| 天使が堕ちた夜 11
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『俺は3日後に死ぬ…』
「…な…、なに…言ってるの…?」 否定されることも、罵倒されることさえも、覚悟していた。 「天使のお迎えが来たんだよ。俺も最初は信じられなかった。夢でも見たんだろうぐらいに思っていた。だが、どうやら現実のようでね、逃れられない運命らしい…」 あまりに気軽な調子で言う真澄に対して、マヤはからかわれてるのかと思い、怒っていいのか笑っていいのか分からなくなる。 「面白くない…。そんな冗談、ぜんぜん面白くないっ!笑えないっ!!」 肩で息をしながらマヤは叫ぶ。 「俺も笑えないよ…」 そう言って力なく目を細め、苦しそうに顔を歪めた真澄のその表情に、マヤは得体の知れないものが足元から這い上がってくるのを感じる。 (嘘!嫌だ!そんなことあるわけない!!) 言葉にならない叫びが体中を駆け巡る。そうだ、そんな事あるはずないのだ。人が自らの死期を知りうるとすれば、それは唯一、自らの命を絶つ場合だけだ。マヤの心臓がどくんと波打つ。 「は、速水さん…、まさか…、自殺…、するの?!」 自殺という言葉の持つその恐ろしい響きだけで、マヤの全身に鳥肌が立つ。 「自殺…?」 真澄の顔が驚いたように、引きつる。 「自殺なんて、俺がするわけないだろうが、俺が好き好んで死ぬとでも思うのか?」 その言葉は本当のようだった。 「じゃぁ、なんで?どうして、死ぬなんてわかるの?誰が決めたのよ?天使って、何よッ?!」 興奮したマヤの頬がみるみるうちに紅潮していく。予想通りの当たり前の反応ではあったが、それでも真澄はマヤに信じてもらえるのか、焦りを感じ始める。 黙ったままマヤを抱き寄せると、顎の下にすっぽりと収める形で、その胸に閉じ込めると、マヤは抵抗する素振りも今はもう見せず、なされるがままになっていた。 「落ち着いて最後まで、聞いて欲しい。その上で、君が信じてくれなかったらそれまでだと思っている…」 真澄の鼓動が聞こえる位置に預けたマヤの耳に、その言葉は耳からではなく、真澄の体内を響いて伝わってくるようだった。 「先週末、残業で深夜まで社に残っていたとき、それは突然現れたんだ。 『あなたの命はあと一週間だ』 一方的にそう告げられた。その天使…、俺も正体はよくわからないが、本人は天使だと言ってた。ご丁寧に背中に羽まで付けてたよ。…とにかく、その天使が言うには、死ぬ前に一つだけを願いを叶えてくれるらしい。 そこで、俺は絶対に一生叶わないと思っていた願いを口にした。 次の瞬間、君から電話がかかってきた…」 マヤの心臓がどくりと跳ね上がる。あの日、唐突に真澄に電話を掛けてしまったのは事実だ。真澄のシャツの胸元をぎゅっと掴むと、震える声で尋ねる。 「速水さんの願いって?一生叶わないって思ってた事って…?」 「死ぬまで君と一緒に居ることだ…」 心がバラバラと砕けていく音が聞こえる。これ以上聞いたら、自分は壊れてしまうのではないかとマヤは思う。 「信じられない事に、君は次の日から一週間のオフだという。この半年、オフなど一日もなかったような君がだ…。 だから俺はこの一週間に賭けてみることにした。 一度だけ死ぬ前に正直に生きてみたくなった。 君に思いを告げたくなった。 そして、それが叶えば死んでもいいとさえ思った…。 だが…」 包むように肩にまわされた真澄の手に力がこもる。 「君までもが同じ気持ちだとは思わなかった…。それは俺にとって、この上なく幸せな事であったけれど、同時にこの上なく残酷な事でもあると、すぐに思い知らされた…。 君を置いて逝くなんて、俺には到底出来ないと思う。でも、出来るとか出来ないの問題じゃなく、それが、そうでしか有り得ないという、必然の運命であるのなら、俺は受け入れるしかない…」 淡々と言葉を繋いでいく真澄のその調子は、すでにもう全てを、運命を、受け入れてしまったかのような落ち着いた口ぶりだった。 「なんで…?どうして、そんなの信じるの?速水さんらしくないよ!速水さんが、そんな夢みたいな事信じるの、おかしいよ、似合わないっ!」 否定の叫びも思わず、上ずった調子で声が震える。 「全部、偶然かもしれないじゃない。アタシのお休みだって、アタシが電話したことだって…。それから、アタシが速水さんを好きだったのは、偶然でもなんでもなくって、こうしてアタシが今、速水さんと一緒に居るのは、それはアタシがそうしたかったからであって、そんな、天使なんて関係ないっ!」 嗚咽の塊が溢れてくる。ここで自分まで全てを認めてしまったら、得体の知れない何かに真澄を奪い去られてしまう様で、マヤは必死の思いでそれらを否定する。 そんなマヤを優しくあやしながら真澄は言う。 「もしも、天使が現れなかったとしたら、あと一週間で死ぬと言われなかったら、例えあの夜君から電話があったとしても、こんな事にはならなかったはずだ…。君は、自分で言っていたように、ぼーっとしたまま何もせずに一週間のオフを消化し、そして俺は君に何も言わずに紫織さんと結婚していただろう…」 その言葉はとても冷静で、ゆっくりと体内を蝕むような速度で、しかし確実にマヤを陥れる。