第8話 最終話
静まり返った部屋の中。
月明かりが僅かにカーテンの隙間から差し込むだけの室内は、不均一な暗さで満たされている。 暗闇に慣れた目で、窓辺のコンソールデスクの上にある置時計に目をやろうとしたが、眠っている真澄を起こすことが憚られ、首すら動かすことが出来ない。試 しに少しだけ肩を抜こうと動いてみたが、自分の体はすっぽりと真澄の腕の中に閉じ込められていた。
体を僅かでも動かした分、シーツの布ずれの音がした。それを真夜中のため息のような音だとマヤは思う。

「眠れないのか?」

眠っていたと思った真澄の瞼が動く。ゆっくりと睫毛が僅かに上下し、そしてその向こうに真澄の瞳が見えた。

「ごめんなさい、起こしちゃった?」

その質問には吐息でわずかに笑っただけで答えぬまま、真澄は束縛の緩くなった自らの腕の縄を締め直すように、マヤを抱き寄せる。

「痛い思いをさせて悪かった」

自分が眠れないのは今も体内に疼く、この痛みのせいだと真澄は思ったのだろうか。今度はマヤが曖昧に左右に首を振って、その問いを真澄の腕の中へ逃がす。

「痛かったけど、幸せだったからいい……」

「そうか……」

そう言って、真澄がまた強くマヤを抱き締めた。

「少し喋ってもいい?」

眠るのが怖かった。
眠って目覚め、そしてまだそこに真澄がいる自信がなかった。
だから、眠れなかった。
眠らなかった。

「いいよ」

その穏やかな一言の響き方が、自分が一番望むものと同じ響き方をしたので、涙が出そうになる。そのたった一言で。
特別なキスでも、特別な言葉でも、特別な何かでなく、ほんの些細ななんでもない一言のほうが余程の影響力を持っていると、マヤは思い知らされる。

――いいよ……

そのイントネーションを、全てを失ったあともどうにかして思い出せるよう、何度も鼓膜の奥で響かせて、マヤは記憶した。


「速水さんは、もし生まれ変われるとしたら何になりたい?」

「随分、突拍子もなく飛躍するんだな」

からかうような甘い笑い声が、頭上から落ちてくる。
絶え間なく髪の間を真澄の指がすいていく。

「そうだな、小さい頃は野球選手になりたかった気もするが、それはあくまで無邪気な子供の夢だ」

「野球選手……。速水さんが……、意外……」

「ああ、君は大人になってからの俺しか知らないからな。これでもガキ大将のわんぱく坊主だったんだぞ」

あまりにもイメージとかけ離れたそれに、マヤはクスクスと笑い声を上げる。真夜中の薔薇の館に、蝶のささやきのような笑い声が響く。

「まぁでも、今の人生が嫌だと言ってみたところで、かといって具体的になりたい何かがあるわけでもない。これが俺に一番ふさわしい人生といえば、人生なの かもな。君が羨ましいよ」

そう言って、前髪を掻き分けられ額に口づけられた。

「君はきっと、何度生まれ変わっても女優だ。俺が保障する」

「じゃぁ、速水さんがそのたびに私のこと女優にして下さいね」

そう言って無邪気なふりをして真澄に抱きついた。

肌になにかがのめりこむ。
優しすぎる言葉の数々、温かすぎる肌の温もり、ありえない来世の約束、その全てが肌にのめりこんでくる。自分がまるごとそれらに浸され、呼吸ができなく なっていくような息苦しさをマヤは感じる。

「もし……、もしも今神様みたいな人が速水さんの目の前に現れて、なんでもいいから、ほんとになんでもいいから……、例えばそれは現実には叶わない魔法の ようなことで、死んだ人にあわせて欲しいとかでもいいから……、三つ願いを叶えてくれるって言ったら、速水さん、なんてお願いする?」

