あなたにほめられたくて 2
illustrated by YOKO
一ヵ月後、何度か真澄が『社長室でランチ』にマヤを誘ったにも関わらず、『仕事が忙しい』を理由になかなか現れなかったマヤがようやく社長室を訪れる運びとなる。その間も、二人は全く会っていなかったわけではないが、あの日の約束以来、真澄はどこかこの日を楽しみにしていた子どものような自分が居たことを否定できない。
そんな自分に苦笑しながら、水城に連絡を入れる。二人分のお重に入った弁当を用意するように、と。

 コンコンコン━━

マヤが叩いたと思うと、心なしかドアのノックの音まで、愛しさを持って響くような気がする。

「お邪魔します」

開いたドアの向こうで、まっすぐに立った水色のワンピースが眩しく真澄の目を刺す。

「ホントに来ちゃいましたよ。いいの?お仕事忙しくなかったの?」

ゆっくりとソファーに座りながら、マヤは少し心配そうな声を上げる。

「社長といえども、昼ご飯ぐらい食べたって、バチは当たらないだろう?」

そう言って、ソファーの後ろの壁に片手をつくと、身をかがめ、素早くマヤの唇を奪う。突然のことに、途端に顔を真っ赤にして動揺するマヤを、ますます愛おしく思って、

(もう一度キスをしたら、今度は本気で怒られるだろうか)

などと考えていると、ガチャリと扉が開き、水城が入ってくる。

「ただの昼ご飯ではなくて、話題の大人気女優、且つご自身の恋人を社長室に連れこんでのランチとなりますと、これはちょっと重役会議ものですわ、社長」

冗談を冗談とは思えない口調で言い放ちながら、水城はお重を二つ、二人の前に置いた。
相変わらずの水城のその様子に、真澄は小さく舌打ちすると、何とか威厳を取り戻そうと、取り繕ったように、仕事の話などを口走る。

「水城君、午後一の会議のことだが……」

「あぁ、あれですか。先方の都合で、明日に回されました。今日は会議はありません」

しれっと、そんなことを言うものだから、真澄は完全に白旗を振ることになる。

「それでは、わたくしも本日は、社員食堂のまずいスパゲッティーではなく、お重のお弁当のご相伴に預かることにしますわ。隣室で」

そう言って、お茶を入れると、さっさと社長室をあとにした。

「彼女には頭があがらない……」

そう言って苦笑しながら、真澄はマヤのほうを見ると、当然のように同じく笑いを堪えたようなマヤの表情にぶつかると思っていた真澄に小さな驚きが走る。
マヤは緊張した面持ちで、膝の上に両手で拳を作ると、肩を上げて固くなっている。訝しく思い、ゆっくりとマヤの向かいに座ると、真澄はその表情を覗き込む。

「どうした?お重の弁当をあれほど食べたいと大騒ぎしてたのは、君だろうが?それとも何か?念願の弁当を前に口も聞けないほど緊張してしまったのか?」

悪戯っぽくそう言って、マヤの噛み付くような反撃を待つが、一向にそれは飛び出さない。それどころか、マヤはますます俯いて膝の上を見つめるばかりだ。
そんな自分の態度を誤魔化すように、マヤは割り箸を袋から出すと、パキンと音を立ててそれを割った。

「い、いただきます……」

震える声が響く。けれども、お重のふたを開けようとした指は、そのまま止まる。

「速水さんから、先に開けて……」

哀願するように、そんなことを言われて、真澄は一瞬戸惑うが、言われた通り、お重のふたをあける。

そして、

一瞬にして全てを悟る。



漆のお重に詰められた、沢山のおかず。その一つ一つは、アルミホイルで区切られていたりして、いつも真澄が頼む、料亭の凝った葉などではなく、明らかに素人が作ったものだった。そして、おかずの中身も、お重とはあまりに不釣合いなもので……。
卵焼きの中に見える、ピンクの粒はたらこだろうか。
から揚げの横に添えられたレモンは、蝶のように薄く切られている。
煮物はにんじんのオレンジの彩りに加え、絹さやの緑が目にも美しい。
小さく添えられたしゃけの塩焼きも、ほどよい焦げ目がついている。
2段目もぎっしり、沢山のおかずが詰められている。
3段目に真澄が手をかけた瞬間、あっ、というマヤの小さな叫びが走る。
その叫びにつられ、真澄がマヤの顔を見やると、マヤは真っ赤になって慌てたように首をふる。

「いえ……、あの、なんでもないです。っていうか、なんでもないこともないんですけど、あの……、ちょっと、恥ずかしくて……」

そう言って、ぎゅっと目をつぶったまま膝の上で端を握り締めると、また俯いてしまった。
真澄はゆっくりと、3段目のお重をあける。

そこには、白いご飯の上に、ピンクのでんぶで大きな、大きな、ハートの模様が……。

「ご、ごめんなさいっ!!な、なんかね、ノリノリで作っちゃってたら、つい勢いでやっちゃって……。あの、子どもみたいでしょ、恥ずかしい」

取り繕うようにそう言ったあと、言いたいことはそんなことじゃないのに、と慌てて言葉を探す。

「あのね、一ヶ月、がんばってみたの。絶対、あたし、料理なんて出来ないし、って今まで努力もしてなかったから、せめて、ちゃんと勉強してみようって、人に習ったり、本見たりして、がんばってみたの」

