約束の居場所 2
久々のマヤとの時間だったというのに、あの指環の一件のせいであまり会話も弾まず、おかしな雰囲気のまま二人のデートは終わってしまった。
翌朝の真澄の不機嫌は水城もうんざりするほどだった。

「真澄さま、そろそろ会議のお時間です。第3会議室までお願いします」

真澄は返事もせずに、横柄に頭を1mmだけ動かしそれに頷くと、社長室を後にする。と、廊下の向こうから歩いてくるのは、渦中の人coccoであった。瞬間、お門違いも甚だしいが真澄はなぜか、自分とマヤの関係に一石を投じた本人を目の前に何か言ってやりたくなる。

「やぁ、日本中が今、会いたがってる時の人にばったりとは、今朝は縁起がいいな」

皮肉な笑いを口の端に浮かべ、真澄は言う。coccoはそんな真澄の嫌味にも動じる事なく、冷静に挨拶する。

「おはようございます、速水社長。色々ご迷惑おかけしてます」

きっちりと、その大きな目を真澄の目にまっすぐにぶつけて言う。

「迷惑か…。まぁ、今朝もこれからその件で会議だがな」

更に苦虫を潰したような顔で真澄が言うと、coccoはふっと小さな笑みを浮かべる。

「社長、どんなお説教でも聞く覚悟は出来てますから、どうぞ。5分ぐらいだったら社長もお時間あるんじゃないですか?」

余裕のあるその物言いに真澄はますます、どこか腹立たしい思いがし、水城に口走る。

「会議は5分押しだ!君はこっちへ来い」

そう言って、出てきたばかりの社長室にcoccoを入れる。

ソファーに小さく座るcoccoは本当に華奢でマヤといい勝負だった。だが、その瞳の持つ力の強さは、またマヤといい勝負で、真澄は頂点に立つ人間の底知れぬオーラーを目の前にする思いがする。

「で、どんな言い訳を用意してあるのかな?」

見下したような態度で、真澄はcoccoをテーブル越しに見下ろす。

「君は確かにまだ若いが、この業界はもう長いはずだ。coccoという名前が君だけのものでない事も、君だけの努力でここまで売れてるわけではない事も、充分わかってるはずだと思っていたがな」

そこらの新人タレントであったら泣き出してしまうほどの威圧感である。

「わかってます。そんな事、嫌ってぐらいわかってます。わかっていたから、言ったんです」

「どういう意味だ?」

「秘密にしておく、という事と、嘘をつく、っていう事は違います、社長」

一点の曇りもない声でcoccoは言い切ると、真澄が無言なのを確認し、更に続ける。

「それが私の売り方だから、それがcoccoを最も効果的に世の中に売っていく方法だから、今までずっと私の全てを秘密にしていくという方法に私も納得して従っていました。でも、『嘘をつけ』とまでは言われた覚えはありません」

目の前の日本のトップアイドルのあまりの青臭い発言に真澄は度肝を抜かれる。

「社長にはきっと分からない気持ちかもしれないけれど、持ってるもの全部失っても、世の中の人みんなに後ろ指さされても、それでも守りたい人がいます。嘘をつきたくない人が私には居ます。傷つけたくない人が私には居ます。
愛がどーしたこーした歌ってる私が、目の前のたった一つの大事な愛も守れないなんて、私が歌手で居る意味、あるんですか?そんなcocco、きっと誰も好きにならない。誰も、私の歌なんて聞いてくれない。違いますか?」

それで世の中の全てが上手くいけば、きっと誰も傷つかない。でも、そうでない事も真澄は充分すぎるほどわかっていた。しかし、今はこの小さな少女に、何も言い返す気にはなれなかった。

長い沈黙のあと、ゆっくりと重い口を開く。

「…いや、わかるよ」

「え?」

「『社長にはわからないだろう』って言った君のそういう気持ち、わかる、と言ったんだ」

不思議そうな表情で見つめ返すcoccoに真澄は、ようやく嫌味ではない笑みを浮かべ、言う。

「俺にも傷つけたくない人が、居る」

ぽかんとした表情を5秒続けたあと、coccoはようやく正気に戻って、笑い出す。

「うわぁ、そうなんですかぁ。ふふふふ、社長も人間だったんですね」

怖いもの知らずの少女はケタケタと笑い出す。そして

「でも、それは、とってもステキな事ですね」

そう言って、しばらく真澄を見つめる。

「さぁ、5分経過、会議の時間だ。君は打ち合わせか?」

「はい、来年のツアーの話です。今回の件でスポンサー企業にご迷惑おかけしたみたいですけど、私、絶対、ツアー成功させますから。全部、仕事で返しますから」

その目はやはりただものではない、するどい光を湛えたものだった。

「あぁ、そうしてくれ。今年の2倍の動員数でも記録したら、許してやるぞ」

「それは、また高くふっかけてくるんですね、社長」

あれほど物騒な雰囲気で社長室に消えていった二人が、こうも和やかに揃って出てくるのを水城は、なんとも納得いかない表情で見ていた。

「あぁ、水城君、今日の7時からの四谷物産の専務との接待だがな、キャンセルにしておいてくれ。緊急の用事だ!」

水城はますます、納得のいかない表情で真澄を睨み、諦めのため息をひとつこぼした。





ピンポーン。

(あれぇ?麗、今日来るなんて言ってなかったよなぁ。誰だろ。イタズラかな)

