| 7月7日、晴れ 4
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「あ、やだ、またいっちゃう……」 杏樹の鼻にかかった切ない声が、上から落ちてくる。聖の上に馬乗りになるように乗っていた杏樹の動きが止まる。目を瞑ったまま口で息をしながら呼吸を整えている、その表情さえ艶かしく、聖を惑わす。 「何度でもいけばいいじゃないですか。いかせてあげますよ」 そう自信ありげに聖は言うと、その細い腰に手を回し、躊躇うことなくその体を前後に揺さぶる。途端に、少しでもバランスを崩したら、たちまち足場を崩すような場所で精神の均衡を保っていた杏樹のそれは、快感と言う名の波にさらわれる。 「あっ、ダメっ……」 その声もなんの効果もなさないまま、杏樹は子猫が鳴くような切ない叫びを一つ上げると、ガクリと聖の胸の中に倒れ込む。 どこを触っても信じがたいほどに美しいその素肌をゆっくりと撫でながら、杏樹の呼吸が一定のリズムを取り戻すのを、聖は待った。けれども、彼女の中に今も体を埋めている自分自身は、一向にその情熱と生命力を失うことなく、自らの存在を誇示することに、聖は苦笑する。何度繰り返し抱いても、満ち足りていく一方で、飽くことなく、際限なく求めてしまう自分自身に戸惑う。 こんなことは、今まで一度もなかったことだ。 「ねぇ、ねぇ、唐人ってば、どうしてそんな強いのよぉ〜。なんか、アタシばっかイってばっかで悔しいんですが〜」 ふてくされたような顔が、胸元から上目使いにこちらを見上げる。汗で湿った額の辺りに、ゆっくりと指を入れ、前髪をかきあげながら、その黒い長い髪の間を通していく。 「あなたには負けっぱなしですからね。一つぐらい、あなたより強いことがあってもいいでしょう?」 そう悪戯っぽく言ったあとで、額に優しく口付けながら付け加える。 「もっとも、こんな無茶なことをさせるのは、あなただけですが」 そう言って、杏樹を抱きかかえたまま、グルリと体を反転させ、体勢を逆転させると、その細い華奢な体をすっぽりと組み強いてしまう。 「もう他の男に声をかけられても、一切振り向かない、と約束していただければ、少しは私も手加減しますよ」 恋人特有の傲慢さと狡猾さを楽しむ余裕でもって、聖はそんなことを言う。 「いいわよ、唐人がイクまでの間に考えておいてあげる」 負けじと杏樹はそう言って、覆い被さる聖に下から尖らした唇を寄せるが、すぐにそれも聖の言葉に掻き崩される。 「それは、無理ですよ」 そう言って、ニヤリと笑うと腰を引き、一気に杏樹の思考を奪い去るように、自らを打ちつけた。 杏樹の短い甘い悲鳴とともに、砕け散った白い思考が、すでに夕闇に包まれ始めたベットの上に、散らばる……。 ![]() すっかり日も落ち、灯りもつけない室内には、遠くの夜景と月明かりだけが頼りのような薄暗さが漂う。性急に過ぎ去った嵐の果てに取り残された静けさの中で、二人は黙って白いシーツの中でまどろんでいた。 ベットサイドに置かれた聖のごついシルバーの時計は、時間を刻むことを拒否したかのように、裏返され、その針をもった顔を隠す。杏樹の細い指が、そっとシーツの中からさまよいながら伸び、その時計に触れようとした瞬間、遮るように、その指先が奪われる。 「まだ、時間を戻さないで欲しいといったら、あなたを困らせることになりますか?」 責めるふうではないが、切なげなその声の響きに、体の一部が呼吸を止めたように苦しくなる。返すべき言葉も見つからず、杏樹が無言のままでいると、聖の優しい声が髪の間をなでる。 「困らせてすみません……。 あなたが私の願いを聞いて、会いに来てくれたことに感謝するべきなのに、また続く果てしない一人の暗闇を思うと、ついこんなことを言ってしまう」 沈み始めた自らの灰色の声を塗り替えるように、聖は中くらいの深呼吸を一つすると、淡々と聞く。 「何時に帰るのですか?」 「……もうすぐ、雨がやむの。そうしたら、東の方角の雲が切れて、織姫の星、ベガが見えるのよ。そうしたら、帰らなきゃ」 小さな声で、聖の胸の中の、その温かい皮膚の温もりの間に落すように呟く。それはこの上なく残酷な作業に思われ、思わず杏樹は瞼を閉じる。 窓の外の雨音は何時の間にか、薄くなっていた。きっともうすぐ雨も止むのだろう。 「ごめんね……。こんな悪戯に気まぐれに、会いに来て、そしてまた一人にして、天使なんか恋人にすると、ロクなことないね」 自嘲的に笑いながら、杏樹は言う。笑いながら、自分の言った言葉に傷ついたように、胸が痛くなる。 「哀しいことを言って、そうやって自分を傷つけないでください」 普段自分がそうしている通りに、心を覗かれたようで、杏樹は息を止めて驚く。