真澄の言葉はもっともだった。そもそも、この突如降って湧いたような真澄と過ごす時間は、あまりにも甘く、とらえどころがないほどに非現実的であった。今にも『全ては夢だった』というオチで目が覚めてしまうのでは、とマヤ自身思ったのは一度や二度ではなかった。 「あと、どのくらい…なの?正確には、あと、どれだけ、時間…、残ってるの?」 興奮した強い調子はそこからは消えうせ、全てを受け入れたような、抑揚のない声で途切れ途切れにマヤは聞く。 背後の置時計に真澄はゆっくりと目をやる。時計の針は間もなく12時を指そうとしていた。 「3日と30分…」 低い声で真澄は答えると、 (約束の一週間はもう半分も過ぎてしまった…) そう思って、大きく息を吐きながら目を瞑る。 「もっと早くに言ってくれればよかったのに…。アタシ、そしたらもっと速水さんに優しくしたり、もっと速水さんに何かしてあげたり出来たのに…。何にもしないで、4日も過ごしちゃったよ…。もう二度と返ってこない時間なのに…」 切ないマヤのその声は、真澄の身を切り刻むほどに切なくさせる。 「頼むからそんな事を言わないでくれ…。君が居るだけで、俺は幸せだ。今までの人生で一番幸せだ…。 何もしてやれないのは、俺のほうだ。すまない…」 この先の長い人生を一緒に居てやれないこと、一人にさせてしまうこと、一度与えた愛の温もりを奪い去ること…。これからマヤに襲い掛かるであろう、痛みの一つ一つが真澄の胸に突き刺さるようにして真澄を追い詰める。 どんな困難にも立ち向かう自信はある。マヤのためなら、なんだってしてやるという勇気も決意もある。しかし、それらは全て己の生があってのことだ。真澄にとって何よりつらいのは、自分には間もなく、マヤを守ってやる資格もなくなるという事だった。 ![]() その夜二人は激しくお互いを求め合う。まだ男の肉体を受け入れるという事に関しては未熟であり、受け入れるだけが精一杯のそれではあったが、マヤは必死に真澄を求める。 「速水さん…、本気で抱いて。痛くてもなんでもいいから、あたしのこと本気で抱いて…。あたし、速水さんに一生分抱かれたい…」 労わるようにマヤの様子を伺いながら動いていた真澄に、マヤはそう言って、きつく腕を絡める。潤んだ瞳でこちらを射るように見つめるマヤのその言葉に、真澄の男として冷静でいられた最後の砦が壊される。 「言った言葉に後悔するなよ。俺はいつでも君に本気だ…」 そう言ったかと思うと、両腕を膝の下に押し込むと両足を抱え上げる。一層きつくなった結合に、マヤは一瞬顔をしかめるが、真澄の口付けがそれを取り壊す。 体が壊れ、心も壊れ、このまま粉々になってしまいたいとマヤは思う。そして、真澄がこれから逝ってしまう遠いどこかに、連れていって欲しいと思う。 閉じた瞼の裏に浮かぶ色が何色か、もう分からない。 つま先から痺れていくような感覚。 激しく真澄に上体を揺さぶられ、ベッドの軋む音とシーツの衣擦れの音に惑わされ、自分の声も聞こえなくなる。今この瞬間、地震が起きてもきっと気付かない…。 唐突に振り切れてしまった感覚のリミッター。自分だけが何もない白い世界に放り出されてしまったようで、息をしているのかさえもわからない。ただ、一人になってしまったと思っていた瞬間、激しく自分を呼ぶ声がして、そしてその存在は圧倒的な強さで自分を包み込む。 (あたしは一人じゃなかった…) 二つの乱れた息に包まれて、マヤはその不思議な感覚をしっかりと記憶の網に留め様とする。 魂の抜けたようなぐったりと果てた真澄の肉体を、すぐ自分の上で感じながら、マヤは折れ曲がった膝をまっすぐに伸ばす。 (一つのものになってしまいたい。どこからが自分でどこからが速水さんか、わからなくていいから、同じものになってしまいたい。そうしたら、もう何にも恐いものなんてないのに…) 段々と速度を落としていくお互いの鼓動を感じながら、酸素の戻ってきた頭の片隅でマヤはそんな事を考える。 ふいに真澄が上体を起こすと、そのままの状態でマヤを抱き上げると、体を横にする。あっという間に反転させられると、マヤの小さな体は真澄の上に乗せられた。 それも、繋がったままで…。 「あ、あの…、速水さん…?」 「重そうだったから…」 そう言ってにっこり笑うと、さらに付け加える。 「しばらくこのままで居て欲しい…」 下から見上げるその目は、とても切なげで、逆らうことなど出来ないとマヤは思う。 「えと、このままって、このまま?繋がったまま?」 どうしたらいいか分からず、思わずそんな風に聞いてしまう。 「ああ、このままだ…」 そう言うと、マヤの頭を自らの鼓動の聞こえる位置に押し付け、優しく髪を梳かす。 「俺の音を覚えていて欲しい…」 その瞬間、規則的に生を刻む真澄のその心臓の音が、一度だけ大きく鳴った気がした…。 2.14.2003 ![]() |
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