記念日を君に


 
 


「記念日?」
「そう、付き合った日とか、出会った日とか、そういうのないの?付き合って1年記念のお祝いしたりとかさ」

 記念日と言えば、学校の創立記念日で平日なのに学校が休みになって喜んだ記憶ぐらいしかないマヤは、ただただ戸惑う。どうやらまたもや世の中のスタン ダードから自分はズレているようだ。

「付き合う事になったのは、紅天女の初演の後だけど、告白して貰った日なのか、あたしが返事した日なのかとか、あとちょっと待って貰ったりとかもあって、 正式に付き合う事になった日とかわかんないかも。最後、『これって付き合ってるんですか?』って聞いたら『当たり前だろ!』って速水さんに怒られたりした から、怖くて今更聞けないし」

 今日はマヤの誕生日ということで、久しぶりにこうしてランチに集まり、カフェでケーキを食べながらお祝いして貰っている。
目の前の麗は手のひらで額を覆いながらやれやれと笑いだ し、さやかは信じられないとでも言うような顔で首を振って呆れている。

「みんな普通、記念日ってあるの?」

 恐る恐るマヤがそう聞くと、

「みんなかどうかは分かんないけど、私はめっちゃ気にするし、相手にも覚えてて欲しい」

パクリと大きな一口でケーキを口に放り込んださやかがそう言い切った。

「まぁでも、いい大人の速水さんがそんな記念日とかの日付を気にしてるとも思えないし、あんな忙しい人に覚えてろってほうが酷だろ。マヤが覚えてないの は、まぁ……いつものことだ。この子は芝居の台本ならいくらでも覚えられるのに、人の名前も顔も、過去の出来事も、そんな事あったっけって片っ端から忘れ てくからな」

 二人に笑われ、思わずフォークを強く握り込んで反論しようとしたが、その通りなので何も言葉は出てこなかった。その代わり、真澄も気にしていないだろう し、どうせ覚えてないという言葉だけが引っかかった。

 本当にそうだろうか。
 自分だけが忘れていて、真澄だけが覚えていて、思い出しもしない自分に呆れたりしていないだろうか。

 そんな不安がよぎる。
 真澄の誕生日は忘れなかった。ちゃんとお祝いした。
 付き合い始めた日は、正直どの日かよく分からない。

(出会った日は、確か……)

 記憶を辿り始めて、マヤはまた愕然とする。確か中学生の頃の正月に観た、椿姫の舞台だったはずだ。けれど真澄があの時の事を覚えているとは思えない。あ れを出会いとカウントしていいものなのか。
 きちんと会話をして認識されたのは、千草の家に出前を届け、椿姫の一人芝居をさせられたあの日だったように思えるが、あれだってそもそも覚えているのだ ろうか。いやでも、あの時あの場で椿姫の舞台で席を案内して貰ったと言ったら、思い出したような反応をしていた気がするが、もう自分の記憶さえもどんどん 怪しくなってくる。
 今更の記念日を制定する事はどうやら難しそうだと、マヤは大きな溜息を吐いた。

「別にいいんだよ、毎日が幸せだったら、特別な日なんて必要ない。今、あんたが笑えてる事、特別な日じゃなくても、速水さんといられて幸せだったらそれで いいんだよ。それが全てだ」

 マヤの混乱を見透かしたように、麗がそう言って、優しく頭を撫でた。











 表参道の交差点で二人に別れを告げると、真澄との約束の時間まではまだ少しある。夜はマヤの誕生日を祝うために恵比寿のフレンチレストランを真澄が予約 してくれている。スマホの地図アプリを立ち上げ、恵比寿のレストラン名を入れると、2.8km42分と出た。つい欲張って追加で先程食べたケーキがまだ胃 袋にはしっかり残っている。美味しいディナーの為に歩いて消化させるには丁度よい距離だと、マヤは歩き出した。
 
 ふいにこうして表参道のような場所で時間が空いても、買い物をする店もよく分からないし、時間の潰し方も知らない。やっぱり自分は年相応の世の中の女子 がする事や知っている事を何も知らないのだなと、諦めにも似た苦笑がこみ上げる。

 芝居しかしてこなかった。
 芝居以外の事は、恐ろしいほど何も知らない。
 こんな自分と居て、真澄は本当に楽しいのだろうか。

 漠然とした不安と、そしてずっと思っていた疑問が交互に押し寄せる。
 そもそも紫織との婚約を破棄してまで、自分を選んだことを後悔したりしないのだろうか。ネガティブな思考は、マヤの歩く速度で影のように後から追いかけ てくる。それでもひたすら歩いた。ガシガシと脚を進めている間だけは、不安に追いつかれない気がして、気づけば物凄い早足になっていた。

 日が暮れた夕刻の恵比寿に静かに佇む、お城のような外観のレストラン。クリスマスにも来たので今日で二回目だ。個室なので周りに気を使わず済んで楽でい い、などと真澄は軽い感じで理由を説明していたが、簡単に予約が取れるようなレストランではない事も、とんでもなく高級なレストランである事も、それこそ さやかから後に聞かされ青くなった。
 そんな事も知らず、しばらく無邪気に

「すっごいおっきい海老が美味しいレストラン」

などとはしゃいでいたら、今日も

「海老が大きいレストランに行くぞ」

と真澄に言われた。マヤが気後れしないように、気を使ってくれているのだと分かる。分かっていて、自分はそれに甘える事しか出来ない。

 本当にこんな自分でいいのだろうか──。

 澱のように心の奥底に沈殿する想いは、透明を装う上澄みとは対照的にどんどん色濃くなるばかりだった。


 






