第4話・最終話



 
 駆け足で秋が通り過ぎていく。
  またしても会えない日々だけが積み重なり、そんなつもりはないのに、抱きしめた温もりは遥か昔へと追いやられる。あれほどマヤを一人にはしないと心に誓っ たはずが、仕事は次から次へと雪だるま式に問題を抱え込み、終着点が見えない。結局、あの日を最後にまた数週間会えない日々を重ねてしまった。

 大都芸能の今年度の売上は前年度比でマイナス70%の数値にまで落ち込む事はすでに確実になっている。経営に関しては持ち直す部分と新たなキャンセル部 分とのシーソーゲームで、それらの損益を回復するにはまだ至っていない。大都グループ全体で、すでに希望退職者を募り始めているが、このご時世辞めたい人 間などそうはいない。このままでは大量リストラの決断を余儀なくされるのも時間の問題だ。

 仕事に対して、真澄はこれまで絶対的な自信を持っていた。
 徹底したリサーチとマーケティングに加え、独占権や映像権など利権に拘るといった正攻法以外にも、政治的圧力や広告代理店、スポンサー企業との癒着など、表立っては言えないものでも使えるものは全て使えば、大都芸能に出来ない仕事などないと思っていた。
 そういった今まで自分が築き上げてきたと信じていた物、その全てが内側から崩れていく。
 
 マヤを守れる強さが欲しい──。

 真澄が今求める力があるとすれば、それだけだ。このコロナさえなければ、紅天女の本公演を含め、鷹宮との破談による損失の全てを巻き返せるに充分値する実績を今年度中に残せるはずだった。
 それらは全く違う形で、真澄の指の間から滑り落ちていく。まるで思い描いた舞台と喝采が砂となって消えていくかのように……。

 突然、手のひらのスマートフォンが着信を告げる。液晶には果たして、その人の名前が真澄を呼んでいた。

「良かった! 繋がった!」

 想定外の明るい声がホッとしたように響く。

「電話出てくれなかったら、もうどうしようかと思いました。今どこですか?」

 自分から電話すべきところを出来ていなかった後ろめたさと、そんな事は全く感じさせないような屈託ない明るい声に安堵する気持ちがごちゃまぜになって、結局ぶっきら棒な声になってしまう。

「家だが……」

「お祝いとかしないんですか?」

 言っている事の意味が分からず、思わず無言になる。

「……何のだ?」

「お誕生日っ!! 速水さん、今日お誕生日ですよね?!」

 完全に忘れていた。
 特別な事をしてきた覚えもないが、かといって完全に記憶から抜け落ちていたというのもさすがに人生初めての事だった。

「あぁ……」

 深い溜息のような何とも言えない唸り声が、真澄の口からこぼれ落ちる。

「会わない気でいましたよね?」

 少し拗ねたような咎める口調に真澄は苦笑する。

「そんなんじゃない。本当にすっかり忘れていたんだ。それに君の誕生日なら俺も絶対に忘れないが、俺のはどうでもいいだろう?」

「ほらまたそうやって、自分の事大事にしないっ!」

 勢いよくそんな言葉が飛んでくる。

第一、祝うような歳でももうな い

「もうっ……」

 電話の声が怒ったようにそう言った瞬間、玄関に来訪者を告げるインターフォンの音が鳴る。慌てて、モニターを確認した真澄は思わず絶句する。

「お誕生日終わっちゃうんで、早くここ開けて下さい!」

 勢いに押されてロックを解除すると、数分後、おそらく走って1階のエントランスから駆け上がって来たのだろう。息を切らして、シャンパンボトルを胸に抱えたマヤが目の前に現れる。

「祝うような歳でもないなんて言ったって、今日より若い日なんてこの先一日もないんだから、これ飲んで、一緒に笑って、お祝いしましょ? ね?」

 やられた──。
 どうにもならない笑いが込み上げ、真澄は左の手のひらで顔を覆いながら頭を振る。今度こそ本当に降参だ。片手でマヤを抱き寄せ、部屋の中に入れる。
 その時、もう何日も自分が笑っていなかった事に真澄は気づく。強張って頑なになり始めた心と体を柔らかく溶かすのは、いつだってこの存在なのだ。その小さな体を真澄は抱きしめると、全てを認めるようにマヤの肩に額を付けて降参した。








