……。そんな事出来るんですね……」

 プロの仕業だと思ったのは間違いではなかったのだとマヤは感嘆する。勿論、もっと驚くのはそんな事が出来てしまう真澄に対してだが。

「二月はいつもなら旅に出るそうだが、今回は新型ウィルスの件もあって自宅に居る事にしたそうだ。ちょうど暇を持て余していたから、と快く引き受けてくれ たよ。御礼に大都主催の舞台でどれでも好きなものに招待したいと言ったら、君の紅天女を指名してきた。その時は楽屋で紹介しよう」

 何から何までぬかりなく整える真澄のそれは、もはや天性の才能だとマヤは思う。自分は直感でしか行動出来ないので、こういった綿密な行動や計画というこ とが本当に苦手だ。ただただ羨望の眼差しで真澄を見る。

「さぁ、料理が冷める前に美味しく食べよう」

 真澄にそう促され、シャンパングラスに口をつけた瞬間、ふと気づく。

「あれ? お酒……」

 目の前の真澄も当然のようにグラスを傾けている。目線だけでなんだ? と聞き返される。

「飲んで……ます?」

「ああ、飲んでるよ」

 やっと気づいたかとでも言うように真澄が笑う。

「く、車っ! 運転どうするんですかっ! あたし、明日も朝から仕事が──」

「心配するな。中止になった」

「え?」

 想定外の一言にマヤは絶句する。明日は封切りになったばかりの主演映画の満員御礼の舞台挨拶があると聞いていた。

「舞台挨拶のイベント自体がそもそも中止になった。この時期多数の観客を集めてのイベントは軒並み中止だ。先程連絡があった」

 まだその情報を聞いてなかったマヤには寝耳に水だが、ここ数日の世の中の状況を考えれば当然とも言えた。

「今夜はもう帰らない。明日の朝、送るつもりだ」

 その言葉にマヤは思わず息を止める。本来ならば、「ひどい! 騙された!」などと言って、いつものようにギャーギャーと騒ぐ事も出来た。けれどもそうは しなかった。
 なぜなら、その可能性も考えてはいたからだ。伊豆に招待して貰った時からずっと考えてはいた。

(その日はもしかしたら帰れないかもしれない……)

と。ただそれを口に出すのは怖かった。そうなったとしても、あるいはそうならなかったとしても……。妙な期待をして、その通りにならなかった時のいたたま れなさが、例によって先に脳裏を占拠した。ゆえにもうそれ以上考えるのをやめてしまったのだ。
 そんなふうに、今更延々あれこれ考えている事が、全て顔に出ていたのであろう。真澄が困ったように笑う。

「そんな顔をするな。今すぐ君を取って食べようなどとは考えていない。食べるのはこちらの料理のほうだ」

 そう促され、我に返ったマヤは、余計な事ばかり考え過ぎていた事が逆に恥ずかしくなる。真澄がこんな子供のような自分相手に、本気で何かをどうこうしよ うなど、考える訳がない。全ては自分が望んだ我儘に付き合って貰っているに過ぎない。そう考えると、それが一番スッキリと腑に落ちた。

「そしたらあたし、遠慮なく飲みますから。そこのソファーでこのまま倒れて寝込んでもいいと分かったら、安心していっぱい飲めます」

 そう言って、恐ろしいほどに口当たりのいいシャンパンを一気に飲み干す。

「君が眠るのはそこのソファーではないからな」

 
呆れたように真澄はそう言って 苦笑した。

 





 
 オーブンにセットされたローストポークが焼き上がる。前菜や煮込み料理のラタトゥイユなどですでにお腹は満たされつつあったが、イタリアンレストランの シェフの自慢の一品であるローストポークを食べない訳には絶対にいかない。
ローズマリーの香りが漂ってきた。
 手際よく真澄が切り分けてくれる。オーブンから取り出されたばかりの肉の塊からは、熱い肉汁が溢れ出る。

