おいしいキスの作り方 
「速水さんはぁ、貰うとしたらどっちがいい?ちょっと見た目は悪くても、一応手作りなのと、とりあえず味重視でちゃんと買ってきたやつ」

マヤはそう言って、真澄のコートの腕の辺りを軽く引っ張ると、恥ずかしそうに上目使いに真澄を見上げる。久しぶりのデートで食事をした後、二人はいつものように並んで歩く。長い睫の下でマヤの瞳は心なしか潤み、吐き出す白い息が紅潮した頬の艶を際立たせる。

(マズイだろ、その顔は…)

と真澄は不覚にも思う。マヤはこういった自分の可愛さや危うさにまるで、気付いていない。そして、気付いていないからこそそれは魅惑的なのであって、その矛盾が真澄の沸点の低い嫉妬心と猜疑心をつつく。

(あっちこっちでこんな顔を気軽にされたんじゃ、たまったもんじゃない)

バカらしいほどの人には絶対に言えない、自分の束縛心に苦笑するしかない。

「もぉ、速水さん聞いてるの?」

「あぁ、聞いてるよ」

まるで聞いてない風に真澄は答える。

「聞いてるんだったら、ちゃんと答えてよぉ。
買ってきたのじゃだめかなぁ?だって、私、言わなくても分かってると思うけれど、超が100個つくほどの不器用でしょ。麗に聞いたんだけど、焦がさないようにチョコ溶かしたりするのって、結構簡単なようで難しいんだって。玉子焼きも焦がしちゃうような私に作れると思う?買ったやつでいいよね?そっちの方が絶対おいしいし」

玉子焼きとチョコレートの関連性は分からなかったが、マヤが手作りチョコに対して相当なプレッシャーを感じているのだけは真澄にもわかった。真澄にしてみれば、マヤから貰えればそもそもなんでも良かったのであるが、例によっていつもの意地悪心が頭をもたげる。

「それは、また随分つれないご意見だな。自慢じゃないが、買ったチョコだったら俺は毎年、腐るほど(それは本当に文字通り腐るほど)貰えるぞ。本命チョコは手作りと世間でも相場は決まってる。君は随分、恋人に冷たいんだな」

みるみるうちにマヤは真っ赤になる。

「なんで?なんで、今日に限って速水さんそんな事言うの?どうせ、速水さん甘いものなんか、チョコなんか好きじゃないくせに。どうせ、アタシが作ったって、自分で食べる事になるだろうな、ってアタシ思ったから、だったらおいしい方がいいじゃんって。…アレ?」

思わず本音がこぼれてしまい、マヤは口をつぐむ。

「食べるのは俺だ、君じゃない。買ったやつにしたら、お返しはないと思え」

わざと意地悪く真澄は言い放つ。もちろん、心の中では笑いを噛み殺しているのだが、鉄仮面に関しては自分は誰にも負けない自負がある。たちまちマヤは震え上がるようにして、おろおろしだす。

「う、うそ、速水さん本気?やだよぉ、アタシ作りたくても絶対、ちゃんとしたチョコなんて作れないよぉ。速水さん絶対、呆れるよ。アタシ、そういう事に関しては絶対期待裏切らない自信あるもんっ!」

「ヘンなところで自信を持つな」

真澄はもう今にも吹き出しそうなのを必死で堪え、冷静な表情を無理矢理そこへ貼り付け、止めを刺す。

「いいか、俺は君から絶対に手作りのチョコが欲しい。それ以外は受け取らない。以上だ」

その宣告にマヤは、しばし呆然とし、そして数秒後にびーびーと騒ぎ出したが、真澄は一向に取り合わなかった。



本当のところ、真澄はどっちでも良かったのだ。マヤと付き合う前まで、毎年のように繰り返された社長室でのチョコレート騒動。水城もうんざりするほどのそのチョコの山がどれほど堆く積み上げられても、真澄が心から欲しかったものは一度たりともそこにあった事はない。華美な装飾も、高級チョコも、真澄にとってはなんの意味をもなさないただそこにあるだけのものでしかなかった。
仕事上の付き合いで貰ったものもあるため、無碍にも出来ず、しょうがないので水城に頼んでお返しリストまで作ってもらう騒ぎだ。

(全くバレンタインなんて百害あって一利なしだ)

