好きと言わない恋をする 5

返信は一行とか、そんなもの。
だけれども、最初に4時間待たされたあのメールのあとは、すぐに返事だけは来るようになった。
ほとんど自分から出してばかりで、それに真澄がボソリと返事をするというパターンではあったが、返事が来るだけで、それだけで嬉しくて、嬉しくて、まるで携帯電話まで恋をしてるのかと思うほどだった。

『明日は東京雪降るそうです。
寒いから風邪引かないよう
気をつけてくださいね。
トレンチコートって
なんか薄くないですか?
寒そう……。
明日はドラマの撮影が
深夜まであるんです。
雪なのでちゃんと
タクシー走ってるか心配。
もし走ってなかったら、
ドラマのセットの姫子の
ベットで寝ちゃおう(≧∇≦)』

『何時に終わる?』

『え?撮影ですか?
多分、1時過ぎぐらいかな……。
なんでですか?』

『迎えに行くから』

深夜の一時過ぎにスタジオから少し離れた場所に横付けされる黒いメルセデス。
だからと言って何かが起こるわけでもなく、ただ30分かけて本当に家まで送り届けられる。


こんなこともあった。


『カフェラミルのチャイティーを
おごる約束ですけど、
私は木曜の夕方か
金曜の3時頃が空いてます。
速水さん、どちらが都合いいですか?』

『両方』

そして木曜の夕方、カフェラミルで並んでチャイティーを飲み、マヤがおごり、そして金曜も並んでチャイティーを飲み、真澄がおごる。


こんなこともあった。


『今、共演してるサクラさんの
バースデーパーティーでセルリアンの37階の
スゥイートに居るんです。
なんか芸能人パーティーって感じで
アタシは超場違いで浮いてます。
さっきから食べてばっかり。
はぁ……(TдT)』

1時間後の返信。

『40階まで抜け出してくるといい』

『え?なんでですか?夜景がキレイとかそういうこと?』

『そんなようなこと』

言われた通りに、40階のラウンジに向かうと、眩いばかりの夜景と、すました顔でその前にたたずむ真澄が居た。



恋人みたいだと思った。
手もつながないし、キスもしない。
好きだとかそんなことも言わない。

だけれども、こんなのは恋人みたいだ、とマヤは思う。

それでも恋人なんかではないのは、誰よりも一番自分が分かっていた。分かっていたからこそ、こんな楽しい夢は絶対いつか、どんでもない瞬間にバチンと覚めるのだろうと、そんなことまで覚悟していたぐらいだった。


そして、バチンと夢が覚めるのはいつも突然。


マヤと真澄の奇妙な恋人ごっこのような携帯のやりとりが始まってから数週間後、突然週刊誌にスキャンダルがすっぱ抜かれる。
これが”恋する女優・北島マヤ”のネタであれば、なんら真新しいこともない、いつものガセネタ程度に流せたのだが、なんと今回の主役は真澄だった。

紫織との離婚後、晴れて独身貴族に戻った真澄を

”今、バツイチが熱い!”

などという下世話な見出しで煽り、その華やかなな交遊録を微細に渡り紹介し、いくつもの2ショット写真が掲載された。女優、タレント、モデルなど、真澄にとっては商品でしかない華やかな面々も、ズラリと並べばまるで真澄のお気に入りリストのようにも見え、面白おかしくメディアはそれを盛り上げた。

当然それはマヤの目にも耳にも入り、とてつもない動揺を与える。


親密そうに写るグラビア系タレントとの2ショット。実際はその後ろに彼女のマネージャーも介しての食事だというのに、切り取られた写真にそんな事情が入る余地はない。ましてやマヤにそこまでの推測を求めることも不可能だ。
決定的に堪えたのは、真澄が人気女子アナウンサーと親しげに携帯のメアドを交換しているようなショット。お互いの液晶を見せ合い、笑いあっている。
実際は、真澄の悪友と付き合う女子アナが秘密の写真を真澄に見せ、ちょうどその時真澄の携帯にマヤからメールが入り、真澄は操作中という少し無理があるような瞬間の写真だったのだが、そんな事情は切り取られた写真からはもちろん伝わる訳もなく。


ただただ、思い知らされる。

ただただ、打ちのめされる。


真澄とはそういう人なのだ、と。
そういうことが許される人であり、またそういうことが似合う種類の人間であり、そもそも自分などが相手になるはずもなく。

真澄と自分がカフェラミルでお茶をしてみたところで、それは社長と所属女優の打ち合わせ程度にしか映らず、誰に写真を撮られるわけでもない。なぜなら真澄にはもっと相手として相応しい、話題になるべく相手が山ほどいる訳で。


浮かれきっていた分だけ、盛り上がっていた分だけ、同じ角度で内側に抉り取られる。
勘違いをしていた分だけ、今度は腹立たしくなる。
勘違いをした自分に対して、勘違いをさせた真澄に対して、物凄く腹立たしくなる。