「社長さんにこうやって切り分けて貰えるなんて、めっちゃ贅沢ですね。速水さんのこんな姿、きっと誰も想像出来ないですよ。言ったとしても信じて貰えない かも」

「ああ、やらないからな。君以外には絶対に」

 真澄に対してからかうような口調でそう言ったつもりが、逆に真澄のその一言でマヤは言葉に窮する。

「俺にここまでさせるのは君だけだ」

 一体真澄がどこまで本気でそんな事を言っているのか、マヤは分からなくなる。

「……あたしが紅天女、だからですか?」

 今度は、心底呆れたとでもいう表情で真澄がこちらを見る。また何か間違えてしまったのかとマヤは慌てる。

「もし君が本気でそう思っているのだとすれば、そう思わせてしまっている俺に責任がある。これまで君をどれだけ大切にしてきたか、全く伝わってなかったと いう事だからな。今夜一晩あれば、どれだけ俺が君を大切に思ってきたか伝える事も可能だろう。十分な時間だ」

「もしかして……口説いて……ます?」

 上目遣いにマヤは恐る恐る、そう口にする。今にも「何馬鹿な事を言ってるんだ」という呆れ声が飛んでくるのをビクビクと覚悟しながら。
 そんなマヤの言葉に幾分驚いたように真澄の表情が止まる。と、急に何かの糸が緩んだように笑い出す。

「君がそう取ってくれるなら、チビちゃんも成長したという事だな。俺の事を男として見られるようになったというのであれば嬉しいよ」

 そうやってまた上手くかわされる。どこまでが冗談で、どこからが本気なのか、分かりかねる事ばかり真澄は言う。

 でも……、今はそれでいいとマヤは思う。
 白か黒か、ハッキリされるのはまだ怖い。せっかく真澄との二人きりの夜というまたとないチャンスを貰ったのだ。もう二度とないかもしれないこの夜を、今 はまだ楽しんでいたかった。
 そう、誕生日の夜なのだから……。








 真澄が用意してくれた素晴らしいディナーが終わる。
 何もかも全てが美味しく、そして温かく、心がこもっていた。真澄が自分の為だけに、色々考えて手配してくれたディナーだったというのもあるし、そのイタ リアンレストランの夫婦がマヤと真澄の二人の為だけに特別に用意してくれたディナーであったという事の意味もとても大きい。こんな経験をした事は、今まで の人生で勿論一度もない。本当に間違いなく特別な夜だった。
 
「今夜は流星群が見えるらしい。少しだけ星を見に浜辺に下りないか?」

 食後のデザートの余韻に浸っていると、真澄から思いがけない提案をされる。

「素敵! 星が見えるんですか? お腹いっぱい過ぎて倒れそうだったので、お散歩ちょうどいいですっ!」

 色気も何もないような返しをしてしまったと気づくのは、マヤの場合、いつだって口元を言葉が通過した後だ。真澄はクスクスと笑いながらも、そっとマヤに 手を差し出す。

「足元が暗くて危ない。しっかり捉まっているように」

 ためらう事なく真澄の手を取る事が出来たのは、夜陰の深さのせいだろうか。それとも星以外の誰も、二人の姿を見咎める者が居なかったからだろうか。まる で物語の続きのように、二人は自然と手を取り合い、ゆっくりと海へと続く階段を下りていく。


 真冬の夜の浜辺に勿論、人影はない。ただでさえここは別荘地帯が続く私有地だ。出発前に真澄が言った、誰にも会う事はない、という言葉は本当だった。こ こで誰かに会うという事などありえないと確かに言い切れるほど、そこは世界の全てから切り離されたような場所だった。
 寄せては返す波の音に耳を奪われ、自然と二人は口数少なくなる。つないだ手のぬくもりだけでお互いの存在を確かめ合う。

 海と空が暗闇の中で繋がっている。そしてその夜空には美しい万もの星たちが煌めく。

「すご……い、こんなに星が見えるなんて──」

 マヤはただ、感嘆の声を上げる。

「あっ! 流れ星っ!!」

 星が流れた瞬間を捉え、マヤが叫ぶ。強烈なデジャヴュがマヤを襲う。

 あの時も二人で星を見た。
 二人の前を確かに星が流れていった。けれどもあの時自分は、自らの願い事を口にする事はおろか、願う事も出来なかった。
 何も分かっていなかったからだ。この人への想いの大切さも、もう二度とこの人と過ごす時間など簡単に与えられなくなるという現実も、何一つ分かっていな かった。あまりに幼く、子供だったのだ。

