| Final Call for Christmas |
「ご搭乗の最終案内をいたします。日本航空、羽田行き、新千歳発518便ご利用のお客様は。お急ぎ搭乗口12番ゲートよりご搭乗ください」 搭乗口前のロビーではひっきりなしにファイナルコールが繰り返されている。マヤが乗るはずの便名も呼ばれているが、芸能人や有名人は騒ぎになるからと、全員が乗り切った後に乗るという妙な配慮があるらしく、こうして自分は待たされている。 (自分ごときが早めに乗り込んだところで、誰も気づかないだろうに……) そう一人ごちてみるが、結局のところ先に飛行機に乗ったところで出発時刻は変わらない訳で、機内で過ごすか、このラウンジで過ごすかの違いで早く東京に戻れるはずもなく、マヤは黙って従うのみだ。 いや、諦めて従う、のほうが正しいかもしれない。 乗るはずの飛行機はすでに出発予定時刻から、六時間も遅れていた。 昨晩、札幌での仕事を終え、今日の午後の早い便で東京に戻り、夜は劇団つきかげの仲間とのクリスマスパーティーに参加できるはずだった。 札幌市内は今日は雪もなく好天だったのだが、想定外だったのは西日本を襲った猛吹雪のような積雪量。いくつもの西日本を発着する便が欠航し、それに よって来るはずの飛行機がここ札幌まで到着しないという状況らしい。結果的に機体と乗務員の手配がつかなくなり、離陸は出来る状況だというのに、飛行機が 飛ばず、こうして空港に留め置かれている状況だった。 もう諦めて、札幌にもう一泊するしかないかと思った瞬間、なんとか羽田まで今日中に一便飛ぶと案内される。 クリスマスや正月に仕事が入るのは全く構わなかった。女優の仕事よりも大切なプライベートな事などないと思っているから。 でもただの移動でクリスマス・イブの一日が潰れ、何より一日中空港で待ちくたびれ、いつになったら東京へ帰れるのか、先の見えない時間を延々と一人で過ごすのはさすがに疲れた。 「北島様、大変お待たせ致しました。ご案内いたします」 そう声を掛けられ、ようやく機内に案内された時、限界に達した疲労から、全ての意識や思考力の回路は封鎖され、周囲の何にも意識も注意も払えていなかった。機内の様子とか、周りに誰がいるか、そういったもの全てがマヤの意識をすり抜けていく。 大都芸能がいつも取ってくれるのはビジネスクラスのはずだったが、残席の都合なのか、なぜかファーストクラスに案内される。この席であっているのか、改め て確かめる気力もなく、マヤは身を投げるように二席並んだ大型シェル型のシートにドサリと座って目を閉じる。秒で寝られそうな疲労感とようやく搭乗できた 安堵感が一緒くたになって、マヤの体の重みは一瞬にして柔らかなレザークッションに深く沈んだ。 「だいぶお疲れのようだな」 肘掛けの向こうの隣の席から突然聞こえてきた、覚えのあるその声にマヤは文字通り飛び上がる。 「はっ、速水さんっ?!」 「奇遇だな、こんなところで君に会うとは」 自分のようには少しも取り乱してなどいない真澄の姿に、どんな時でも冷静沈着な大都芸能の社長のいつもの姿を見た気がして、ずっと緊張状態が続いていた マヤは、妙に安堵してしまう。けれどもそれを口に出せる程、素直ではない自分は、いつものごとく流れるようにあの悪態が口をついて出てきた。 「速水さんこそ、こんなクリスマスの日にお仕事なんて、年中無休の仕事大好き人間でご苦労様ですっ!」 一瞬、想定外の変化球が目の前をかすめたかのように驚いて固まった様子を見せた後、真澄はクスクスと笑い出す。 「嫌味でも言ったつもりか? 今日は平日だぞ。社会人にクリスマスは関係ないだろ。普通に誰だって仕事をしている。もっとも、こんな空の大規模遅延に巻き込まれたのは確かに災難だが」 そこまで言われて、確かにクリスマスだと浮かれていたのは自分ぐらいで、大の大人の男がクリスマスだからと浮かれたり、ましてや仕事を休んだりなどする 訳がないと今更気づいてマヤは赤面する。土日も平日も関係ない、女優という仕事を生業としていると、そういった一般常識の欠落が突如露呈する瞬間がままあ る。とても恥ずかしい。 