| 天使の休日 2
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「で?なんで?どうして、こうなるワケっ?!」
むっすりとした顔で天使は、社長室の奥、衝立の前の鏡の前に立ちはだかり、鏡越しに真澄を睨む。 「よく似合ってるぞ。いや、まさか、ここまで似合うとは思わなかった」 ククククッと笑いをかみ殺すように、口に手を当て、真澄は肩を震わせる。天使は首元のネクタイに悪戦苦闘し、しまいには 「あ〜、もう、ネクタイまですることないじゃない。いらないっ、コレっ!」 そう言って、ネクタイを放り投げた。 「しょうがないだろう、こんな時間だ。俺だって謹んで喜んで、君にGUCCIでもPRADAでもD&Gでも買ってやりたい のは山々だが、店が開いてない。それで、我慢しろ。 あぁ、でも一応、そのスーツ、アルマーニだからな」 そう言って悪戯っぽく、目を光らせて笑う。 天使の身長は、真澄と立って並んでも大差がないほどの長身だ。1m80cm近くはあるだろう。社長室の控え室には、 急な用事にそなえ、いくつかのスーツや礼服が備えられている。その中から最も細身のものを、真澄は天使に与えたのだ。 「いいじゃないか、君、どうせ男でやっていくのが困るわけでもないだろうに」 そう言って、いつだったか『両性具有』であることを目の前で晒されて、吐き気さえ催したことを思い出しながらからかう。 天使はふっと視線をさまよわせると、思い出したようにサラリと言う。 「あら、お生憎様。私、今、女なんですけど。 言ったでしょ、今の私は、天使じゃないんだから。人間でございます、ってことはですね、正真正銘のオンナでございますので、 色々とお気をつけあそばせくださいませっ。シャチョー!」 そう言って、覚悟を決めたのか、長い黒髪を一つにまとめると、キリリとした印象のアップヘアーにする。その出で立ちは、つい先日大都で 配給が決まった、大ヒットのアメリカ映画の黒いスーツの女エージェントのようだと、 真澄はその不思議な存在感に少々圧倒されながら、そんなことを思ってみた。 ![]() 「で、泊まる場所のあてはあるのか?」 助手席の男装の麗人を横目でチラリと見ながら、真澄はハンドルを切る。 「あるわけないでしょ」 開き直ったように、天使は言い放つ。 「それは困った」 分かっていてわざと言ってみた愚問であるが、真澄は殊更、思案するような表情を浮かべる。屋敷に連れて帰れば、とんでもないことに なるのは予想がついたし、そうするつもりはもちろん最初からなかった。そんな真澄の様子を、それがクセなのか人差し指で 下唇を弄びながら天使は言う。 「心配しなくたって、あなたのお屋敷なんか行きませんよ〜だ」 驚いて真澄が天使を見つめると、なんでもないふうに天使は言う。 「だって、あのじーさん、あたし苦手」 この天使にかかれば、天下の速水英介も”じーさん”なのか、と真澄はおかしさのこもった苦笑を浮かべる。 それじゃぁ、ホテルにでも……、真澄がそう言葉を繋ごうとした瞬間、その息継ぎを遮るかのように、天使の大きな声が車内に響く。 「マヤちゃんとこ、行こ〜!!ゴーゴー!!」 真澄が言葉に詰まったように、前方を睨んだまま、ハンドルを指で叩くので、天使は試すように言う。 「あらららら、行けない理由でもあるんでしょうかぁ〜」 ”人間になった”と言いつつも、どうも先ほどからしっかり思考回路を覗かれている気がしてならない真澄は、諦めたような苦笑を 一つ浮かべると、目を瞑ったまま軽く頭を左右に振る。 「君には何一つ、隠し事が出来ないようだ。でも、あんまり勝手に人の心を覗くなよ」 そう言って、通いなれた道順に沿って、車を走らせた。 ![]() 「あ、ここ……」 二人を乗せた車が、マヤの住むマンションの地下駐車場に滑り込む少し手前で、天使はふと声を上げる。まるで、眩しいものでも 見るように、目の下の筋肉を少し痙攣させて、交差点の信号を見る。 真澄はすぐに天使の意図を察し、静かに同調する。 「ちょうど、ここの交差点だったな」 「……うん」 一年前に真澄の鮮血が流れた場所をちょうど通過する瞬間、天使は瞼をきつく閉じる。 「思い出すことある?事故の痛みとか、あの日のこととか……」 近づく駐車場の入り口に右折するためにスピードを落としながら真澄は答える。 「いや、思い出す痛みは一つだけだ」 天使は黙って続きを待つように真澄の横顔を見つめる。 「あの日、目の前でマヤが車に轢かれそうになった、あの映像だけは、どれほど消しても繰り返し、脳裏に蘇る。 