福 は 内


 

 豆を踏んだ。

 突然の足の裏に感じた、何かを踏んでしまった感触に驚き、潰れかけたそれを手に取り、真澄はしばし考える。

(いったいこれは何だ? どこから出てきた?)

 しばらくして、それが数日前にマヤが投げた節分の豆だったと気づく。その後、掃き集めたつもりだったが、見逃された一粒が家具の下からでも出てきたのだろう。

 思わず、そのひと粒の豆をじっと見ていると、あの日のマヤの張り切り具合が蘇り、なんとも言えない笑いが込み上げてきた。











「鬼は〜そと!」

 盛大にマンションの窓を開け放ち、夜陰に向かって豆を投げると、今度は振り返って、

「福は〜うちっ!」

部屋の中に容赦なく豆をばらまく。リビング、寝室、真澄の書斎、はたはトイレや浴室まで全ての部屋に豆を撒いている。隠しきれない若干呆れた真澄の様子が、引いているふうにでも見えたのだろう。

「後でちゃんと掃除するから心配しないで下さい。それより、しっかり鬼は追い出しておかないとダメだし、福は取り込んでおかないと、大変な事になるんですから!」
 
 一歩も譲らない様子でマヤがそう言うので、真澄は諦めて、ソファーに腰掛けたまま静かにグラスを傾ける。
 付き合いきれないとでもいうふうに呆れた振りをしてはみても、本当はこれが幸せなのだと分かっている。



 全ての煩わしい出来事を乗り越え、こうしてマヤと過ごせるようになって半年になる。
 紅天女の後継者として選ばれた後、自然な流れで大都芸能にも所属させ、そして仕事の上だけではなく、こうして自分のそばにいる事をマヤは選んでくれた。
 多忙な中でもこうして週に数回は、速水家を出て真澄が一人で住む部屋へとマヤが来ることで、一緒の時間を過ごせている。
 自分の部屋でマヤが節分の豆まきをしている目の前のこの光景は、どう考えても、ほんの一年前には想像すら出来ない幸せな状況と言えるだろう。グラスの中の氷を揺らすと、伏し目がちに笑う。

「ほら、速水さんもやらないと」

 物思いに耽っていると、そう言って、無理やり豆を握らされる。

「いや、俺はいいだろ」

「いい訳ないです。ちゃんとこういうのはやらないと!」

 グイグイと手を引っ張られ、鬼退治に駆り出される勢いだ。

「豆まきなどしたことない。君がやってくれるなら、それで十分だ」

 真澄のその言葉に驚いたように、真澄の腕を強く引く手から力が抜け、真澄の身体は反動で再びソファーに沈む。
 
「やったこと……ない? 豆まきを?」

 衝撃のあまりなのか、マヤは口元を押さえながら、そう口にした。大げさすぎるだろうが。

「速水家に来る前はやったかもしれないが、昔過ぎて記憶にない。速水家に来てからは、確実にやってない。そんな事をやる家ではないからな」

 何でもないように言ったつもりだが、節分の豆まきの経験がない人間がこの世にいるなど信じられないとでもいう目で見られる。

「ダメじゃないですかっ!! だから色々大変だったんですよ!!豆まきやらないなんて信じられない」

 とんでもない剣幕で怒られる。あまりのマヤの真剣さと真澄にとっての豆まきの認識が結びつかず、思わず笑い出しそうになるが、そんな事をしたら、今度こそ口をきいてもらえないほどに怒られそうだと、咳払いをして真澄は何とか誤魔化す。

「はい、じゃぁ、せめて年の数だけ食べてください。あ、プラス1なので、33+1で34個、はい、食べてください」

 そう言って、さらに大量の豆を手のひらに追加される。

「豆を食べるのはいくらなんでもこどもの話だろ。34個も食べさせられる大人がどこにいる」

「ダメです。今まで食べてなかったんですから、せめて今年からだけでも、ちゃんとしないと」

 絶対に譲らないとでもいうように、ソファーの前に仁王立ちになったマヤに圧をかけられ、真澄は仕方なく一粒一粒、豆を口にする。

「そうです、それでいいんです。お酒のつまみのアーモンドと変わらないですよ。絶対全部食べて下さいね!」

 真澄が観念したように黙して食べる姿に安心したのか、隣に座ったマヤも、豆を食べ始める。おそらく、同じように年の数だけ何の躊躇もなく食べるつもりだろう。

「小さい頃、私ほんとに鬼が怖くて、豆まきしないと鬼が部屋に入って来ちゃうって信じてて」

 豆を食べながら、そんなふうに幼少期の思い出話を始める。

「本来は鬼って、病気とか厄害っていう概念らしいんですけど、小さかったから、ほら、テレビでみたなまはげとかのイメージで鬼がヅカヅカ入ってくると思い込んでて」

 笑いながら、また一粒楽しそうに豆を口に放り込む。

「これからは私が豆撒いてあげますから」

 そう言って最後の一粒を放り込むと、満面の笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。

「速水さんの人生、嫌なものや怖いものは全部外にいって、これからは福ばっかりきますから!」

 根拠のない自信ほど、この世に強いものはないと真澄に確信させるような揺るぎの無さでそう言い切る。

「……それはプロポーズの返事か?」

「え?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。豆だけに。

「君が毎年、豆を撒いてくれるという事はそういう意味じゃないのか?」

 こちらが申し訳なくなるほどに、想定外だとでもいう様子ですっかり固まっている。

「え……、撒くのはいいですけど……。豆まきのために結婚することないですよ。豆はこれからも撒いてあげますから」

 こうして、何度目かのプロポーズはまたしてもまさかの不発に終わった。












 胸につまる想いで飲み込んだ豆の味を思い出しながら、一粒見つけた豆を手に、真澄はベランダにでる。
 2月の夜の空気が冷たく頬を刺す。
 マンションのベランダの真下には隣接する公園の植栽が、真っ黒な深淵の口を開けるように広がっている。

