第二話


  

 けれども、運命の悪戯はいつだって唐突で残酷。
 心も体も全力でそこに向ってしまった分だけ、今度こそ現実になるであろう未来を心から信じてしまった分だけ、愛おしい気持ちと恋しい気持ちを持て余すほ どに膨らませてしまった分だけ、その想定外の事態はマヤにとてつもないショックを与える。

 十一月の二週目から予定されていた映画の京都ロケが、思った以上に紅葉の進みが早いということで一週目からに繰り上げられたのだ。一日から京都入りする 事が決まり、当然三日も終日京都だ。
 予定していた事が、全て泡となって消える。

 なかなかその事実を伝える勇気がなくて、結局その日は遅くまで電話も出来なかった。掛かって来たのは真澄のほうからだった。

「聞いたぞ。京都ロケが前倒しになったそうだな」

 さすが所属事務所の社長だ。スケジュールぐらい筒抜けという訳だ。返す言葉もなく、マヤは電話越しだと言うのにグッと携帯を握り締めたまま無言になる。

「大丈夫か? 放心状態だったと水城君から聞いた。そんなに落ち込まなくてもたかが三十過ぎの男の誕生日だ。別にその日でなくても──」

「その日じゃなくちゃダメです。だって速水さんの誕生日はその日でしかないんですから」

 言っても無駄な子供染みた事を口走ってしまう。誰のせいでもないというのに、いや、どちらかと言えば女優である自分のせいである事から、収まりきらない 気持ちが溢れ出そうになる。

「速水さん、怒ってる?」

「俺が? 怒ってる訳ないだろうが。なんでそんな──」

「だって私のせいじゃないですか」

 幼稚だと分かっていても、そんな無骨な言葉の欠片がこぼれ落ちる。

「君のせいじゃない。君の代わりはいない。女優とはそういう仕事だ。誇りに思え」

 社長として過不足ない言葉をかけられ、尚更堪える。

「誕生日なんていつも一人だった。子供の頃からそうだった。別に今年も一人だったとして、何の問題もない」

 マヤを気遣うために出たのであろう、真澄のその言葉も、逆にマヤの失望と哀しみを増殖させるだけだった。

「ごめんなさい……」

 堪らずこぼれ落ちた涙の向こうで、何度も真澄が「謝るな、君のせいじゃない」と言う電話越しの声はとても遠かった。







『誕生日なんていつも一人だっ た。別に今年も一人だったとして、何の問題もない』

 つい今しがた、己の口をついて出たその言葉に嘘はないはずだったが、一点の曇りもない正直な気持ちだったかと言われれば、それもまた少し違う気がした。 今までの自分であれば、何ら問題は 無かった。だが今の自分はもう一人ではない。マヤという恋人が居る。二人で居る事を知ってしまった上での一人というのは、また違う感覚だ。つまりは愚かに も自分はたった一ヶ月で、すっかりマヤの居る生活に慣れきった──、おそらくそういう事なのだろう。
 切れた携帯電話の液晶をじっと見つめたまま、真澄は苦笑する。
 自分はどうやって、今まで一人で生きてきたのか、うっかりすると忘れてしまいそうだった。
 
 紫織との婚約解消と、それに伴う鷹宮との事業提携の破綻諸々の事後処理をようやく終え、マヤとつきあうようになって一ヶ月。自分でもよく我慢が 出来ていると思う。そのまま有無を言わせず抱いてしまおうと思った事など、一度や二度ではない。
 けれども結局のところ、”絶対にマヤを傷つけたくない”という気持ちと、そして”絶対にマヤに嫌われたくない”という気持ち、それらが幸か不幸か真澄の 理性を保たせているのだ。
 
 誘えば慌てふためくが、決してそれが本心からの拒絶ではない事は、この一ヶ月でさすがの真澄にも分かってきた。嫌なのではなく、上手く出来ない、そんな 不安のようなものも、分からないでもない。
 マヤの全てを受け止めたいし、愛したい、その気持ちを伝えたいが、どこか噛み合ない事態が続いていた。
 だが別に焦っていた訳でもない。
 どこかこの状況を楽しんでいるような節も、真澄にはあった。硬い蕾が少しずつ、少しずつ、自らの手の中で綻ぶ様子を慈しむのもまた格別の喜びなどと言っ たら、悪趣味だとあの子は怒るだろうか……。
 真澄はまた人知れず苦笑する。
 いずれにしても、いつまでもそんなすれ違いを続けている訳には、さすがにいかないと思い、ああして誕生日の夜に誘ったのだ。