マヤは静かに、弁当の中身に順番に目をやりながら言う。

「そうしたらね、少しずつだけど、作れるものも出来てきて、なんだ、ちゃんと努力すれば、こんな私でも出来るんだって、そう気づいて……」

そこまで言うと、マヤはまっすぐに真澄の瞳を見つめる。

「そういう自分は嫌いじゃなかった。がんばってる自分は、あなたにほめられたくってがんばってる自分は、前向きで、ちょっと好きだった」

そして、心の底からゆっくりと湧きあがってきたような、穏やかな優しい笑みを浮かべる。

「これからも、努力するから。自分のこと好きでいられるように、速水さんにも好きでいてもらえるように、誰にほめてもらえなくても、速水さんにだけはほめてもらえるように、ずっとずっと、努力だけはするから……」

マヤはお辞儀をするように頭を下げる。下を向いた頭の下から、その言葉ははっきりと聞こえてきた。

「だから、よろしくお願いします」

真澄は喉元を押し上げる、熱い塊をどうにか何度も唾を飲み込むことによって、やり過ごすと、俯いたままのマヤに声をかける。

「何をしてもしなくても、俺は変わらず君を愛していると思っていたが、今の君をもっと愛している気がする」

俯いたマヤの顔が上がり、その顔に笑顔が輝く。

「速水さんは、何から食べる?」

少し迷ったあと、真澄は当然のように3段目の白いご飯に箸を入れる。ちょうどハートの形におかれたピンクのでんぶがかかった部分に。

「やっぱり、まずはこれからだろう?」

そう言って真澄の顔が、これ以上ないほどに、穏やかに、優しく、笑ったのでマヤは両手の手のひらを口元で合わせると、小さな声で言う。

「よかった……。速水さん、そう言ってくれて、よかった」





その日の午後、大都芸能の社長室からは、かつてないほどの社長の朗らかな笑い声と、若い少女のような笑い声が、いつまでもいつまでも、響いていた……。






「ただいま」

玄関で、真澄の声がそう響くと、パタパタと廊下をスリッパが走る音がする。

「おかえりなさい」

最初の頃は照れてしまって、真っ赤になってそれを言っていたマヤも、結婚後一年もたてば、いい加減そんなこともなくなった。けれども、おざなりにそれを言われたことは一度もない。

「あのね、今日はね、一日オフだったから、なんとぎょうざを皮から作ってみたの。手作りのぎょうざなんて、速水さん食べたことある?」

舞台の上で見せるあの輝きとは、少し違った、そう、自分だけに見せる、美しい瞳の輝きに、真澄は持ちきれないほどの幸せの眩暈を感じる。

「いや、今日が初めてだ」

真澄のその言葉に、マヤは満足げに頷くと、

「今日は鷹の爪、2本にしときました。この間、3本入れたら、大変なことになっちゃったもんね」

そう言ってゆっくりと真澄の上着に手をかけようとすると、真澄の大きな手のひらがマヤの頬を包む。

「あんまり立派な奥さんになってしまって、びっくりだ」





相変わらずマヤは、掃除がヘタだし、洗濯にしても、家の手伝いのものが引き受けている。実際問題として、この速水家の屋敷において、マヤがするべき家事など一つもないのだ。けれども、マヤはこうして、時間があれば、昔は死ぬほど苦手だった料理をする。作れる料理は限られているし、失敗も多い。けれども、マヤは諦めない。

屋敷の者に、

『どうして奥様がそんなことをなさるのか』

と、咎められれば、マヤは

『あたし、食べることに目がないの』

そう笑って答える。
けれども、真澄に同じことを聞かれれば、マヤは真っ赤になって俯きながら小さな声で答える、

「あなたにほめられたくて」

そして、真澄はその手のひらの温もりに、自らの尽きることなく溢れ出る愛を込めて答える。

「君は、最高の奥さんだ」






   


7.5.2003









□YOKOさんより□
”紫の行方”を読んで感動して、ドキドキしながら レスしたときは、こんな日がくるとは夢にも思いませんでした。
院長から直接お薬をいただけるなんて、こんないい思いしていいのでしょうか!






□杏子より□
こんなに、こんなに、素敵な絵をお描きになるのに、放っておくと
”お蔵入りさせました”とか”ボツにしました”とか言って、秘宝菌宝を次々と溜め込むYOKOさん。今回も、何やらBBSで、そのような問題発言のにほひを敏感に嗅ぎ取り、しつこい取り立ての末に、強奪成功しました。
頂いたのは、ちょうどサイトの休止を発表した直後。”お疲れさま”の意味で頂きました。そのお気持ちが、嬉しくって嬉しくって、 杏子なりに”ありがとう、今まで本当にありがとう”の思いを込めて、書かせて頂きました。
細かい設定が一切ないイラストでしたが、とにかく”速水さんの手のひらのあたたかさ”が出るようなお話にしたくって、まずタイトルが思い浮かび、そしてお話をおこしていきました。そういえば、結婚後の二人の描写ってほとんど書いたことない杏子。ちょっと、新鮮な気持ちになりました。
YOKOさん、本当にありがとう!書く、と言ってから随分、時間がたってしまって本当に、ごめんなさい。
これからも、素敵な絵、見せてくださいね!!






Top