「わ、私だってお仕事だったら全然文句なんてなかったです。舞台に立ってるとか、撮影してるとかそういうのだったら……。でも今日はちょうど久しぶりに何 のお仕事もない日で、それならみんなとクリスマスパーティーでもできるって楽しみにしてたのに、移動だけで終わる一日になるなんて思いもしなかった。期待し てた分ガッカリしたのと、それから……」 そこまで言うと、マヤは目を瞑って、再度シートに体を埋もれさせると 「待ちくたびれて、さすがに疲れました」 疲労が滲んだ息を大きく吐いた。 「22時過ぎには羽田に着くはずだ。それからでも──」 「もうパーティーは終わってます。明日は皆も仕事あるからって、今日は18時スタートの21時解散だったんです。二次会とかもないです」 目を瞑ったまま、マヤはそう答える。まるで不貞腐れた子供みたいだ。真澄が悪い訳ではないというのに。 「あとで何か買ってやる」 目を瞑ってふて寝を決め込もうとしていたマヤの耳に、それはとんでもない衝撃を与える。一瞬、聞き間違いかと思うほどに。 「え? か、買ってやる? って、え? なにを?」 「なんでも、君の欲しいものなら何でも買ってやる」 「い、いえ、そうじゃなくて……、何でですか? 頂く理由ないです」 驚くあまりに聞き返す言葉を間違えた。 何が?ではない。 何で?が正解だ。 「クリスマスプレゼントだ。大都がいれた仕事のせいで、君のクリスマスがどうやら台無しになった。お詫びに社長が何か買ってやると言ってるんだ」 まじまじとその顔を見返す。どうやら冗談ではなく、本気で言っているようだ。 「い、いりませんっ! そんな恥ずかしい事できませんっ!」 「恥ずかしいのか? なんでだ? この一年、大都芸能の看板女優として君はよく働いてくれた。社長がご褒美に好きなものを買ってやると言ってるんだ。少しぐらい高いものでも頼んで俺を困らせればいいじゃないか」 「言い方っ! 言い方が何かいやらしいんですよ、速水さんは! 何でも好きなもの買ってやるとか、パパ活みたいじゃないですかっ!」 いい大人にもなって、クリスマスに浮かれた反動で落ち込んでいる事を見られた恥ずかしさから、ついムキになって言い返すうちに、とんでもない事を口走ってしまった事に気づいたがもう遅かった。 隣の真澄は案の定絶句して、呆れた表情でこちらを見ている。当然だ。パパ活などというワードは、間違っても所属事務所の社長に言っていい言葉ではなかったはずだ。 何でもいいから欲しいもの、などと言われても、物欲とは無縁の自分は世間一般の同年代の女の子が欲しがるようなものは何一つ知らないし、少しぐらい高い ものと言われたって、ブランドの名前すらもよく知らない。そういう恥ずかしさも全て一緒くたになって、つい口からとんでもない言葉が出てしまったのだ。 「そうか……、君からしたら、俺はもはやパパ活対象の年齢なのか」 何かしらの衝撃を飲み込むかのように、真澄が肘かけについた手で口元を押さえている。 「そ、そういう意味じゃ──」 そんなふうになど思ってもいない訳で、そうではないと言い訳をしようと思ったが、上手くいかなかった。 「君も疲れているだろう。せっかくのファーストクラスシートだ。羽田に着くまで横になるといい。着いたら起こしてやる」 そう言って、マヤのリクライニングを倒すように促されると、二席の間のシェル型の覆いも手伝って、真澄の姿は見えなくなった。 (せっかくクリスマスの夜に偶然でも会えたのに……) 飛行機の座席で、偶然好きな人と隣の席になる確率は、果たしてどのぐらいあるのだろうか。しかもクリスマスの夜に。奇跡と言っても差し支えないだろう。そんな奇跡をたった今自分は、自分の手で台無しにしてしまったのだ。 そう思うと、目尻から涙が溢れ出てきた。分からないようにと、マヤはブランケットを頭から被ると、いつしか本当に浅い眠りへと落ちていった。