腹立たしくでもなって、怒ってでもみて、自棄にでもならないと、途端に自分は子供のように泣き出して、最初から諦めていたフリの恋を、フリではなく、本当に諦めてしまいそうになるから……。






高視聴率を記録したドラマが終わる。

『好きだと言わせたい!』

なんてふざけたタイトルなんだとマヤは思う。おまけに

『アタシのこと好きなくせにっ!』

ときたもんだ。
スタッフとの打ち上げの最中、ついに溜まりに溜まっていたのものが、マヤの中で爆発し、泥酔と言う名の波に飲み込まれる。


「だいたいさぁ〜、思わせぶりなことしすぎだっつーーーのっ!」

共演者が止めるのも聞かず、芋焼酎はすでに8杯目に突入している。

「好きでもないなら、何年もバラなんか贈るなっつーのっ!でしょ?おかしいでしょ?!
カップルシートですよ、カップルシート!そんなとこに並んでちゃっかり座っておいて、腕とか背もたれにだらーんとか置いちゃって、期待するなってのが無理なんですよっ!
アタシなんてさー、お砂糖持って帰っちゃったもんね。お砂糖ですよ、お砂糖!!あのニブチンはそーーんなことも100年経ったって気づかないんですよ、あたしがお砂糖隠し持ってるなんてねぇ!
し〜ろいおさ〜とぉぉぉ!!」

突然、青い山脈のメロディーで熱唱する。
芋焼酎臭い息を吐きまくるマヤの勢いは止まらない。

「ねぇねぇ、知ってます、お砂糖って甘いんですよ。恋もね甘いんですよ、普通は!
でもねせつな〜いとか、恋し〜い、とかそんな砂糖みたいに甘いものはとっくのとーに完食しちゃって、残ったのはゴロゴロした石っころみたいなものばっかりで、とても食べられないっつーの」

訳が分からず、オロオロするADの胸元を掴んだかと思うと、今度はボロボロと泣き出す。

「メールもしすぎ。電話もしすぎ。そもそも逢いすぎ。
好きでもなんでもないなら、屁でもないなら、メールなんかするな、電話なんかするな、気軽に逢ったりなんかするなぁぁぁぁっ!!」

(屁?)

なんとなく恋の話だと言うことは分かる。しかし、この北島マヤをここまで振り回せるというのは一体誰なのだろう。誰もが聞いてみたく、また聞くのが恐ろしいような……。

「携帯のメアドだっておそろいなんだからぁ。初めてメールしたのだってアタシなんだからぁ。
そんなのアタシだけなんだからあぁ……」

他の人間にはまるで意味不明な事を口走り、ついにマヤはテーブルの上に突っ伏す。

突然、居酒屋の茶色いテーブルの上の携帯がぶるりと震える。

「マヤちゃ〜ん、携帯が呼んでるよ〜。ほらほら、その彼かもしれないよ〜」

スタッフの声に、3分の1より少し少ないぐらいに残っている意識をかき集めて、メールボックスを開く。

『今日でクランクアップだな。ご苦労だった。
今どこだ?』

液晶のライトが落ちるまで画面を凝視する。

「彼氏でもないくせに。な〜にが、『今どこだ?』なのよ〜。どこだっていーじゃんっ」

つける限りの悪態をつきながら、それでも親指は勝手に動いていく。ただし、正常ではない文章を。

『地獄』

それだけ書いて送信する。そんな単語だけ(しかも地獄)を送ったのは初めてだ。
尋常ではないのは明らかで、2秒後に携帯が鳴る。
液晶画面に真澄の名前を確認してから、マヤはすでに軟体動物のようにぐにゃりとした上体を、居酒屋のテーブルの上に立て直しながら出る。

「地獄へようこそ♪」

最初の一言でマヤが泥酔していることは、真澄にもすぐ分かった。電話線を伝って、焼酎臭い息が届くかのようだ。

「打ち上げでハメを外しているのか?
飲めない奴が無理して飲むからだ」

なんでもない時に言われた言葉であれば、なんでもなく通り過ぎる言葉も、今はイチイチ、そこここに積み上げられた障害物にぶち当たる。

「飲めない奴、いま、飲めない奴って言いましたね。
言いましたよ、絶対言いましたよ。言ってね〜とかナシですよ!
飲めない奴が飲んでる理由、速水さんにはで〜んでんわかんないんれすよねーーーーっ!!
あたしがこんなんなってる理由なんて、は〜やみさんにはど〜〜でもヨシオで、このまま死んじゃったってどーでもいいに決まってるぅぅぅぅ!!!」

絡むにもほどがあるほどの絡みっぷりに、真澄は一瞬絶句するが、よほどのことがあったのだろうと気を持ち直す。
今、ここで長電話してもなんの意味をもなさないことは明らかだった。

