18 砂糖菓子
"5つのアーモンド"
written by まゆ
 引き出物がたくさん詰まった大きな紙袋をテーブルの上に置いて、やっと私はひと 息ついた。  
さすがに業界一の芸能社の社長の結婚式だ、という豪華さではあったけれど、会場 全体がなごやかな空気に包まれていて、とてもあたたかな披露宴だったな。  
マヤが泣いて泣いて……そのたびにあの速水社長が少し困ったような顔をして、そ れからとても優しい目をマヤに向けて、自分のハンカチであの子の涙を拭いてやった りしたものだから、鬼と呼ばれる仕事ぶりしか知らないような人たちは、見てはいけ ないものを見てしまったような顔をして驚いていたっけ。  

「麗、どうしよう……速水さんにね、結婚してほしいって言われたの……」  

マヤがそう打ち明けてくれた時、私は口では「おめでとう!」と言いながら、心の 中では違うことを考えていた。  
だって、相手はあの速水真澄だ。あの人の場合、結婚だって仕事抜きには考えられ ない。速水真澄の妻になるということは、大都芸能社長夫人、そしていずれは大都グ ループの会長夫人にもならなければならないわけで、マヤはとてもじゃないけどそん な立場をそつなくこなせるような子ではない。  
マヤとは長い間ともに暮らして、苦楽を分け合ってきた。親元を早くに離れたもの 同士、実の家族のように生きてきたのだから、それが一時的にはこの子を泣かせるこ とになっても、現実の厳しさを言ってやるのが本当の友情ではないだろうか。でも、 この子がどれほど速水さんを思っているか、気持ちが通じるまでにどれほど苦しんだ かをよく知っているだけにそれも酷に思えて言い出せない。そんな逡巡を繰り返して いたときだったな……速水社長に呼び出されたのは。  

あの時……大都芸能の社長室に入ると、速水社長は身じろぎもせず窓の外をじっと 見つめていた。  

「青木麗です。お話があるそうですが、どのようなご用件でしょうか」

 私も緊張してたのか、少し早口でそう言ったんだけど、速水社長は背中を向けたま ま黙っている。

 「速水社長?」

 もう一度呼びかけたら、こちらを向き直ったけど、私にソファを勧めるために右手 を差し出したときも黙ったままだった。そのまましばらく無言で向き合った後、やっ と速水社長が話を切り出した。  

「青木くん、わざわざ来てもらってすまなかったね。本当はこちらから出向くべき 用件なのだが……」  

その用件がマヤのことだということくらいは私にもわかってたから、いっそここで
「マヤに社長夫人が務まると本気で思っているんですか」
と詰め寄ってやろうか、と 思ったんだけど、私がそれを実行に移す前に速水社長の方が先に口を開いた。  

「マヤと結婚しようと思っている。必ず彼女を幸せにする……君の許しをいただけ るだろうか」  

何か返事を、と思っても口の中が乾いて、喉に声が貼り付いて何も言えなかった。  

「本来なら親御さんにご挨拶すべきなんだろうが……月影先生もすでに亡くなられ た今、彼女の家族というと君だろうから……」  

「親」という言葉を口にしたときの速水社長の苦しげな表情は、なんだか今も忘れ られない。マヤの母親のことでは、あの子も辛い思いをしたけれど、それ以上にこの 人は自分の罪を呪い、深く悔いているのが痛いほど伝わってきた。そんな顔だった。 なんかね、その顔を見ていたら、不安とか心配とか嘘のようにすうっと融けていっ た。本当に長い間、名を秘してあの子を支え続けてくれたこと、そして憎まれ役を演 じてでも励まし続けてくれたこと、それを思えばこの人がマヤを思う気持ちは紛れも なく本物だとわかっていたのだし、それなら私などが何を思い煩うことがあるだろ う。  