薄く唇を開けたまま動かなくなった杏樹の様子を見ながら、優しく髪を梳く。 「例え心を読む能力がなくても、あなたのことなら鏡を見るようにわかります。愛するあなたのことなら……、わかります……」 思わず胸の熱い塊が、嗚咽に形を変えてのど元を押し上げそうになり、杏樹は細い指先を口元にあて、それを堪える。しかし、とどめを刺すように聖の一言は、容赦なく杏樹ののど元を強く揺さぶる。 「例え、100年に一度しかあなたと会えなかったとしても、私はあなたしか愛しません」 のど元の防波堤が決壊し、ついに溢れ出す心の片鱗が、透明な滴となって目頭からこぼれ落ちた。 「一年に一回しか会えないと思っていたあなたに、一ヶ月もしたらこうしてまた会えた。 一年に一回しか、抱くことが出来ないと思っていたあなたを、こうして何度も何度も抱きしめることが出来た。 充分すぎるほど、私はあなたに愛されていることをわかっています」 杏樹は涙が伝う頬を聖の胸元に強く押し付けたかと思うと、体の凹凸の全てをそこにあわせるように、足の先まで、聖に体を密着させる。皮膚の呼吸を通じて、自分が与えうる全てのものが与えられるように、全ての思いが、そこから伝わるように。そして、自分が居なくなったあとも、確かにそこにあった温もりがいつまでも、残るように……。 「もぅ……、あんまり天使を泣かせると、バチが当たるんだからぁ……」 鼻をすすりながら、胸元の俯く小さな頭が呟く。 「そうしたら、あなたが助けてください。天使なんですから」 杏樹の強がりを同じように、冗談で返すと、冗談ではない強さで、きつくきつく、折れるほどにその細い体を抱きしめた。 「願い事を叶えてくれて、ありがとう」 音を立てて、短く唇を重ねたあと、聖は言う。一瞬、訝しげな表情で杏樹はそれを聞いたあとで、思いついたように呟く。 「あぁ、あれね、叶えたのあたしじゃないし」 「え?」 驚いたように聖の目が固まる。 「上よ、上」 そう言って、人差し指で天井の方を指す。 「それからね、叶えてもらったのも、唐人の願い事じゃなくって、あたしの願いごとなのよ。だってさぁ、最近、短冊に書かれる人間の願いごとって、『プレステ欲しい』とか『アイボ欲しい』とか、クリスマスと間違えてるよっ!!って突っ込みいれたくなるほどの、物欲オンパレードでさぁ、天界でも問題になってるのよ。昔は、『家族が健康でありますように』とか『○○君と両思いになれますように』とか、真っ当で堅実なものだったのにさぁ。で、最近はストライキ起こす天使も増えちゃって、上のほうでは今年は天界住人の願い事だけ聞くって、言い出したのよ」 聖はいつものことではあるが、自分の理解力を超越したその話の内容に、唖然とする。 「あなたの願いごとは、なんだったんですか?」 今度は杏樹の方が驚いたような奇妙な表情で、見つめ返す。何をいまさら、と言わんばかりに。 「ちょっとぉ、本気で聞いてるの?そんなの、唐人と一緒に決まってるじゃん!」 ![]() 雨が止み、東の夜空の方角から、雲が切れ始める。 「あー、ベガのヤツめ、顔を出しよったわい。さてと、そろそろかな」 わざと明るさを突出させて杏樹は言う。二人で並んでベランダから見上げた夜空には、薄い雲の合間から、ベガがかすかに輝く。 「どうやって帰るんですか?」 聖の少し間の抜けた問いに、杏樹は一瞬戸惑いながらも、いつもどおりの調子で答える。 「そりゃ〜、ま〜、こっからだったら、井の頭線に乗って、明大前で乗り換えましてですね……」 そんな杏樹の言葉を遮るように、そっと手のひらを頬に当てる。 「羽根が生えた瞬間から、私はあなたが見えなくなるのですか?」 誤魔化すことを諦めた杏樹は、静かに答える。 「まぁ、そんなところね……」 「一度、あなたの天使の姿を見てみたい。背中に白い翼の生えた、あなたの姿を……」 切なげに目を細めた聖に対して、杏樹は少し迷ったあと、本当のことを言う。 「見ないほうがいいよ。だって、あたし、背中に羽根あるときって、もれなく、女でもないわけで、両性具有っていうの?ちょっと、余計なものまでついてるのよね」 冗談のようにサラリと言ったが、本当はあまり言いたくないことだった。何か、特異で奇怪な自分を晒すようで、普通の人間でも女でもないことを晒すようで、本当は言いたくなかったことだった。 少しだけ驚いたように聖は息を止めたあと、ゆっくりとその体をもう一度抱きしめる。 「あなたがあなたであるのなら、どんな形でも私は構いませんよ」 その言葉をゆっくりと、瞬きをしながら胸の奥まで送り込むと、杏樹は気持ちを切り替えたふうに、明るい声を出す。 「天使を恋人にするのも、楽じゃないよね」 「戸籍のない男を恋人にするのも、楽じゃないですから」 フフフ、とお互い額を突合せたまま、穏やかに笑いあう。 