「待ってろ、今行く」

そう言って通話は一方的に切られる。真澄の最後の言葉が耳に入る一瞬前、マヤの記憶は完全に途切れ、翌朝まで何も思い出せなくなる。






スタッフに問い合わせ、打ち上げの場所を突き止めた真澄はあっという間にメルセデスを居酒屋に横付けする。
勢いよく居酒屋の引き戸が開けられ、物凄い形相で真澄がそこに登場した瞬間、誰もが一瞬目を疑う。


――速水真澄???――


「北島はどこだ?」

あっけに取られる皆に構うことなく、開口一番真澄は問う。

「寝てます……」

スタッフの一人が指差す先に、畳の上で大口を開けて寝転がるマヤが目に入った。大勢のスタッフがふざけ半分でかけたのか、大量のコートやジャンパーがその上にかけられ、まるでみの虫が転がっているようだった。

「おい、チビちゃん、しっかりしろ!
起きろ!とりあえず帰るぞ、立てるか?」

両腕を掴んでみたが、

「うにゃ〜」

という腑抜けた言葉にもならない声とも言えない何かが聞こえてきただけで、まるで反応はなかった。
呆れて首を左右に振る真澄にスタッフの一人が声をかける。

「失恋…したみたいですよ、マヤちゃん。
さんざん期待もたされた後だったらしく、相当ブチ切れてましたよ」

「失恋?」

予想外の単語に真澄の脳波の動きが例によって鈍る。本来ならば、ひらめくべきところで、気づいてやるべきところで、いつもそうやって鈍くなるのが真澄だった。

「最近急に仲良くなれたみたいで、メールとか頻繁に交換してた矢先だったから大ショックだったみたいで……」

真澄の眉間にシワが入る。

(メール……)

別のスタッフがさらにダメ出しをする。

「メアドもお揃いに作ってやったとか、自分が初めてメールをしてやったとか、なんかそんなこと絶叫してましたよ……」

(メアドを作る?初めてのメール?)

「好きでもないのに、何年もバラなんか贈るんじゃない!とか叫んだり……」

(バラ……)

得体のしれないものが真澄の背中の辺りから、ジワジワと真澄の体内に入り込んでくる。

(まさか、まさか……)

「北島は私が家まで送り届けます。
ご迷惑おかけいたしました」

なんとかそれだけ言うと、膝の下に腕を差込み、真澄は軽々とマヤを抱き上げる。
本当に中身が詰まっているのかと疑うほどにそれは軽かったが、例えようのない温もりが腕から体中に広がっていく重みがそこにはあった。
例え、焼酎臭くても……。






完全に意識を失っているマヤのぐにゃりとした体を助手席に置く。マヤのマンションに着くまでの間、何度となくコートの中に埋もれかかっているその表情を見る。


――マヤが好きな相手というのは……


浮かび上がっては

(そんなバカな!)

とお得意の否定的自己完結思考回路がすぐにそれを遮るが、その3秒後にはまた頭をもたげてくる。


「なによぉ〜、アタシのこと好きなくせにぃ〜!!」

完全に意識を失ってるはずのマヤの口から飛び出した、決して的外れででないその言葉に真澄はビクリと反応する。

(ああ、ドラマの台詞か……)

ここまで来ても、まだ鈍さを発揮する真澄の脳内。



黒いメルセデスは吸い込まれるように、マヤのマンションの地下駐車場に降りていく。
完全に寝息をたてているマヤを抱き上げ、エントランスに向かう。

「おい!チビちゃん、頼む!一瞬だけでいいから起きてくれ。暗証番号を入れないととドアが開かない。
おい!!チビちゃん」

ぴくりともしないマヤの瞼。
両腕の中のその小さな体を少しだけ揺すってみる。

なんの反応もない。


その時、ふととんでもない思いつきが真澄を襲う。


『とあるところの暗証番号を好きな人の誕生日にしてるんです。それを押してるとき、その人のこと思い出したくて。押してる間だけでも、なんかその人と繋がってるような気分になりたくて……』


あれは数週間前に発売された雑誌の記事。
マヤに好きな男が居ると知らされた、忘れもしない記事。


数秒に一回浮かんでは、2秒で打ち消し、また問いかけている、さっきから脳内を占拠するその疑問。


――マヤの好きな相手というのは――

両腕で抱きかかえていたマヤを、左肩の上で折り曲げるように抱き上げる。

「うぅ〜」

聞こえてきたのは例の声にも言葉にもならない奇声で、真澄はマヤの意識がやはりそこにはないのを確かめると、震える指でボタンを押す。


1103


自らの生まれたその日を。


永遠と思えるほどの3秒の沈黙。

閉ざされていたガラス扉は、まるで待っていたかのように静かに真澄の前で開け放たれた。



01.18.2005





…to be continued









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