不貞腐れた子供のように頭からブランケットを被った隣人から、静かな寝息が聞こえてくる。本当に疲れていたのだろう、と真澄は察したように微笑む。そっと頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、それは耐えた。起こしてしまうつもりは毛頭ない。 マヤが紅天女の後継者となり、なかば無理やりのように大都芸能へと所属させてしまってから約一年。全て良かれと思って仕掛けた事ではあるが、随分と働かせてしまった自覚はある。 紅天女の後継者として、誰もが認める一流女優にしてやりたい気持ちがどうしても強くあった。 それは自分の身にこれから起こるであろう、鷹宮家との破談に伴う嵐の影響を受けないほどの強い立場にマヤをおきたかったのもあるし、大都芸能にとって、もっとも必要な俳優の一人として、内外問わず、全ての人間に認知させたかったという気持ちもあった。 実際、この一年で起きた、ありとあらゆる破談に伴う混乱の影響は凄まじかったが、幸いマヤに与えた仕事は全て好調のうちに終わり、今は紅天女の再演を待ち望む期待の声で世間は溢れている。 確実に令和を代表する女優への階段を登り始めたといえるだろう。 その一方で、それは本当にマヤの望んだ事だったのかと問われると、途端に真澄は自信をなくす。 マヤが望んだのは演じる事だけだろう。 芝居がしたい──。 今も昔も、この少女が望む事はそれだけのはずだ。それ以上でもそれ以下でもなく。富も名誉も名声も、全く興味がないのは分かり切っている。しかし、マヤ 自身は望まないそれらの為に随分多くの事を犠牲にさせてしまった自覚はある。仲間と住むアパートから強制的に引っ越しもさせ、大都所有の港区のマンション に住まわせ、安全面の配慮からも移動の全ては社用車で常にガードして閉じ込めた。この一年は休みも少なく、確かに今日のクリスマスイブが久々のオフだった と、マネージャーからも聞いていた。 台無しになってしまったクリスマスのお詫びと、そんな常日頃からの良心の呵責も手伝って 「何でも買ってやる」 などとよく考えもせずに口走ったが、余計にマヤを怒らせてしまったようだ。 「上手くいかないな……」 小声でそう呟くと、開いたメールボックスの一番上に【緊急!!要開封】と強調された件名のメールが水城から届いている事に真澄は気づく。 機内Wi-Fiを頼りに開封すると、またしても芸能社特有のトラブルが起こっていた。 所属アイドルのファンを対象とした【ぼっちクリパ】と称した、クリスマスイベントの為に、都内のレストランを貸し切りにしていた。問い合わせた一軒目の レストランが、内容について一旦保留になっていた為、別のレストランも保険で問い合わせをした際、最初の一軒目がキャンセルになっていなかったという。 今日の十八時になって、レストラン側からの問い合わせで発覚したらしい。 突如宙に浮いた四十人分のコース料理。 レストランオーナーは昔から個人的に付き合いもある、懇意にしているレストランで、迷惑をかける訳には絶対いかない。 すぐに真澄はチャットを立ち上げ、水城との連絡を図る。 ”今、社内に何人残っている” ”年末年始のイベント関連の仕事が立て込んでいたので、八割型残っています” ”全員今からそこに呼べ。俺のおごりだ。歩いてすぐだろ” 驚いてしばし沈黙する水城に対して、真澄は更に重ねる。 ”二時間ぐらい抜けたところでバチは当たらない。皆働きすぎだ。最近ずっと思っていた。うちの社内はワークライフバランスがおかしい。来年は見直すつもりだ。これはその前例だ。二時間食事に抜けたぐらいで間に合わなくなる仕事なら、そもそもそのやり方がおかしい” 高速でタイピングする真澄の指が止まる。 何かを犠牲にしないと成り立たない幸せが、そもそもおかしかったのだ。身近な人間が皆、幸せでなければ、己の幸せなど望むべくもなく。社員の幸せなど考えた事もなかったのは、真澄自身の幸せについて考えた事すらなかったからだ。 ”今日はクリスマスだ。少しぐらい、幸せな時間を各々が持ってもいい夜だ。メリークリスマス” しばらくして、水城から返信が来る。 ”承知いたしました。ご配慮、感謝致します。 それから、レストランオーナーに真澄様が飛行機大遅延に巻き込まれて、遅い便で東京に戻るのでお詫びにも伺えない旨お伝えしましたところ、何時になっても構わないから来て欲しいとのこと。 