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| written by アルフィン
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□□第3夜□□ 雪のように冷たく、氷のように鋭利な 冬の糸月をあたしは飲み込んだ。 その月が心に無数の傷を造るのを静かに見つめる。 やがて月はゆっくりと解けて、温かい朝がくる。 翌朝−−− あたしはテーブルに置かれた鍵を見つめる。 「一人でいるのが淋しくて、夜の街を徘徊するくらいなら、毎晩うちに来ればいい。」 そう言って、速水さんが置いていった物だ。 あたしはいったいどうしたらいいのだろう・・・。 その時、突然携帯電話が鳴った。 出ると黒沼先生の思い詰めた声がした。 「ああ、北島か。今日の稽古は中止だ。俺はこれから若旦那に会いに行く。 なあ、北島、おまえの紅天女は凄まじい。おそらく神の領域に入ろうとしている。 けどな、俺はおまえが狂気の世界や死の世界へ連れ去られるのを指をくわえて見ているわけにはいかない。 だから、場合によっては若旦那と対決する。 ああ、おまえには関係ないよ。これは俺の矜恃だ。」 そ、んな・・・・・。 通話が切れた携帯電話を呆然と見つめる。 あたしの勝手でしたことなのに あたしはまた速水さんに迷惑をかけてしまう。 稽古が中止になったせいで、行くあてすらない。 あたしはそのまま速水さんのマンションのベランダに立って、 ずっと空を見て過ごした。 日がすっかり沈み、東の空から痩せ細った月が顔を出しても、 あたしはそこを動けないでいた。 冷たい風が頬に突き刺さるのも、もう気にならなくなっていた。 カチャ・・・・パタン 鍵を開ける音と扉が閉まる音 あたしはやっと我に返り、小走りに玄関へ向かう。 黒沼先生のこと、なんて言おう・・・・。 難しい顔をして玄関に立つ速水さんを見上げる。 その表情は、困惑?怒り? なんて言っていいかわからずに立ちつくしてしまう。 突然、 そんなあたしの迷いを握りつぶすかのように速水さんに抱きしめられた。 いけないと思いつつ、包み込まれた広い胸に安らぎを覚える。 ああ、もうちょっと、もう少しだけこのままで・・・。 そう自分に言い聞かせるあたしの頭上に信じられない言葉が降ってきた。 「マヤ、俺は君のことが大好きだ。愛している。 ずっと一緒にいたいと思う。 いられるようにすることを約束する。」 どうして? そんなこと言ったらすべてが駄目になってしまう。 「そ、そんなこと言ったら駄目です。」 「どうして?」 「速水さんを苦しめてしまう。 あたしは、速水さんに紅天女を気に入っていただけただけで十分なんです。 だから、今言ったこと取消してください。」 「駄目だ。君は嘘をついている。」 「えっ?」 驚いて見上げた速水さんの顔は少し怖くて、でも、何かを決意しているような潔い表情だった。 速水さんは再度あたしを強く抱きしめると、少し腕を緩めて、あたしの頭を撫でながら言葉を続けた。 「前に話したろ。試演の日、紅梅色に染まった舞台の上から、阿古夜になった君の魂が、 俺の魂を引きずり出し、遠く梅の谷へ、時空を超えて戦乱の世へ、銀河を超えて 星巡りの旅へ、二つの魂が融け合う至福の暁へと導いたんだと。 俺は、自分が君の魂の片割れだと感じている。君も同じだろう? だから俺たちはこんなにも引かれ合うんだろう?」 「速水さん・・・・。」 「俺の気持ちはあの試演の日から決まっていたんだ。 しかし、いろいろな障害があるせいで、すぐに君の前に出ることができなかった。 君と一緒に過ごしてからも、もっときちんとしてから言おうと思って、それが君を追いつめていることになっていたなんて、謝りようがない。」 「速水さん、あの、あたし・・・・・。」 「君が夜も眠らずに食事も摂らずに、叶わぬ愛の成就をここでない世界に求めていると知って、胸が潰れそうになった。 マヤ、俺の約束はまだ何の裏付けも確証もないものだ。しかし、なんとしてでも実現させる。 すべてを解決して、あらためて俺の言葉で君に愛を誓うまで、待っていてもらえないだろうか?」 あたしは夢を見ているのだろうか? 飲み込んだ鋭く冷たい月がゆっくりと光を帯びて解けていく。 心の中に朝日が差し込む。 「は、はい。待ちます。ずっと、いつまでも。」 速水さんは少し困ったように苦笑いをして、ぼそっと言う。 「そんなに待たせるつもりはないんだけどな。」 「わ、わかってます。」 「じゃあ、まず、天女様には健全な身体を取り戻してもらわないとな。 3週間分の睡眠と3週間分の食事を摂ってもらわないと・・・。」 「そ、そんなに寝たり食べたりしたら、かえって具合が悪くなります。」 「ははは、それもそうだな。」 