好きと言わない恋をする 3
突然、バックの内ポケットから振動が伝わる。振動は一度で止まってしまったことで、それがメールの配信音だと分かる。

「ごめんなさい、ちょっと失礼します」

メールはマネージャーからだった。電話が出来ない状況にいる時、こうして重要な案件をメールで送ってくることもあるわけで、やはりすぐに読んで返事をするのが当然だった。
仕切りなおしの打ち合わせについての事務的なメール。同じように、事務的に「了解です」と返信する。

「意外だな」

黙ってマヤの一連の動作を見つめていた真澄から、それこそ意外に響く声。

「え?何がですか?」

つい、携帯の液晶に全神経を集中させていたマヤは、驚いたように答える。

「チビちゃんの親指がそれだけ器用に早く動くとは」

一瞬、キョトンとしてマヤは次に大笑いしはじめる。

「やーだ、速水さん。何オジサン臭いこと言ってるの。携帯メールなんて今時、誰だってやるじゃないですか。サラリーマンのおじさんだって、電車の中でピコピコやってますよ」

”オジサン”というマヤの発する無防備な棘に、充分ムッとしながら真澄は答える。

「俺はやらん」

「えー、嘘ぉ?水城さんとか送ってこないの?」

「水城君が何を送るっていうんだ?!」

「え、こういう時とか。ほら、社長が突然行方不明になって困ってる時に、『真澄さまっ!一体全体どこにお隠れになってるんですかっ!ヽ(`Д´)ノ』とか……」

「水城君がそんなことをわざわざ親指を動かして打っている暇があったら、電話してくるだろうが」

「そっかぁ……」

どこか残念そうにマヤは答える。

「だいたいメアドだって作ってない。作り方さえわからない」

きっぱりと真澄がそう言い切るとマヤは信じられないものでも見るように、心底驚く。

「嘘ーーーっ!メアドも持ってないんですか?!ダメですよ、そんなのダメ。速水さん、携帯貸してください。私が今、この場で作ってあげますから!
大都芸能の社長ともあろうものが、そんなんじゃー!時代に乗り遅れますよっ!ていうか、もう乗り遅れてるしっ!」

これ以上ないほどにマヤに馬鹿にされ、けれどもそうやってふざけあうのも、決してイヤではないとそれも充分に意識しながら、真澄は笑う。


この少女には叶わない。


さんざん、「作る」「作らない」で揉めたあとに、

「どうせ作ったところで誰も送ってこない」

の真澄の一言に対して、

「じゃあ、私が送りますから。絶対、毎日送りますから」

とマヤが言うので、真澄は渋々(のフリをして)マヤに携帯を渡す。

「お客様ご希望のアドレスは?」

完全にふざけたノリで楽しむマヤのそれに、あくまでもうんざりした風を装いながら、真澄はぞんざいに答える。

「なんでもいいよ。君の好きにしてくれ」

「私の好きでいいんですか?ほんとに?じゃー、好きにしちゃいますよっ!」

カタカタとマヤの親指が器用に動いていく様だけを、真澄は幸せの縮図を眺める気持ちで、穏やかに見守る。


一生懸命な彼女が好きだと思う。
どんなことでも、そんなことでも、まるで世界の一大事のように、目を輝かせ、一生懸命になってしまう彼女を心底愛しいと思う。
最初は演劇に対するその情熱に圧倒された。
自分がまるで持っていない種類の感情を呼び起こされ、動揺した。動揺はいつしか、ありえないほどの愛情に変わる。


一年と持たずに、紫織との結婚生活は破綻した。
形ばかりでもよき夫を演じられなかった自分が、紫織に見限られたのは当然の報いであった。


「何もかもそのままに、と。
わたくしと真澄さまが、もう一緒ではいなくなるということ以外は何もかもそのままにして下さるよう、お祖父様にもお願いしておきましたから」


それが紫織の最後の言葉だった。


嬉々として仕事をこなし、今もっとも旬な女優として輝いているマヤ、自らの本当の幸せに開眼し、歩き始めた紫織、周りの全ての女達が、強くたくましく歩いている中で、自分だけがいつまでも同じ場所で立ち尽くし、同じ問題を抱えているという不甲斐なさと臆病さに、苦笑とため息でいっぱいの紫煙を吐く。


聞けばマヤは恋をしているという。
今週発売の雑誌はこぞってそれを書きたてていた。マネージャーや水城から聞いた話では、特に交際をしているというわけではなく、マヤが一人で浮かれているだけで、スキャンダルの種になるようなことではない、となだめられた。


恋……。


いつかは、そういう日が来ると思っていた。
今まで来ないほうがおかしかったのだ。
見たくはなかった小説の結末が訪れることへの焦燥と絶望。何もかもを投げ捨て、傷つくことも恐れずに、一生の想いその全てを失う覚悟でもってマヤにぶつかるには、何かが足りなかった。


