| 紫の行方 2
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マヤを乗せた聖の車は、青山の高級ブティックの前で止まった。
「え?聖さん?ここ…なんですか?」 聖はにっこり笑って、助手席からマヤの手を取って降ろす。 「あさっての審査発表のレセプションで、誰よりも主役のあなたに輝いていて欲しいという、あの方からの御希望です」 途端にマヤは胸が締め付けられる思いがする。嬉しくないわけじゃない。こんな高級そうなお店にあるドレスは、自分には勿体ないほど素敵に違いない。それを着て紅天女の発表を待つのも、きっと素敵に違いない。でも、自分が本当に紫の薔薇の人から欲しいのは、ドレスなんかじゃない。 (ああ、速水さん!あなたはまだ名乗りでてくれない上、贈り物ばかりして、私を困らせるのね) 困惑と悲しみと戸惑いを足して3で割ったような笑みが、マヤの顔に浮かぶ。聖はそれを確認しながらも、 「さぁ、参りましょう。とびっきりのドレスをお姫様にお選びするよう仰せつかっております」 と陽気にマヤの肩を押して、ブティックの中へと入っていった。 「うわぁ、これも素敵。私じゃないみたい」 深紅のロングドレスは大胆に胸元をカットしてあるデザインで、これぞ女優!という雰囲気を醸し出していた。 (確かに美しい) 聖はそう思いつつも、清純でまだあどけないイメージのマヤには、少し早すぎる気もした。何より、真澄の好きなマヤのイメージから、かけ離れていると思われた。 「マヤさま、これなんかはどうでしょう」 真っ白な純白なドレスを聖が差し出そうとしたとき、すでにマヤは別のドレスの試着にかかっていた。今度は黒のカクテルドレスらしい。首の後ろで結ぶデザインのそれは、大胆に背中が全開になっており、嬉しそうにはしゃぐマヤとはどうみても釣り合ってない気がした。はしゃいでいながらも、きっとマヤもわかっているのだろう、 「でも、これじゃぁきっと誰も私だって気が付かないわね。ふふ。こういうドレスはきっともっと大人っぽくて、背なんかももっとぐーっと高くて、モデルさんみたいにキレイな人に似合うのよね。私が着たら、ドレスが歩いてるみたい」 と、聖に口を挟ませる間もなく、また試着室に戻ってしまった。 (紫織さんだったら、きっとこんなドレスも着こなせるんだろうなぁ) と思い、はっとして鏡の中の自分と目が合う。 (そういう考え方、かわいくないぞぉ。ダイジョウブ、私に似合うドレスもきっとある) なんとかそう言い聞かせる。実のところ、マヤは困っていたのだ。聖が連れてきてくれたこのブティックはたしかに最高級品揃いの文句ない店だったが、どれもこれも自分にはとても着こなせない代物に思えるのだ。はしゃいだふりをして、敢えて絶対に似合わないであろう種類のドレスを、さっきから着てるのもその照れ隠しだった。似合いそうと思って着たドレスさえも、自分は着こなせないんではないか、とさっきから聖の出すドレスを無視してるのである。 しかし、いつまでもこんなことをやってる訳にもいかない。次のドレスは子供っぽいデザインで行きますか。そう思って、試着室を出た途端、店員が奥から出してきてくれた薄紫色のドレスに心奪われた。 「き、れい…。」 思わずこぼれ落ちたため息とともに、その薄紫の絹に手を触れる。サラサラと美しい手触りがした。 「こちらのドレスだけサイズが小さいんです。こんなに細い小柄な方もそうそういないから、ともうメーカーに返品しようと思っていたんですよ。でもお客さま、とっても華奢でいらっしゃるし、何よりこのお色がぴったり」 店員はそういって、鏡の前でマヤにドレスをあてがった。聖はやっと探していたパズルが合わさったような思いで、マヤを見つめた。 「マヤさま、大変お美しゅうございます。あなたにはやっぱりそのお色がお似合いですね」 まぶしそうに見つめる聖の視線に照れながら、 「あの、きっとこれで最後だと思うんで、急いで試着してきます。