前編





「5、4、3、2、1―――」

甲高い女性司会者の声と沿道の人々の歓声が、表参道の喧噪の興奮を異様なまでに高める。

「ゼローーーー!!」

その瞬間、表参道けやき並木に張り巡らされた63万個のイルミネーションが点灯され、白い光の帯が沿道の遙か先まで一直線に延びていく。人々の歓声が凍てつくはずの空気を一瞬にして高揚させる。

「綺麗ですねー!北島さん、いかがですか?」

「目眩がするほど綺麗です。ほんとに綺麗・・・・・・」

目の前に広がる華やかすぎる光景と、そしてその中心に据えられた自らの存在に終始戸惑っていたマヤだが、光の洪水に包まれた瞬間、宝石のような本物のため息が心の底からこぼれ落ちた。

かつてクリスマスの風物詩とまでいわれた、表参道のけやき並木のイルミネーション。交通渋滞や騒音、けやきへの環境保護を理由に廃止されて久しい。その表参道イルミネーションが11年ぶりに復活するということで、その点灯セレモニーにマヤは呼ばれていた。こういった芝居とは関係ないイベント事の表舞台に、タレントやアイドルでもない女優であるマヤが立つ事は珍しいのだが、年末年始向けに公開される映画のプロモーションの一環で、このような機会が巡ってきた。

台本通りの式が終わり、見物客も散り始める。
沿道のショップに吸い込まれるように仲良く腕組みをして消えていくカップル、その美しいけやき並木を収めようと、何度も携帯で写真を取り合うカップル、白いまばゆい光が溢れ出すジュエリーショップのショーウィンドウを一緒に覗き笑いあうカップル……。
右を見ても左を見ても、カップルばかりだった。
クリスマスとはそういう季節。街がもっとも華やぐこの時期、溢れんばかりの冬の光を集めたそのイルミネーションの真ん中に取り残され、ふと一人で過ごすクリスマスが頭の片隅にぼんやりと浮かび、マヤは慌てて頭を振ると足早にマネージャーとともに表参道ヒルズ内に用意された控え室へと向かった。


北島マヤが姫川亜弓を抑えて紅天女の唯一無二の後継者となった奇跡の舞台から一年。ロングラン公演を終え、再演も1年後に決まり、全ては順風満帆に見えた。

そう、女優としては。

大都芸能の所属女優となり、煩わしい煩雑な事務的な作業には一切携わることなく、演劇だけに没頭できる環境を整えたのは真澄であり、そして選びに選ばれた出演作だけを持ってくるのも真澄であった。
守られている、そう実感する。

女優としては。

これほど女優として幸せなのだから、それ以上を望むことのほうが間違っているのだ、と欲張りな自分を叱責してみる。
紅天女を手に入れ、自分は女優としての地位を手に入れたが、神様が叶えてくれた自分の願いはそこまでだった。けれども女優でいる限り、自分の愛する人は遠すぎない距離で、自分を支えてくれる存在であるというのもまた真実で。仕事という名目やつき合いという名目で、たまに会うことが許される存在というのも、この恋を諦めさせてはくれない原因の一つでもあるようにマヤは思う。

「マヤちゃん、このあとは事務所戻って社長と契約書の件で打ち合わせだけど、1時間ぐらい時間あるわよ。買い物でもする?」

提供された衣装である、真っ白のラビットファーのケープを畳みながらマネージャーが問いかける。来週末に公開が迫った映画のプロモーションや新春公演の舞台の稽古のため、ここのところ休みなど全くない。そんなマヤの様子を不憫に思ったのだろうか。マネージャーの提案をマヤは驚きながら、心の中で反芻する。

――表参道で買い物……。

先ほどの華やかな光景が一瞬にして蘇り、酷く場違いな自分が際だってしまう。

「え、でも……、こんなおしゃれなところで買い物なんてしたことないし、それにここ……、表参道ヒルズって高いんでしょ?」

戸惑うとすぐに自分は、どんなことでも否定することから入ってしまうくせがある。

「目玉が飛び出るくらい高いものもあるけれど、そうじゃないものももちろんあるわよ。そうだ!地下1階にあるTiaraっていうセレクトショップなんて、マヤちゃんに似合いそうなもの、いっぱいあるわよ」

