7月7日、晴れ 1
※※このお話は長編”天使の休日”、さらに30Storiesの”02 秘め事『僕の美しい人だから』”の続編になっています。先にそちらをお読みにならないと、”なんのことやらサッパリ?”だと思います。先にそれらのお話を読んでからお読みになることをオススメいたします。





 ━━1年に1度しか会えない。



そんなことを言うと、10人中9人は

”まるで七夕カップルみたい”

そう言うであろう。
実際は、誰かにそんなことを言ったことがあるわけでもなく、だから言われたこともないのであるが、そんなことを自分で思うのも、恋の魔法のなせる自分には不似合いなロマンチストさなのかと、苦笑する。



聖は今年に入ってすでに3度目の引越しを終え、見慣れない、窓からの東京の夜景に目をやる。けれども、しばらく経つと、所詮角度や見る場所を変えたところで、それは以前見ていたものと大差もないことに気づき、そのまがい物の光の洪水から目をそらす。

(そういえば、彼女はこの夜景を好きだと言っていた。”むこう”にはないから好きだ、と言っていた)

目を閉じ、耳を澄ましてみる。
持ちうる感覚の全てを研ぎ澄まし、その存在を空気を通して、肌で感じ取ることを試みる。けれども、そこにはただ、沈黙と夜の闇と揺れ動くことさえない空気の流れが横たわるだけ。

(今日はいないのかもしれない……)

小さなため息が音もなく、窓の向こうの夜空に吸い込まれる

その存在にふれることはおろか、見ることも、気配を感じることも許されない、と聞いた時、そうは言っても理屈ではない直感で、そんなことはあり得ない、そう信じていた自分がいた。けれども実際には、やはりその存在はあまりにも不確かで、曖昧で、自分の信じる気持ちや思い込みが全てのようなものだった。
『居る』と思えば居るような気もするし、『居ない』と思えば居ないように思えた。けれども、

(居ないのだろう)

などとその存在を否定した、まさにその瞬間に、もしも彼女が自分の側に居たとしたら?
そんなことを思うと、途端に無力な自分をうらめしく思う時もある。

ふと夜空を見上げれば、梅雨の晴れ間にわずかな星が光る。

(そうか、明日は七夕か……)

今さら、そんな子どもの行事に自分が心動かされるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていたのに、ふと心の隙間からわきあがってしまった甘い感情に、聖は軽く頭を振りながら苦笑する。
迷った末に、馬鹿げていることを百も承知で、聖は窓辺の小さなな植木に、薄い白い紙を一枚、ぶら下げる。 願い事は、書かなかった。
”願い事”などというものをこの自分が迷信まがいに口にすることへの気恥ずかしさもあったが、それよりも何よりも、そんなことを口に出したり、紙に書いてしまえば、叶う願いも叶わなくなるような、そんな気がしたからだ。
本当に自分が望むものは、口にださずに、誰の目にもふれられないほうがいい……。
そう思って、聖は、そのたった一つの自分の願いを、ただ心の中で呟いた。








翌朝、梅雨時にしては珍しく晴れ上がった空から、太陽が顔を覗かせ、ブラインドの隙間から差し込む眩しい日の光が、閉じた瞼の裏を刺激する。不思議なもので、聖は目覚ましを必要としなかった。いつも、自分の思った時間に起きられるのだ。
しかし、正確に言えば、ここ数年熟睡できることもなく、数時間寝ては目を覚ましてしまうと言ったほうが、正しいかもしれなかった。

(晴れ、か……)

起き上がると、人差し指をブラインドの隙間に差込み、固いブラインドをくぼませるように折ると、窓の向こうの白い世界を見る。
無理だとわかっていても、少しだけ、願い事に近づけた気がして、自然と笑みがこぼれた。









するべき仕事は、午前中のうちに片付いた。新宿の裏道の階段を降りた地下にある、お世辞にも綺麗とはいえない、むしろいかがわしい匂いのする喫茶店で、聖は押収したフロッピーディスクを一枚、背広の内側に収めると、ここしばらく止めていたタバコに火をつける。
安っぽい革張りのソファーは、一部が破れ、中から黄色いスポンジがむしられたように飛び出していた。
おいしくもないコーヒーを一口、口に運び、紫煙を吐く。
天井に近い位置に取り付けられた小さなTVは、不自然なまでに明るい日常を伝える昼のワイドショー番組らしく、
『今、話題の!』
などの決まりきった枕詞とともに、甲高い声のリポーターが出来たばかりのレストランなどを紹介していた。

カラン、カラン

ドアにつけられたカウベルの音が聖の背後で響く。絞られたTVの音声の合間から、冷たい茶色のレンガの床を、コツコツと叩く足音が聞こえる。次第に近づくそれに、なんとはなしにTVの画面から目をそらすと、その足音は自分の目の前で止まった。
その足元を見た瞬間、体中の内臓がそこへ向かって縮んだような思いがした。
薄暗い場末に地下の喫茶店には不似合いな、黒いピンヒールのサンダル。 サンダルのストラップは、その細い足首を編み上げるように何周もしている。 薄く白いペディキュアのほどこされた、形のよい爪。
足の爪一つとっても、美しかったあの人のそれを、聖は忘れるはずがなかった。

「ちょっとぉ、恋人呼び出すんだったら、もうちょっとオシャレなとこ呼び出してくれない?なんで、こんな小汚いとこなのよ〜」

足の主が、不服そうに、けれども本心から責めてるわけでは決してない、むしろ、どこかからかうような声音でそう言った瞬間、聖はゆっくりと足元から目線を上げていく。見てしまったら、たちまち全ては泡となって消えてしまうのでは、そんなことをかすかに恐れながら……。








2003.7.7



…to be continued










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