夜の9時を回った頃、あるはずのない訪問者を告げる音に、マヤは首をかしげる。大都芸能に所属して以来、セキュリティのしっかりした都内の高級アパートに引っ越したマヤだが、芸能人ゆえ、どこから調べだしたのかイタズラに訪問してくる輩もいるのである。
しかし、インターフォンの液晶画面に映った、玄関前の人物に、心臓がドクンと波打って、飛び上がるほどびっくりする。

「は、はやみさん?ど、どうしたんですか?」

「社長の家庭訪問だ」

おどけた口調のそれに、思わずマヤは噴出しながらロックを解除する。
なんとなく気まずい思いをして別れたのが、つい昨日。今日一日、その事を考えなかったって言ったら、嘘になる。でも、考えてもしょうがない事だと、色々もろもろ、心のどこか簡単には引き出せない場所に押しやって鍵を掛けてしまおうと思っていた。
真澄が自分を選んでくれた事は、マヤにとってこの世の奇跡にしか思えなかった。怖くて想像も出来ないが、それに伴って真澄や大都芸能が被った損失はきっと計り知れないものだと思う。だからこそ、一体これ以上、何を望むというのだろう。世間に秘密の関係であろうと、誰にも認めてもらえない関係であろうと、目の前にあるお互いの存在だけで全てが満ち足りた気持ちになれる、そんな自分で居られるよう、つまらない事を考えたり、真澄の気持ちを勘ぐったりする自分はどこか遠くに閉じ込めてしまいたかった。
それでも、どんなに一生懸命頭で理解しても、マヤはすぐに気付いてしまう。

(頭と心と体はどうして一緒の事を考えられないんだろう)

物分りのいい頭に、物分りの悪い心、そして、何をやりだすかわからない体。マヤは生まれて初めての『恋する自分』を持て余していた。

ピンポーン。
今度は部屋の前に訪問者がたどり着いた事を知らせるチャイムが鳴る。勢いよく扉を一気に開けると、人差し指でおでこを突き刺される。
「パァン!お前はもう死んでいる…」