否定するばかりのマヤを明るく懐柔するように、マネージャーは笑いながら提案する。

それでもまだ自分を後ろ向きに否定する気持ちの欠片を、

――だってクリスマスだったから……

その魔法の一言でマヤは押しやると、久しぶりに高揚する気持ちと、財布を片手にマネージャーの後に続いた。






キラキラと煌めく、色とりどりのスワロフスキーがあしらわれたクリスマスツリーの形をしたブローチ。

そして、マネージャー曰く、今年の流行だという、ビジューという大きな光る石が一面にあしらわれた小さなバッグ。

マヤの心を奪ったのはその二つだった。
どちらも今までの自分とは無縁の存在といえるほどに光輝くきらびやかな美しさと、そして非実用性があった。
そう、いわゆる”なくても生きていける”という言葉に代表される、趣向品と呼ぶにふさわしいもの。
ネックレスやイヤリングを自分で買うことはあっても、ブローチなど買ったことも、買おうと思ったこともない。ましてやクリスマスツリーだ。使えるのはせいぜい12月の間。残りの11ヶ月は宝石箱行きが最初から決まりきっている存在。そんなものを果たして自分が買っていいのか、いわゆる同年代の女子であれば経験してきたであろう、散財や衝動買いといった種類の買い物を経験したこともないマヤには、全くわからず途方にくれる。

「迷ってるの?」

そんなマヤの様子を察して、マネージャーが声をかける。

「そうなんです。このブローチとこのバッグ。どっちも実用的じゃないし、なくても生きていけるものだし、そもそも私にこんなの似合うかどうか……」

次々と出てくる否定的な言葉を、マネージャーは笑い飛ばす。

「バカねぇ、女の買い物なんて”なくても生きていけるもの”の収集の繰り返しなのよ。それでいいの。そういうのがたまにはなくちゃ、生きてらんないわよ」

その明るい笑い声にマヤの中の何かが弾ける。最後のためらいともいえる薄いシャボン玉の膜のようなそれが。
そして究極の選択で比較してみれば、まだブローチよりビジューバッグのほうが、幾分実用的であるように思え、バッグを手に取る。

「ブローチは?」

まるで心の中を見透かしたかのようなマネージャーの声。

「えっと……、バッグはまぁ、しょせんバッグなわけだから、使えばいいってわかるんだけど、ブローチはなんかほんとどうしたらいいか分からないし、似合う気もしないし、かわいいだけかなぁって……」

世話の焼ける年の離れた妹にでも話しかけるように、マネージャーはそのブローチを手に取る。

「かわいいだけでいいじゃない。ほら、マヤちゃんの今着ている黒いコート。スタンドカラーだから、襟にこうやってつけるだけでかわいい」

そうやって金のブローチをマヤの襟元へと持っていく。そう言われてみれば、確かになんの変哲もない黒のコートが、急にクリスマスらしい装いを感じさせる華やかさとかわいらしさを醸し出す。

「ほんとだぁ、かわいい……」

思わず丸く膨らんだマヤのため息を聞くと、

「決まりね」

とマネージャーはそのブローチを手に取り、レジへ向かう。

「え?!ちょ、ちょっと困ります、そんな、自分でちゃんと買いますからっ!」

「いいじゃない、クリスマスプレゼントってことで」

「そんな……、悪いです。ほんと、困ります――」

「いいって、いいって」

まるでおばさんの私が払う払わないの典型的押し問答を繰り返していると、じゃぁ、と笑いながらマネージャーが逆の手に持っていた色違いのシルバーのクリスマスツリーのブローチをマヤに渡す。

「こっちはマヤちゃんが買って。私もこれ、欲しいと思ったの」

意味が分からず瞬きを繰り返すマヤに、マネージャーはいたずらっぽく笑う。

「それでこっちのゴールドのツリーは私が買うから、それでプレゼント交換にしよ」

――プレゼント交換。

なんて懐かしい響きだろう。
子供の頃、町内会のお楽しみ会で数百円程度のプレゼントを持ち寄り、子供同士でプレゼント交換をするなどというイベントがあった。マヤが思い出せる”プレゼント交換”なるイベントはそれぐらいで、思わず吹き出してしまう。

「プレゼント交換なんて、懐かしすぎる〜。大人がするのもアリなんですね」

それなら何も気兼ねすることもない。そういって、マヤは穏やかに笑いながら言われた通りにシルバーのツリーのブローチを受け取る。思いがけず、いつもお世話になっているマネージャーにクリスマスプレゼントを贈ることができるというおまけまでついた。

誰かにプレゼントを贈るのは、なんて楽しいことなのだろう。
誰かにプレゼントを贈られるのも、なんて心躍ることなのだろう。


黒いコートの襟元に付けられたブローチに触れると、クリスマスという魔法がかけた高揚感が指先から伝わってくる。

芝居しかしてこなかった自分は、そんな気持ちさえ22になっても知らなかったのだ。






「これが今年の初演の分の契約書の控え、そしてこちらが来年の分だ」

単なる所属女優の一人にすぎない自分が、一枚の契約書ごときで社長室に呼び出され、社長直々に契約内容を確認されるなど、通常では絶対にありえないことだが、それは一重にそれが紅天女であるからだ。
月影千草より上演権を受け継いだマヤは、興業にあたる全ての庶務業務を大都芸能に委託している。言ってみれば、紅天女は北島マヤと大都芸能、いや、その代表取締役である速水真澄との共同所有といっても過言ではない。もちろんそれを望んだのはマヤ本人だ。それが紅天女にとって一番の選択であり、またそうすることによって例え僅かであっても、こうして真澄とつながっていられる、そう思ったのだ。例えそれが一年に一回の、契約書にまつわる事務的な打ち合わせであったとしてもだ。


