04 遊園地
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" 地上より愛を込めて 1" written by 杏子 |
「君、車線を変えたらどうなんだ、出来るだけ急げと言っているだろう!」
言いがかりに近いほどの乱暴さで、真澄は運転手を怒鳴りつける。普段、決して自らの運転に対して、口を挟むこともない 真澄のその尋常ではない様子に、運転手は震え上がる。けれども、どれほどアクセルを踏み込もうとしたところで、 目の前に続く渋滞の波が途切れることはなかった。 真澄はたった今切ったばかりの携帯電話に再び、手を伸ばす。 「それで、何か変わったことは?まだ、どうにもならないのか?」 苛立ちも腹立たしさも、全く隠すことなく、そのまま声に細かい棘をふりかけたような声で真澄は言う。 「一分前に真澄さまに申し上げましたことの繰り返し以外に、わたくしが申し上げられることはありません。 北島マヤはまだ観覧車の中です。復旧の見通しも立っておりません。けれども、今すぐ身に危険が及ぶような状態でもありません。 少し、落ち着いてくださいませ」 そう電話の向こうで水城の声がたしなめるように聞こえたが、それらは真澄を落ち着かせるどころか、余計に苛立たせるだけであった。 「もういい!」 それだけ言って真澄は電話を切ると、乱暴に携帯をシートの横に投げると、自身も深く、黒い革張りのシートに頭を沈めた。 「よりによって……。なぜ、あんな奴と……!」 疲労と緊張から、割れるように頭が痛む。真澄はきつく目を閉じると、疲れきった目の筋肉をほぐすように、左手の人差し指と親指で まぶたの上を軽く押さえた。 『北島マヤが、遊園地の地上100mの観覧車の中に閉じ込められた』 それが、今朝出社した真澄を襲った、朝一番のニュースであった。 眩暈がした。 事件はマヤが現在出演中のドラマの野外ロケにて起こった突発的なものであった。すでに、観覧車のワゴンの中での撮影を 終え、続いて二人が乗り込むシーンのカットのために、ちょうど主演の二人が二人きりでワゴンに乗り込み扉が閉められたところで、 カメラは止まっていた。あとは、二人を乗せたワゴンが戻ってくるのを待って撮影は無事終了のはずだったのだが、なんと そのワゴンがちょうど一番上に到達したあたりで、事件は起こった。 もしも、マヤ一人が閉じ込められたのであったとしたら、いや、他の誰でもいい、もっと別な人間と閉じ込められたのであれば、 真澄としてもこれほど苛立ちと見苦しい興奮を強いられることもなかったであろう。 細かな動揺が指先に伝わり、タバコに火を点そうとする指が震え、真澄は何度もライターを擦る。 ――里美茂。 マヤのドラマの相手役であり、そして今この瞬間、地上100mという真澄の手の届かない密室という場所で、 ともに非常事態に晒されている相手である。 紅天女の上演権獲得と同時に、大都芸能への所属が発表されたマヤではあったが、所属事務所の社長と女優という 関係以上のものが二人の間にあることは、ごく身近なもの以外、まだ知るところではなかった。 電気系統の故障であることや、おそらくすぐに復旧するであろうという楽観的な見方をするものがほとんどで、比較的落ち着いた反応 を示す関係者一同のなかで、真澄の取り乱しぶりは冷静沈着で通っている普段のその姿からあまりにもかけ離れ、誰もが驚く。 ――ただの所属女優一人に、何をそんなに取り乱すのか? 口にこそは出さなかったが、誰もの脳内に疑問符が飛ぶ。 「会議も、打ち合わせも、全てキャンセルだ。問題のテーマパークにこれから行く」 それだけ言い捨てると、水城が頭を抑えて何か言おうとするのも無視し、真澄は社を飛び出した。 思いが通じる前は、決して手に入らないものを、自分のものでもないと言うのに、誰にも取られたくなくて、いつかは訪れるであろう 決定的な未来をひたすらに恐れていた。 思いもかけずに気持ちが通じ合ったあとは、誰にも触れて欲しくない、誰の目にも入れて欲しくない、そんな狂ったような思いから、 見えない檻に彼女を閉じ込めたくなった。 結局のところ、気持ちが通じる前も、そして今も、嫉妬と独占欲に押しつぶされそうなその姿は少しも変わっていない。 ようやく火のついたタバコをふかしながら、真澄は自嘲的に笑うと、瞼を閉じて首を左右に振った。 