二席クリスマスディナーのテーブルをご用意下さっています” ”二席?” ”先程、ファーストクラスシートの変更をされたのは真澄様ですよね? 隣に北島マヤがいるのは分かっています。どうぞ彼女のサンタクロースにもなってあげてください。メリークリスマス” そのメッセージを最後に水城は勝手にログアウトしてしまった。 何もかもお見通しの有能な秘書の鮮やかな手腕に真澄は苦笑する。 札幌からの出張帰りに、マヤが同じ様に札幌で飛行機の大規模遅延に巻き込まれていると知った。ファーストクラスなら席が用意できると聞いて、マヤの分も まとめて変更しておいたのだ。直前までそれをマヤに告げなかったのは、ちょっとしたサプライズのつもりもあったし、事前に告げると逃げられるのではとい う、いつかのアンナ・カレーニナの舞台のトラウマもあったからかもしれない。 ![]() 機体が少し斜めになり、シートベルトの着用ランプが灯る。 「チビちゃん、そろそろ到着だ」 そう声をかけると、おそらくすでに目を覚ましていたのだろう、モゾモゾとブランケットの塊が動く。 「綺麗……」 窓枠に手をかけたブランケットのおばけの下から声が聞こえる。 「東京のクリスマスってこんなに綺麗なんですね。この光の一つ一つの下に、きっとそれぞれのクリスマスがあるんでしょうね」 マヤの頭からブランケットがハラリと落ち、見えた横顔のその瞳には、煌めく夜景の光が宿っていた。 「ああ、綺麗だな……」 眼球に映ったまばゆいその光を見つめながら、真澄はそう答えた。 自分がこの世界で唯一愛するその存在に見せてやれるクリスマスの光はまだあるのだろうか、そんな事を考えながら……。
「俺の車で送る」 荷物を受け取った後、当たり前のようにそう言われた真澄の言葉に、マヤは素直に頷く。タクシーは長蛇の列だったし、今だに京急やモノレールの乗り換えは苦手な上、何よりとても疲れていた。 「ありがとうございます」 時刻は22時を回っていた。 真澄が空港に停めていた車に乗り込むと、車窓からは最後のイルミネーションが流れていった。東京のクリスマスが終わろうとしている。 そのままマヤのマンションの地下駐車場に入ると思っていたが、車はマヤもよく知る大都芸能本社近くのビルの駐車場に入っていく。 驚いたマヤが、今自分が吸い込まれた駐車場の入り口を振り返ると 「まだクリスマスは終わってない。もう少しだけつきあってくれないか?」 そう言って、真澄はそっとマヤの頭に撫でるように触れる。まるでサンタクロースが小さな子どもに言い聞かせるように。それはどこかマヤを素直にさせる魔法だった。 「はい……」 迷いなく進む真澄の後をついて入った、誰もいないレストランのフロアの真ん中のテーブル一つだけに、今宵、この時間、確かに二人を待っていたかのように灯されたキャンドルが静かに揺れていた。 「速水様、お待ちしておりました」 「遅くにすまないな」 少しくだけた調子でそう言う真澄の様子から、レストランオーナーはきっと真澄とは旧知の間柄なのだろうと分かる。 「先程、社員の皆様は全員お帰りになられました。席を埋めて頂いて助かりました」 「いや、こちらの予約の仕方が悪かった。迷惑をかけてすまなかった。仕事ばかりの連中だ、皆、思いがけず美味しいクリスマスディナーにありつけ、喜んだはずだろう」 「そうですね、会話も弾まれているご様子でした」 オーナーと真澄のやりとりと、この状況の意味が分からず訝しげに会話の流れをじっと見守っていたマヤに対して、真澄が説明をする。 「うちのタレントのクリスマスイベントの仮予約をいれた際に手違いがあって、40人分のディナーの空きが出来てしまったんだ。こちらのミスだ。社に残っていた社員を呼んで、少しだけでもクリスマスを楽しんで貰った」 「へー、もしかして速水さんのおごり?」 いたずら心から冗談でそんな事を言ったつもりだったが、どうやら本当に真澄のポケットマネーからのおごりだったらしく、冷血仕事人間と言われるあの速水真澄がそんな事をするのかとマヤは驚く。 「俺にはこんな事ぐらいしか出来ない。