「なんだそれは。新しい心理テストか何かか?」

相変わらずからかうような、真澄の軽やかな笑い声が、触れ合った肌を通して伝わってくる。それでも質問を無視するわけではなく、しばらく真澄は思案してい る様子だった。

「そうだな、まず一つ目は自分で選んだ人生を歩きたい」

「自分で選んだ……」

たった今真澄が放った言葉を確かめるようにマヤは繰り返すと、その言葉の中にしこりのような異物を感じる。そんなマヤの気配を感じたのか、真澄は先回りし て否定した。

「いや、別に大都芸能と自分という今の人生に不満があるわけでも、やりがいを感じていないわけでもない。ただ、俺の人生はある日を境に選ばれてしまったも のだから、一度も自分で何かを本当に欲しがったり、手に入れたり、選んできたものがない。だから例え結果的に今と同じ未来が待っていたとしても、自分で選 んだ人生を歩きたかったという、それだけのことなんだ」

真澄らしい言葉だと思った。何もかも、そう何もかも持っていると自分が憧れた真澄のそれは、持っていたものではなく、背負わされたものでもあったのだ。

「二つ目は?」

「二つ目は……、死んだ母に君を会わせたかった」

ドクリと心臓が波打った。覗かれてはいけない心の部屋の一室を覗かれたかのように。

「死んだお母さん……?」

「今日、君と春さんと三人で食事をして、そう思ったんだ。とても楽しい時間だった。そんな時間を母にも持たせてやりたかったし、純粋に君を母に紹介した かったよ。できることなら……」

努めて何かを飲み込まないと、今にも嗚咽をこぼして泣き出しそうだった。
求めれば、求めるほど、求めた以上のものを与えられるこの世界の精密さと残酷さが、マヤは空恐ろしくなる。今この瞬間に叫び出して、自分を包む、この奇妙 に温かい闇をハサミで切り裂いてしまいたくなる。

「三つ目は……」

言葉を選ぶ、穏やかな真澄の声がマヤを引き戻す。

「自分の魂と呼応する相手と、本当に愛する人と結ばれることだ……」

そして全てを包みこむように強く抱きしめられる。今までで、一番静かで深い声。その言葉が、触れ合う肌を通じてマヤの体内に入り込む。

パーティー会場で聞いてしまった、折れた牙を持った獣の声が蘇る。


 
――奇跡が起きて、その相手と巡り合えた時、
人はそれまで自分がどれほど孤独だったか初めて気付くだろう。
そしてもし結ばれることができなければ、その時は……
奪うことも、欲することもせずに、別の手を取る。
そういう運命を辿る。
それが、俺の現実だ――




真澄がそこまで渇望するものに対して、無力である自分にマヤは打ちのめされる。何も差し出すものを持たない自分の無力さを嘆くしかすべがない。沈黙が油の ように五感を覆っていく。体がどこか深く、暗い場所へ沈んでいくようだった。


――あなたに対する優しさや眼差し、かける言葉や情熱のすべてに嘘はありません。その方が本当に愛する方に接する態度とそれは同様のも のなのです――


それは執事の言葉だった。
本当に愛する相手に対して、真澄はここまで心を開き、そして受け入れるのだ。大都芸能の冷血漢と言われた男が、ここまで純粋に人を愛するのだ。そのことに 深く感動している自分がいる。

けれどもその相手は自分ではない。
自分では決してない。

「まぁ、でも三つ目はもう叶ったな。流れ星に頼んでみたところで叶わないと思い込んでいたが、君のおかげでこうして叶った。俺に三つ目の願いはいらない な」

まさにその逆を思っていたマヤには、皮肉とも言える屈託のない真澄の明るい笑い声。 心の奥の葛藤を微塵に砕き、乾いた明るさを必死に纏ってマヤは答える。

「もったいない、せっかく三つ叶うのに……」

「君がいれば、そもそも俺はそれだけでいいんだ」

その言葉に今この瞬間だけでもいいからと、縋るようにマヤは真澄の手を握る。それは好んでそうしたというよりも、そうするより他にすべがなかったからだ。 この世界では。
この全てが完璧に歪みきった世界では。