 一つだけ思う。
 真澄の願いは何だったのだろう、と。
 一生叶わない、と自ら闇に葬ったとも言える、真澄の願いとは一体何だったのだろうか──。

「梅の里で、こうやって二人で星を見た日の事……、覚えてますか?」

 暗闇の中、マヤは手探りで言葉を探す。

「ああ……、覚えている」

 夜空にまた一つ、星が流れていく。

「あの時、流れ星を見て、速水さん言いましたよね。『俺の願いは一生叶わない』って……。速水さんの願いって……、何だったんですか?」
 
 星明かりだけを頼りにマヤは真澄の顔を見つめる。暗闇の中に浮かび上がる輪郭の中に、僅かでも自分が探していた答えの欠片があるのではと必死に目を凝ら す。手を伸ばせば触れる事の出来る距離にその人はいる。けれども、その人が何を考えているのか、何を求めているのか、いつだって自分には分からなかった。
 真澄の指先がマヤの頬に触れる。触れられる距離には居たが、触れてきたのは真澄のほうだった。
 波が寄せては返す音を三回聞いたあと、真澄はあの日の真実を夜陰へと静かに解き放つ。

「君に許され、愛されたいと願った……」

 その言葉に鼓膜を縛られ、マヤは身動き一つ取れなくなる。

「君から何もかもを奪った俺に、その資格は永遠にないと分かっていても、それでも君に俺の愛を受け入れて貰える事をずっと愚かにも願っていた」

 マヤの体から力が抜け、ガクリと膝を突きそうになると真澄がその両腕を強く支えて引き止める。

「俺の人生は何もかも間違いだらけだった。大切な所でいつも何かを間違えてきた。大切な事を一度も選べない人生だった。もう間違えたくないんだ」

 その瞳がはっきりと暗闇の中でマヤを捉える。

「君を愛している。誰よりも、何よりも……。これだけは絶対に譲れない俺の真実だ」

 言葉にならない想いが一気に溢れ出し、マヤは低い唸り声を上げると、そのまま真澄の腕の中へと倒れ込む。
 過去の全てが星となって、二人の頭上に降り注ぐ。矢のような鋭さで貫くそれではなく、二人の行く先を照らし出す光となって。

「私も……、ずっとあなたが好きでした」

 マヤを抱きしめる真澄の腕がビクリと震える。真澄の胸に埋めていた顔を上げると、マヤはもう一度ハッキリと口にする。

「ずっと……ずっと前から、速水さんの事が好きでした」

 その言葉に押されるように、真澄は自分の胸の高さの位置ほどの小さな存在を折れるほどに抱きしめる。もう二度と失う事のないように。暗闇に奪われる事の ないように。

「マヤ……、やっと君に辿り着いた」

 真澄の両手がマヤの頬を捉えると、その瞳の中に長きに渡って求め続けた愛を見る。永遠に得られないと諦めていたそれは、確かにそこに存在した。まるでよ うやく届いた、数千年前の星の光に照らし出されたかのように。

 そして二人はようやく唇を重ね合う。幾千年前からの約束を果たすかのように。深く、強く、ためらう事なく、その想いを重ねる。
 幾つもの星たちが、夜空を横切り、ようやく出会えた恋人たちの肩にいつまでも降り注いでいった……。


 

 

 


 マヤがクシャミをしたのを合図に、二人は別荘へと元来た道を戻る。しっかりと繋いだ手が、この先も自分を永遠に導いてくれるのだとマヤは無条件に信じら れた。
 もう怖いものはなかった。
 この人のこの手があれば、どんな暗闇の中であったとしても自分は立ち止まる事なく歩みを進めていけるのだと確信する。

 別荘の室内へと戻ると、マヤは小さな違和感に気づく。
 テーブルに駆け寄ると、中央に置かれた一輪の紫のバラの花びらが開け放たれた窓からの風に煽られ落ちていた。浜辺へ下りる時、換気も兼ねて開けた窓から 思いの外、風が入り込んだようだ。
 まるで映画で観た『美女と野獣』のラストそのものだと、マヤは笑いながら、僅かな花びらだけが残ったバラを真澄に示そうと振り返る。
 ふと近づいてきた真澄がバラを手に取り、マヤに手向ける。