真澄が内心毒づいていたのも事実である。
が、今まで素通りしてきたそういった行事に突如、参加権を得た途端の自分のこの現金さに真澄は我ながら呆れる。
しかし、自分でも気付いている。バレンタインに恋人から手作りのチョコが欲しいわけではない。自分がこの小さな恋人に対して、何か我儘を言うという事に陶酔してるのである。彼女が一生懸命になるのが好きだった。一生懸命、喧嘩を吹っ掛けてきたり、一生懸命身振り手振りで自分に話をするのが好きだった。そんな彼女に、自分のために何かを一生懸命にして欲しくなったと言ったら、きっと彼女は素直に受け入れたであろう。
しかし、そんな器用さは自分も持ち合わせていないわけで、結果的にこのような応酬になったわけだが…。
心の中で暖かいため息を一つつくと、真澄はマヤの手袋をはめていない悴んだその冷たい指先を、手のひらにすっぽりと包むようにして握る。

「その代わり、14日の夜は全部君のために空けておく。一緒に過ごそう」

そう言って握った手に心なしか握力をかけたかと思うと、素早くマヤの耳元に口を寄せる。

「朝まで一緒だ」

マヤにしか聞こえない至近距離で、吐息を吹きかけながら、それだけ囁いた。
マヤは色見本の赤のように自分が真っ赤になっているのは、間違いないと予想できた。思わず、その場に立ち尽くす。繋いだ手がいっぱいいっぱいに伸び、真澄は地面に根っこが生えたように立ち尽くすマヤに振り返る。

「なんだ、何か困る事でもあるのか?」

「あるっ!!」

マヤは俯いたまま短く叫ぶ。

「なんだ?」

「なんか、ズルイんですけどっ!なんか、アタシ、いい様に速水さんにのせられてませんっ?なんか、いっつもいっつも、速水さんのペースで、ちょっと悔しいんですけどっ!!」

照れ隠しのためにとりあえず怒る事しか手段を知らないマヤは、精一杯の抗議をする。その姿さえもますます真澄を駆り立ててるとも知らずに…。

「悔しかったら、史上最高のチョコでも作って俺に食べさせるんだな」

真澄はそう言って、マヤの腕を強く引き寄せたかと思うと、きつく抱きしめる。かなり強引に…。

(こんなに沢山の人が居るところで…)

マヤは真澄のその強引さにつくづく敵わない、と思う一方で、堂々とそうしてくれる事への頼もしさも恥じらいの裏側で感じていた。
諦めたようにマヤは真澄のコートと背広の間に腕を入れ、その胸にしがみつく。こうするために真澄のコートの前が開いている事を、マヤは知っている。
真澄の体温が直に伝わり、自分の心も体も温めてくれる。

(ずっとずっと一緒にいたい)

漠然とそんな思いが浮かぶのはこんな瞬間。毎日でも一緒に居たいと思ってしまうほど、自分は欲張りになってしまってる事が、マヤは少し恐かった…。
そのくらい真澄が好きだった。好きで好きでしょうがなかった。
だから、チョコレートは手作りにしよう、そう、素直に心の中で呟いた。

(やっぱり私は速水さんには敵わない…)

幸せのため息が一つ、白い息とともに真澄の胸でこぼれ落ちた






バレンタインデー前日。マヤのマンションのキッチンは戦場だった。

(溶かせばなんとかなるだろう)

とタカをくくっていたが、やはりそう簡単にはいかなかった。チョコを焦がし、型に入れるのにもことごとく失敗し、もはや味など二の次で果たして形になるのか?というレベルであった。あまりの情けなさに涙が出てきそうになるが、ここで投げ出す訳にはどうしてもいかない。祈る思いで最後の一枚の板チョコをようやくきれいになめらかに溶かす事に成功し、型に流し込むまで辿りついた時には、全身チョコまみれかと思うほどにデコレーションされてしまっているような状態だった。

「で、で、できたよぉ〜」

思わずへなへなと床にへたり込む。3回連続でチョコを焦がした時には、もう全部窓から投げて自分も身を投げてやろうかと思うほど腹立たしい気持ちになったのに、完成していみれば嬉しい気持ちしか残ってない。自分もようやく女の子らしい事が出来たと、柄にも無く自分にときめいてしまうのが、マヤは可笑しかった。