「速水さん、寝ている間に速水さんどっかに行っちゃいそうだから、ずっと手を繋いでいてくれる?」

全てが完璧に歪みきった世界で眠りにつくため、マヤは懇願する。

「いいよ……」

あの異常に心地よい”いいよ”が、吐息の向こうにまた響いた。

――いいよ……

ダメだと分かっていて、もう一度それを鼓膜の奥で響かせてみた。眠りの淵をさまよいながら……。







予想と覚悟に反して、翌朝目覚めた 自分の隣に、まだ真澄はいた。間違いなく冷たいシーツの上に一人取り残されることを覚悟していたマヤに、それは少し意外に映った。

前日と同じように、裏庭の蔦が生い茂る小道を抜け、ローズガーデンへと向かう。昨日と違うのは、一人ではなく二人であるということ。そしてドームの中央に セッティングされたテーブルには、当たり前のように二人分の朝食が整えられていた。
同じように繰り返される、完璧な朝食。
違ったのは真澄には挽きたてのコーヒーが出され、そしてテーブルの下で二人はいつまでも手を握っていたことだ。

いつまでここに居るのか?
今日は、この後どうするのか?
仕事はどうしたのか?
どうやって帰るのか?

次々と浮かぶ現実的な問いは、口にした途端に今ある全てが泡となって消えてしまうことが容易に想像され、マヤは何も聞けなかった。
何も。
一つも。

ただいつまでも延々と続くとりとめもない会話。
旅行にいくならどこがいいか。
一緒に住むならいつからがいいか。
来るはずのない未来の話なら、いくらでも出来た。

甘いものは苦手だからと、真澄が遠慮した薔薇ジャム。きっとこれは、ここでしかもう味わうことが出来ないものだと思うと、マヤはパンを食べ終わってしまっ たあとも、その手放せない優雅な薔薇の甘さにすがるように、小さな金のスプーンを瓶に入れ、掬って舐めた。
救いようのない甘さだと思った。

不意に真澄が席を立つ。
電話か何かだろうと、さして気にもとめなかった。
咥内にはいつまでも薔薇の甘さが残っていた。薔薇の花びらを舌先でその感触を確かめていると、不意に舌の上で花びらが溶けて消えた。その瞬間、自分がたっ た今一番大切にしていたものをなくしたのだと唐突に気づいた。
何かが起きたわけでも、何かを言われたわけでもないのに、それが”その時”だったという確信が襲いかかる。
真澄が消えていった蔦が生い茂る小道。もうどれだけ待ってもそこに真澄が現れないことは分かりきっていた。
テーブルの上に両肘をつき、手のひらの中に顔を埋めた。心の固まりがこぼれ落ちてきそうだった。

何かもっと予兆があると思っていた。
それとなく真澄が別れの言葉を口にするなり、消える事を示唆するなり、何かがあると思っていた。少なくとも、自分はそれを感じ取れると思っていた。春の時 のように。
まさかこんな、あっさりと意識の隙間をすり抜けられるとは思ってもいなかった。

それだけ、この館の魔法は完璧だったということだろう。
それだけ、完璧に自分はこの美しく歪みきった世界で夢を見たということだろう。


最後であれば、もっと何かを言うべきではなかったか。
もっと何かをするべきではなかったか。

とりとめもない想いが溢れ出す。

「ならばもう一度あの方に会わせて欲しいと願えばいいではありませんか。あなたの最後の願いはまだ残っているのですから」

いつのまにそこへ控えていたのか、背後から聞こえた執事の声は、珍しくどこか余裕のなさを感じた。

「もう……、いいの……」

手のひらに埋めた顔を、ゆっくりと起こすとマヤは力なく顔を上下に振った。

「なぜ――」

「もう、十分だから……。もう、十分思い出は作れたから。これ以上望んでも、キリがないの。だって私はいつまでもこの世界にいられるわけじゃないもの。そ れから本当の速水さんはここにはいない――」