ただ、仕事が立て込んでいる時に二時間外で食事をしてこい、と言われても、逆に迷惑に思った社員もいたかもしれない。こちらの善意は必ずしもそのまま相手に伝わらない場合も多いからな」 仕事に関して真澄がとてもシビアな事は有名だ。そんな真澄がそこまで社員に対して気を回している事に、あるいは人間らしいその感情の動き方にマヤはさらに驚いた。 「さっきの飛行機の中でのあれも、君にはパパ活などと怒られたが、他意もなければ悪気もなかったんだ。ただ、この一年、大都の為に頑張ってくれた君に対して、俺なりに何かしたかった。君が喜ぶ事が思い浮かばない俺のミスだ」 「ち、違うんです。速水さんのミスとかそんなんじゃないです。私が……、私が子供だから……。欲しいものとか、何も浮かばないし、多分速水さんが私ぐらい の年齢の子にリクエストして欲しいブランドの名前とかも一つも知らなくて、何にも知らなくて……。それが凄く恥ずかしくて、それでつい……」 俯いていると、真澄の指先がマヤの髪を耳にかけた。 「君らしいな」 そう言って、あの時々見せてくれる、この上なく穏やかな表情で笑った。 「このディナーは凄く嬉しいです。もう、今年のクリスマスはこのまま終わりだと思ってたから、思いがけなくて、凄く嬉しいです。お腹もめちゃくちゃ空いてたし。連れてきて下さって、ありがとうございます」 やっと素直にそう感謝の言葉を口にする事ができた。 ようやく素直になる魔法が効いたマヤの口は、そうして次々と出てくるコース料理をよく食べ、そしてよく喋り、そしてよく笑った。2025年で一番の幸せを感じるほどに……。 ソリを引くトナカイを模した飴細工が飾られたデザートプレートを前に、マヤはしばしじっとその皿を見つめる。これを食べたら、この魔法のような時間は終 わるのだろう。そもそも、あの速水真澄とこうしてクリスマスの夜に二人きりでテーブルを挟んで、ディナーを食べるなんて、ありえない奇跡なのだ。 なんとか乗れた飛行機で隣の席になる奇跡、そしてこうして二人きりでクリスマスの夜に笑い合う奇跡、恋人でも大切なパートナーでもない、ただの所属の一女優に過ぎない自分がそんな奇跡を得る確率はどれぐらいあるのだろう。もう一生、こんな夜は来ないかもしれない。 そう思うと、マヤの中でもう少しだけ真澄に気持ちを伝えたい欲が湧き上がる。 「今日、空港でずっと待ってる間、本当は凄く心細かったです。どこにも行けない場所で何時間も閉じ込められて、動けなくて、約束の時間だけが過ぎていっ て、自分が世間からずれていくみたいに、女優になる代わりに、自分は色々な普通な事に間に合わなくなって、少しずつ友達とかからも離されて、いったいどこ に行くんだろうって、そんな気持ちになってました」 あの繰り返されるファイナルコールの中、自分だけがどこにも呼ばれない、どこにもたどり着けない、そんな気持ちになっていった。 「でも……、速水さんが来てくれて、あなたの顔を見て、本当は凄くホッとしたんです。生意気な事言って、うるさくしたけれど、本当は凄くホッとしてた。凄 く嬉しかった。沈む一方だった私をそこからすくい上げてくれるみたいに、この人が隣にいるなら大丈夫だって、映画のヒーローみたいでした」 揺らめくローソクの炎の向こうで、真澄はじっとマヤの話を聞いてくれている。 「いつもそうですよね、そうやって最後の最後で、あたしの事、助けてくれましたよね。全てを失って公園で泣いていた時も、あなただけは私の事を見捨てな かった。子供だったので、あなたのそういう厳しくもある優しさに、私反発してばかりでしたけど、今になってようやくそういう種類の優しさに気づけました。 本当に……、今までありがとうございました」 そう言って、首を折るようにしてマヤは頭を下げた。ともすれば涙がこぼれ落ちてしまいそうだったが、泣くのは違うと思って、なんとか耐えた。 「まるで別れの挨拶みたいだな」 「え?」 「俺はこれから君にふられるのか?」 おかしな事を言う真澄の顔を、絶句したまま、マヤは見つめ返す。 「この一年、君を無理やり大都の所属にして囲い込んでからも、いつか君を誰かに取られるんじゃないか、それとも君が俺にも大都にも愛想をつかして出ていく んじゃないかと、気が気じゃなかった。