好きと言わない恋をする 6
割れるように頭が痛い、とはよく言うけれど、まるで内側から頭蓋骨を1秒ごとに押し広げられてるような、とてつもない痛みに支配されて目が覚める。


記憶がない……。


まるでない……。


しかし目に入るのは見慣れた白い天井。とりあえずは自らのベッドの上で目が覚めたことに安堵する。
頭を少しでも動かすと、猛烈に痛いので、目線だけで全てを確認する。

クローゼットの扉。
ああ、開けっ放しだ。昨晩、意識不明のままひっくり返したのだろうか、洋服がなだれを起こしている。引き出しの口から婆シャツの袖が垂れ下がっていた。

(こんな光景、誰にも見せられない。速水さんなんかに見られた日には、死ぬ……)

自己嫌悪に襲われながら、さらに目線を移す。


廊下に続く扉が開いていた。
閉め忘れたのだろう。
暖房の効きが悪くなると思いつつも、とてもじゃないが閉めに行く元気はない。

自らの体温で存分に温まった布団の中に、すっぽり頭まで埋めるようにしてマヤはもう一度丸くなる。

リビングからTVの音声が聞こえてきたような気がしたが、気のせいだと思うことにする……。






love4m_1103@...
love4m_0220@...


二つのメールアドレスを見比べる。マヤのアドレスは勝手にマヤがアドレス帳に登録していたので、そのアドレス自体を目にすることはなかった。『北島マヤ』と変換された登録の詳細を開いて、固まる。

『メアドもお揃いに作ってやったとか……』

居酒屋で耳に刺さったスタッフの声が蘇る。

「お揃い、だったのか……」

誰も居ない他人のリビングでその独り言は、ポツリと置き去りにされる。
他人の家に一人で(実際には隣の寝室にマヤが居るには居たが爆睡中であり)居るというのは、奇妙に微妙に居心地の悪いものだった。例えそれが愛する女の部屋であったとしてもだ。


乱暴に緩められたネクタイ。
皺のよったスーツにYシャツ。
結局、一睡も出来ず朝を迎え、酷くやつれた顔。

生成り色のソファーに身を沈め、背もたれの部分に首を埋めると、目をつむったまま天井を仰ぐ。



お揃いのメールアドレス
初めてのメール
バラを送り続けていたこと

そして部屋の暗証番号


全ては偶然で片付けるには偶然過ぎる偶然だった。


突然手のひらの携帯が激しく鳴り出す。けたたましいベル音がリビングの静寂を切り裂く。
慌てて液晶を開けば、水城からだった。
そうだ、もう出社の時間だった。小言を覚悟で、電話に出る。

「すまない」
「まだわからない」
「恐らくまだ時間がかかる」

その三言ばかりを繰り返し、なんとか不在の追及をかわす。幸い午前中に入っていたのはどうにでもなる会議ばかりだった。
大いに怪しむ水城を電話線の向こうに押しやり、携帯を切る。


ふと気配がして、後ろを振り返る。


パジャマに半纏をはおり、ボサボサの頭で呆然とこちらを見たまま立ち尽くすマヤが居た。


「な、な、なんでっ!なんで、ここに速水さんが居るの?なに?なにこれっ?ちょっ、ワケわかんないっ!!痛っ……」

物凄い剣幕だ。しかし、頭蓋骨に響いたのか、頭を抱えてマヤは俯く。

「飲みすぎだ」

馬鹿みたいに冷静にそんな言葉が落ちてきて、自分でも驚く。

「の、飲みすぎだって、そうじゃなくて、いや、そうですけど。じゃなくて、そうじゃなくてっ!速水さんなんでここに居るんですか?どうやってここに入ったんですか?!」

「泥棒みたいに人を呼ぶなっ!
しょうがないじゃないか、開いてしまったんだから!」

真澄の声もつられて大きくなる。


――開いてしまったんだから……――


???????????