お待たせしちゃってごめんなさい」 そういって急いで試着室へとマヤは消えていった。そんなマヤの様子を聖は心からかわいいと思った。 マヤが試着室から出てくるまで、聖はゆったりとソファーに身を沈め、長らく仕えてきたこの二人の関係に、もうすぐ終止符が打たれることを憂鬱な気分で考えていた。それは長い間二人の間に立って、それぞれの思いを側で見てきた者として、同じように身を切られる思いがした。 (このままで終わらせてはいけない。きっとまだ手段があるはずだ) そう思いつつも、どうやったらあの頑ななまでに、また心を閉じようとしてる真澄に、心を開かせることができるのか、名案という名案はすぐには浮かばないのである。 (もし、手段があるとすればそれはやはり…) 「聖さん見て、見て!」 薄紫の絹を纏ったマヤが、少し照れながら出てくる。その笑顔の上に自らの確信を重ね合わせる。 (この美しい少女、いえ天女であるこの方しかありえないでしょう) 薄紫の美しい衣擦れの音が心地よいそのドレスは、華美すぎず、非常にシンプルなラインでありながら、背中の大胆なカットが主役への華やかさを十分満たしていた。細いスパゲッティーの肩紐が、華奢なマヤの肩を強調し、誰もがその肩を抱きたいと思わせる、儚さと色気があった。胸元にはたっぷりドレープがよっているため、アクセサリはシンプルなダイアのチョーカーなどが相応しいように思われた。 (次はジュエリーショップに行って……) と聖が頭の中で道順を思い浮かべていると、 「ねぇ、ねぇ、聖さん。靴はやっぱり、これくらいのヒールを履かなきゃよね」 と、得意げにピンヒールを履いた足を突き出す。 「とても素敵ですね。よくお似合いです。でも発表後はパーティーもありますし、かなりの長丁場になりますよ。あまり高いヒールはお疲れになるかと」 似合わない、とはっきり言わず、優しい気遣いで大人の靴を諦めさせる聖の心遣いが嬉しかった。 「それもそうね」 と素直に従い、少し低いヒールのバックストラップの白いパンプスを合わせることにした。それでも普段ヒールなど履きなれてないマヤにしてみれば、十分な背伸びで (うーん、今日帰ったらと明日1日、家のなかでもこれ履いてなきゃ、絶対パーティーでこけちゃうわよ、私) などと思ってるのであった。 バックにアクセサリー、おまけに香水なども選んでいたら、あっというまに日は暮れてしまった。荷物をトランクに押し込み、再び車の中に戻ってくると、お約束の効果音が響き渡る。 ぎゅるるるるーーーーーー 真っ赤になってマヤは俯く。 「あ、あ、あの、なんか私ハッスルしすぎちゃったみたいで…。あ、そういえば、お昼も食べてなかったしぃー」 しどろもどろに言い訳をするマヤを、遮るように聖も言う。 「ええ、私ももうお腹がすいてそろそろ限界でした。なにかおいしいものを食べにいきましょう」 「はい!」 真っ赤になりながらも、嬉しそうに返事をするマヤを見て、真澄がこの子となら自然体でいられる、と言ったわけがわかった気がした。この笑顔を見ると、自分も自然と心が安らぐ思いがするのだった。 ![]() 「乾杯!」 アペリティフのグラスを合わせると、まっすぐマヤの瞳を見つめ、聖は呟いた。 「未来の紅天女に!」 「え、やだなぁ、聖さん。私、紅天女なれないかもしれないんですからねぇ」 「未来の紅天女はあなたの手の中にありますよ。僕が保証します。いえ、僕だけじゃない、あの日、あなたの紅天女を見た誰もが、そう思っていますよ。なんといっても、本物の紅天女を見てしまったのだから。あなたの代わりは誰も出来ません」 誉めすぎとも思われる、聖の言葉にマヤはすっかり恐縮して照れてしまう一方、試演後、 (もう終わってしまったのだから、どうしようもない。後は結果を待つだけ) という不安な心持で過ごしていたのも事実だ。素直に嬉しかった。 