「あの子を、マヤをよろしくお願いします」  

速水社長に頭を下げながら、私はいつの間にか娘を嫁に出す父親のような気分に なっていた。  



あれからあれよあれよと話は進んで、記者会見のあとはしばらく大騒ぎだったな あ。なんせ、私にまで取材が来たもの!  
結婚が決まってからも、相変わらずマヤはフライパンを焦げつかせたり、ハデにお 皿を割ったりしていたから、速水社長に「考え直すなら今のうちですよ」と言ったこ ともあったけど、真顔で「家事なんか俺がやるからいいさ」と返されて、心配した自 分が思い切りバカバカしくて。  
年の差とか、育った環境とか、そういうものを並べれば並べるほど不釣合いなふた りだけど、傍で見ていると、これ以上お似合いのふたりというのもそうはいないだろ うと思えてくるから不思議だった。魂の片割れ、というものが本当にこの世にあるん だって素直に信じられるくらい。  
長い長い遠回りをして、今日、やっとふたりはいるべき場所に並んだんだよね。よ かった。本当によかったよ……。  



ふと思い出してジャケットのポケットから小さなレースの袋を取り出した。披露宴 のお開き口で、新郎新婦が出席者ひとりひとりに配ったこの小袋の中には、ドラジェ とか言う菓子が五粒入っていて、袋の口は細いサテンのリボンで閉じられていた。 あの不器用なマヤが、出席者全員の分を自分で袋に詰め、リボンを結んだというから 驚いた。全員の分といったらかなりの数だったろうに。  
そのリボンを解いて、中の一粒を口に放り込む。砂糖衣をまとったアーモンドは、 ヨーロッパではお祝いの席に欠かせないものだそうで、5粒それぞれに健康、財産、 長寿、繁栄、幸福の願いが込められているんだと、そういうことには詳しいさやかが 帰りの電車の中で説明してくれた。  

「麗ったら、そういう女の子らしいことには本当に疎いのねえ」  

美奈や泰子は笑ったけど、あのふたりだって多分知らなかったと思う。  
今、口の中にある一粒はどの願いがこもっているんだろう。しかし、まさかそんな ものをあの速水社長とマヤからもらう日が来るとはねえ、とレースの袋に残るパステ ルカラーの四つの粒をまじまじと見てしまった。  

「マヤ、幸せになるんだよ、いいね?」  

そうそっと呟いて、「次は麗の番だからね」と花嫁から渡されたブーケをタンスの 上に飾った。  

「この部屋に紫のばらが飾られるのも、きっとこれが最後だね」  

今日からひとりで暮らすことになる部屋が急に広く感じられた。正直に言えば、少 し寂しいかもしれない。でも、こんな清々しい寂しさなら悪くない。  

「さて、この引き出物の山、片付けちゃいますか!」  

わざと大きな声で言ってから、私は大きな紙袋いっぱいに詰まったいくつもの箱の 包装紙を順にほどいていった。                               



2.18.2003



<Das Ende>





□まゆさんより□
初投稿、お読み下さったみなさま、ありがとうございます。 夜毎日毎、こちらに日参して、42巻が出ない憂さとか、いつまでたっても白目剥い てるばかりの社長へのストレスだとかの現実からの逃避行を楽しませて頂いているの ですが、とうとう自分でも書いてしまいました。 「砂糖菓子」と聞いて最初に浮んだパステルカラーのドラジェ。アーモンドに砂糖の コーティングがしてあるだけなので「砂糖菓子」というのも少々こじつけっぽいので すが、マヤちゃんの披露宴から帰宅した麗の回想という形でまとめてみました。 お受け取り下さった杏子さま、心からの愛をこめてVielen Dank !です。 またふらふらと出てくることがありましたら、またつきあってやってくださいませ。





□杏子より□
読み終わったあとに、あのボロアパートで一人ぽつんと感慨深げに座る、麗さまが思い浮かんで、じ〜んときてしまいました。麗って友達というより、確かに保護者のようなところありますものね。花嫁を見送った父親の心境というか…。ホロリと泣かせていただきました。
速水さんの誠実な態度も、凄くいいですね〜。威圧的でないマッスーの態度がまたたまりません。
砂糖菓子というお題で、甘甘にせず、ほろりと涙を噛ませるこの絶妙技、お見事でした!
まゆさん、素敵な作品ありがとうございました。脇キャラは杏子の鬼門でして、どうぞこれからも助けて頂けちゃったりすると、嬉しかったり。えへへへへへ。





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