30 AND THAT'S ALL ...?(それでおしまい) 
"いつかこの道の続く場所で…… 4"
written by 杏子
マヤへのバッシングは、思った以上に後を引いた。
芸能界の人気ほど、不確かなものはない。

「この人は人気がある、この人は人気が落ちた」

その定義に対する目安が、例えばギャラの高額設定であったり、CM契約本数であったり、またTVにおける露出であったり、一般的大衆は、そのあたりに基準を置くかもしれない。けれども、そもそも”人気”という言葉は、あまりにとらえどころがない。
マスコミにおける情報操作が、中身が何もない空箱がその実体であったとしも、一時の波として人を動かすことはできる。そして、恐ろしいことに、その一時的に押し寄せた波間に、消えていく人間というのもありえるのであった。






マヤは全てが分からなくなっていた。自分が今居る場所も、起こっていることも、そしてこれからどうなるのかも。
巷で溢れ返っている話題は自分に関するものだというのに、全ては虚構であり、真実は一つも、そう、一つもなかった。
今日もテレビは面白おかしく自分の話題を伝える。

マヤが胃の調子が悪いので、舞台の出演者全員に配られる弁当ではなく、用意した栄養補助剤とおかゆなどで乗り切っていると、すぐにそれらは

”豹変ワガママ女優!弁当つきかえし?!”

などとして、事実を歪めて伝えられる。その様子は、唖然といった言葉がぴったりで、周りのものも皆、笑ってしまうほどだったが、マヤは笑えなかった。



気にするなと言われても、毎日のように飛び込む自分への中傷は、一分足りとも頭を離れなかった。
忘れろと言われても、それらは次から次へと、忘れる暇もない勢いで、マヤのもとへ飛び込んできた。
じゃぁ、見るな、聞くな、そう言われても、自分が女優という立場で人前に立ち続ける限り、それは出来ないことだった。
傷つくな、そう言われても、心は勝手に傷つき、そして谷底まで堕ちていく。

マヤは朦朧とし始めた意識の隅で感じる。

確実に、確実に、歪んでいく自分の周りの空気を……。






「悔しいって思うのも間違ってますか?ありもしないこと言いたい放題言われて、痛くもないお腹の中、ぐちゃぐちゃ探られて、悔しくって、悔しくって、ホントのこと叫んでやりたいって、そう思うのも間違っているんですか?」

真澄からかかってきた電話に、マヤは耐えかねたようにそう叫ぶ。

「悔しい気持ちも、虚しい気持ちも、全部わかる。だけれども、君がそれを叫んだところでどうなる?
君が相手にしている相手は、喧嘩の相手のような個人じゃない。誰か一人を叩きのめしたら、終る勝負じゃない。実体のない、捉えどころのない、手に掴むことさえもできない黒い影のようなものだ。
いいか、君が何か一つでも言えば、それは倍になって返ってくると思え。相手は待っているんだ、君が何か言うのを、待っている。 今君は、何をやってもやらなくても、叩かれる。何を言っても言わなくても、引き回される。
そういう存在だ。
沈黙は最大の防御だ。覚えておけ」

その厳しい言葉の合間に、マヤはどこか縋れる場所を探す。無意識に探す。この人にまで否定されたら生きていけない、そんな思いにとらわれ、必死になって探す。

「でも……、でも、心は勝手に傷つきます。傷つくなって言われたって、勝手に今日も傷ついてます。
静かに、静かに、傷ついてます。これは……、どうしたらいいの?」

声に涙が滲む。唾を飲み込んだ瞬間、喉が切れたのかと思うほど、痛かった。

「……俺がいつも側に居る。どんなことがあっても、俺が側にいる」

その言葉が本当にマヤの心まで届いているのか、その場しのぎの言葉ではなく、自らの体の一部を切り離して添えるほどの重さで持って自分が言っていることが、果たしてマヤに伝わっているのかどうか、真澄は電話越しに不安な気持ちになる。

「マヤ……。君は女優だ。君の立つ舞台はこんなところじゃない。
君の居場所は、あの虹色の舞台の上にしかない。
プライドを持て。全部、芝居で返せ。
それが、一番の復讐じゃないか?」

どれか一つだけでも、ふわふわと彷徨うように目の前を浮遊するマヤの心に届くように、真澄は、短い言葉をいくつもかける。マヤの中から確かな手応えが欲しい、こんなところで負けやしない、という確かな手応えが欲しい、真澄がそう思って受話器の向こうの沈黙に耳を縛られていると、マヤの小さな声が聞こえる。

「うん……、わかった……」

真澄は最後まで、自分の思いがマヤに届いたのか、分からないままだった。






梅雨明けが発表されると、7月の太陽は容赦なく、アスファルトを照らす。ジリジリと焼け焦げるような熱さを、信号待ちの横断歩道でマヤは背中に感じる。
真澄と約束した通り、どれほど報道陣にもみくちゃにされようと、マヤは沈黙を守りつづけた。
理不尽な誹謗中傷や、書き逃げのような無責任な週刊誌の記事も、騒音でしかありえないワイドショーのニュースも、すべて聞こえない振り、見えない振りをした。

けれども、それは振りでしかなかった。

実際は、どれだけ目を瞑っても、耳を塞いでも、どこからともなく悪臭が漏れるように、それらはマヤの耳に入り、そして体内に傷を残しながら抜けていった。



もうすぐ、楽屋入りの時間だ。
照りつける太陽に背中を刺されながら、ゆっくりとうなじの辺りを、一筋の汗が下っていくのを、マヤは他人の体のように感じる。 早く、楽屋に行かなければ。
分かっていて、足が動かない。

信号が青に変わり、一斉に人々が道路の真中で交差し始める。けれども、マヤの足は動かない。灼熱に靴の裏を解かされてしまったかのように、道路に溶接され、動けない。

青信号が点滅し始め、人々が小走りに散っていく。
その時、目の前で何かが舞う。

小さな、麦藁帽子だった。

白いリボンのついた、少女の手から放れてしまったのであろう、その麦藁帽子が、目の前の道路で踊った一瞬、その例え様もない美しい浮遊にマヤは目を細める。
耳の中は白く、何も聞こえない。

甘い浮遊は、突然引き裂かれる。

一斉に走り出した車の一台が、丸い麦藁の丘を潰し去る。

「あぁっ……!!」

マヤは心臓が潰れるほどの眩暈を感じる。ワンピースの胸の辺りを掴みながら、助けを求めるが、誰も何も反応を示さない。
どうして、車は一台も止まらないのだろう?
どうして、道路に赤い血は流れないのだろう?
どうして、救急車はかけつけないのだろう?
どうして、誰も騒がないのだろう?

目の前で潰れてしまった、その麦藁帽子が視界が消えた瞬間、ギラギラと白く照りつける空が、グルリと回って頭の上から落ちてきた。

途切れてしまった意識の向こうで、マヤは必死に叫ぶ。

早く、楽屋に行かなきゃ。
舞台に立たなきゃ。
じゃないと、また、襲われる。あの、黒い影に襲われる……。




疲労と軽い日射病に襲われ、マヤはこの日病院に担ぎ込まれる。
周囲の反対を押し切って、その日もいつもどおりに舞台をやり通したあと、異例の記者発表が行われる。

マヤが不在のまま、担当マネージャーにより伝えられた内容は、北島マヤは、無期限の休養にはいるということ。具体的な復帰のめどはたっていないということ。
そして、現在上演中の舞台は最後まで務め上げるつもりであること、が伝えられた。



2003.7.13



…to be continued










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