 ──誕生日なんていつも一人だった。別に今年も一人だったとし て、何の問題もない。

 「大問題だろうが……」

 誰も居ないその部屋で、真澄は一人呟いた。 






 結局、お互いが多忙を極めたため、その後、会う暇もなくマヤは京都へと向った。喧嘩をしている訳ではなかったし、実際、電話は普通にしていたが、それで もどこか寂しい想いがしたのは事実だった。
 やれやれ、本当に自分はどうなってしまったんだ──。
 一人で生きてきたはずの過去の自分を思い出そうとして、真澄は溜息を吐く。けれどもどうせ上手くいかない事は分かっていたし、上手くいかなくていい事も 分かっていた。
 マヤは恋人で、誕生日には居ないけれど、数週間後にはまたこの腕の中へと帰ってくるのだから。そう何度も言い聞かせる自分に、またしても真澄は胸の中で 自嘲的に笑った。

 不意に胸元の携帯が鳴る。図らずも着信はマヤからだった

「やぁ、チビちゃん。京都はどうだ?」

「奇麗ですよ。紅葉が、やっぱり……。舞台の時は稽古場にこもってるし、撮影の時もスタジオだと、季節はもちろん、今日の天気すら分からないまま毎日が過 ぎて行くばかりだから、ロケっていいものですね」

「だろうな。俺は今日の天気もよく思い出せないよ」

「やだ、仕事し過ぎです。ちゃんと窓の外も見て下さいよ」

 マヤらしい屈託のないその言葉に真澄は僅かに笑う。

「違う、チビちゃん、そういう意味じゃない」

「え?」

「君が居なければ、晴れようが降ろうが、何も俺の記憶には残らないという意味だ」

 電話の向こうの声の主が、困ったように小さな声で苦笑したのが伝わる。それが照れているという意味だと分かる程度には、自分もこの十一も年下の可愛い恋 人の機微を少しは理解出来るようになったつもりだ。

「じゃぁ、今すぐ外を見て下さい。星が奇麗です。今日は晴れですよ、速水さん」

 そう言えば、流し見していたテレビの天気予報が、ニュースの最後で「今晩は全国的に晴れて星も奇麗に見られる」などと言っていた気がする。言われた通り に真澄はベランダへ出ると、今マヤが居る場所と
確かに繋がっている夜空を見上げる。十一月に入り、途端に外気の 冷たさが増し、頬に刺さる。

「寒いな……」

「京都はもっと寒いですよ」

 そうだな、早く帰って来い──、などと口走りそうになった瞬間、意外なマヤの言葉が真澄の冷えた耳元に届く。

「プレゼント、三日の夜に届くように送りました。一番遅い配達時間の二十時を指定したんですけど、大丈夫ですか?」

「あ、ああ……、元々その日の予定は空けておいたのでそのままだ。その時間には帰るようにする」

「お願いします」

 そこまでマヤが自分の誕生日の事を、未だに考えてくれていた事に、真澄は嬉しい気持ちとそして申し訳ない気持ち、それでいて一緒にやはり居られない事へ の失望と、そして今すぐ会いたいという渇望とが一緒くたになって、不意に胸を塞がれる。三十もとうに過ぎた男が、このザマかと、例の苦笑を浮かべながら。

「楽しみにしてるよ。君が俺に何をくれるのか、さっぱり予想もつかないからな」

 そんな気持ちはおくびにも出さず、真澄は軽い声音で告げる。器用なのか不器用なのか、自分でもすでによく分からない。

「喜んで貰えるか分からないけれど、今の私が一番あげたいものをあげることにしたので、貰って下さいね」

 そこまでマヤが言うプレゼントが一体何であるのか、真澄には見当もつかなかったけれど、可愛い恋人の可愛いサプライズを楽しみに待つ気持ちは、まったく もって悪いものではなかった。





2015.11.2





…to be continued









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