その夜、あたしは速水さんが呆れかえるほど、本当にたくさん食べ、 眠れなかったのが何かの冗談だったかと思うくらいぐっすり眠った。 翌朝、元気いっぱいのあたしは、張り切って稽古に臨んだ。 紅天女として舞う。 ほら、今日はこんなにも身体が軽い。 ふわりと身を躍らせた瞬間、世界が急に暗転した。 「・・・・・は、や、みさん?」 「ああ、どこか痛いところはないか、チビちゃん。」 視界にグレーの天井と速水さんの顔が入ってきた。 さっきまで稽古をしていたはずなのに、どうしてベットに寝ているのだろう? 「あ、あのあたし、どうして?ここは?」 速水さんは、ここが病院であること、あたしが稽古中に倒れ担ぎ込まれたこと、原因が極度の睡眠不足と栄養不足によること、 そして、黒沼先生も、桜小路君をはじめとした共演者も、速水さんも呆れ怒っているということを説明してくれた。 どうしよう・・・・。 みんなから注意されていたのに。 あたしはなんて無自覚で無責任なことをしてしまったんだろう。 「ご、ごめんなさい。あたし・・・本当にごめんなさい。」 今日からちゃんと寝て食べて頑張ろうと決心したのに・・・。 速水さんの顔だってまともに見られない。 あたしは布団に深く潜り込もうとした。 その瞬間、速水さんの腕の中に引き込まれた。 「君が謝ることなんて何もない。謝るとしたら俺の方だ。」 速水さんの腕に力がこもり、息ができないくらい強く抱きしめられる。 「俺の中途半端な約束が、かえって君を追いつめてしまったのか。 すまない。今の俺には君をこうして抱きしめることしかできない。」 「ち、違うんです。あたし、速水さんの言葉を聞いて本当に嬉しかった。 倒れたのは、きっと安心したせいです。 だから、本当に速水さんや黒沼先生やみんなに申し訳なくて・・・。」 それは本当だ。 あの夜、速水さんの言葉を聞いた時から、あたしの胸の中にあった冷たく鋭い三日月がゆっくりと解けていった。 今はもう、温かい朝日で満たされている。 速水さんがとても柔らかに笑った。 「ありがとう。君の言葉を聞いて、安心したよ。 君は明日にでも退院できるそうだ。 黒沼さんによると、君につける稽古はもう無いそうだ。 だから、君さえよければ、明日、俺と一緒に過ごさないか?」 「えっ?だって、速水さんお仕事は?」 「生まれて初めて休暇というものをもらった。 明朝迎えに来るよ。今夜はゆっくり眠りなさい。」 翌朝、あたしは迎えに来てもらうのが照れくさくて、早々に退院手続きをして速水さんのマンションへと向かった。 ピンポーンーーーー♪ インターフォンを鳴らすと慌てた感じの速水さんの声がした。 「マ、マヤ! どうして?」 「あ、あの、ごめんなさい。 病院に来てもらうと仰々しくなるかなと思って、一人で退院して真っ直ぐ来ちゃいました。 朝早くからすみません。あたし、その辺で待ってますから。」 「いや、荷物もあるだろ。とりあえず上がっておいで。」 部屋に入って速水さんの顔を見た途端に胸がいっぱいになる。 速水さんが優しく抱きしめてくれる。 この温かさがあれば、もう何もいらない。 ずっとこうしていたいと言おうとしたあたしに速水さんが優しく語りかけてきた。 「君に見せたいものがあるんだ。出かけても大丈夫か?」 「あ、はい。よく眠ったせいか、ものすごく体調がいいです。」 「それは良かった。じゃあ、食欲の方も復活なんだろうな。 今日はどれだけ食べても大丈夫なくらい大金を持ち歩かないと。」 「ぐっ!どうしていつもそういう言い方するんですか。」 「はは、君が元気だとついな。さて、出かけよう。」 連れて行かれたのは、都内の牛天神という小さな天満宮だった。 こぢんまりとした参道を歩き、社の後ろにある小さな梅の古木の前に立つ。 「速水さん、これは?」 梅の季節には少し早い寒空の下、満開の白梅を付けた古木が風に枝を揺らしていた。 「冬の梅。本来の梅の季節に先駆けて、真冬に咲く珍しい梅だよ。 まるで、あの雪の日の君のようで、どうしても見せたくなった。」 「不思議・・・・。回りの梅の木はまだまだ堅いつぼみしかないのに。」 「俺にとって君は、ずっとこの冬の梅のような存在だった。 どんな困難の中でも毅然として咲き、優しい匂いを放つ。 君はずっと俺の心の中に住んでいたんだ。」 「速水さん・・・・・。」 「マヤ、俺は君のために戦おうと思う。 これは君のためだけでなく、俺のためでもある。 紅天女の本公演が終わるまで、俺に時間をくれないか。」 「・・・・・・はい。」 「ありがとう。おそらく、かなりきついものになる。 だから、舞台を観に行くこともできないかもしれない。」 「そんなこと、気にしません。 どこにいても速水さんがあたしを見ていてくれるのわかりますから。」 「ありがとう、マヤ。 梅はまず白梅が咲いて、紅梅が続くと言われている。 