執事が何かを言おうとしたが、口を噤んだのが空気で分かった。

「本当はね、最後のお願いは、今度速水さんが消えちゃったら、もう一度会わせてってお願いしようと決めていたの。この間みたいに、あんなふうに突然消えら れたら、悲しすぎるから、お願いを取っておいたの。
そしたら速水さん、ぜんぜん居なくならないんだもの。一晩中、一緒に居てくれて、朝が来ても側に居てくれて、朝ご飯まで一緒に食べてくれて……。
もうこれ以上、何も望めません」

「このホテルに来たことを後悔していますか?あなたを悲しませてしまっただけなのでは――」

「してません!後悔なんて、ぜんぜん、まったくしてません!」

執事の言葉を遮るように、マヤは叫んだ。

「あんなに幸せそうな速水さん、初めて見ました。前にあなたが言っていたとおり、あれが本当に好きな人といる速水さんの嘘偽りのない姿なんだと思ったら、 それだけで私まで幸せになりました。例え本物の相手が私じゃなくても……。
幸せな時間でした……」

「そうですか……。あなたがそう思って下さるなら、何よりです……」

そう言って、執事は一礼した。

「最後のお願い……」

マヤの唇から不意にこぼれ落ちたそれに対し、ティーポットを取ろうとしていた執事の指先が止まる。

「私以外の人のために使っちゃだめですか?」

驚いて執事が硬直する。取り乱すことなど、絶対にないと思われた男が、にわかに動揺しているのが伝わる。

「だめ、ではありませんが、前例がなく……」

「でも、だめじゃないんですね」

縋るような目でマヤは執事を見上げる。

「ええ……、可能です」

その言葉を確かめるように、マヤは何度も無言で頷いた。

「後悔はしませんか?」

「え?」

執事のその言葉の真意を訝るようにマヤは問い返す。

「大切な願いを自分ではない、他の方のために使われるなんて――」

その問に、マヤは柔らかな笑みを浮かべた。

「しません。絶対に……」

今後は執事がその言葉の奥行を図るように、何度も無言で頷いた。

「かしこまりました」







チェックアウトのため部屋に戻る。
もともとたった二日の滞在だ。まとめる荷物の量も大したことがないため、準備はすぐに整った。
コンソールデスクの上の鏡に映った自分を見る。
時間にしてみば36時間にも満たない滞在。けれども36時間前の自分と今の自分では、何もかもが違うように思えた。外見にはなんの変化もないように見えて も、例えば皮膚の細胞の並び方とか、吐く息の強さとか、心臓の重さとか。確かめようもないものばかりが、違ってしまった気がした。

――ここでの最高の想い出と引き換えに、
あなたにはこの恋を忘れていただきます――


その時が来たのだ。
この最高の想い出と引き換えに、自分はこの恋を失う。
けれどもこんなにも自分のすべては変わった。例え全てを失うことになろうとも、皮膚の細胞の並び方とか、吐く息の強さとか、心臓の重さとか、自分にしか分 からないようなものであっても、その変化だけは自分の体に刻まれたものとして残るのだとマヤは確信する。

きっと、そうだ――。


ゆっくりと革張りの茶色いノートを開く。

最後の、
本当に最後の願いをそこへ書き残した。







「ミリオンローズホテルでの滞在は いかがでしたか」

レセプションデスクの上でチェックアウトの手続きを取るかたわら、執事は穏やかな笑みを浮かべる。

「素敵な時間でした。ここは世界中のどこよりも素敵な場所です。それからとても幸せな時間でした。特に母と速水さんと、三人で過ごした時間は、今までの人 生で一番幸せな時間でした」

