そんなあなたに恋をする 4


「もしもし、速水だが…」

もしかしたら、まだ仕事中だとか、迷惑なんじゃないか、とか、それから自分はついさっき、『仕事がある』なんて嘘をついてそこを飛び出してきたばかりの、非常に気まずい状態であることとか、そんなことは全て忘れてしまっていた。

「あ!あの、手帳っ!!!」

それだけ、思わず叫んでしまって、マヤはしまったと思う。そこに手帳を忘れてきたとして、もしかしたらまだ、真澄はそれには気付いていない可能性だってあったのに、また気付いたとしても中は見ていない可能性だってあったのに、こんなに取り乱して『手帳!』などと叫べば、誰だってそれがただの手帳ではないことが分かってしまうではないか。

「ええ…と、あの、ですねぇ…」

言葉が続かない。
受話器の向こうでプッと吹き出す声がする。

「何か忘れ物かな、チビちゃん」

「!!!!!!!」

気付かれていた。もう真澄は、手帳を発見していたのだ。残る可能性はただひとつ…。

「あの…、えーと、あのですね、その……」

ここで無駄に時間を稼いでもしょうがない。どうにもなれ!と覚悟を決めて、一気に聞く。

「読みました?」

『なんのことだ?』そんな言葉が返ってくることを祈りながら…。
けれども、無情にも返ってきた言葉は悪びれもしていないように響く。

「読みました」

「!!!!!!!」

マヤの肩から、買ったばかりの夏休みの一式セットが入った紙袋がドサリと落ちる。

ああ、もう、死んでしまいたい……。

金魚のように口をパクパクとさせ、マヤは真澄に噛み付く言葉を探す。けれども、何をどれだけ非難して責めてみたところで、この恥ずかしさはどうにか消し去れるものではなかった。けれども最大級に真澄を責める言葉を必死で探していると、逆に真澄が口を開いた。

「今、どこに居るんだ?」

そういえば、真澄の携帯からも外の気配が聞こえる。会社に居る訳ではなさそうだ。

「ど、ど、どこって、外ですけどッ」

思わず、つっけんどんに答えてしまう。真澄が息だけで笑ったのが受話器を通して伝わる。

「外のどこだ?」

車に乗っているのだろうか、時々、聞こえにくくなる。なんだか急に不安になって、ちゃんと聞こえるように大声で答えてしまう。

「お、表参道っ!」

「の、どのへんだ?」

「どのへんって……」

マヤは、きょろきょろとあたりを見回す。

「キディランドの近くです。"James"ってお洋服屋さんの前…」

マヤは振り返って、たった今出てきたばかりのブティックの看板を見上げながら言う。

「あぁ、有名な店だ。知っている」

少しも取り乱さない、真澄のその落ち着いた声にマヤはますます、腹立たしくなる。

「は、速水さんこそどこに居るんですかっ?!」

自分ばかりが一人相撲をしているようで、マヤは情けなくなってくる。

「どこって、君の目の前だ」

そう真澄の声が聞こえ、一方的に電話が切られたかと思うと、物凄い勢いで一台のBMWの黒いオープンカーが目の前に横付けされる。激しいブレーキ音に、通りを歩く誰もが振り返る。

ああ、もう、信じられない……。

呆然としたまま、紙袋を肩からさげ直すことも忘れ、引きずるようにして、マヤはフラフラと車に近づく。真澄は涼しい顔をして、車から降りると、助手席の扉を開ける。
車のすぐ側まできたマヤは、その後部座席を見て絶句する。

シートいっぱいの紫のバラ……。

ああ、もう、ホントに死んでしまいそう……。






助手席に滑り込んだあとも、マヤは絶句したまま口を開くことが出来ない。一体何から切り出したらいいのか、言葉もみつからない。

『手帳、読まれちゃったんですよね?』

確認してどうする?

『ドライブですか?奇遇ですね?』

バラ100万本しょって?

『仕事あるなんて嘘ついてごめんなさい』

とっくにバレてるって…。

『逃げ出してごめんなさい』

そんなこと言ったら、ますます空気が気まずくなる。

脳裏に浮かんだ言葉は、結局どれも墓穴を掘りかねないことに気付いたマヤは、ふと膝の上に抱えた紙袋に目をやる。その途端、もう何もかもどうでもよくなって、何もかも忘れてしまったような気分になって、とにかく一番いいたい事だけ言えばいいような気がして、マヤはそれを口にする。

「速水さん、旅行誘ってくれてありがとう。凄く嬉しかった。
あたし、すっごい楽しみ!それだけを楽しみにして、お仕事がんばるね」

真澄は車線から目線を一瞬ずらすと、そっとマヤのほほに手の甲で触れる。

「俺も楽しみだ…。
何を買ったんだ?」

大きな紙袋に目線を移しながら聞く。

「え〜とね、あのね、スケスケのワンピでしょ。ビキニでしょ。サンダルでしょ、それから…」

『スケスケのワンピ』という言葉に一瞬、喉を詰まらせながらも、真澄はなんとか平静を装って言葉を繋ぐ。

「そんなに買ったのか?言ってくれれば俺が買ってやったのに…」

物欲など全く見せたことのないマヤのその買いっぷりに驚きつつも、男としてのプライドが嫌でも刺激される。
マヤはきょとんとした顔でそんな真澄を見上げる。

「え?でも、あたしだって、お金ぐらいあるよ。ちゃんといっぱい貰ってますよ」

真澄が自分のお金の心配でもしてると勘違いしたマヤは、驚いたように言う。マヤのためなら腐るほどに金を使ってやりたい、などという真澄の男心など分かるはずがない。

「あのね、旅行に必要なもの一式買ったの。まだ、早いって速水さん笑うかもしれないけど、あたし、そのぐらい楽しみにしてるから。今日から毎日手帳にばってんつけて、楽しみにしてるから……」

そこまで言って、マヤは自分が放った『手帳』という言葉尻に急に現実に引き戻される。

そうだ、あの手帳……。

「…勝手に読んじゃうなんて、ヒドイ…」

言葉は咎めるふうでも、その声音は少しも責める口調ではなく、喧嘩に疲れた子どもの拗ねた声のように響く。

「悪かった…。ちょうどそのページが開いてて、気が付いたら目が離せなくなった…」

オープンカーは首都高速の渋滞を抜け、湾岸に向かっているようだ。向かい風が容赦なく、マヤの髪を掻き乱す。

「ありがとう……」

その言葉の意外さに、マヤは訝しげに小首をかしげる。

(アリガトウ?)