「ありがとうございます、聖さん…」 アペリティフの小さなグラスを両手で弄びながら、マヤは続ける。 「紫の…、紫の薔薇の人もそう思ってくださってるでしょうか?」 すがるような瞳で見つめられ、思わず聖の鼓動が早くなる、悟られないよう、極めて丁寧に答える。 「ええ、勿論ですよ。誰よりもあなたの紅天女を望んでいるのは、あの方なのですから」 「そう…でしょうか?」 しばしの沈黙のうち、意を決したように、マヤは喋りだす。 「聖さん、あなたはとっても優しくて、紳士で、私に親切で私を傷つける全ての事から、私を遠ざけようとしてくれる。私は何度と無くあなたのその優しさに守られて来ました。紫の薔薇の人への感謝とはまた別の意味で、私、あなたには言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。でも…」 思わぬマヤからの告白に、心が温かくなるような思いがすると同時に、何かマヤが抜き差しならぬことを言い出す気がして、緊張した表情になる。 「マヤさま?」 「聖さん、もう、本当のことを教えて下さってもいいのではないですか?紫の薔薇の人が誰かとは聞きません。でも、答えてください。紫の薔薇の人は、もう私に薔薇を贈ってくださる事はないんではないですか?」 あまりのことに、聖は一瞬声も出なくなる。しかし、ここで悟られてはいけない。瞬時にして再び笑顔を浮かべ、 「なぜ、そんなことを思うのです。マヤさま、あの方はいつでもあなたのことをお考え…」 「嘘っ!!」 マヤは聖の一瞬の戸惑いの表情を、見逃さなかった。 「聖さん、優しい嘘は真実より痛いんです。ホントのことを言って。今日のこれは、紫の薔薇の人からの最後の贈り物?」 これが、普段聖が相手にしている、仕事の相手であれば、顔色一つ変えずにいくらでも猿芝居を続けることが出来たはずだ。しかし、マヤを相手に、この小さな少女を相手に、自分を最後の頼みの綱であるかのようにすがり、覗き込んでくる無垢な瞳に、これ以上の嘘はつけなかった。それでも、決定的な言葉を与える勇気のない聖は、質問に質問で答え、逃げた。 「何があったのですか?あなたの中で何が変わったのですか?何を持ってあの方を信じられなくなったのですか?」 「聖さん、あなたは、私の紅天女を見て、『そこに本物の紅天女がいたから』とおっしゃってくださいましたよね。それなら、私も言わせて頂きます。私の紅天女が本物であったとしたら、その理由はただ一つ、そこには本物の紅天女の恋があったからです。あんな演技はもう2度と出来ないかもしれない。あれは私の全てでした。私の紫の薔薇の人への思い全てがあの舞台にはあったのです」 震える声で、それでも感情の高ぶりを抑えることが出来ず、マヤは一気に吐き出す。 「それに対するお返事は、真っ白のカードでした。拒絶の言葉さえ吐けないあの人は、もうこれ以上何も与えないことによって、私を諦めさせようとしてるのではないのですか?」 10分前とは明らかに変わってしまったテーブルの上の空気。沈黙だけが横たわる。 「何か言ってください、聖さん!!」 押し黙っている聖を見かねて、思わずマヤが声を荒げる。瞬間、静かな空気が流れるレストランの中で、マヤの叫び声だけが不自然に切り取られる。 「あ、ご、ごめんなさい。私、かーっとなっちゃって、つい……」 周りを気にし、マヤが恐縮する。 止まっていたナイフとフォークを再び動かしながら、更に小さな声でマヤは続ける。 「ごめんなさい。私、ずるいですよね。責任のない聖さんを責めて。悪いのはあなたじゃないのに。でも、私、もう答えのない壁の前で、いつまでもたたずむの、嫌なんです。拒絶でもいいから、最後に紫の薔薇の人の人間らしい言葉を聞きたかった」 まるで、もう済んでしまったことを振り返るかのように、流れていくものを見送るように、寂しそうにポツリと呟いた。これ以上黙ってはいられないと、聖も搾り出すようにゆっくりと、言葉を選びながらマヤの瞳をみつめる。 