若さか、
諦めか……。


好きだと言ったがゆえに、失うことになるであろう今のこの自分の居場所、少なくとも事務所の社長として、長年の付き合いのある友人として側にいることが許される、居心地のいいこの場所、それを失うことへの諦め。

それが自分にはなかった。


どんな形でもいい、マヤの側にいたかった……。



「でーきたっ!」

さまよう真澄を紫煙の中から呼び戻す声。

「じゃーんっ!!」

液晶の画面が真澄の目の前に突き出される。


【love4m_1103@・・・】


まるで検討もつかないアルファベットと数字の羅列に真澄は首をかしげる。好きにしていい、と言った手前、もっとヘンテコなアドレスを作られるぐらい覚悟していたのだが……。

「なんだこれは?意味はあるのか?」

思ったままに口にする。
マヤは心底呆れた、というようにそれに答える。

「loveは愛。4はfor。mは真澄のm。1103は速水さんの誕生日でしょ?」

パズルを組み立てるように、マヤの言葉を真剣に脳内で組み立てる。だいたい言いたいことは分かった気がする。

「意外だな」

今日二度目の真澄の同じ言葉。

「何がですか?」

同じく二度目のマヤの同じ受け答え。

「君が俺の誕生日を知っているとは」

途端にマヤが真っ赤になって噛み付く。

「そ、そ、そんなのっ、だって、事務所の社長さんのお誕生日だもんっ。知ってないと、大変じゃないですかっ!プ、プレゼントとか贈らないといけないしっ、アタシみたいなペーペーの女優は色々気を使わなきゃいけないんですよっ!そんな、深い意味なんてぜんぜんないですからっ!その、速水さんのことが好きとかそんなんじゃ、ぜんぜんないですからっ!!」

言ったあとで、自分は何を口走ったのかと、マヤは両手を口にやって呆然とする。あっけに取られてその様子を見ていた真澄は途端にクスクスと笑い出す。

「そんなことは分かっている。そんなにムキになるな」

大きな手のひらが頭をなでる。まるで犬か猫の頭をなでるように。


――そんなことは分かっている――

――そんなこと……


あっさりと真澄にそう言い含められ、マヤは自分の気持ちも怒られた犬か猫のようにシュンと俯くのが分かった。


「あ、あの暗証番号ですけど……」

俯いた顔が大事なことを思い出したように急に声をあげる。

「暗証番号?」

予想外の単語に真澄はオウム返しに聞き返す。

「はい。メールを一括消去したい時とか、シークレット設定したい時とか、メアド変えたい時とか、暗証番号要るんです。0220ですから」

真澄が0220の意味が分かるとは思わなかった。聞かれたら、冗談のように答えてやろうと思っていた。

(社長、プレゼント期待してますからねーっ!)

けれども、意外な言葉が真澄の唇から零れ落ちる。とても自然に。

「君の誕生日か……」

驚いて、驚いて、完全に10秒は固まった後に、マヤはモゾモゾと言う。

「知って…たんですか?」

上目使いに遠慮がちにこちらを見つめる大きな瞳。そんな表情さえも、イヤになるほどかわいいということを、イヤになるほど思い知らされながら真澄は答える。

「そりゃぁ君、我が事務所一の期待の新進女優の誕生日だ。社長が覚えていなくてどうする!
プレゼントを贈ったり、色々気を使わないといけないしな。深い意味なんて、ぜんっぜんないぞ!」

冗談としか思えない勢いで、先程マヤが口走った通りに真澄は言い返す。
途端に二人は共犯者的に笑い出す。
笑いが笑いを呼んで、しまいには何がそんなにおかしいのか分からない勢いで、馬鹿笑いが止まらなくなる。


止まらない笑いの中で、マヤは切なく動く気持ちを、一生懸命誤魔化していた。絶対に口には出せない気持ちを誤魔化していた。

love4mのmは真澄のmというより、どちらかと言うとマヤのmであったし、自分のアドレスであるlove4m_0220のmはマヤのmというよりも、真澄のmを意味して作ったものであったし、何気なくおそろいのアドレスにしてしまったのだって、狙った上での事だったし、それから0220の暗証番号だって、真澄に思い出してほしかったからだ。自分の誕生日を、というよりも自分の事を。
例えば自分の携帯の暗証番号が、やっぱりこっそりナイショに1103に設定されていて、それを押すたびに真澄の事を思い出すように、そんな時だけでもいいから、真澄に自分のことを思い出して欲しかったからだ。


もちろんそんなことは秘密なのであって、口が裂けても絶対に言えない。


好きと言えない恋をするということは、
いっぱい秘密が増えることでもあった。




だけれども、それが真澄と自分の間だけに出来た秘密なのであれば、 そんな秘密で繋がっているような気分に少しだけなれて、それは例えばこっそり持ち帰ったあの白い角砂糖を、思い出しては手のひらで大事に転がしてみるような、そういう甘さがそこにはあって、 そんな秘密の甘さに、マヤはますます自分が真澄を好きになっていくのを、どうにも止めることが出来なかった。







01.13.2005





…to be continued









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