「それは何よりです」

執事は満足気にその言葉に頷くと、デスクの上にそっと一本のボトルを置いた。

「私からあなたへプレゼントです」

「これ――」

想定外の贈り物に、マヤは言葉を失う。失った言葉の代わりに、ゆっくりと指先がそのボトルへと伸びた。

「あなたをイメージして私が調香しました。お気に召して頂けたようですので、どうぞ記念にお持ち帰りくださいませ」

「あなたが作ってたんですかっ」

「ええ、こちらの紫の薔薇で」

当たり前のように執事はそう静かに答え、白い手袋をはめた指先でデスクの上の花瓶に溢れんばかりに活けられた紫の薔薇にそっと触れた。

「あなたは執事さんじゃなくて、魔法使いだって言われたほうが、私納得します」

そんなマヤの言葉に執事は柔らかく苦笑すると、マヤもつられて少し笑った。

「ありがとうございます。大切にします」

「香りは生き物です。大切にしすぎて封印してしまえば、香りも変質してしまいます。しまいこまずに、ここでの思い出を纏うように、お付け下さい。私に出来 ることは、それぐらいです」

美しいボトルの形を手の中で何度も確かめながら、マヤはその執事の言葉を反芻し頷いた。

荷物を持って立ち上がる。
少し迷った後に、花瓶の紫の薔薇に手を伸ばす。

「これ、一輪頂いてもいいですか?」

戸惑ったように執事の動きが止まる。

「ええ……、もちろんですが……」

含みを持った語尾。その意味はその後すぐに分かった。
ありがとうございます、と言って一番美しく咲き誇った大輪の紫の薔薇を一輪、そっと抜きとる。鼻孔に近づけ匂いを嗅ぐが、やはりそこからは本物の薔薇の香 りがした。


ホテルの玄関から門までの数メートルの道のり。
ほんのわずかなその距離が、マヤに眩暈を与えるほどの距離となって映る。
一歩足を踏み出すごとに、美しい想い出のすべてが走馬灯のように、マヤの脳裏をよぎる。溢れだす想い出は、次々と押し寄せては渦を巻き、無数の薔薇の花び らが舞いあがる。
そしてマヤは驚愕のあまりに歩みを止める。 歩く度に、手にした紫の薔薇が散っていくのだ。なぜ執事がこの薔薇を持ち出すことをためらったのか。それはこの薔薇は本当にここでしか咲けない花だったか らだ。はらはらと一枚ずつ身を滅ぼすかのごとく散っていく花びらに、マヤは自らの姿を重ねる。