「わざわざそんな紙一枚の事で君を呼び出して悪かったな」

驚いてマヤは書類から目を上げる。

「ただの紙一枚じゃありません。紅天女ですから」

マヤのその予想外に大人びた声に真澄はふと動きを止めるが、すぐに穏やかに微笑む。

「確かにそうだな。君の言う通りだ。ただの紙一枚じゃない。紅天女だ……」

――紅天女。

どちらかが言葉に出して確かめたわけでもないが、それが二人の間に存在する確かな絆であると、マヤは依然から漠然と思っていた。

唯一で、そして絶対の。

逆に言うと、それ以外は何もないのだが……。


「クリスマスはどうしているんだ」

いきなりの質問に、マヤは思わず口元へ運んだ紅茶を喉に詰まらせる。

「えっ、わ、わかりませんけど、多分仕事だと――」

「仕事か、色気のない答えだな」

「だ、誰のせいだと思っているんですかっ?あなたの会社じゃないですか!!」

言っていて、無茶苦茶な言い草だと思ったが、口が勝手に言い返してしまったのだから仕方ない。

「じゃぁ速水さんはどうしてるんですか?クリスマス――」

そんな事を聞かれるなど予想だにしていなかったのか、今度は真澄が動揺したように早口でまくし立てる。

「それこそ俺だって仕事だろう。そんな30過ぎの男がクリスマスごときで浮かれるほうがどうかしている。バブルの時代ならいざ知らず、このご時世だぞ。それに今年のクリスマスは平日だ。普通に仕事に決まっているじゃないか」

予想外の真澄の早口にマヤはあっけに取られた後、クスクスと笑い出す。

「なんだ、色気がないのはお互い様じゃないですか」

それに対して真澄は何かを言い返そうとしたが、結局適当な言葉も見つからなかったのか、バツが悪そうにタバコに手を伸ばした。

「仕事があるだけありがたいことだ。このご時世……」

「そうですね……」

少し間延びした空気が二人の間に横たわる。お互いがその気まずさに気づいていることが感じられる、そういう間。

「でも、仕事だけでも寂しいですね……」

「……そうだな」

気まずさがある一定の目盛りを越えると、今度は寂しさが残った。

「速水さん、プレゼント交換しませんか?」

その寂しさを唐突に突き破るのは、いつもそうやって唐突に思ったことを口に出してしまう自分のくせで。突然のマヤの投げかけた『プレゼント交換』という言葉に、明らかに真澄は戸惑っている。

「プレゼント交換?」

訝しげに薄く開いた口元が、たった今自分が放ったそれをまるで知らない言葉を反芻するように繰り返す。途端に、大人である真澄を相手に、いったい何を口走ったのだと後悔が押し寄せる。

「あ、えーと、子供の頃とかやりませんでした?いくらまで、って決めて友達とプレゼント交換。私もすっかり忘れていたんですけど、今日ここに来る前、マネージャーさんとクリスマスだからってプレゼント交換したんですけど、なんか、凄い楽しくって……。クリスマスらしいこと、全然したこともなかったから、新鮮で――」

言えば言うほど、プレゼントをくれといっている子供の言葉のように思えてきて、恥ずかしさのあまりマヤの言葉はもつれそうになる。

「楽しそうだな、いいぞ」

そのもつれ始めた言葉を遮るように、予想外にあっさりと返ってきたその言葉に今度はマヤが口を開けて固まる。

「え……、いいんですか?」

「ああ、チビちゃんとプレゼント交換なんてこの上なく傑作だ。いったい君が俺に何をくれるのか、見当もつかないだけに楽しみだよ」

一瞬、気が遠くなった。
いたずらっぽく笑うその笑顔が、好きな人の笑う顔なのだと気付き、それだけのことなのに胸が軋んだのだ。

好きな人のことを好きだと意識するのは、こうやってなんでもない一瞬の時であることに、マヤは途方に暮れるばかりだった。

「値段の上限は決めるのか?」

そんな途方に暮れる自分を呼び戻す声。

「え、……あ、上限ですか?なしです、なし!」

咄嗟に大きな声でそう答える。

「だってもう子供じゃありませんから。私だってもう、大人ですから」

そう言う割には子供じみた自分の大きな声に、目の前のその人は穏やかに頷いて笑った。

それは、この笑顔が見られる距離は幸せだけれど、同時にとても苦しい場所だと気付かされる、そういう笑顔だった。






12.27.2009





…to be continued







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