 いつものように沢山食べ、いつものように面白おかしく話し、そしていつものように笑っていたつもりだった。けれども今日一日ずっと考えていた事が、どこ かに表れていたのだろうか。

「何かあったのか? 誕生日なのに笑ってない」

「え? 笑ってるじゃないですか」

 思わずそう言い返すが、全てを見透かしたような眼差しで真澄がじっとこちらを見つめている。無理に装着した笑顔の鎧が剥がれ落ち、心が無防備に剥き出し になってしまう。

「……ずっと思ってました。私なんかでいいのかなって。あんな大変な思いまでして、私を選んでくれたのに、私に何ができるんだろうって」

 誕生日の夜ぐらい笑ってなさい──。
 どこかで麗がそう諫めるような声が聞こえた気がしたが、一度溢れ出した想いは止まらない。

「今日もさやかに笑われたんです。記念日一つも覚えてなくて……。世の中の恋人は、付き合い始めた日とか、出会った日とか大切にしてお祝いとかしたりする そうです。私、そんな事気にした事もなくて、記憶も全部曖昧で、正直芝居の事以外って何も覚えてないようなダメ具合で……。多分私、凄いズレてるんだと思 います。今更ですけど……」

 言っててさすがに自分でも情けなさにどんどん顔がうつむいてしまって、真澄の顔をまともに見られなくなる。
 
「随分かわいい事で悩んでくれていたんだな」

 意外な言葉が降ってきた気がして、マヤは慌てて顔を上げる。

「出会った日付や付き合い始めた日付を、俺自身も正確に記憶してた訳じゃない。そこに大した意味はないだろ?ただ、年が明けて恒例の新春特別公演が来れ ば、君と出会って何年経ったのか想いを馳せる事はあったし、紅天女の初演から一年経てば、君に想いを告げてから季節が一巡した事を感慨深く思ったりはして いた」

 日付という点ではなく、流れた時間という線を真澄が大切に思ってくれていた事が伝わり、マヤは思わず涙ぐむ。

「記念日が欲しいか?」

「え?」

 真澄の言葉の真意が分からず、マヤは思わず気の抜けた声をあげる。

「だったら作ればいい」

 そう言って、唐突に差し出される濃紺のベルベットの小さなジュエリーケース。流れるような動作で真澄が蓋を開けたそこには、ダイヤモンドが一粒、静かに 光っていた。

「今日を結婚記念日にしよう。君の誕生日と一緒にしておけば、さすがの君でも忘れないだろう?」

 突然の想定外の事態に、マヤは驚いて思わず首を振ってしまう。

(私なんか──)

 いつもの己を否定する言葉が出掛けた瞬間、真澄がそれを見越したように静かに遮る。

「君に何か特別な事をして欲しい訳じゃない。望んだこともない。ただ、君にそばにいて欲しい。君でなければ駄目なんだ」

 その言葉の意味を受け止めようと動けずにいると、真澄の手がマヤの指先を取る。

「結婚して欲しい」

 余計なものを一切まとわない、真澄のまっすぐなその一言がマヤの胸の奥まで届く。この人には到底釣り合わないと、頑なに否定し続けた自分という存在を閉 じ込める扉に、それはそっと触れる。真澄のその想いに呼応する唯一の言葉が、マヤの口からとても素直に、けれどもはっきりと意思を持って応える。

「はい」

 目の前のその人が笑う。
 今までで一番の笑顔で。
 それこそが特別な記念日だ。

 あなたの笑顔が永遠であるように、そして明日も私はあなたに笑いかけるだろう。
 そんなごくありふれた幸せに彩られた毎日をきっとこれから二人で積み重ねていく。


 とびきりの記念日を、今宵生まれた君に捧ぐ。





 


2024 . 2. 20





< FIN >






あとがき、のようなもの



すみません、一日遅刻しました!!
今年は去年のマヤ誕の
「Prologue」
の続編を同人誌で出すつもりでずっと頑張っていたんですが、当日発行までにはどうしても間に合わず、ずっとその原稿をやっていたので、他の短編を並行して 書く事もできず(最後まで同人誌出せると信じてたから)このまま誕生日当日はスルー?え?って呆然としながら、当日(昨日2/20)になってネタ帳を漁り はじめ、

【記念日って私達ないですよね
作ればいい
え?
結婚記念日
誕生日と一緒にしておけば、さすがの君でも忘れないだろう】

っていうたった5行の殴り書きを見つけて、昨日の夕方から書き出して、こうなりました。涙

相変わらずキザったらしい事を、息を吐くようにやらかしてくれるシャチョー。超カッコイイ!!!
色々細かい設定まで考える時間なくて、今年も相変わらずロブ◯ョンに飛ばしてます。
そしてこのあとシャチョーならでは素晴らしい根回しと素早さで、港区役所まで届け出しに行ってこの日が結婚記念日になる段取りですw
印鑑とか証人欄とか戸籍謄本とか、こまけーこたーつっこまんといてー。


そんな訳で、大遅刻になってしまいましたが、マヤちゃん今年もお誕生日おめでとうございます!
ほんとマヤちゃんの幸せをいつでも、今でも、いつまでも、ずーっと祈ってるよーー!!













励みになります!
拍手
novels top/home