26 パンドラ
"最後の希望 "
written by きょん
晴れて紅天女を受け継いだマヤは、一躍時の人となり、その名は日本中の演劇ファンの知るところとなった。
そして、そんなマヤの所についに「春の園遊会」の招待状が届いた。

「えーっ!どうしよう!園遊会っていったらみんな着物で来るんでしょう?あたし着物なんか持ってないよ。だからって断るなんてできないし・・・」

途方に暮れるマヤのもとに、いつものようにグットタイミングで紫のバラと着物が届いた。
白地に紅梅色がちりばめられた辻が花の豪華な大振り袖。もちろん帯や草履などの小物も添えられてある。

「速水さん…ありがと。」

着物を見つめながらマヤは小さくつぶやいた。

そして園遊会当日。
黒塗りの車が次々と到着し、マヤも緊張しながら車を降りた。
皇族やノーベル賞受賞者、有名なタレントや国会議員が大勢集まり、自然とマヤは後ろの方へ引き下がりがちになっていた。
しかし、真澄の用意してくれた豪華な振り袖を身につけたマヤの姿は、ひときわ参会者の目を引き、いつもは隅にいるマヤを否が応でも中央へ引き出した。
テレビでしか見たこともないような人たちに次々と声をかけられ、緊張するヒマもないほどマヤの周りには暖かい雰囲気が漂っていた。

「まだお若いのに、すごい人気ですね。がんばって下さい。」

皇族の一人に声をかけられ、緊張しつつもうつむくことなく「はい。」と笑顔を返していた。

「これもみんな、速水さんの贈って下さった着物のおがげだわ。」

マヤは一目でもいいから真澄に自分の姿を見てほしいと思った。

「お帰りはご自宅でいいんですね。」

園遊会が終わり、運転手に声をかけられると、マヤは思い切ったように答えた。

「すいません、大都芸能へ行ってもらえますか?」

大都芸能の前で車を降ろしてもらい、エントランスホールに入っていった。
大勢の芸能人が行き来する中、慣れない着物の裾をさばきながらエレベーターに向かっていくと、前方から人だかりが近づいてくるのが見えた。

「きっと速水さんだ!」

そう思ったマヤは近くの柱に隠れ、着物の袖を丸めて胸の前に合わせた。

「何も隠れなくてもいいのに、こういうのを条件反射っていうのかしら。」

独り言をつぶやき、隠れてしまったら余計に出にくくなるのにと思いながら、人だかりが近づいてくるのを見つめた。

前方からは思った通り真澄がやってきた。しかも隣には紫織がいる。

「あーあ、ますます出られなくなっちゃった。」

と呟きながら、見つからないように一層体を縮めていった。
真澄の周りには取り巻きの社員が何人も囲んでおり、紫織の隣には彼女の父親らしき人物がいて真澄に話しかけていた。

「真澄君、今日はウチの親戚たちも楽しみにしているんだよ。紫織が夢中になっている婚約者殿に初めて会えると言ってね。」

真澄はいつもの笑顔を見せながら答えていた。

「いえいえ、こちらこそ速水の家にはもったいないお嬢さんだと親戚中が思っていますよ。」

二人のやりとりに紫織が恥ずかしそうに微笑んでいる。

「いやですわ、お父様も真澄様もからかわないで下さい。」

彼らのやりとりを聞いていたマヤは

「今日は速水さんと紫織さんの親戚が集まるのか…結婚式も近いもんね。こんなところを目撃するならやっぱりこない方がよかったかな。」

と、紫織に笑いかける真澄を見ているのがつらくて、見るとはなしに前方から左に視線を変えていった。

すると、大きな観葉植物の陰に、マヤと同じように身を潜める一人の男がいた。
しかし違っていたのは、マヤが切なそうな瞳で彼らを見ていたのに対し、その男はギラギラした目線で彼らを見送っていた。
その男は懐からおもむろに、ドス黒く輝く鉄の固まりを取り出した。

それがピストルであることは、遠目に見てもはっきりとわかった。

「まさか!速水さんを狙っているの?それとも紫織さんのお父さん?」

マヤはその男と真澄たちを見比べていたが、その男が飛び出すと同時に無意識にマヤも男と真澄の間に飛び出していた。

「死ねぃ!速水真澄!」

真澄が振り返ったと同時にガーンと銃声が響き、真澄の目の前で紅天女が舞った。

「キャー!」「人殺しぃ!」「警察だ!」「救急車だ!」

人々の怒声が響き渡った。
マヤに駆け寄る者、男を取り押さえる者、真澄の無事を確認する者、
さながらエントランスホールは修羅場と化していた。
一瞬何が起こったのかわからなかった真澄だが、撃たれたのがマヤであることがわかると、
周りの社員を押しのけて、「マヤーッ!」と叫びながらマヤに駆け寄ってその上半身を抱き上げた。