「このバラが枯れる前に間にあって良かった……。俺が紫のバラのひとだ」

 その一言にマヤは今度こそ崩れ落ちる。真澄の胸に抱きついたまま、
嗚咽を抑えきれないほどに激しく泣きじゃくる。

「ありがとう……ございますっ、ありがとうございますっ!」

 壊れた人形のように、僅かな花弁を残すのみとなった一輪の紫のバラを握りしめたまま、お礼を繰り返すマヤを真澄がなだめる。

「それがあたしの願いだったんです」

 訝しげに真澄が首をかしげる。マヤに礼を言われる意味も、それがマヤの願いだったという意味も分からないようだ。

「あの日、流れ星には鈍くさくて間に合わなかったけれど、あたしの願いはいつだって、紫のバラのひとに会ってお礼を言う事だったんです」

 あの日、叶わなかった二つの願い。
 今宵、果てしなく続く二人だけの夜に、二人は確かにお互いの願いを叶える。
 求め続けた唯一無二の存在を受け入れ合う。

「君には信じて貰えないかもしれないが、本当に今夜は君をここに泊めるだけで、ちゃんと帰してやるつもりだったんだ。本当だ。だがもう無理だ」
 
 お互いの想いが触れ合ってしまったら、肌が触れ合う事を欲するのを止める事など出来る訳がない。

「大……丈夫です。あたし、もう子供じゃありません。ちゃんと、そのつもりで来てます」

 言っていて顔から火が出るほど恥ずかしかったが、本当の事はちゃんと伝えないと大変な事になると学んだばかりだ。もうすれ違いたくないし、怖さよりも、 それでも真澄と居たいという想いのほうがはるかに上回る。

「それは助かるな。だが、俺は君が思っているよりももっと酷い事をするかもしれないぞ」

 驚いてマヤが口元を両手で覆うと、真澄は笑いながら軽々とマヤを抱き上げる。

「冗談だ。ちゃんと丁寧に大切に抱く。ただ……、俺も男だ。そして男は時に野獣だ。そんな俺を見ても、嫌いにならないでくれるか?」

 そんな甘いんだか怖いんだか分からない事を耳元で囁かれ、マヤは赤面するしかない。

「だ、大丈夫です。速水さん、なんとなくですけど凄そうって覚悟は出来てましたから」

「なんだそれは」

 思わずヘンなふうに口を滑らせたら、真澄がクスクスと笑う。

「多分寝かせてやれない。明日の仕事がキャンセルになって本当に良かったな」

 ゾッとするほどの色気を含んだ甘い声で、そんな事を最後に耳元に囁かれ、寝室のドアが静かに閉まる。



 二人が歩いた後には、紫のバラの花弁が転々と寝室のドアまで、まるで愛の道標のように落ちていた……。










2020 . 3 . 2








FIN














今年も無事にこうしてマヤちゃんの誕生日をお祝いする事が 出来ました。諸事 情でサクサク続きを出せない中、最後までお付き合いいただきありがとうございました!

元ネタは何年か前のLUMINEの
「お返しはデートで!」
っていうバレンタインの広告だったと思います。LUMINEのキャッチは秀逸なものが多くて、心に残る事が多いのですが、これも
「いつかマヤちゃんが『お返しはいらないんでデートして下さいっ!』っていうお話書こう」
って思ってたんですが、マヤちゃんの口からデートして下さいが出てこなくて、結局シャチョーから強引に連れ去り案件ていういつものパターンになりました 💦

で、強引にデート → えー感じのレストランで食事、だといつもと全く変わらない!毎度おなじみのアレにしかならず、今回はこの新型ウィルスネタを取り入 れ、強引に伊豆に行って貰う事に成功。
誕生日に伊豆、パターンは多分書いてない……はず。多分……。
(もう最近、記憶があやふや💦)


こういう終わらせ方だと、必ず

「この後どうなったんですかっ?!」

って食い気味に問い詰められるんですが、勿論そうなって、ああなって、翌朝はこれでもかっですよっ!!!!!!!



コホン

WEBではこれ以上書けませんので、どうぞご容赦下さい。同人誌では堂々とやらかしますので、そちらでお楽しみ下さいませ〜。


それでは、マヤちゃんに幸あれ!
伊豆よ、今年こそカモーン!!!






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