ほとほと、重症だ……。 今だって、マヤの身を案じることと同じぐらいの重さで、密室にマヤと二人きりで閉じ込められた里美に対して、嫉妬している。マヤを 信じていないわけでは決してないのに、この非常事態にマヤのすぐ側で支えてやれるのが、自分ではなく里美だということに、猛烈に腹が 立ってしまうのだから、どうしょもない。また、嫌な方向に回り始めた思考回路は、余計なことばかり考える。 突如、非日常的なシチュエーションに陥れられた人間の心理というのは、時に予想もつかないところへ走り出す。聞けば、里美は いまだにマヤにちょっかいを出しているなどという噂もある。マヤにしても、邪気などないにしても、今回のドラマの共演をまんざらでも ない様子で心待ちしている節もあった。 この緊急時に、一体二人の心にどんな変化がもたらされるか、例えばこのパニック状態のなかで 里美に口説かれれば、あの何も分かっていない無防備な少女は、すぐにコロっといってしまうのでは、などと子供じみたことまで真澄は 考え始めてしまう。 嫌になるほど、重症だ……。 ノロノロと動く車の列は、少しもそのスピードを上げることなく、真澄の行く手を阻む。 「もう1時間も経っちゃったね……」 やや曇った窓ガラスの向こう、園内の大きなデジタル時計に目をやりながら、マヤは言う。 眼下では、多くの人々が右往左往していて、その様は大きさもその様子も、まさに蟻の群のようだった。 初めのうちは、一瞬パニック状態に陥り、 取り乱したマヤではあるが、とりあえず身に危険が及ぶわけでもなく、また自力でどうにか出来る種類の問題でもないことを悟ると、 里美に言われるまま、じっと狭い車内のシートに腰掛けていた。 「マヤちゃんは、高い所は平気なの?」 向かいあって座っていても、膝がぶつかってしまいそうな狭さで、こちらに身を乗り出してきた里美に、一瞬動悸が上がる。 「え?あ……、高所恐怖症ってこと?それは平気かな。でも、ちょっとこの状況は、フツーに怖いけどね」 実際マヤは、ジェットコースターだろうとなんだろうと、高さが売り物のアトラクションに尻込みすることもなかったし、 ビルの屋上だって恐怖を感じるタイプではなかった。けれども、見下ろせば全てのものが豆粒のように見えるこの場所に、 いつまでも宙吊りにされているのは、決して心地いい状況ではなかった。 そして、先ほどからずっと酸素が足りないように息苦しいのは、 この状況、この狭い車内で里美と二人きりでいるからだ、とどれほどごまかしてみたところで、さすがのマヤも気づき始めていた。 「それは、残念」 不可解な里美の言葉にマヤは首をかしげる。 「残念って?」 「マヤちゃんがもっと怖がってくれたら、僕ももっと抱きしめてあげたり、色々出来たのに」 冗談を言っているだろうと見つめた里美の瞳が思いのほか、熱く、自分を覗き込むので、マヤは息を呑む。 「え…、あ、あの……」 言葉を失っている間に、里美が突然立ち上がり、重心を失った小さなワゴンは、不安定に揺れる。不安な表情のまま、マヤは里美を 見上げると、穏やかな表情で返される。 「君は本当に、昔とぜんぜん変わっていないね」 そのまま里美は視線を窓の外へとずらし、右腕を軽く窓ガラスにつき、窓の外にある答えを探すように言葉を選ぶ。 「僕は、こんなに変わったのに。いや、変わったつもりでいたのに、君はあのころのままだ。 あのころのあの瞳と声で、無邪気に僕に笑う。僕のことを好きだと言ってくれていた、あの頃と同じ笑顔を僕に向ける。 そんな顔をされたら、誰だって君の心に期待してしまう」 マヤは訳の分からない外国語を聞くような思いで、里美の言葉に必死でついていく。 (さ…とみくん?) 何度も瞬きをして、里美の横顔を見つめていると、ふいにその顔がこちらを向く。 「今でも僕が、君を好きだといったら、どうする?」 狭い車内で、ヒュっとマヤが息を呑む音が響く。 「ど…、どうするって……」 かろうじて乾いた喉から言葉がこぼれるが、それはなんの意味もなさないものだった。 「こういう言い方は卑怯だね。君を試してるみたいだ。ハッキリ言うよ。 僕は今でも君が好きだ。ずっと、好きだった……」 6.3.2003 |
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