「鬼はそと……」

 ボソリと呟くようにそう言って真澄は振りかぶるが、真下ではなく真横に向かって、手首を急角度で曲げると、豆を放った。
 ガラスに豆が当たる音が響き、数秒遅れで、カラカラとサッシ窓の開く音が隣からした。

「今、なんか投げました?」

 隣のベランダの仕切りから、ひょっこりとマヤの顔が覗く。

「豆だ」

「は?」

 意味がわからないとでも言うように、眉間にシワを寄せている。

「部屋から出てきた。節分の豆だ。君が盛大に巻き散らかした残りが家具の下から出てきたんだろ」

 少しだけマヤの目線が泳ぐ。数日前のあの豆まき騒動を思い出しているのだろう。

「それで、なんでこっちに投げたんですか?」

 一瞬納得しかけた視線が、いやいや、こちらに投げたのはなんでだと再度食いついてくる。

「鬼は外なんだろ? 投げたら、君が出てきた。君は福なんだろ。だから出てきた」

「へ、屁理屈ーーー!!」

 大声ではあるが、怒っている訳ではないのが分かる。
 大都芸能に所属させた直後、セキュリティーを理由に「大都芸能所有の寮のようなものだ」と適当な事を言って、半ば無理やり白百合荘からこのマンションに 引っ越させた。勿論、こんな港区のタワーマンションの一室が寮である訳などないし、隣に真澄が住んでる事も言わなかったので、酷く驚かれ、文句も言われ た。それでも強引に同居まで一気に持ち込まなかっただけ、自分はよく我慢したと真澄は思っている。

「いいから、こっちへ来い」

 呼ばないと、絶対にマヤからはこちらに来ないのがいつももどかしい。

「めちゃくちゃ強引!」

「隣にいるのに、一緒にいないほうがどうかしてる。隣にいるぐらいなら、ずっとこっちで一緒にいればいいだろ」

 11も年上の男の発言とも思えず、自分でも呆れるが、二人の間を隔てるベランダの塀が、なぜかそれを言わせる。何度もプロポーズを断られる事に、いい加減、嫌気がさしていたのも事実だ。

「飲んでます?」

 案の定手元のグラスの中身を疑われるような事を言われる。

「飲んではいるが酔ってはいない。このぐらいで俺は酔わない」

 酔ってない、は酔っ払いの常套句だが、真澄の場合は本当に酔っている訳ではないから事実を述べたまでだ。

「嫌な事は外にだして、幸せな事だけ中に入れてというなら、君がここにいないほうがおかしいだろ。俺にとっての幸せは君だけなのに」

「わたし?」

「そうだ」

 少しだけ間ができる。二つの隣り合うベランダを二月の凍てつく外気が満たすだけの沈黙。

「いるだけでいいの?」

「いるだけでいい」

 一切の迷いなく、真澄はそう断言する。

「あと、毎年豆まきはして欲しい」

 少しの間のあと、

「わかりました」

マヤがそう静かに答えると、再びサッシ窓がカラカラと閉まる音がした。

(これで終わりなのか? 何を考えているのか全くわからないな)

 一人取り残されたベランダで

「何が『わかりました』なのか、こっちはサッパリわからないだろうが」

と独りごちて苦笑する。
 その時、再びサッシが開く音がする。何かをベランダで探しているような気配。

「あ、あった!」

 マヤはそう呟くと、

「鬼は〜そとーー!!」

大声でそう叫んで、真澄が先程、そちらの窓ガラスに当てた一粒の豆を夜陰に放った。
 まるで真澄の中で最後まで燻り続けた不安の一欠片が永遠に消えていくかのように、放たれた豆が放物線を描きながら、闇に吸い込まれていく様を見守る。

「私が毎年しますから、豆まき」

「あぁ……」

 その言葉が持つ奥行きを二人で図るような間ができる。

「これから福がそちらのお部屋にお邪魔します」

「どうぞ」

 更に少しだけ間ができる。
 放った言葉が言葉だけの意味よりも深い意味の膨らみを帯びるまでの時間。

「その福はずっとそちらに居座って、出て行かないつもりですけど、いいですか?」

「願ったり叶ったりだ」

 走り出す足音。
 すぐに部屋のインターフォンが鳴る。
 自分にとって、この世の唯一の福が幸せのベルを鳴らしたかのように……。






2026 . 2. 5



FIN






あとがきてきな

”マヤちゃんが盛大にシャチョーの部屋で撒いた豆の残骸を、後日踏んで苦笑する”

というほんのワンシーンがずっと私の中にありました。
私は、過去の何かが、時を経て”今”に作用する、というシチュが好きなのですが、一粒の豆が、マヤが真澄様の部屋に残していった幸せの一欠片みたいで、なんかいいなって。
(類似品でポケットの中のどんぐり、があります)

でも、ずーーっと放置してたんです。
特に節分のお話を書きたい訳でもないし。

でも、50周年記念展に出かけ、社長回路がショート!!
書くしかねぇ、となりまして。

なんというか、こう、シャチョーを幸せにしてあげたいんですよ。本当に。せめて、私の手で。

そんなささやかな突発的なお話でした。











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