「乾杯!」

 細かな気泡が幾つも立ち上がる細長いシャンパングラスを二人、音を立てて合わせる。

「外寒かったから、いい感じで冷えてますね。天然冷蔵庫〜」

 一口飲んで美味しそうに目を細めると、そう言ってマヤは子どものようにいたずらっぽく笑う。
 
 その笑顔こそが全てなのだと、真澄は唐突に気づく。

 難しい事を考えすぎて、随分と遠回りばかりしてきたが、本来自分にとって大切なものはそれだけだったのだ。
 溢れ出る感情を上手く言葉に出来る自信はなかったが、マヤの言う通り、今日より若い日などこの先一日もないのだから、今日こそ言葉にしたいと真澄は強く 祈るように願う。

「長い間、君という存在は俺の弱点だと、ずっとそう思っていた」

 その言葉に、マヤは少し驚いたように首をかしげた後、何かを感じたのかグラスをテーブルに置くと、体ごとこちらへと向き直る。聞いてくれているのだと、 それだけで伝わってきた。

「初めて君の舞台を観た時から、君のその舞台の上でのひたむきさにどうしようもなく惹かれ、名前も付けられないその感情を最初はただただ恐れた。そんなふ うに自分の感情が動いたのも初めての経験だったし、
とてもそれが自分の物だとは認められなかった……

 今でも目を閉じれば、若草物語の舞台が鮮明に瞼の裏に浮かぶ。あれから10年近い月日が流れたが、目の前のこの存在は今もあの時と変わらずひたすらに無 垢なままだ。

「長い事その感情を燻ぶらせ過ぎて、君を傷つけたり、過ちを犯したりもした。自分の感情をコントロール出来ないなど初めての経験だった。そういう意味でも やはり君は俺の弱点だとずっと思っていた」

 一つ一つ言葉を選んでいく作業がとてつもなく難しい。仕事とは違う。自分の本当の気持ちを伝えなければいけないからだ。真澄は何度も組んだ手の指先を組 み替える。

「君と一緒になってから、一人に戻る寂しさも、愛されたいという感情も知った。自分には初めての感情で、それを恐ろしいとすら思った。いつか君を失う日が 来たらと思うと……」

 それもまた自分にとってマヤを弱点だと思う理由だった。失ったら生きていけないなどと思うほどの存在を、自分のような人間は抱え込むべきではないと。

「こうして君と過ごすようになってから、好きだとか愛しているという感情だけでは追いつかない想いを次第に感じるようになった。自分でもよくわからない感 情で、君とい るのに不安になったりする。コロナ禍でより酷く鮮明にその感情を味わう羽目にもなった。だが、さっき君が訪ねてきてくれて、そして俺の顔を見て屈託なく笑 う顔を目にし、ようやくその気持の正体に気づいたよ」

この半年近く、 ずっと感じていたその感情に真澄はついに答えを出す。

「君と家族になりたい」

 マヤが大きく目を見開き、ひゅっと息を飲み込む音がした。

「母を亡くしてから、速水家という居場所はある にはあったが、全く家族としては機能しておらず、長いこと一人でいる事に慣れ過ぎていた自分は結局、家族というものを知らなかったし、この感情をそこに結 び付ける事が中々出来なかった

 暗く陰鬱な影ばかりが差す己の過去と向き合う事をずっと避けてきた事にも要因はある。こんな自分が本当にマヤを幸せに出来るのか、どうしても信じる事が 出来なかった。

「いつでも手を伸ばせば、君という存在を確かめる事が出来る、そういう距離に居る事が許される家族になりたいんだ」

 マヤが震える指先で自らの口元に触れる。何かを言おうとしたようだが、結局何も言葉にはならなかった。

「本当はこのコロナが落ち着いたらと思っていた。君を守るにふさわしい立場と充分な力を手に入れたら、とずっとそう思っていた。君が俺にとって弱点である うちはまだダメだと、ずっとそう思っていた。でも……、そもそも君は俺にとって弱点なんかじゃなかったんだ」