仕事の面では何とか君を囲い込んで、身動きを取れないようにして縛り付けておけたが、破談の後始末の余波が響いて、 俺自身の身動きが中々取れなかった」 真澄が何を言い出したのか、全く言葉の行く先が分からず、意味も分からず、そんなはずはない、と予想を打ち消す事に精一杯で、マヤは相槌すら打てない。 「ようやく今年中に色々なやっかいごとに片がつく目処がついて、君に会えると思った。札幌で最後の仕事の一つを片付けていると、君も同じく札幌で遅延に巻 き込まれていると知った。東京のデスクに頼んで、君のチケットと俺のチケットを両方、ファーストクラスの隣同士の席に変えて貰った。俺のほうは仕事の終わ りがギリギリだったから、実は何度もファイナルコールで名前も呼ばれていた。君は全く気づいていなかったようだが」 そこで真澄は思い出したように少し笑った。 後ろを振り向いて、オーナーに対して何かの合図を出す。待っていたかのように、うやうやしくそれは運ばれてくる。 「待たせて悪かった。俺が紫のバラのひとだ。ずっと君にこれをいつか渡す事を待っていた」 目の前に差し出される紫のバラの花束に、マヤは両手で口元を抑える。ともすれば、心臓が飛び出してしまいそうになりながら。 「そして、ずっと君を愛していた」 席を立った真澄が、紫のバラの花束を差し出しながら、マヤの足元にひざまづく。 「これ以上待たせられないと思っていた。ファイナルコール、俺は間に合ったか?」 そう言って、万もの想いを込めてこちらを見上げる真澄に対して、溢れる涙を拭うことなく、マヤは紫のバラの花束ごと抱きつく。 「紫のバラのひとっ……、ずっと待ってましたっ!!」 嗚咽の塊を飲み込みながらそう言葉にする。 「それから……、私も速水さんの事、ずっと好きでした。ほんとに好きでした」 一瞬、手元の腕時計を確認した真澄が小さく笑う。 「23時59分、どうやらギリギリ間に合ったな。メリークリスマス」 ようやくお互いの想いを重ね合わせる事ができた二人の影が一つになり、ローソクの灯りが穏やかに優しく、二人を照らしていた。 2025 . 12 . 31 FIN
![]() あとがきてきな 今年もやらかしました。 ただいま、12/31 22:23 そろそろ横浜港の汽笛もなりそうです。 去年クリスマスバナを除夜の鐘とともに出した前科があったんですが、今年も同じ道を辿りました。 つーか、私こそファイナルコールじゃねーか(滝汗) 今日の夕方ごろ、正直、もう無理じゃねと思ったんですが、温泉もキャンセルして、ひたすら書きました。書きましたよ。 これでなんとか年越せそうです。 ネタは、今年の誕マスの打ち上げでなぎさんが ”ねぇねぇ、有名人とか芸能人とか、あと大物経営者とかもそうらしいんですけど、飛行機って最後に乗るらしいんですよ” という提供からです笑 そっからガーーーーーってJALのファーストクラスとか、色々調べて、大体こんな感じ?とか妄想して書きました。 タイトルをラストミニッツにするか、ファイナルコールにするか悩んだんですけど、ラストミニッツだと最後のギリギリ価格の値下げチケットみたいやなと、ファイナルコールにしました。 その昔、ドイツで学生してた頃、しょっちゅう呼ばれる人でした(恥) 仕事ができそうな雰囲気のシャチョーを書くのは楽しいですね。 それからキャンキャン噛み付いては、あんなこと言わなければ良かったとシュンとするマヤちゃんも、定番ですが大好きです。 いつも、少しだけ”その年を感じさせるキーワード”を入れるのが、現代のマスマヤを書いてる感じがして好きなんですが、 ・令和を代表する女優 ・パパ活 あたりを入れ込みました。へへ。 これが2025年最後のマスマヤのお話になります。 今年も干からびつつも、WEB・同人誌ともに、いくつかお話を残す事ができました。読んで下さる方がいらしてこそです。 1年間お世話になりました! 励みになります!
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