彼女を見ればわかること 3
「すぐ近くにこの時間でも軽く食べれる場所があるが…」

(だから一緒に食事に行かないか?)

そんな問いかけさえも最後まで言葉に出来ない自分の弱気に、真澄はほとほと呆れる。

「速水さんのおごり?」

それを知ってか知らずか、明るい声でマヤは悪戯っぽく笑う。

「社長が奢ってもらうわけにもいかないだろ」

いつも通りなマヤの声音に安心して、ようやく真澄もいつも通りな自分を取り戻す。

「フフフ。じゃ、行こっかな〜」


クロークで受け取ったコートを真澄がマヤに着せてやる。一瞬、手と手が触れ合い、先程の夢遊病の様な感覚が蘇り、お互いの気持ちがぐらりと揺れる。

(バ、バカ…。何、こんな事ぐらいで動揺してるのよ。女優の手、握るぐらい、速水さんにはきっとご挨拶なんだから)

慌てて何もなかった振りをして、コートの前を留めようとするが、指が震えて上手くボタンがはまらない。そんな様子を見かねてか、真澄の長い指がすっと、マヤの首元まで伸びる。下から順番にコートのボタンを留めていく。首に一番近い位置のボタンまで留めると、

「外は寒いからな…」

なんでもないように、呟く。襟元からその美しい長い指が離れるとき、一瞬、指先が顎に触れた。
途端にマヤは溺れそうになる。自らの溢れ出す想いと、大人である真澄の余裕に溺れ、息が出来なくなるような胸の痛み…。

(私ばっかりドキドキして、馬鹿みたい…)

心の中で小さく笑った。





真澄が案内した店は、帝劇から歩いてすぐにある洒落たイタリアンのカフェであった。コールドーミール中心であるが、この時間でも空腹を満たせるという事で、店内はそこそこ混んでいた。

マヤは少し迷ったが、真澄につられて赤ワインを頼む。

(あんまし、飲めないんだけど、ジュースじゃあんまりよね…)

どこまで背伸びしても届かない真澄と自分の関係に、心の中で一つ、ため息をつきながら、グラスを傾けた。


今日の芝居の話、それから、現在進んでいる例のドラマの裏話、他愛もない話題を重ねて空腹も満たされた頃、ふと、お互いに隠し通していたぎこちなさが浮かび上がるような沈黙が横たわる。

「あ、あの…」

「そういえば…」

お互いに同時に話題を振ろうとして、声が重なる。途端にマヤは小さく吹き出すと、

「あ、どうぞ、速水さんから…」

「いや、チビちゃんから話せ…」

「いえ、こういうのは年功序列に…」

「なんだ、それは!」

しばらく押し問答した末に、真澄は笑い出しながら喋りだす。

「大した事じゃないが、その…、仕事の方は絶好調みたいだがな。プライベートの方はどうなんだ?」

大した事ありまくりのくせに、出来るだけ気軽な調子で真澄は切り出した。
「あ〜、もう絶好調ですよ〜。プライベートも、おかげさまでっ!」

そう言って、マヤは乱暴にワイングラスをぐっと傾けた。真澄の額の辺りの神経がピクリと動く。

「ほぅ、絶好調って事は、何かいい事でもあったのか」

白々しい芝居を打つ自分が情けなくなるが、このままでは握ったワイングラスを潰しかねないと気付き、真澄はあわててグラスをテーブルに戻した。

「友達にも恵まれてますし〜、つきかげの公演もうまく行ってるみたいだし。それから、新しく引っ越したマンションもすっごい、キレイで気に入ってますしぃ…」

(イヤ、そういう事じゃなくて…)

そう、真澄が口を挟もうとした瞬間、マヤは真澄が凍りつくような事を言う。

「好きな人も居るし…」

マヤはテーブルに置いたワイングラスを円を描くように回している。

「…付き合っているのか?」

声が震えている気がしたが、この際気にしていられない。絶望的な思いに襲われそうになりながら、真澄は必死に言葉を繋いだ。

「…まさかぁ…」

マヤはそう小さな声で呟くと、回していたグラスから赤ワインがこぼれ、白いテーブルクロスに紫色の染みを作る。

(うわぁ、どうしよう。また、速水さんに怒られちゃうよぉ…)

そう思って、慌てて見上げた真澄の目は、恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。

(うわ、何、本気で怒ってるの?赤ワインの染みって抜けないんだっけ?)
自分が見当違いな事でおろおろしているなんて、マヤは夢にも思わない。

「相手は誰だ?君の気持ちは向こうは知ってるのか?」

「え?…あぁ、話の続きですね…」

どうやら、クロスに染みをつけてしまった事は怒られないようなので、マヤはホッとして答える。

「誰って…」

(あなたです…とは言えないよなぁ)

小さなため息を一つついて、マヤはぼそぼそと喋りだす。

「私には不釣合いな人です。すごいお仕事してるし、お金持ちみたいだし、かなりカッコイイし、それから、すっごいもてるみたいだし…。私なんてお呼びじゃないってカンジかなぁ…」

真澄の中で嫉妬の嵐が最大級の大きさで暴れだす。

「そ、それで、相手は君の気持ちを知ってるのか?」

「知ってると思いますよ。バレバレだと思うし…。一回だけ、直接じゃないけれど、間接的に気持ち伝えた事もあるし…」

なんだか、マヤは可笑しくなる。ここまで言っても真澄は気が付かないのだろうか?それとも分かっていて、人の気持ちを弄ぶように楽しんでいるんだろうか?