 マヤが驚いたようにこちらを見上げる。一番大切な気持ちを言葉にする時がくる。己の中で確かに時が満ちた事を真澄は感じる。

「君がいるから俺は強くなれるし、君こそが俺が生きる理由なんだ。
結婚して欲しい」

 張り詰めていたマヤの中の感情が溢れる瞬間を目の当たりにする。堰を切ったように泣きじゃくりながら、マヤの体が真澄の腕の中に飛び込んでくる。

「う……ぅ……、そ……、で……っも……、あた……しな…んか」

 何かを言っているようだが、嗚咽が混ざりすぎて何一つまともに言葉にならないようだ。しばらくそうやって泣きじゃくるその存在を腕の中であやしていた真 澄は、そっとマヤの耳元で囁く。

「一応プロポーズのつもりだったんだが、そろそろ答えを聞かせてくれないか? 出来れば今日は俺の誕生日なのだから、俺が一番欲しい答えだけを聞かせてく れ」

 そう言うと、泣きじゃくっていた存在が涙を拭いながら顔を上げる。その顔がゆっくりと笑う。自分が求めていた通りの光がそこに溢れる。

「はいっ……! 喜んで……」

 生まれて初めて自分で自分の生き方を選んだという実感と充足が真澄の体を駆け巡る。
 決して日が当たる事など一生ないと思われた場所に、一筋の光が差しこむ。それはやがて、真澄の心と体その両方をゆっくりと温かく包んでいった……。

 







2020 . 11 . 08








FIN














以上、令和のマスマヤによるシャチョー誕でした。

作中のロイヤル・バレエ団の配信ですが、実際に10月9日に世界中に有料配信されたものを参考にしています。
7ヶ月ぶりにロイヤルの舞台の幕が上がる、というニュースは日本のニュース番組でも多く取り上げられていたので目にした方もいらっしゃるかと。配信が発表 された当初は、「生活をともにするパートナーはパ・ド・ドゥOK」と言われていたのですが、最終的にはその縛りはない形で公演は行われました。(つまりは パートナーでないペアもあったということです)
ですが、最初にそのニュースを聞いた瞬間、元々今年の誕マスのテーマとしてあった
「家族になろうよ」
とそれとが混ざって、ばばばばーーっとお話が広がった事は言うまでもありません!

あと今回、ものすごいタイトルに引っかかって、ちょうどいいのが見つからず延々悩んだのですが、当初ネタ帳に残されていたタイトルらしきものは

「君は光」

でした。そういった意味合いのもっといいカンジのをものを未来の杏子ちゃんが思いついてくれるだろうと放置していたのですが、11/2の夜になっても全く 思いつかず!!!
要は
「あなたはわたしの光」
って事なので、それで行こうかと一瞬思ったのですが、下読みしてくれてる友人に
「レモン噛じってる匂いしかしない」
と言われ、断念w だよねw

最終的には、その時たまたま聞いていた曲がフランクのピアノ曲「プレリュード、コラールとフーガ」でして、これがまたこのお話の世界観にドンピシャで、鬼 リピートしてま した。で、そのままChoralでいいのでは、とやっと落ち着きました。
速水さんの祈りにも似た想いが伝われば何よりです。
とっても美しい曲なのでよかったら聴いてみて下さい♪



♪♪  Prélude, Choral et Fugue, FWV 21 - César Franck -
(Murray Perahia) ♪♪



今、速水さんがちょいワルのイケイケなお話を書いてます。同人誌です。次はそれでお会い出来たら嬉しいです。
今年も読んで下さってありがとうございました!



励みになります!

拍手

※最終回以降の拍手に期間限定でBlogにてレスをさせて頂く予定です♪

back / novels top/ home