「そこまで俺を好きになってくれてありがとう。
そこまで、俺を思ってくれてありがとう。
こんな俺だが、君に愛されても恥ずかしくないように生きていきたいと、心から思う」

向かい風に煽られ、口の中に入ってしまった一束の髪の毛を、人差し指で抜き取りながらマヤは真澄を見つめる。信じられないものでも聞くように……。

「君の思っていることを、いつもまっさきに気付いてやりたい。
君が本当に考えていることをいつも一番近くで、理解してやりたい。
だから、君にもそれを口に出して伝えて欲しい。
君も、俺も、もうこれ以上迷わないように……」

そう言って、こちらを向いた、夜風に前髪を乱された真澄の顔があまりにも美しくて、現実のものではないかのように優しく微笑むので、マヤはただ吸い込まれるようにその瞳をみつめる。

「大好き…」

それは、物が下に落ちる当り前の引力のように、マヤの口からこぼれ落ちる。意識の網をすり抜けた砂のように……。まるで、自分でない誰かが、自分の口を使って喋ったように……。
けれども、マヤはその言葉をもう一度、はっきりと意識して言う。

「大好き。これからも、ずっとずっと、好き。
恥ずかしくって、そんなの子どもみたいだからって、一度も言えなかったけど、手帳に書いてあったことは、全部ホント。全部、あたしのホントの気持ち。
あたし、ずっとこういうふうに速水さんに恋してたいな……」

本当の気持ちを言うことは、恐いことでも恥ずかしいことでもなんでもない。マヤは初めてそのことに気付く。なぜなら、相手も同じ気持ちであるから。それが、無条件に信じられるから。

「俺も、大好きだ。君に、ずっと恋しててもらえる男でいれるよう、努力する」

マヤはその飾らない真澄の言葉をゆっくりと、閉じた瞼の裏に焼き付ける。
振り向くと、後部座席一面に敷かれた紫のバラが、微香を放ちつつ、風に揺れる。

「何本あるの?これ……」

真澄は一瞬だけ、振り向くと、穏やかな笑みを浮かべそれに答える。

「一生分だ。君にプロポーズするなら、そのくらい必要だろ?」

その言葉を聞いた瞬間、マヤは弾かれたように、シートベルトを外して、首だけではなく全身で後ろを振り向く。向かい風が追い風に変り、髪の毛が視界の前で激しく交差する。

一生分……。

車のシートの色さえも見えないほどに溢れかえった紫のバラの洪水の中に、マヤは必死で見えない何かを探す。
それは、すぐにマヤの耳元で囁かれた。

「結婚しよう……」

シートの上に膝を立てた状態で後ろを向いていたマヤに、真澄が優しくふれる。その大きな手のひらが乱れた髪の間をなでていく。

「あたし、速水さんのこと幸せに出来るかな…?あたしが、速水さんに幸せにしてもらってるのと同じぐらい、幸せに出来るのかな…?」

髪の間をゆっくりと動いていた真澄の手のひらが、強い意思を持って、マヤの肩に置かれる 。

「君がいれば俺は勝手に幸せになる。君が側にいてくれれば、俺は一生幸せだ」

夜風に飛ばされることもなくはっきりとそう聞こえた真澄の声には、どこにも迷いも躊躇いもなく、マヤは自分の言うべき言葉を探す。

「じゃぁ…」

一瞬、いままでの楽ではなかったここまでの長い道のりが、走馬灯のように閉じた瞼の裏に浮かび上がる。カラカラに渇いた喉元で、言葉は音を失っていく。
けれども、今日は家に帰って、言えなかった言葉を手帳にまた書きとめるわけにはいかない。ゆっくりと瞼をあげ、体勢を元の位置に戻すと、カチリとシートベルトをはめる。

「あたしも、一生幸せです。速水さんが幸せなら……」

そう、マヤの言葉が闇夜に解き放たれた瞬間、後部座席から一枚の花びらが、命を持ったようにふわりと、風に舞った……。


5.12.2003



<FIN>








□あとがき□
最初に浮かんだのは”マヤちゃんの日記”というお題。ただ、マヤちゃんが毎日コツコツ日記を書くという設定には、 どうしても無理があるので、そのカラクリを練ること3ヶ月。(ホント。杏子ウソつかない)や〜っと、こんな形で日の目をみることが出来ました。
”とにかく甘いの!ゲロ甘!巨甘!爆甘!猛甘!!”のリクエストに答えてみたつもりです。久々の悶マスで、ちょっと発作 起こしそうになりましたが…。マヤちゃんの日記の部分は、ひたすら乙女になりきって書きました。ほっといたら、一か月分でも一年分でもこの手の日記は 書けてしまいそうでしたが、さすがに自粛しました。時々、背中のあたりが寒く なりましたが、気にしない、気にしない…。
”愛”よりも”恋”、”愛している”よりも”大好き”って言葉が杏子は好きなのですが、そんなカンジのお話になっていたら、と。







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