痛みとともに薄れていく意識の中で微かにマヤがささやいた。

「は…速水さん?無事?よかった…」

マヤを抱きしめながら真澄は叫んでいた。

「どうして君はここにいるんだ!今日は園遊会だろ!」

「うん…でも、この着物…どうしても速水さんに見せたくて…ごめんね。」

「俺に?どうして?」

マヤはその問いには答えず、切なそうに真澄を見上げると、

「今日は大事な日だったんでしょ?あたしってやっぱり速水さんに迷惑かけてるね。」

「何をバカなことを言っているんだ!しっかりしろ!」

一瞬、微笑んだようにさえ見えたマヤだったが、その腕をそっと真澄の顔に伸ばしかけた時、花が散るようにパサリと力無く落ちてマヤは気を失った。

無言で真澄はマヤを抱きしめている。
紫織は青ざめた顔で微動だにせずその光景を見つめていた。
遠くで救急車のサイレンが聞こえてきた。

紫織の父親が真澄に近づいてきて、慇懃無礼に話しかけた。

「真澄君、面倒なことにならないうちに、ここは警察に任せて我々は失礼しようじゃないか。今日は両家にとっても大切な日なんだし…。」

真澄は紫織の父親をキッとにらみ返して叫んだ。

「面倒なことってなんです?!大事な日ですって?それが何だって言うんです!狙われたのは僕なんですよ。この子は僕の身代わりになったのに、どうして僕がこの子を置いていけるんですか!」

真澄の剣幕に一瞬怯んだ紫織の父親だが、すぐに気を取り直して怒りの形相で叫び返した。

「君は何を言っているのかわかっているのかね!私が苦労して都合をつけたこの日をフイにして、君は鷹宮一族を敵に回すつもりかね!」

二人の様子に驚いた紫織が、取りなすように真澄に話しかけた。

「真澄様、お気持ちはわかりますが、今日のところは私に免じて、お父様の言うことを聞いて下さいな。」

紫織には真澄が他の者はさておき、自分の言うことは聞いてくれるという自信があった。
真澄は自分の代わりに撃たれたマヤに同情して、気が立っているだけなのだ。

しかし、真澄は紫織を見ようともせず、マヤを抱きしめたままで自嘲気味に話し始めた。

「僕は間違っていました。ここにきて、大切な者を失いそうになってやっと自分の本当の気持ちに気付くなんて僕がバカでした。」

そういうと、マヤを抱き上げて立ち上がった。

真澄の腕からマヤの着物の白い振り袖がこぼれてヒラヒラと揺れた。
紫織は、何も言えずにマヤを抱えて救急車に向かって歩く真澄の姿を見送っていた。







どれくらい眠っていたのだろう。
わずかに感じる背中の痛みと、麻酔でボーッとした頭でマヤはぼんやりと目を覚ました。見慣れない天井を見つめ、ふと横を向いてみると、そこにはマヤの枕元で真澄が椅子に座って頭を抱えて座っていた。