「それで、相手はなんと言った?どう、答えたんだ、君の気持ちに!」

自然に声が荒がるのはもうどうしょもない。

「…何も…。無視されましたよ…」

しばしの沈黙。

(速水さんてば、何、そんなに怒ってるのかしら…。あぁ、社長ってのは女優のスキャンダルとかにもうるさいからか。そっか…)

「別に、そんな、速水さんに心配されるような事、ありませんから。だって、向こうにぜんぜんその気がないんだから、スキャンダルにだってなりようがありませんから、どうぞご心配なく!」

それだけ言い切ると、マヤはグラスに残っていたワインを一気に飲み干した。

(うわ、やっぱ、苦〜…)

「…どうだかな…」

それだけ、吐き捨てるように言うと、真澄はタバコに火をつけた。


「速水さんは?
…その、プライベートの方、どうなんですか?婚約破棄しちゃったのは、私もびっくりだったけど、その、どうして…、どうして結婚やめちゃったんですか?紫織さん、あんなにキレイでしかも凄いおうちの人だったのに…」

そんな事を無邪気な顔で聞いてくるマヤに対して、真澄は一瞬殺意に近いほどの、いらつきを覚える。

「速水さんと結婚する人は大変ですね。紫織さん以上の人なんて、一体どんな人なんだろう…。私には想像もつかないや…」

「俺は結婚はしない…」

マヤの的外れなひとり言を遮るように、真澄は呟く。

「え?どうして?」

大きな目がさらに大きく見開かれ、唇はぽかんと開いている。
何かを諦めたような、寂しげな笑いをフッと浮かべ、真澄は答える。

「大人には大人の事情があるからな…」

なんだか突き放されたようで、マヤは少し哀しく、そして聞くべき事ではない事を聞いてしまった気がして、恥ずかしくなる。

「なんか、ずる〜い…。私だけ、色々喋らされて、聞き逃げってカンジ…」

「社長特権だ」

茶化すように真澄はそう呟くと、いつもと違う方向に少し、傾きかけた二人の空気はあっという間に軌道修正される。


「他の男を好きになる気はないのか?」

諦めきれないように、真澄が最後の問いを放つ。

「…無理だと思う。あれがダメだったら、これにしよう、って種類のものじゃないから。その人じゃないとダメだから…。だから、アタシも速水さんと一緒で、一生結婚しないかもしれない。その人ともこれ以上親しくなれなくても、嫌われて拒否されるぐらいだったら、このままでもいいかなって、アタシ、思ってるし…」

そう言って真澄の目をまっすぐに見つめたマヤの目は、切なく、哀しげで、真澄の身を切り裂きそうな痛みを与える。

『嫌われるぐらいだったら、このままでもいい…』

(それは自分も同じだな…)

そう思い当たると、真澄は自嘲的に小さく笑った。



1月の東京の夜空の空気は、酔った頬には心地よい冷たさを与える。

しばらく二人で並んで歩いた後、マヤは思い切って真澄の腕に小さな自らの手を滑り込ませた。驚いて、見返す真澄に、マヤは小さく舌をだして、さも悪戯っぽく言う。

「え〜、だめ?だって、さっき、迷子にならないように掴まってろって、言ったじゃないですかぁ。あれ、今日のうちはまだ有効でしょ?」

「そんな事して、君の好きな男に見られたらどうするんだ?」

そんな事を言うなんて、我ながら色気のない男だと、真澄は自分で思う。

「いいの!大人には大人の事情がありますから!」

してやったりの表情で先程の真澄の言葉をリピートするマヤに、真澄は苦笑いを浮かべると、

「どうなっても知らんぞ」

そう言って、マヤの腕が差し込まれた左腕を心なしかきつく締めた。

(このまま、ずーっと時間が止まっちゃえばいいのに…)

思っても無駄な事を思いながら、マヤは目を閉じる。

(例え目を瞑って暗闇の中で歩かされても、この人と一緒だったら、自分はきっとなんの不安もなく歩いていける)

そんな事を思いながら…。





翌週、先週のマヤとの束の間のデートでエネルギーを満タンにして、鼻歌気分で仕事をする真澄を陥れるような、ニュースが入る。

マヤと現在のドラマの共演者である、俳優のスキャンダルがすっぱ抜かれたのである。

相手はマヤより13年上の俳優、峰岸純。ニヒルだのダンディーだの言われ若い女性を中心にこのドラマをきっかけに爆発的に人気も出てきた、実力派である。ドラマの中でも、田舎から出てきた主人公であるマヤを次々と華麗に変身させていく役がはまり、女性誌でもひっぱりだこであった。

内容は、普段から憑依系女優としてお騒がせのマヤが実生活でも役になりきり、峰岸に以前から猛烈アタックをかけていたのに対して峰岸も答えた、というものであった。そして、峰岸は妻子ある男であり、その家庭を脅かせるものであると…。

『私には不釣合いな人です。すごい仕事してるし、お金持ちみたいだし、かなりカッコイイし、それから、すっごいもてるみたいだし…。私なんてお呼びじゃないってカンジかなぁ…』

『向こうにぜんぜんその気がないんだから、スキャンダルにだってなりようがありませんから…』

『アタシも速水さんと一緒で、一生結婚しないかもしれない。その人ともこれ以上親しくなれなくても、嫌われて拒否されるぐらいだったら、このままでもいいかなって、アタシ、思ってるし…』

(そういう事か…)

わなわなと震える真澄の指から、週刊誌が滑り落ちる…。




1.12.2003






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