意地悪な笑みと呆れた笑みを半分ずつ浮かべ、真澄は言う。

「何度言ったらわかるんだ。まずドアのスコープから相手を確認して、チェーンを施錠してからドアを開ける。どんなストーカーが居るかわからないんだぞ」

「えぇ、だって、さっきインターフォンで速水さんだって、ちゃんとチェックしたもん。絶対速水さんだってわかってたもん」

脹れた声でマヤは反撃する。

「でも、俺より早く誰かがここに来るかもしれないし、俺を使ってここに来る奴も居るかもしれない。頼むからもう少し、注意してくれ」

「…はぁい…」

真澄の毎度のお説教にうんざりしながらも、毎度直せない自分もいけないので、シュンとしながらマヤは頷く。





「え〜っと、あの、どうしたんですか?」

突然の訪問の理由を訝しく思うマヤは、真澄の脱いだコートをハンガーに掛けながら訊ねる。問いには答えずマヤの瞳をじっと見つめる真澄にマヤはドギマギしてしまう。

「あ、あの、えっと、速水さん?」

「突然訪ねて来たりしたら、君は困るのか?」

「え?」

真剣な表情な真澄にマヤは息を呑む。

「こ、困ったりなんかしてません。っていうか、あの、う、嬉しいです…けど、お忙しいのわかってるから、無理してるんじゃないのかなぁ、って心配にはなります…」

そう言って俯くマヤの顎に真澄はそっと指をかけ、上を向かせると、素早く唇を奪う。

「君はそんな心配しなくていい」

そう言って、もう一度短くキスをすると、

「昨日は悪かった」

耳元で囁くように謝ると、強く抱きしめた。

この程度の喧嘩未満の行き違いで、真澄が謝ってくる事など今までなかっただけに、マヤは意表を付かれたようで調子が狂ってしまう。

「え、あの、速水さんは悪くないです。私が余計な事考えたりするからいけないんです。あの、子どもでごめんなさい…」

「いや、俺が悪い。君を恋してる気持ちだけでいっぱいにしてやれなくて、余計な事ばっかり考えさせる俺が悪いんだ」

そう言って抱きしめてくる真澄の圧倒的な存在感と、男の香りにマヤはクラクラしながら反論する。

「そ、そんな、ずるいです。速水さん、急にそんな大人な事言って、なんでもかんでも自分のせいにして、ずるいです」

真っ赤になって抗議するマヤを、真澄は顎の下にすっぽりと抱え込んで言う。

「俺はそういうずるい男なんだ。全部、俺のせいにしておいてくれ、頼む」

マヤは本当にこの男はずるいと思う。そんな風に言われたら、自分は一体ぜんたいどうしたらいいのか、まるでわからないのだから。子どもの自分はこんな会話に答える術を知らないのだから。

「速水さん、ホントずるいです…」

それだけやっとの思いで一言言うと、真澄はくすりと笑って、マヤの頭を無造作に撫で、きつく掻き抱いていた腕を緩めた。





夕食をまだ済ませていないという真澄は、マヤが止めるのも聞かずに、マヤが作ったという謎のチャーハンに手を出した。

「うわぁ、だめ、だめ、だめ、だめーーーー!!
高級品しか食べなれてない速水さんそんなの食べたら、胃がびっくりしてショック死しちゃうよぉ」

暴れまわるマヤを片手で押さえ込んで真澄は楽しそうにマヤのチャーハンを食べる。

「いや、不味くはないぞ。大丈夫だ。ちゃんと食べれる」

涼しい顔して言う真澄に、マヤは真っ赤になって噛み付く。

「速水さん、それ、ぜんぜん褒め言葉になってませんよ!」

「いや、だから、褒めてはないぞ」

「ひどぉぉぉぉぉい!!」

ジタバタと暴れながらも、なんだかマヤは心がくすぐったい気がする。

(こういうの、幸せっていうのかなぁ)

そんな事をぼんやりと頭の隅で思いながら…。



食後のひと時、アルコールを家に置いていないマヤは、

「ごめんなさい。今度買っておきますから。あの、速水さんの好きなお酒の名前書いておいてください」

すまなそうにそう言って、お茶を入れた。

(速水さんが煎茶…。ぶっ。変なの)

また心のどこかがくすぐったく動いた気がした。
マヤの表情が完全にくつろいだものになったのを確認しながら、真澄は切り出す。

「マヤ、今日、何の日か知ってるか?」

唐突な真澄の問いにマヤは目をまん丸にして、間の抜けた声を上げる。

「へ?
…えっと、国民の祝日じゃないですよね?」

ちらりと横目で見上げたカレンダーの日付は黒い数字で赤ではない。ダイニングテーブルで向かい合いながら座っていた真澄は、テーブルの上のマヤの指を取る。その細い指先を手の平にとり、親指でゆっくりと一本一本の指をなぞり上げていく。
何度もキスだってした事あるのに、指を執拗になぞられるだけで、マヤは異常に緊張し胸が締め付けられそうにドキドキと苦しくなる。お互い言葉も発せずに指先だけをじっと見つめる。

「速水さん、指、きれいですね…」

思わず口をついて出たマヤの一言に真澄は苦笑する。

「そういうのは、男の言う台詞だ」

「え?あ、そうなの?でも、ホントにキレイだから…」

マヤは決まり悪そうに舌を出して笑う。

「そんな風に舌を出すと、絡めるぞ」

意地悪な笑いを真澄が浮かべると、マヤはなんだか自分は本当に今、目の前にいるこの人に溺れていってしまってる事を自覚する。

「もう…、そんな事ばっかり言ってまた、からかう…」

照れと悔しさと恥ずかしさがごちゃまぜになったような気持ちを全部引っ込めるように、真澄の手から両手を引っ込めた。

「で、思い出せたのか?今日は何の日か?」

「う〜ん。え、と、あの、なんかありましたっけ、今日…」

自分はまたとんでもない大失敗をしてしまうのでは、とマヤは恐縮しきって、伺うように真澄の目を下から見上げる。

「普通はこういうのは、女の子の方が覚えてると思ったんだがな」

作ったような呆れた表情を浮かべて真澄は言う。マヤが忘れていたのは計算のうち、と言わんばかりに…。

「はい、プレゼントだ」

そう言って差し出された真澄の両手の上には、一つずつ小さな水色のベルベットのジュエリーケースがのっている。ぽかんとした表情で、それらと真澄の顔を順番に見比べるマヤに、真澄は心底呆れたという表情を浮かべて言う。

「まだ、気が付かないのか。付き合って2ヶ月記念だ」

「ええええ??!!」

心底驚いたという表情でマヤは絶叫する。

(似合わない、似合わない、速水さんがそんな事するなんて、絶対似合わない!!)

