15 シンドローム
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"恋愛症候群〜その発病ときっかけ〜" 3 written byきょん |
香水の香りを漂わせてその女性がマヤに尋ねた。 社長のことを「真澄様」と呼ぶなんて誰だろうと思いながら、マヤはマニュアル通りの返事をした。 「は・・はい。あの、失礼ですがどちらさまでしょうか?本日、社長とのお約束はおありですか?」 女性はちょっと小首をかしげてマヤを見つめた。 「あぁ、あなたは新入社員なのね。婚約者に会いにくるのにいちいちアポイントメントが必要なのかしら?」 婚約者・・・「しまった」顔から血の気が引いて何も言えないマヤを助けるように社長室の扉が開いた。 「これは紫織さん、わざわざおいでいただいて恐縮です。間もなく仕事も片付きますからどうぞ中で待っていて下さい。」 真澄はまだ青くなっているマヤに「大丈夫だよ」という目を向けて、紫織を伴って社長室の中へ消えていった。 社長室へ入ると真澄は紫織にソファーを勧め、机の書類を片付け始めた。 「真澄様、先ほどドアの外で真澄様の笑い声を聞きましたの。あんなに楽しそうにお笑いになる真澄様の声を聞いたのは初めてですわ。」 真澄の動きが一瞬止まったが、すぐに鞄の口を締めながら答えた。 「そうですか?僕はあのコと他愛もない軽口をたたいてただけですよ。さぁ、お待たせしました。つまらないこと言ってないで出かけましょう。今日の芝居はあなたも楽しみにしていたのでしょう?」 真澄が紫織を伴って社長室から出てきた。 マヤは「いってらっしゃいませ。」と言って二人を見送ったが、何故か胸の奥がチクッと針を刺されるように痛んだ。 「何で?何でこんな気持ちになるの?」 しばらくボーッと机に座ってパソコンの画面を見つめていたいたマヤだったが、そこへ水城が慌てて飛び込んできた。 「誰か手の空いている人、社長の忘れ物を届けてくれない?名刺入れを忘れてしまわれたのよ。」 とは言っても、秘書室はマヤ以外の人間は忙しく働いている。 一瞬、周りの視線が自分に注がれたような気がしてマヤは「アタシが行ってきます。」と椅子から立ち上がった。 「助かるわ。場所は大都劇場よ。わかるわね?はい、これが社長の名刺入れ。お芝居が始まると渡せなくなるから、会場が明るい内に急いで行ってきてね。」 マヤは水城から名刺入れを受け取ると、ハンドバック片手に大都芸能を飛び出し、地下鉄の駅へと急いだ。 大都劇場につくと予備ベルが鳴り、間もなく場内の照明が消されるところだった。 マヤは受付で社員証を見せて劇場の中に入れてもらったが、一番後ろの入り口からではすぐには真澄の姿が見つけられなかった。 やがて照明が消え芝居が始まってしまった。マヤは真澄を捜すことも忘れ、熱に浮かされたように立ちつくしたまま芝居に魅入ってしまっていた。 やがて芝居が終わり、劇場内の人影も少なくなった頃、まだ茫然自失の状態で舞台を見つめているマヤの肩を叩く者があった。 まだぼーっとしたままの頭で振り向くと、そこには真澄の姿があった。 「どうしたんだい?ちびちゃん。君は俺の忘れ物を届けにきてくれたんじゃないのか?会社に電話をしたら君はとっくに出た後だというし、事故にでもあったんじゃないかと心配したぞ。」 はっと我に返ったマヤは、慌てて真澄の名刺入れをバックから取り出した。 「す・・・すいません、社長!あたしったらぼーっとして、ついお芝居に魅せられて。本当にすいませんでした!!」 マヤは慌てて劇場から飛び出していった。 「どうしてだろう。まだ体中が熱い。あぁ、お芝居ってあんなに熱を持ったものなんだ。」 マヤは感動が消え去らないまま、知らず知らず今見た芝居のセリフを口ずさんで歩いていた。 翌日、マヤが出勤すると何やら秘書室が慌ただしい雰囲気に包まれていた。 自分の席に着くと、マヤはこっそりと亜弓に聞いた。 「ねぇ亜弓、どうしたの?なんか朝からバタバタしてるみたいだけど・・・」 昨晩もタレントと合コンだと言ってた割には元気な亜弓が、これも内緒話で答えた。 「ちょっとマヤ、昨日は何してたのよ。水城さん、アンタのことが心配で気が気じゃなかったんだから。この騒ぎはね、アンタが昨日行ってた舞台よ。大都所属の主演女優が自分が目立たないって理由だけで、今日から舞台降りるって言い出したんだって!何を考えてるんでしょうね、全く!大都芸能のお陰で主演させてもらえただけの演技力もない女優が、ベテラン俳優と張り合って勝てる訳ないじゃない!何が目立たないよ。聞いてあきれるわ。」 そういえば昨日の舞台、主演女優の陰は確かに薄かったような気がする。でもそれはセリフの量や演出の問題だけなんだろうか・・・マヤがそんなことを考えていると、水城が「北島さん、ちょっと。」とマヤを呼んだ。 「社長、随分アタマにきていらっしゃるようなのよ。あなた、このコーヒー持っていって社長のお相手をして差し上げて。あなたが行けば社長も落ち着くかもしれないわ。」 どうして自分が行けば社長が落ち着くのかよくわからなかったが、水城に言われるままコーヒーを持って社長室へ入ると、不機嫌を絵に描いたような真澄が机に腰掛けながらタバコをくわえていた。 マヤは触らぬ神に祟りなしといった感じで、「ここに置きますね。」と言って、コソコソと社長室を出ようとした。 部屋から出る間際、真澄を振り向いた。 「あの、社長。昨日の舞台、とってもステキでした。もう終わっちゃうなんてもったいないです。それで、代役は見つかったんですか?」 真澄は目だけでギロッとマヤを睨み付けた。 「見つかったら俺はこんな顔はしていない。一日や二日であの舞台のセリフと動きを覚えられる女優がどこにいるんだ!」 マヤはビクッと肩をすぼめながら、それでも意を決したように真澄に言った。 「アタシ・・・アタシなら昨日の舞台のセリフと動き、全部覚えてます。」 「なに?」 「自分でもよくわからないけれど、何故か全部覚えているんです。」 しんと静まりかえった社長室のドアの中を怪訝そうに水城が伺っていると、いきなりドアが開きマヤの腕を掴んだままの真澄が飛び出してきた。 「水城君、ちょっと北島君を借りるぞ!」 それだけ言うと、真澄はマヤを連れて足早に社長室を後にした。 何が起こったのかわからない水城と亜弓は、真澄に引きずられるようにして連れられていくマヤの後ろ姿をただ疑問符をたくさん頭に飛ばしながら見送っていたが、慌てて社長の後を追った。 5.10.2003 |
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