| 30 AND THAT'S ALL ...?(それでおしまい)
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| "いつかこの道の続く場所で…… 1
" written by 杏子 |
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「それで、これはもうすでにマヤちゃんの目に入っているのですか?」
隙なく整えられた、赤い尖った指先で、その雑誌のページをめくりながら水城は言う。 真澄はデスクの上に軽く両肘をつき、互い違いに揃えた指先の上に顎を乗せると、微妙に顎の骨をずらす。 「いや、まだ見てないはずだ。だが、明日発売になれば、嫌でも本人の目にも耳にも入るだろうな」 「止めないんですか?」 少し驚いたような表情で、水城は雑誌から顔を上げる。真澄は、一呼吸置いて、指を無意識にポキリと鳴らすと、静かに答える。 「止めない。根拠のないスキャンダルとは違う種類のものだ」 水城の中で、何かの機械のかみ合わせがずれたような感覚が襲う。 「……しかし、随分一方的な記事ですわね。舞台批評というよりも、個人的なマヤちゃんへの攻撃ともとれるような内容ですわ。たしかに舞台の前評判は良すぎるほどに良かったことも手伝って、全公演のチケットはすでに完売しているため、今後の公演に関して興行的ダメージがあるとは思えませんが、興行主である大都にとってもあまりいい内容の評論ではないではありませんか。それに……」 そこまで、言って水城は、少し言葉を探す。けれども、私情を挟むことも、このボスと北島マヤに関しては、避けられないことであるのを覚悟したのか、そのまま思ったことを口にする。 「マヤちゃんが、傷つきます。この記事は、間違いなく……」 「……だろうな」 そう言った真澄の言葉が、何か自分には見えていない遠くの場所を見据えたような声で響いたので、水城は言葉を失う。所属の芸能事務所の社長という立場以上に、マヤを思いやる立場にいる真澄。ことにマヤに関しては、昔から尋常ではない予想外の行動を取りつづけられ、それによって幾度も振り回されてきた。その真澄が、マヤが傷つくと分かっている記事を野放しにする、その真意を図りかね、水城はゆっくりと雑誌を閉じると、真澄のデスクの上に戻した。 「何か、お考えがあってのことなのでしょうね……。あなたが彼女に関して、お考えなしで動くことはありえませんから」 確認するように、真澄の顔色が動くのを待つ。自らの思考の行く末に見通しを立てられたことに、若干苦笑しながら真澄は応える。 「考えか……。ないわけではない。 けれども、乗り越えるのはあの子自身だ。俺にはどうすることも出来ないし、不用意に助けてやるつもりもない。女優として生きていくなら、ぶち当たって当然の壁だ。 ただ、これで潰れておしまいになるか、さらに高みに上り詰めるか、俺にとっても賭けのようなものだな……」 真澄の瞳の中に光った、その力強い光を見て取った水城は、諦めたように小さなため息をつくと、言い加える。そもそもこれは、自分などが口を挟むような問題ではなかったとでも言うように……。 「女優の恋人も楽ではありませんわね、真澄さま。 ただ、一言私の方から言わせて頂くとすれば、マヤちゃんがそういった種類のあなたの、『優しさ』を理解できるか、ということです。恐らく、彼女なら、”恋人として”あなたに慰めていただくことを、まず最初に望むでしょうからね。 あなたの計画どおりにことは運ばないかもしれない、ということです」 真澄は思案するように、軽く左手の人差し指を唇に当てたまま、その言葉を聞く。 「肝に銘じておくよ……」 それだけ言うと、真澄はその雑誌を、デスクの引き出しにしまった。 ![]() マヤが紅天女の上演権を手にしてすでに3年。毎年、梅の花の咲くころに限定して公演されてきた、幻の名作『紅天女』も今年で3回目の公演を、大盛況のうちに終えた。舞台女優として、他の追随を許さぬほどの人気と地位を、その若さですでに不動のものとしたマヤは、今まさに旬の女優であると言えた。 私生活においても、真澄による紫織との婚約解消後、二人は決して華やかな交際模様を晒すことは無かったが、二人らしく地道にその関係を築いてきた。一時は結婚も秒読みかと噂されたが、あまりにも女優としてその若さで全てが軌道に乗っているマヤに、それを疑問視する声も多く、また当の二人が常にノーコメントで通すものだから、昨今の”結婚しないパートナー”の流行も手伝って、いつしかそんな噂も途絶えていた。 無理にでも強引にことを進めれば、結婚しようと思えば結婚できた━━。 深夜の誰もいない静まり返ったオフィスの最上階、『社長室』という名の個室で、真澄は眼下に横たわる東京の夜の顔を見下ろしながら思う。 例えばマヤが女優でなかったり、例えば自分が所属事務所の社長でなかったら、とっくの昔に結婚していたかもしれない。例え、紫織の一件があったとしてもだ。 本当は出来ることなら、今すぐにでも誰の手も届かない場所に、縛り付けてでも置いて、自分の物にしてしまいたいという、自分らしい強引な束縛と独占欲をも上回る、真澄の思いとは……。 それは、マヤが100年に一人と言っても過言ではない、天才女優であることにあった。 こんな女優は他には居ない。 その才能の稀有さ、そして恐ろしさは、初舞台から現在にいたるまで、その全てを一番近くで見守ってきた真澄が、誰よりも分かっていた。そして、マヤにとって一番の長所であり、同時に致命的とも言えるほどの弱点は、それを自分で知らないことだった。 どれほど、舞台やその演技力を絶賛されても、またそれらを賞などの目に見える形で賞讃されても、そして腐るほどの仕事のオファーを受けても、マヤにとって演じることは今だもって、”楽しいから、好きだから”という自分のためにすぎない、という危うさが見え隠れする。 それでも今までは構わなかった。それこそが、この腐りきった芸能界の中での、最後の濁らない水源のようで、マヤの最大の魅力でもあった。誰のためでもない、自分のために演じる、演劇こそが我が人生。 その危ういほどのまっすぐさと清らかさに誰もが心を奪われ、そして目が離せなくなる、それが女優北島マヤだった。 けれども、マヤはあまりに無防備だった。 国民的とまで言われる女優としての自分の持つ影響力、そして一人歩きする自らの虚像、そして所詮、演劇という娯楽も大衆がいなければ成り立たない、すなわち『大衆のために演じる』そういった意識、プロとしての意識、計算する意識、それらがマヤの中では完全に不在であった。 はじめのうちは、そんなものは所属事務所の社長であり、そしてもっとも身近でマヤを支えてやれるという自分の立場がそれを守ってやれればいい、そう思い込んでいた。 けれども、それだけでは済まないことを、真澄は長年、芸能界の頂点に立ったものとして自らが見てきたもの、そしてこれ以上ないまでに膨れ上がったマヤの人気を目の当たりにし、思い知らされる。 超現象的に膨れ上がった人気は必ず一度、破裂する。それが、この世界の掟だ。それは、過去のマヤの辛いあの一件からもよくわかる。 そして前回とは違った意味で、今、まさにそれが破裂しようとしているのを真澄は感じる。 これは賭けだった。 女優北島マヤが、自分の足でも歩いていける、真の女優に上り詰めるか、もしくは蹴落とされるか……。 時計の針が12時を回る。 この日、マヤが現在出演する舞台に対するかつてないほどの辛辣な酷評が、雑誌に掲載された。 2003.7.17 ![]() |
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