| 30 AND THAT'S ALL ...?(それでおしまい)
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| "いつかこの道の続く場所で…… 2"
written by 杏子 |
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マヤの出演した舞台は、ベストセラーにもなった北海道出身の女流作家のデビュー作だった。昭和39年、ある新聞の懸賞小説に入選したその作品は、一年間に渡って新聞に連載され、日本国中を一大ブームに巻き込むほどの現象を巻き起こす。後に、ドラマ化だけでも7回、その他にも映画化、舞台化され、日本国民であれば誰もが一度はその名を耳にしたことがある、というほどの有名な作品であった。 その久方ぶりの舞台化にあたり、主人公の陽子にマヤは抜擢されたのである。 たけくらべ、奇跡の人、嵐が丘……。 今までも、何度となく原作のある作品、また舞台作品としても文学作品としても、誰もが知っているほどに有名な作品に出演してきた。初めてのことではない。 けれども、この日発売された雑誌は、 『原作からかけ離れた主人公』 『過去のどの主人公と照らし合わせてもありえない演技』 と、原作、また既成作品における陽子像との違いにおいて、マヤを激しく糾弾する内容であった。 ![]() 「おつかれさまー」 「おつかれさまー」 いつものように、型通りの挨拶に見送られ、舞台の楽屋をあとにしようとしたマヤであるが、どことなくスタッフや共演者の自分に纏わる視線の温度が違う気がした。 楽屋から出演者用の裏出口に続く、長い廊下の影から聞こえた声に、なんとなくその謎が解けた。 「うわ、これ、かなりキツイねぇー。マヤちゃんもうこれ、読んだのかな」 「いや、まだじゃない?読んでたら、あんな昨日までと同じ演技できないでしょ。どっか、動揺するよ、普通だったら」 「いや、でも、マヤちゃん、普通じゃないしさ、これぐらい屁でもないかもよ」 「あはは〜、ありえる、あの子のことだもんね〜」 マヤのその存在に気配すら感じることなく響いたその声は、廊下の角を曲がって、マヤの前を通り過ぎていった。 (そういうことか……) ドクリと、一度だけ規則を乱すように心臓が鳴ると、その場所から不安と緊張が、広がる黒い染みとなって体中へ手を伸ばす。 (今度は何を書かれたのだろう?) 予想したことは、共演者とのつまらない恋の噂か、もしくはまた真澄との件を面白おかしく書きたてた件か、それとも先週久しぶりに桜小路と食事をしたところでも撮られたのだろうか。悪いことをしてるわけでもないのに、自らの胸に手を当てて、犯した罪を振り返るようにマヤは最近の記憶を辿る。 楽屋口の前に止められた車に滑り込むと、躊躇うことなくマヤはマネージャーに聞いた。無防備に、疑いもなく……。 「今度は何を書かれたんですか?暇だなぁ、あの人たちも……」 「マヤちゃんが聞くほどのこともないわよ」 いつものように、そんな一喝するようなマネージャーの頼もしい声と、そういった不確かなくだらない噂話を一笑する、大きな笑い声が聞けると思っていたマヤに、それは意外なほどの冷静さで耳に落ちる。 「マヤちゃん、自分の演技を酷評されることって、耐えられる?」 「酷……評?」 まるで初めて聞いた単語であるかのように、マヤはその言葉を抑揚もなく、口の中で確かめるようにころがす。それは、問題は、全く思ってもいなかったほうから、自分を襲ってきたかのようで……。 「隠しても無駄だと思うから、読むといいわ」 そう言って、マネージャーは一冊の雑誌をマヤによこす。少しもパズルが合わさらないないような、バラバラの思考回路の中をさまよいながら、マヤは緊張した指先でページをめくる。 こんなことは初めてではなかった。初めて舞台に立ってから、紅天女を得るまで、例えば亜弓に対する賞讃が亜弓とワンセットでついて回るのと同じように、平凡な自分の女優としての才能を否定するような酷評や批判は、常に自分のあとをついてくるものでもあった。 時にそれらは、演じる前から仕組まれた、自分やつきかげに悪意を持つもの情報操作であったことを、後に知ることにもなるが、それでも演じることが全てであったマヤには、どこかそういった批評や批判は、自分からは遠く離れた場所で吹く風のようで、いつのまにか耳を通り抜けていったりした。 演じることに夢中になるうちに、そんなことは忘れられた、そんなふうにも言えた。 (大丈夫、このぐらい言われたって、あたしは大丈夫。このぐらい……) そう自らに言い聞かせながら読み進めるが、次第に指先は冷たくなり、書かれた言葉の一つ一つが、的確に、痛烈に、胸のあたりを抉るのをマヤは、字面を追いながら、はっきりと意識の隅で感じる。 ”まるで理解できてない、子どもじみた演技” ”昔の天才女優と言われたころを知るだけに残念” ”動きの全てが無駄。げんなりする” ”趣味や解釈の違いと言えば、それまでだが、これは絶対にありえない陽子像だ” マヤは動揺する。 動揺する自分に動揺する。 これは本当に自分の演技に対する批評なのか、それとも悪意を持って向けられた刃なのか……? 冷静でいられなくなる自分に動揺する。 そして、マヤははっきりと自覚する。 自分は何時の間にか、人の批判にこれほどまでも動揺してしまう人間になってしまっていたということ。