「事情が、事情があるんです。今のあの方は、あまりにも多くの問題を抱えすぎているのです。御自分一人の犠牲では済まない、多くの人間の問題が全てあの方の両肩に…。あなたに手を差し伸べたくても、御自分の手を動かすことさえ、今のあのお方の自由にはならないのです」 マヤは聖の言葉を一言一句聞き逃さぬよう、言葉の一つ一つを噛み締めながら、食い入るように聞き入った。その聖の言葉で納得すれば良かったのかもしれない。嘘でもいいから、 (今は答えが出なくとも、いつか答えの出る日がくるのかもしれない) とかすかな希望を未来に残して、ここは大人しく下がったほうが良かったのかもしれない。自分が真澄への愛を紅天女の無償の愛になぞらえ、何も求めないと心底思うなら、なぜ真澄の答えを求めるのか。 全てを諦めるには、あまりに自分は幼すぎたのかもしれない、俗物的すぎたのかもしれない、所詮自分は舞台を降りてしまえば、紅天女なんかではなく、ちびでドジで何の取り柄も無い、つまらない女だからかもしれない。 余計な一言を発してしまう。 「私よりも大切にするべき人が現れたからじゃないですか?一生を共に過ごすにふさわしい人が、現れたからではないですか?私はもうお払い箱の、邪魔な女だからではないですか?聖さんや紫の薔薇の人が思ってる以上に、私は紫の薔薇の人のこと、知ってるんですよ!!」 「マヤさま!」 聖の手が、力いっぱいマヤの手を握る。その細い手首が手折れるかと思うほどの強さで。驚きのあまり、痛みを感じることも忘れたマヤに、厳しい顔で聖が告げる。 「あの方のことをそのように思うのは、あの方の思いをそのように捻じ曲げるのは、例えあなたでも私は許しませんよ」 その瞬間、痛さに顔を歪めたマヤにはっとし、聖は手首を離した。 「失礼いたしました。お許しくださいませ」 「いえ、私のほうこそ、余計なことを言いました。気分を悪くさせてしまってごめんなさい」 そのまま、二人は静かに、気まずい空気を噛み殺すように、食事を終えた。 ![]() 聖の車がマヤのアパートの前につくと、トランクいっぱいの荷物を出しながらマヤは言う。 「あの、今日は本当に、ありがとうございました。こんなにいっぱい良くして頂いて、申し訳ないです。あの、私にいまさら出来ることはそんなにないけれど、あさって、紫の薔薇の人にも恥をかかせないよう、綺麗にして堂々と会場に行きますので、そのように…紫の…薔薇の人にも…お伝えください…」 最後は消え入りそうな声になってしまう。 「ええ、お伝えいたします」 「あ、あと…。もし、もしも、もう1度私に紫の薔薇を下さるような事があるなら、私が紅天女に選ばれて、そのお祝いに薔薇を頂けるのであれば、例えそれが最後であってもかまわない、でも白紙のメッセージだけは…、白紙だけは嫌なんです…。拒絶の言葉でも、どんなに冷たい心無い言葉でもいい、なにか一言添えて下さるよう、お願いして下さい…。最後に本当の言葉を…聞かせて下さい、あなたが誰であっても決して私は後悔しない、とお伝え下さい…」 消えそうな震える声で、それでもはっきりとマヤは頼んだ。 「わかりました。必ずお伝えしますよ」 「聖さん、今日は本当にありがとうございました。デートみたいで楽しかったです」 俯きがちにそこまで言うと、大きな荷物を両腕にしっかりと抱え、玄関へと走っていった。 ![]() 高速を飛ばし、真澄のもとへと向かう車のなか、聖は今日のマヤのいくつかの言動を思い起こす。それらをいくつも繋ぎ合わせ、繰り返し思い出すことによって、沸々と沸いてくる疑いようのない確信。 「マヤさまは紫の薔薇の人が誰か知っている!」 この恐るべき事実に、アクセルを踏む足に力がかかり、車は夜陰に乗じて、ますますスピードを上げていくのだった。 11.22.2002 ![]() |
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