なんだか変な日本語である。マヤの表情が変わる。何かを喋らなければ、何かを確かめなければいけないのに、言葉も気持ちももつれるだけで、何も出てこない。

バツが悪そうに真澄が乱れた前髪をかき上げると、ボソボソと喋りだす。

「昨日のドラマの打ち上げで、君は酷く酔っ払い、俺が駆けつけた時には完全に記憶を失って寝込んでいた」

大好きな人の目の前で、パジャマに半纏というありえない格好で立ち尽くしている異常さに気づく余裕もなく、マヤは真澄の言葉に呆然と耳を傾ける。

「君はわめく、騒ぐ、絡むの酷い醜態で、大いにスタッフに迷惑をかけていたので、俺が謝ってここまで連れてきた」


――わめく、騒ぐ、絡む……――


大いに心当たりがあるだけに、何も言い返せない。
しかし、肝心なのはその先だ。真澄はどうやってこの部屋に入ったのか。

「ここまで辿り着いて、君を揺すったり、怒鳴ったりしてみたが、君は一向に目を覚まさない。
しょうがないから、適当に番号を入れたら開いた。
あとは、君を寝室に運び込んで、とりあえずクローゼットが開いていたからそこからパジャマらしきものを出して、君に渡した。
言っておくが、君は自分で着替えたんだぞ、俺は何もしてないぞ!断じて誓う!!
それから、歯磨きをしろ、と俺が何度も言ったが君はパジャマを半分着替えたぐらいで寝てしまって、あとは俺もどうすることも出来なかった。
以上だ!!」


頭が割れるように痛い。
置きぬけの10倍は痛い。
あれ以上痛いなんてありえないと思ったが、確実に10倍はさっきよりも痛い。

「適当に番号入れたって……。適当に入れたって、開くわけないじゃないですか。暗証番号なんですから、速水さん」

もはや噛み付く気力も、怒鳴り返す気力もなく、完全降伏の一歩手前のような声をマヤは出す。

「なんて、入れたんですか?」

こんなことってあるだろうか?
好きと言わない恋をしていたはずなのに、こんなふうにしてそれがバレるなんてあるだろうか?
しかも寝起きで、ボサボサ頭で、パジャマで、半纏で。
ありえない、ありえなさすぎる。
泣きそうな顔でマヤは真澄を見つめる。

「1103……」

ボソリと聞こえた真澄の小さな声。

「うぁーーーんっ……!!」

ついにマヤは耐え切れず、その場に崩れ落ちると、フローリングの床の上に両膝を折ってしゃがみ込む。
あとは、

「酷い、酷すぎるっ!!」
「こんなのってないっ!!」
「もう死んでやるぅぅっ!!」

と、声の限りに嗚咽しながら泣き出した。
どこから手をつけたらいいのか途方に暮れながらも、真澄はなんとかマヤを抱き起こし、ソファーまで連れて行き座らせる。

「とりあえず落ち着け」

そう言って、鍋に火をかけ、ロイヤルミルクティーを作ってやる。
自らもソファーの隣にゆっくりと腰掛けると、相変わらずしゃっくりを繰り返しながら泣きじゃくるマヤの両手に暖まったカップを渡し、大きな手のひらでそっと包んでやる。
もつれにもつれていたものが、手のひらから体中に広がる温もりによって少しだけ落ち着いてくる。


「飲みながら、落ち着いて聞いて欲しい」

返事をする代わりに、マヤは黙って真澄を見つめ返す。カップの端から甘い温かい液体が、体中に広がっていった。

「まず、マンションの暗証番号は今すぐ変えろ。
銀行の暗証番号もだ。カードを落としたら、君は全財産を下ろされるし、このマンションだって泥棒に入られ放題だ。丸井のカードだって、キャッシングしまくられるぞ!」

全く予想外の真澄の言葉に、マヤはポカンと口を半分開けたまま固まる。

「な、なんでですか?そりゃ、速水さんにはバレましたけど、でも、他の人には……」

「なんでって、君、それは!!」

遮るように真澄が叫ぶ。けれどもその続きはとても穏やかな声で。


「君は今日から俺と付き合うからだ」


マヤが半分開いた口から大きく息を吸い込んだのが分かった。何かを言おうとしてるが、それが言葉にならないことも分かった。

「雑誌であれだけ『暗証番号を好きな人の誕生日にしてる』と公言してたんだ。俺と君が付き合い始めたら、皆それが俺の誕生日だと分かるだろう」

マヤが何度も瞬きをし、何度も魚のように口をパクパクとさせ、やっとこさっとこ出てきた言葉は酷く幼く、とりとめもなく……。

「あたし、まだ好きって言ってない」

今にも泣き出しそうなその顔に優しく真澄は指をかける。乱れた前髪を左右に分けてやり、吸い込むほどに大きく見開かれた黒い瞳を見つめる。

「言わなくていい。俺が言うから、君は言わなくていい」

静かな間が出来る。
お互いの想いが確かに通じ合うまでの、穏やかな、優しい間が。

「ずっと君が好きだった。
何から何まで、全部好きだった。
ずっと好きと言えなかったあいだ中、君のことが好きだった」

前髪を優しく分けていた指が、そっと顔の輪郭を辿って顎まで降りてくる。世界一綺麗なその指が。

「大好きだ」

そう言って、その印をつけるかのようにそっとおでこにキスをされた。

言葉が出なかった。

どんな言葉も、この気持ちには追いつかないと思った。どれだけ掬い上げても、あふれ出てくるこの愛しい気持ちと優しい気持ちは、手のひらから次々と零れ落ちてしまうようだった。