「速水さん…。」

声にならない声で呟き、そっと真澄の前髪に触れてみた。

一瞬ビクッとした真澄は、そっと顔を上げてマヤの手を自分の頬に添えて言った。

「痛むか?着物の帯が銃弾の威力を押さえてくれたらしい。幸い急所は外れている。あんな男の目の前に飛び出すなんて!全く君は無茶をしてくれる。」

言葉は責めているようでも、優しい声がマヤの耳に届いた。
大粒の涙を目に溜めたマヤは、その手を振り切ると真澄の顔から背くように横を向き、両手で顔を覆った。

「どうしたんだ?どこか痛むのか?医者をよんでやろうか?」

心配そうに尋ねる真澄に、首を横に振りながら嗚咽混じりにマヤが答えた。

「ちがうの!自分が悔しいの!速水さんの無事がこんなにうれしいなんて!こんなに速水さんのことが好きになっていたなんて!信じられなくて悔しいの!」

真澄はそっとマヤの手首を掴むとその手を顔から離した。

「見ないで!」

涙で濡れた顔でマヤが目を伏せた。

「いや、ずっと見ていたい。君からそんな言葉が聞けるなんて思っても見なかった。」

「速水さん、どうしてあたしが着物を見せに来たのか聞きましたよね。それは…」

そう言いかけたマヤに真澄は無言で首を横に振ると、まだ涙の溢れてくるマヤの瞳にそっと唇を寄せていった。







一週間が経ち、マヤはやっと上半身がベッドに起こせるくらいに回復していた。
その日も何となく外の景色を見ていたところ、トントンと病室をノックする音がした。

「どうぞ。」

ゆっくりとドアが開けられると、そこには花束を抱えた紫織が立っていた。

「紫織さん…。」

病室に入ってきた紫織は静かにテーブルに花束を置くと、マヤに尋ねた。

「お加減はいかが?傷はまだ痛むのかしら?」

マヤは少し首を傾けながら、申し訳なさそうに返事をした。

「ありがとうございます。ご心配をおかけしました。あの…大事な日だったのに、あたしのせいでメチャクチャになってしまってすいませんでした。」

紫織はマヤの目を見ずに、立ったままで外の景色を見ながら話し始めた。

「ほんとね。あのまま何事もなければ両家の顔合わせも済んで、わたくしはただ幸せな花嫁になるのを夢に見ていればよかったのに。とんだ迷惑だわ。」

マヤは紫織が何を言いたいのかわからず、ただ黙って見つめている。

「恨むべきは真澄様を狙ったあの男なのでしょうね。あなたが真澄様をかばって撃たれなければ真澄様は自分のお心に気付くこともなかった。あの男が真澄様の心の奥にあるパンドラの箱を開けてしまったのだわ。」

そう言うと、紫織はマヤの方を振り返らずに病室を出て行こうとした。
パンドラの箱…最後の希望。

「待って下さい、紫織さん。それはどういう…」

マヤが最後まで言い終わらないうちに、紫織がドアに手をかけまま

「あの時、真澄様と向かい合わせに立っていたわたくしには、あの男の姿がみえたのよ。でもわたしくしはあなたのようには動けなかった。所詮、わたくしは自分がかわいいだけなんだわ。」

と、自嘲気味に呟いた。そして、小さな声で

「真澄様に抱かれたあなた綺麗だったわよ。まるで白い蝶が舞っているように見えたわ。」そう言うと、静かに部屋を出て行った。

紫織が後ろ手にドアを閉めて顔を上げると、その先には真澄が立っていた。
立ち止まったままの真澄の横まで行くと、真澄の顔を見ずにまっすぐに前を向いた。

「真澄様、そんな顔をしないで下さい。元婚約者に同情など要りませんわ。わたくしも人並みのプライドは持ち合わせております。最後くらいわたくしに決めさせて下さい。」

そう言うと、背筋を伸ばして凛として立ち去っていった。
その後ろ姿に真澄は「ありがとう、紫織さん。」と呟いていた。

真澄が病室に入ると、マヤが今にも泣きそうな顔をしていた。

「速水さん、紫織さんが…紫織さんが…」

真澄はベッドの脇に腰掛けるとそっとマヤの肩を抱いてやった。
テーブルの上に真澄が一輪の紫のバラを置いた。
しかし、それに関しては真澄もマヤも一言も言葉を交わさなかった。

「わかってる。何も言うな。それより傷の具合はどうだ?女優なのに体に傷を付けてしまったな。」

マヤは何かを決意したように真澄を見上げると、少し微笑んで見せた。

「ううん、これはあたしの勲章よ。これから先どんなことがあっても、この傷を見ればあたしがどんなに速水さんを好きだったかを思い出せる。そしたら、どんな困難にも耐えられそうな気がする。」

微笑んだ真澄はマヤを見つめると、静かに唇を近づけていった。



3.1.2003



<Fin>










□きょんさんより□
サイト開設以来毎日のようにお邪魔して、楽しませていただいております。 いつも切ないお薬を処方いただいている院長センセに少しでもご恩返しをと思って、 初投稿させていただきました。
初めてということで、大好きな”ヨコハマ物語”のシチュをガラカメバージョンに当てはめてみました。
一気に書き上げたデビュー作品ですので、とてもじゃないですが杏子さんのような心 理描写はできませんでした。お読みいただいた方々、消化不良もあるかもしれません がどうぞお許し下さいませ。
お題は特に考えずに書き出したのですが、最後で「パンドラ」という言葉がすんなり と出てきたので、ここに投稿することにしました。(安易な選択・・・)
感想やアドバイスをいただけるとウレシイです。





□杏子より□
角スコップの女(余計なコトは言わんでいい?)きょんさんの、でびゅ〜作でございます。最近、杏子は本当に子宝、いえ患者宝に恵まれ、シアワセでございます。
でびゅ〜とは思えないほど、ドラマチックでドキドキな展開でしたね。普通はヒーローがヒロインを守るのが王道なのですが、さすがマヤちゃんです。体張ってます。シオリなんかに負けませんって!と、一人鼻息荒く、読んでしまいました。
この”希望”さえあれば、きっと二人のハッピーエンドはありえるはず!だから、ワタクシ達も希望を持って、完結される日を待ちましょう…。あぁ、自分にオイタワシヤ。。。





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