こうして自分もこの恋を失っていくのだ。

今更ながら、その事実が心と体のすべてを抉るような痛みを与える。目を瞑って、立ち止まってそれに堪える。

それでも自分はここを出て行かなければならない。
ここではない、現実の世界へと。

ゆっくりと一歩ずつ、薔薇の花びらを一枚ずつ失いながら、マヤは門まで辿り着く。この門をくぐれば、おそらく自分は――。



その瞬間、門の向こう、マヤの視界の先にありえないものが映る。
みるみるうちにマヤの瞳が大きく見開かれ、自然と口が無防備に開く。

「速水さんっ!何やってるんですか、こんなところでっ!!」

興奮するあまりに叫ぶと同時に、左手の荷物がドサリと手から滑り落ちた。

「君に大事な話があるんだ」

取り乱した自分のそれとは対照的な、真澄の深く落ち着いた声。マヤの右手に残された、わずかに花びらを残した紫の薔薇に真澄が気付くと、静かにそれを奪わ れる。

「待たせて悪かった……」

どこかで聞いた声が蘇る。散りかけた最後の紫の薔薇が、再びマヤに差し出される。

「それは……、私に、ですか?」

途切れがちに擦れた自分の声も、どこかで聞こえた声と重なる。

「俺が紫の薔薇を贈るのは君しかいない。それから――」

あの時はそこで真澄がゆっくりとこちらへ歩みを進めた。今度はマヤがゆっくりと真澄へと歩みを進める。

「君にこの薔薇を贈るのは、俺しかいない。世界中で、俺だけだ」

そして手を伸ばせば触れられる距離。その紫の薔薇を受け取ることができる距離。

「俺が紫の薔薇の人だ」

その言葉を合図に、マヤは門の向こうのその人の胸へと飛び込む。


現実という世界の中に確かに存在する、

たった一つの希望と真実の元へ――。








”――こうしてミリオンロー ズホテルの100万人目のゲストは、
最高の想い出と引き換えにその恋を失わなかった
初めてのゲストとなったのでした。”





執事は日報をその一言で締めくくると、穏やかな笑みを浮かべながら、207号室に残されていた茶色い革張りのゲストブックをめくる。

「こんなお願いをされてはね……」

花瓶の紫の薔薇の花びらがまるで寄り添うように、最も新しいページに残された、207号室のゲストの最後の願いの上へとはらりと落ちた。






”速水さん の三つ目の願いを、本当の世界で叶えてあげてください”






『自分の魂と呼応する相手と、本当に愛する人と結ばれることだ……』











09.16.2009


<FIN>








ふ〜〜、終わった……。パッタ リ……。
ハッピーエンドしか書かないともう100万回ぐらい宣言している私ですが、それでも信じてもらえないのか、いったいぜんたいこのお話をどうやってハッピー エンドに持っていくつもりなのだ、と随分拍手等でツッコミや抗議をいただき、やきもきさせてしまいした。杏子初のアンハッピー落ち?はたまた夢オチ?と御 心配おかけしましたが、ラストシーンは最初から”ゲストブックをめくって微笑む執事”と決まってました。
お楽しみいただけましたでしょうか?

なんといってもこのお話の肝は、ヒジリン(激似)執事、でしょう。思いついた時は萌えすぎて、鼻血出そうでした。そんな私の鼻血を受け取って、ミナさんが 激萌イラストを描いてくださいました!→  
ミナさん、本当にありがとうございました!
で、彼が本当にヒジリンなのかどうかは、野暮な質問ってもんですよ。きゃっきゃ★ 

Million Rose Hotel、叶わぬ恋が叶う場所、そう、それはずばりここESCAPEのことなのです。原作ではあーだこーだとちっとも進まない二人に身悶えすることこの 上ありませんが、ここESCAPEでは私の思うままになんだって叶ってしまうのです。 そんなMillion Rose Hotelに足蹴く通って下さったゲストの皆様の願いはただ一つ、二人が結ばれること、ですよね。というわけでみんなの 願いを受けて、ここ悲恋の城Million Rose Hotelでもやっぱりマヤちゃんの恋は叶う運命!と、100万ヒットをひっかけてみました。最後 までMRH=ESCAPEという私の仕掛けは、どなたにも気付かれませんでしたが……。

ちょうどこの9月で、私がガラパロと出会って丸7年です。そのすぐ後に、狂ったようにガラパロを書き始め、サイトをオープンし、そして何度も消息不明を繰 り返し、まさかの3年ぶりの復活を経て、この100万ヒットを迎えることができました。SUPER ESCAPEの運営期間は5年弱ですが、サイトを更新 していたのは1年にも満たないというお粗末な管理人でした。全く更新しなくなっても、たまにトップページを見に来ると、それでも毎日100人以上の方が来 て下さっていて、申し訳ない気持ちとありがたい気持ちと、そろそろけじめとして終わりにしたほうが、と思う気持ちのせめぎあいでした。

ここまで続けてきて思うことは、それでも来て下さる皆様にただただ感謝を、という思いです。本当にありがとうございました。

久しぶりの長編は、グツグツと変な汁が出るほど煮詰まったり、書く時間がなくてネタが逃げてきそうで発狂しそうになったり、大変はもちろん大変でしたが、 その感覚も懐かしく、まっくろ〜な壁に囲まれて楽しませていただきました。





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