もしかしたらそれは、自らの手で築き上げてきた現在の女優としての多少のプライドや、最近では賞讃されることが当然という状況からくる奢り、そんな感情なのかもしれない。そう思うと、自分は急に気づかないうちに、あの頃とは全く違う遠い場所に来てしまったようで、急に自分の居場所が分からないという恐怖心が頭をもたげる。 それは、帰り道の分からなくなった夕方の子どものような、 岸から離れすぎてしまったボートの上で、オールをなくしてしまったような……、 そんな心境だった。 ![]() マヤを真澄のマンションまで送り届け、その背中がエントランスの扉の中に吸い込まれていくのを確認したあと、マネージャーは携帯のダイヤルを押す。 「もしもし、たったいま、マヤちゃんを送り届けました。間もなく、そちらに着くでしょう。それから、社長のお言いつけ通り、例の記事、すでにマヤちゃんの目に触れてますから」 そこまで言って、マネージャーが言葉を選ぶ。 「恐らく、相当動揺しているものと思われます」 (本当にこれでよかったのですか?) その言葉は、結局、受話器の向こうの相手に発せられることなく、喉元から元来た道を戻っていく。 言ったところでもう遅い、そんな想いと、そしてこれには何か訳がある、そう信じたい気持ちがそうさせたのかもしれない。 「あぁ、わかった。ご苦労だった」 真澄のその短い言葉を聞くと、マネージャーは手短に明日の出迎えの時間等を伝えると、諦めたように電話を切った。 ピンポーン 受話器を置いた瞬間、玄関のチャイムが鳴る。合鍵を持っているというのに、必ずドアの前までくると、マヤはいつもチャイムを鳴らした。 開けたドアの向こうに見えたその顔は、かろうじて笑顔を浮かべていたが、どこか曖昧で、そして疲れていた。 「こんばんは……」 その小さな声を合図に、 いつものように、短く唇に触れ、小さな頭を一度、胸に抱きしめる。いつもと違ったのは、すぐに離れていくはずのそのぬくもりが、胸に突っ伏したまま、いつまでも離れなかったことだった。 「どうした、疲れたのか?明日は中日で休みのはずだな、ご苦労だった」 分かっていて真澄は、わざとそんなことを言う。少しでも、問題提起を遅らせるためなのか、それとも例え一瞬だけでも安らぎを与えてやりたかったからなのか、自分自身でも分からないふりをするように、抱きしめる腕に込めた力をさらに強くした。 「うん、疲れちゃった……」 か細い声が、一度だけ胸の中で、真澄のシャツに染み入るように、ため息とともにこぼれ落ちた。 ゆっくりと真澄の腕から離れると、リビングのテーブルの上に無造作におかれた、一冊の雑誌が目に入る。 (そうか、速水さんももう読んじゃったんだ) 考えてみればそんなことは当たり前のはずなのに、真澄もそれを読んでいたということに少なからぬ衝撃をマヤは覚える。そして、次の瞬間にもっと当たり前のことに気づく。 (あれは、みんなに読まれたんだ……) 自分個人に向けられたものではなく、誰もが目にすることのできる状態で、それは存在するということ。そして、それはもはや自分の手の届かない場所で次々と観客を増やしていく、他人の演じる自分についての一人芝居のように、マヤには思えた。 恐ろしいと思う。 目に見えない、『誰』とか、『どれ』とか、『どこ』と言えないその広がりをマヤは恐ろしいと思う。 無力な自分を恐ろしいと思う……。 「速水さんも、もう読んじゃったんだね……」 マヤは力なく言う。責めるふうではないが、ショックは隠し切れない声だった。 「君はどう思ったんだ?」 質問には答えず、逆に質問されたのは、それが肯定だということだ。マヤは、ゆっくりと言葉を探す。 「どうって……。分からない、この人の言ってることは、よくわからなかった。 ただ、分かったのは、この人はあたしの演技が嫌いなのかな、って……。あたしのことがもしかしたら、嫌いなのかな、って」 そこまで言って、マヤは無意識に縋るような目で真澄を見上げる。慰めて欲しかったのかもしれない、そんなものは気にするな、そう言って欲しかったのかもしれない。例え誰に否定されても、この人だけに認めてさえ貰えば、大丈夫、そう思いたかったのかもしれない。 「だって、あたしはあたしの陽子しか演じられないもの。あたしには、あたしの陽子があって、この人にはこの人の陽子があって、あたしの陽子が、今までの演じた女優さんと違うのも、それはあたしと他の女優さんが違う人間だからなんであって……」 そこまで言うと、マヤは混乱と困惑に瞳を潤ませながら訴える。 「お芝居が下手とか、なってない、とか、そんなんだったらいくらでも言われたっていい。でも、自分の理想と違うからって、『こんな陽子は違う』なんて決め付けられても、あたしにはどうすることも出来ない……」 言ったことは嘘ではなかった。言われたことについて、虚しさと悔しさが去来したのは事実だった。けれども、あの雑誌の一行目を目にした瞬間から、ずっとマヤを捉えて離さなかったあの気持ち、 ━━それは、「恐怖」と呼ぶに相応しい感情━━ それに関しては、マヤは一言も触れなかった。 次の瞬間、マヤは思考と目の前の全てが凍りつくような衝撃を覚える。低い、冷静な真澄の声に、全身が凍る。 「甘えるな」 聞き間違いかと想い、真澄の顔をもう一度見直す。けれども、そこにある表情は少しも色を変えず、また読み取ることさえも拒否するように、毅然とその言葉を言い放ったようだった。 2003.7.13 ![]() |
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