その叫びはかろうじて喉の奥で押し返したが、表情が全てを物語ってる。苦笑しながら真澄は言う。

「いるのか?いらないのか?」

「あ、い、いります!絶対いります!!
…えっと、あの、2ヶ月だから2個なの?」

マヤは恐る恐る今度こそはトンチンカンな事を言って真澄をがっかりさせないように、聞く。

「いや、一個は空だ。当てたらあげるぞ」

「えええ!!そんなぁ…。うそぉ…」

マヤはごくりと唾を飲み込み、真剣な表情で全く同じ形のその二つを見比べる。

「ど、どうしよぉぉ。わかんないよぉ。速水さん、ヒント!」

「なしだ、早く選べ。カウントするぞ、10、9、8、」

「ぎゃぁぁぁぁぁ」

人間の不思議。カウントされると焦ってしまうその心理。マヤは慌てて真澄の右手に鎮座していたジュエリーケースを手にとった。

(ううう、当たってますように…!!)

祈る思いで眼の前1cmの位置でマヤはそぉっと、ケースの蓋をあける。開いたケースの隙間から見えたのは、昨日あのショーケースの中でみた指輪と同じ眩い透明な光だった。
言葉にならない感動は、体中に震えを起こし、その指先まで小刻みに震えだす。ケースの中のその輝きは、昨日見たそれとはデザインは違えど、間違いなくダイアモンドの指輪であった。

「速水さん…、これ…」

真澄はぼーっとしたままのマヤの左手を優しく引っ張ると、その少しごつめの太いプラチナのリングをマヤの中指へとはめる。真ん中には四角い平らなダイアモンドが埋め込まれ、眩い光を放ってる。

「うわぁ、キレイ…。これ、中指用だったんですね」

目の前に自らの左手をかざし、マヤは角度を変えながらじっと見つめる。

「速水さん、嬉しい。ありがとう…」

涙声でマヤは言う。真澄は満足気に微笑みながらも、もう一つの左手の上にあったジュエリーケースをちらつかせながら悪戯っぽく言う。

「こっちも欲しいか?」

「え?そっちは空なんじゃないの?え?やだ、両方入ってるの?
もぉぉ、速水さん??!!」

真っ赤になって取り乱すマヤの目の前で真澄は、ケースをパカリと開ける。

「うそぉ…」

二つ目のダイアモンドの輝きにマヤは絶句する。それは、一つ目のそれよりもずっと華奢なデザインで曲線を描き、その先端に小さなダイアモンドを配したデザインだった。口をパクパクさせるマヤを無視して、真澄はもう一度マヤの左手をとると、ベビーリングのように細いそれを、なんともか細いマヤの小指に滑り込ませた。

「いいか、この二つの指輪に挟まれたこの間の場所は、俺だけの場所だ。今、予約した。俺以外の誰からも貰った指輪はここにはするな」

強引な真澄の口調にあっけにとられながら、マヤはゆっくりと動く思考回路で、その意味を理解する。途端に全身がかぁっと熱くなり、目頭から涙がこぼれる。

「二人の約束の居場所だ」

そう言って真澄は、その2つのダイアモンドに挟まれた、左手の薬指に口付けた。

(もうこの人ってば、どうしてこんなにキザなんだろう。どうしてこんな事、平気で出来ちゃうんだろう。もう、私ってばどうしたらいいのよ)

そんな思いに押しつぶされそうで、

「…はい…」

そう一言答えるのがマヤには精一杯だった。



『Diamonds are Forever』
ダイアモンドよ永遠に…







━━後日談

翌年、総売上300万枚を記録しcoccoの代表作となった「from M to M」はレコード大賞や有線を総なめにし、結婚式の定番ソングとして後に歌い継がれる事になる。


マヤと真澄の結婚式でcoccoが熱唱した事は言うまでもない。


1.8.2003


<Fin>










これは「ガラスの楽園」で仲良しになった字書き仲間のcoccoちゃんの、お見舞いに書いたものですが、「せっかくなので公開しよう」という太っ腹なご意見にそそのかされ、日の目を見て頂いてます。

coccoのモデルは、同じ名前の歌手の方ではなく、ア○っていうのは、バレバレですね。
それにしても、速水さん、赤面もののキザ具合。しかし、それが許される男、速水真澄!恐ろしい男!!
coccoちゃんの甘甘ジャッジによりますと、
5巨甘 4爆甘 3猛甘 2げろ甘 1甘甘
の5段階評価で4・5という高評価(当社比)を頂いております。むふふ♪がなかったのが、5に足らんかった理由とか。。。
くっ!次回、リベンジ!!目指せ、巨甘!!







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