夜空の雲が、完全に切れ、二人の頭上にベガが輝く。 「さ〜て、織姫さんとひこぼっし〜が、いちゃくらし始めましたので、杏樹ちゃんは帰るとしますか」 出来るだけ明るい声で言う。涙が今にも溢れてしまいそうなことなど、少しも滲ませずに言う。こういう作業に、天使は慣れている。 「ベランダから飛び降りてもいいんだけどさ、それじゃ、唐人の心臓止まっちゃうかもしれないから、ちゃんと玄関から帰るよ」 玄関のふちに腰掛け、クルクルと黒いサンダルの紐を結い上げていく。指が震え、蝶々結びが上手く出来ないでいると、聖が屈みこみ、そっとそこへ手を伸ばす。 「あなたが先ほど、この紐を解いているとき、『どうしてこんなめんどうな靴を履いてくるんだ』と私は、怒っていたんですよ」 おかしそうに聖は笑いながら、サンダルの紐を結ぶ。 「あなたが紐を解いている時間が、永遠のように感じられて、今にも自分がおかしな行動を取ってしまいそうで……」 そこまで言って、今度は結び終えた足とは逆の足に手をかける。 「でも、今は、永遠に紐など結べなければいいのに、と思っている。ずっと、このままあなたをこの紐で縛り付けてでも、ここに置いておけたらいいのに、と思っている」 両足の紐が結び終わる。言葉を失って、呆然と立ち尽くす杏樹の前に、聖はスッと立ち上がると、両手を頬にそえ、その潤んだ瞳の中に訴える。責めてるわけでも、絶望してるわけでもない、と言うように。 「あなたは、私の天使です。必ず、私のもとへ帰ってきてください。 いつ、あなたに見られてもいいように、私の心の中は、あなたへの愛で埋め尽くされています。例え、あなたの存在を私は見ることも感じることも出来なくても、あなたが私を見ててくれるのであれば、私はそれで構わない。あなたが、私がどれほどあなたのことを愛しているのか分かっていてくれれば、それだけでも私は構わない。 あなたを愛しています……」 そう言って、強く、熱く、迸るほどの想いを全てそこへ託すような口付けをする。 「ねぇ、唐人……」 ゆっくりと離れた唇から、杏樹の吐息に混じった声がこぼれ落ちる。 「時々は言葉にして……。時々は、そうやって今みたいに、口に出したり、書いたりして、形にして。 私は、いつだってあなたの心が読めちゃう。でも、そんな魔法なんか使わなくても、普通の女の子として、あなたの気持ちが知りたくなったりする。だから、時々でいいから、本当に、たまにでいいから、言葉にしてみてね」 そう言って、穏やかに笑いかける。この人に残す最後の笑顔が、とびきりの笑顔であるように、と穏やかに愛を込めて、笑う。 「わかりました……」 聖も穏やかに笑い返す。 その笑顔に応えるように、笑い返した。 ![]() すっかりと晴れ渡って雲の切れた、東京の夜空には、天の川を挟んで、織姫のベガとひこ星のアルタイルが、輝き出す。 ガランとした、突然静まり返ってしまった部屋で一人佇みながら、ふと聖は思いついて、窓辺の植木にぶら下げた白い紙へと手を伸ばす。 白紙のはずのその紙の裏側に、見覚えのない文字が透けた気がして、慌てて裏をめくる。 途端に、その書き記された文字たちに向かって、心臓がぎゅっと縮む。 しばらく、それを見つめたあと、聖は思い切ったように自らもペンを取ると、昨日の夜、胸の中で呟いた誰にも聞かれなかったはずの願い事を紙の表に書き記した。 開け放たれた窓から、心地よい夜風が吹き込む。 窓辺に置かれた、小さな緑の上で、白い短冊が薄く揺れ、その両面が交互に顔を見せる。 『唐人に抱きしめられたい 杏樹』 2003.7.7 ![]() 全4話、一日で書き上げました。その名も ” 七夕特別企画 〜菌の実況中継ナマ連載!!〜 ” (ウソ、そんなタイトルついてなかった) いえね、7月6日に思いついて、書き始めたのですが、書いてはUPし、書いてはUPし、と時計とにらみ合いながら、なんとか七夕終了前にUPできました。うひゃ〜〜、怖かった!!! 実はね、今日、サイトオープン半周年記念だったのでした。半年、本当にあっという間だったと思う一方で、なんだか膨大の数を書いてきたことを思うと、まだ半年しかたってないのか、とちょっとビックリしてしまうところもあります。 そんな感謝の気持ちも込めて、ちょっと無謀な企画をさせて頂きました。 迷いもありましたが、この二人を書くのはやっぱり楽しかったです。M&Mでは絶対に使えないような、シチュやセリフが使えるからでしょうか。 H&Aが好きで、楽しんでくれた方が一人でもいたら、とても嬉しいです。 ![]() |
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