君が冬の梅から、紅梅の化身、紅天女となって演じる舞台をなんとしてでも観に行けるよう頑張るよ。」 「はい。あたし、速水さんに喜んでもらえる紅天女になります。」 紅天女の初日の幕が上がった。 あたしは速水さんに初日から千秋楽までの全日分のチケットを贈った。 紅天女の劇場には、主演女優のリザーブ席が1席ある。 前から7列目中央。一番舞台がよく見える席。 そこは、誰から言うともなく、紫のバラシートと呼ばれていた。 速水さんが来ることができないのはわかっている。 でも、速水さんの席は毎日用意しておきたかった。 舞台初日、入場前の誰もいない客席へ行くと、速水さんの席に紫のバラの花束が置かれていた。 そして、それは毎日続いた。 あたしは、毎日、開演前のその席から紫のバラを1輪だけ抜き、舞台袖に置く。 客席からも舞台袖からも速水さんが見守ってくれるように。 時に不安になるあたしを支えてくれたのは、速水さんへの想いだった。 紅天女本公演、千秋楽。 開演前に行ったその席には、紫のバラの花束はなかった。 開演5分前のベルが鳴った時、そっと舞台袖から客席を見る。 期待と不安が入り交じった視線を泳がせた先に、紫のバラの花束を抱えた愛しい人が腰掛けているのが見えた。 幕が上がる。 阿古夜になったあたしの魂は、真っ直ぐに速水さんの魂を迎えに行く。 あたしは紅梅の匂いに包まれた虹の中で速水さんの魂に抱きしめられる。 鳴りやまない拍手の中で、カーテンコールが何度も繰り返される。 何度目かのカーテンコールに呼ばれ、顔を向けた客席に速水さんはいなかった。 あたしはドキドキしながら最後のカーテンコールを終え、舞台袖に戻る。 「素晴らしい演技だった。よくやったな。」 背後から穏やかな優しい声がかかる。 「速水さん!!」 あたしは夢中で速水さんの胸へ飛び込んだ。 「もう少し優しく体当たりしてくれないか。花束が潰れてしまう。」 「あ、ごめんなさい。」 「ふっ、いつも言っているじゃないか、君は謝ることはないって。 これを直接君の手に渡すことは、俺が何度も諦めた大切な夢だった。 受け取ってもらえるだろうか。」 どうしてそんな当たり前のことを聞くんだろう? でも、あたしは嬉しくて何度も首を縦に振り、紫のバラの花束を受け取る。 その時、速水さんが紫のバラごとあたしを抱きしめて、そっと囁いた。 「マヤ、愛している。 これからはずっと一緒にいよう。 君に誓うよ。 もう2度と君のその笑顔を翳らせないことを。 ずっと君だけを見つめ、君を幸せにすることを。」 「速水さん・・・・。 どうしよう。これは夢? こんな嬉しい夢から覚めたら、あたし、どうにかなってしまう。」 「ふっ、夢なんかじゃないよ。 そんなに心配だったら、これから毎晩一緒に寝て、 目覚めるときに隣にいようか。」 「え、えっ。そんな意味で言ったんじゃ・・・・。」 「とりあえず、君は千秋楽のパーティに急がないと。 パーティが終わったら、ゆっくり話そう。 まず、梅の谷へ星を見に行く話でも。」 「はい。」 03.23.2006 ![]() □アルフィンさんより□ 杏子さん、ESCAPE3周年おめでとうございます!! 思えば1年ほど前、ガラパロサイトエリアに迷い込み、杏子さんの綺羅星たる作品群を発見し、寝食を忘れ(←マジに)夢中で読みふけったのが私のパロ人生の始まりでした。 ここで終わればただの熱狂的な1ファンのはずが、様々な出逢いや機会に恵まれ、気がつけばジカキの真似事を始め、さらに、あろうことか自サイトまで立ち上げてしまいました。 いずれにせよ、杏子さんの作品に出逢わなければ、こんな私にはなっていなかったのは事実です。 この熱烈な想いをお伝えしたくて、このたび勇気を振り絞りお題を予約させていただきました。 「冷たい月を抱いたまま」。 もう、題名だけで切なくて、自分なんかがゲットしちゃって良かったのだろうかと悩みつつも、何とか書き上げることができました。 3周年記念に少しでも彩りとして添えられれば嬉しいのですが・・・。 自分がサイト持ちになっても、やっぱり私は杏子さんの1ファンです。 どうか、これからも素敵な妄想をたくさん世に送り出してくださいますように。。。 ![]() □杏子より□ 各話の冒頭の”冷たい月”をモチーフにした散文があまりにも美しく、そして痛みを引き連れてきます。そして引き込まれました。 どこか冷たく、けれども丸く穏やかで、そして決して触れることのできないイメージが月にはあるのですが、そんな私のイメージから出たお題”冷たい月を抱いたまま”の世界観をここまで表現していただいて、本当にお題職人(?)冥利につきます。 アルフィンさん、本当にどうもありがとうございました!! ![]() |
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