太陽と月に背いて 4
『ご結婚おめでとうございます。
私からのお祝いなんて何も欲しくないというあなたに、私からの精一杯のお祝いです。
いつもいつも、紫のバラで私を励ましてくださって、本当にありがとうございました。言葉では言い尽くすことも、書き尽くすことも出来ないほどに、あなたに感謝しています。
こんなカード一枚ではとてもその気持ちは伝えきれないと思うけれど、私がいつもどれだけ、『紫のバラの人』に感謝していたかは、『速水さん』も知っていたはずだから、直接私が今一度それを伝えることが出来なくても、きっと速水さんなら分かってくださると、信じています。

あなたが居なければ、私は女優にも、紅天女にもなれなかったでしょう。
あなたの存在は私の全てでした。
なんの取り柄もない平凡な私ですが、女優である自分は、こんな自分じゃない自分みたいで、私も好きです。そして、そんな私をあなたも好きでいて下さったと信じています。
だから、女優の私はあなたのものです。紅天女もあなたのものです。
それが、あなたのこの間の質問への答えです。

今日という晴れがましい日に、私は生まれて初めて誰かに花を贈ります。
いつも頂いていた、あの紫のバラをあなたに贈ります。
一生分の感謝の気持ちと、あなたへの思いを込めて、贈ります。

だから、あなたは今日から自由です。
もう紫のバラはいりません。
あなたを『紫のバラのひと』という私の足長おじさんの役から、開放してあげます。
夢をみさせてくれてありがとうござました。

どうか、どうか、お幸せになってください。
ずっと、ずっと幸せでいてください。
誰よりも、何よりも、私はそれを望んでます。

北島マヤ』




それは、鈍器を後頭部に振り下ろされたような衝撃であった。

(彼女は知っていた…)

『いつから』とか『なぜ』はこの際、重要でなかった。
ただ、真澄は悔しかった…。
この自分が…、よりによって母親のかたきであるこの自分こそが、彼女の夢であった『紫のバラのひと』であるという真実を彼女が知ってしまった時、自分は何もしてやれず、一人にしておいたということ。そして、思いつめた彼女に気づいてやることもなく、その真実に追い詰められた彼女が、急ぎすぎたこの決断を下してしまった事。
そして、また、苦しめたこと…。
彼女の母親の墓前で誓ったことは、
『一生影としてマヤを守ること』
だった。結局自分は、その約束さえも果たせなかったではないか…。 思わず、座った両膝の上に上体をかがめ、両肘をつくと、絶望的にその手の中に頭(こうべ)を垂れた。



「お時間です」

そう言って、ドアをノックする音がする。

(遅い…、何もかも、俺は遅すぎた…)

のろのろと立ち上がってドアを開けた先に立っていた着飾った紫織を見ても、真澄はなんの感動も覚えなかった。それどころか、まるで生まれて初めて見た顔であるかのように、その顔に見覚えがない気さえした。
ただそこにあるだけのもの…。綺麗でも汚いわけでもなく、ただ、そこにあるだけのもの…。
それだけのことだった…。






「マヤちゃんそんなとこに立ってたら、見えないよ!もうちょっと前に行こうよ!」

桜小路の陽気な声がマヤを揺さぶる。
都内の有名なホテルで執り行われる披露宴。併設されたチャペル内で、結婚式が執り行われているはずだった。そちらへの参列は親族だけに限られ、それ以外の一般招待客はこうして、教会の扉の前に陣取り、二人の登場を待っているのだ。

「い、いいよ、桜小路くん…。そんな、前で見るのなんて恥ずかしいし…」

そう言って俯くマヤの言葉の意味もよく考えず、桜小路は強引にマヤの手を取ると、人ごみを掻き分け、前方へと引っ張って行く。

「花嫁のブーケ、絶対マヤちゃんにもらって欲しいんだ!」

そう言って顔を赤らめる桜小路を、マヤは不思議そうに眺める。

(そんなもの、アタシが貰ったってしょうがないのに…)

言葉にはださなかったけれど、そう胸の中で呟いた。



そのとき、前方の方で一斉にワッと声があがる。教会の扉が開かれ、美しい長身の新郎新婦が登場する。一斉にたかれるフラッシュ、そして撒き上がるライスシャワー。
4月の白い太陽に照らされ、白いウエディングドレスが眩しくマヤの瞳に反射する。
満面に笑みを浮かべる紫織とは対照的に、一切の笑顔も色めいた表情も見せず、氷のようにすましている真澄のそれは、少しマヤに違和感を与えた。だけれども、それよりも何よりも、マヤはその二人の美しさに目を奪われる。

美しい真澄…。
美しい紫織…。

みなに祝福され、太陽にまで祝福され、絵に描いたような幸せの縮図に、マヤは圧倒される。

(あぁ、この二人は本当にお似合いなんだ…。本当に相応しいんだ…)

ゆっくりと二人が赤い絨毯の上を連れ立って歩いてくる。相変わらず、紫織は笑い、そして真澄は無表情のままだった。

と、突然、真澄の表情が激しく歪む。しかし、それは幸せな笑みを浮かべたわけもなく、文字通り激しくその表情が崩れただけだった。



見覚えのある顔なのに、忘れるはずのない顔なのに、唐突な違和感に真澄は眩暈に近いものを覚える。数秒、その顔を凝視したのち、気づく。

(髪を…切ったのか…)

『…大好きだ…、だから、この髪はずっと切るな。ずっと伸ばしたままでいろ』

『髪の毛一本だって、君は大都の…、いや、俺のものだ…。だから、勝手に切るな』

脳内に響く、自分の威圧的なあの声。
これは、唐突に唇を奪ったという自分の野蛮な行為に対する、マヤの抗議なのだろうか…。

(マヤにだけは見られたくなかった…)

そんな思いが去来する。「幸せな花婿」という偽りの仮面をつけ、首にひもをかけられ、しょっ引かれていく自分のこの姿など、マヤにだけは見せたくなかった。

失ったその黒い髪に、自らが今、確実に失ったものが重なる。



マヤはただ放心していた。目が合ってしまったら、予想通り心臓を素手で掴まれたような痛みを感じたけれど、心臓が止まるほどじゃなかった。そう簡単に人間が死ぬはずない。表情だってそれほど変わらなかったはずだ。でも、それは変えなかったのではなく、変えられなかっただけだった。
笑うことも、気の利いたお祝いの言葉をかけることも出来ず、呆然とその歪んだ瞳を見つめ続けた。

ただ、思ったのは、今はもう他人のものになってしまったのに、もう諦めなければいけないのに、心に浮かんだことはたった一つ、
『このひとが好き』
ということだけだった。



真澄の視線の先にあるその存在に気づいた紫織は、表情を変えずに、真澄の腕に絡めた指先に強く力を入れる。真澄以外の誰にも気づかない強さで、真澄のひじの内側の肉を強く掴むと、まっすぐに歩きつづけることを促す。

(もう、後戻りできない…)

絶望的な諦めに真澄はゆっくりと瞼を閉じると、そのままマヤから目をそらし、体の向きを変えると、二度とマヤの方を見なかった。

その姿を見て、マヤは思う。

(あなたが美しいその人と歩いていく後姿を 沈黙という視線で 見送る事しか出来ないのであれば、 眩暈に襲われるばかりのあたしのこの目を 潰して下さい…)



真昼の太陽に目を潰されながらマヤは誓う。



例え、太陽と月に背いてでも、

私は

あなたを

愛します…。



2003.3.2






…to be continued










Top / next