その時、電話の鳴る音がする。言うまでもなく両手はチョコでベタベタなので、とりあえずスピーカーフォンにして応対する。

「も、もしもし?」

見えないからいいか、と指先のチョコを味わいながら。

「あぁ、俺だ。起きてたか?」

真澄の声が、どこかそっけないのは気のせいだろうか?一瞬だけそんな気がしたがマヤは構う事なく答える。

「起きてるもなにも、チョコまみれですよ〜。今ね、ちょうど終わったところなの。アタシねぇ、ちゃんと出来たんですよぉ、やれば出来るじゃんってカンジかな〜」

ピチャピチャと指先を舐める音を交えて、マヤが高揚した気持ちを伝える。
「……悪い」

数秒の沈黙のあとに出た真澄の声。続きはもう聞かなくても分かってる気がした。

「取引先に急な問題が起きて、明日の早朝から出張になった…」

「それで?」

自分でも意地悪な声だと思ったが、どうしようもなかった。だって、こんな事ってあるだろうか?一人で浮かれてチョコまみれになって馬鹿みたいじゃないか。

「帰りはあさってになる。帰ってきたらすぐ会いに行くつもりだが、何時になるかは…」

「もう、いい。もう、いいです。お仕事じゃぁ、しょうがないもん」

喧嘩する元気もなかった。全身から漂うチョコの匂いがこの上なく滑稽でそして、疎ましく思える。

「マヤ…」

「言い訳はいい。聞きたくない。もう遅いし、とにかく切るから」

そう言って電話を切ろうとした瞬間、穏やかなそして、切なそうな真澄の声。

「切ってもいいが、その代わり、ここを開けてくれ」

「え??」

咄嗟に玄関の方に振り向く。廊下からリビングに入ったところに置いてある電話の位置からドアはすぐ目の前。

コツコツ。

小さくドアを叩く音。
電話はONにしたまま、マヤはふらふらと玄関へ向かう。ゆっくりとドアを開けたら、困ったような笑顔で真澄は携帯に喋りかける。

「明日これないかわりに、一日早く貰いに来た」

片手で携帯を折りたたみ、腕時計に手をやると更に付け加える。

「しかもあと3分で、もう『今日』だ」

(あぁ、やっぱりこの人には敵わない)

心の底から出たため息は、さんざん味見したチョコの味がまざってなんだか甘い。
冷たい外気をたっぷりコートに含んだ真澄に抱きしめられると、冷え冷えとした感触が伝わってくる。それでも、それは熱を奪うどころか魔法のように、心も体もじんわりと暖かくする。

「会えなくて困るのは、君じゃなくて俺のほうだ。俺は約束を守る男だろ?」

そう言って、背中でドアが閉まったのを合図に真澄は素早くマヤの唇を奪う。途端に口内にチョコの味が広がって、マヤは戸惑ってしまう。
熱い熱い、甘いキス。

「ずいぶんおいしキスだな。つまみ食いでこれだけ甘いって事は、さぞメインの方は…」

意味深にそう呟くと、いきなりマヤの人差し指に噛み付く。

「さっき、電話口でここ、舐めていただろう」

いつもの意地悪そうな声と目で真澄は問い詰める。

「え、あ、あの…」

動揺してしどろもどろになるマヤの指を、真澄は面白そうに舌でたぐっていく。

「『チョコを食べるのは君じゃなくて、俺だ』って言っただろう?」

そう言って面白そうに笑う真澄の言葉の意味を半分ぐらい理解した所で、マヤはもう腰を抜かしてしまいそうになる。

(やっぱりこの人には敵わない)

それを思い知らされた、二人の初めてのバレンタイン。

翌朝真澄は、心身ともにチョコ漬けが抜け切らないまま出張に出向く事になる。



2.5.2003


<FIN>





というわけで、季節モノには一応乗っかっておいた方がいいだろう、とバレンタインのお題で書いてみました。融けかけのチョコのようなダラダラと甘ったるい話にしたかったのですが、完全に二人の世界で胸やけ起こしそうです。
短編は苦手なのですが、案の定甘いだけのど〜でもいい話ですみません。設定としてはどの話の続きで読んでも構わないのですが、気持ちが通じ合ってラブラブいちゃくらしてる二人の初めてのバレンタインってところでしょうか?
二人がこの夜、チョコまみれになって何をしたかは、ご想像におまかせします、といつものお約束の逃げ台詞で退場============33っと。
こんなチョコ臭い話、最後まで読んでくださってありがとうございました!!
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