だから、代わりに微笑む。
世界で一番幸せに見えるよう、
世界で一番幸せに笑う。

「私も…、大好きです」

ずっと自分の中から外に出たがっていた言葉は、とても自然に、放たれた扉の向こうに飛び出していく。
まっすぐに、まっすぐに、ただその人に向かって。


ずっと好きだと言えなかった恋が、
やっと好きだと言えた瞬間、
ずっと好きと言えなかった気持ちが、
ずっと好きだと言いたかった分だけ、
ずっとこれからも好きでいる気持ちに変わる。


冬の太陽が、窓の外に上り始める。
リビングの中央に置かれた生成りのソファーに、柔らかい太陽の矢が当たる。白いキラキラとした明るい光が、お互いの髪の毛に光の粉をかける。黒いはずの髪が少し、茶色く透ける日差し。


「えへへ…」

照れてしまうのはしょうがない。温かいマグカップを両手で口に運びながら、マヤは笑う。
一人で座ると大きいと思ったこのソファーも真澄の隣だと、なにもかも丁度いい大きさに思えた。
穏やかに笑い続ける真澄から目を逸らさずに、ごくりとミルクティーを飲み込む。

「あ、お砂糖……」

ふいに現実に引き戻されたようなマヤの声。

「お砂糖なかったでしょ?切らしてて……。
なのに、どうしてこのミルクティー、こんなに甘いの?」

ああ、と真澄が穏やかに笑う。

「テーブルの上に紙に包んである角砂糖があったから、それを入れた」

一瞬、頭の中に白いもやがかかる。ミルクティーの膜のような、まったりとした膜が。

(あのお砂糖……)

ごくりと飲み込んだミルクティーは、極上の甘い膜を喉元に作る。


「そっか、そっか、だからこんなに甘いんだ」

真澄には訳の分からない呟きを1つ。

「ねぇ、速水さん、恋ってホントに甘いんだね」

真澄にとってこれ以上ないほどの甘い呟きを1つ。


「その通りだ」

穏やかに微笑みながら、真澄の唇がマヤの甘く濡れた唇をふさぐ。


世界で一番甘いキス……。





01.20.2005





<FIN>









ESCAPE再開にあたりまして、とーにーかーくー楽しい恋のお話が書きたい!!そう思って書き始めたお話でした。二人しか出てこなくって、お砂糖みたいにあま〜いお話で、普通だったら
「こんなもん読んでられねぇぜっ!けっ!」
てなぐらいのがいいなぁ、と。

書き始めて思ったこと。
私はこの二人を書くのが大好きなのだなぁ、と。

最初は思うように進まず、躓いてばかりで、セリフも萌えシーンもでーんでん落ちてこなくって、
「やっぱアタシ、もうダメなのかも」
なんて思っていたんですが、それでもオープンして、連載を開始して、皆様の温かすぎる声援に押され、あれよあれよと言う間に、菌庫の扉がどぉばーーーーーっと開け放たれたのでした。これには自分でもびっくり!
蘇る、妄想菌にまみれる、あの幸せな感触。ああ、タマランチ会長!!
というわけで、これは杏子の貴重なリハビリ第一作となりました。お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

個人的には42巻のあの携帯の使われ方に、
「そんなのイヤじゃーーーーっ!!」
という雄たけびとともに、絡んでみました。
web拍手とのコラボメールも楽しかったです。本当に沢山の感想や応援メッセージを頂けて、それに押される気持ちで最後まで書いてました。
自分ひとりで書いたというよりも、皆さんに書かせて頂いた、そんな気持ちです。
というわけで復帰後第一作のこの”スキイワ全6話”は、ESCAPEの復活を温かく迎え入れてくださった方々に心を込めて捧げたいと思います。
本当にありがとうございました。

今、とても幸せです。

Novels top / index/home