それから、その時感じた、潰されるような心臓の痛みは、今思い出しても同じぐらい痛い」 そう静かに言った真澄の言葉を、天使は下唇を弄ぶ指先を止めて聞く。 「……大丈夫よ。あなたも彼女も、死ぬときは一緒なんだから。ずっとずっと先のことなんだから……」 言い聞かせるように、見えない不安を包むように天使は呟く。 「あぁ……、君のおかげでね」 真澄のその穏やかな声に、天使は一瞬ふいをつかれたように驚いた顔をしたあと、照れくさそうに俯いて「どういたしまして」 と小さく笑った。 ![]() マヤの部屋の前まで辿り着くと、突然天使はわざとらしい声を上げる。 「あぁ〜〜、アタシってば、アタシってば、一年ぶりの感動のご対面だって言うのに、手ぶらだよ。マズイねぇ、これはマズイ。 というわけで、ちょっとひとっ走りコンビニまで行って参りますので」 そう言って、当然のように右手を差し出す。 真澄が唖然として見つめ返したままでいると、口角だけをニヤリと上げて笑う。 「大丈夫、ヘンなタイミングで帰ってきたりしないから」 真澄は諦めたように、苦笑しながら頭を振ると、背広の内ポケットから財布を取り出す。 「万札コンビニで出すと、嫌われるからやめてね」 札入れの部分で一万円札を掴んでいた真澄の指が止まる。本当にこの天使は何から何まで、お見通しのようだ。 渡された2枚の1000円札をヒラヒラさせながら、天使はマンションの廊下を戻り出す。 と、廊下の端まで辿り着いたところで突然天使は振り返る。 「あ〜、スーパードライとヱビスだったら、今日はどっちの気分なのぉ?」 大きな叫び声。酒だったら、マヤが買い置いてくれたウィスキーがあるから、と答えようとすると、更にそれを遮るような叫び声。 「ジョニクロだったらこの間の喧嘩のあと、マヤちゃん、お便所に流しちゃったわよぉ〜」 真澄は絶句したあと、間の抜けた声を上げる。 「スーパードライ」 天使は後ろ向きに右手を上げて、それに答えるとあっという間にエレベーターの中に吸い込まれていった。 ![]() 天使にそそのかされて勢いで来てしまったが、結局のところ、気まずいことに変わりなかった。最後に話したのは、あの喧嘩の電話が 最後である。何食わぬ顔で、何事もなかったかのように振舞うのは、卑怯でもあり、また第一、マヤがそれを許すとも思えなかった。 ふと嫌な考えが過ぎる。 そもそも、マヤは在宅なのか?在宅だったとして、自分にこの扉を開けてくれるのか?ネガティブな方向に走り出した真澄の思考は、 次々に悪い形の連鎖反応を起こす。 嫉妬深い上に、意気地なしという、自らの情けなさを自嘲的に笑うと、真澄は携帯電話に手を伸ばす。迷った末にまず、自宅の番号に 掛ける。家の扉の目の前に来ていながら、ドアフォンのボタンではなく、プッシュボタンを押す滑稽さに苦笑しながら。 果たしてマヤは留守だった。 「ただいま留守にしています。ご用件のある方は……」 聞きなれた無機質な機械の声をやや呆然とした調子で聞き流していると、ピーッいう電子音でハッとする。 慌てて電話を切るが、恐らく無言の メッセージが数秒と小さな舌打ちが残されてしまったであろう。 今度は携帯の番号を試みる。 (こんな遅くまでどこを出歩いているというんだ。今日は、ドラマの撮影もないはずだろうに……) 例の束縛心が心配という言葉以上に、受話器を持つ手に汗をかかせる。 1、2、3……。 止まらない発信音の数を苛々しながら数える。次第にそれは、焦燥感に変わっていく。自分の番号は、”速水さん” という名前に変換されて、マヤのピンクの携帯の画面に表示されているだろう。それを見てマヤは取らないのか、それとも着信音 も聞こえないような場所に居るのか、それとも何か事件にでも……。倒れ始めたドミノの駒は、息をつく間もなく目の前で 不気味な絵を真澄に晒していく。 8コール目で留守番電話に切り替わると思った瞬間、意外にもそれはマヤの肉声だった。 「……もしもし?」 どこか不機嫌なその声は、電話の主を知っているようだ。 「俺だ……」 とりあえずそう呟いてみるが、すぐにそれは 「知ってます」 という抑揚のない声に行く手を阻まれる。取り付く島もないようなマヤのその態度に、真澄は一瞬、言葉を失うが、そんな沈黙をさすがに 気まずく思ったのか、マヤの声が少し慌てたように重ねられる。 「だって、名前見えてますから」 その声が思ったよりも刺々しいものではなく、いつものマヤのような気がしたので、ようやく真澄も言うべき言葉を見つける。 「この間は悪かった。俺が全部、悪かった。嫌な思いをさせて、すまなかった」 どんな言い訳をするよりも、まず初めにそれだけ伝えたくて、また伝えなければならないという思いが、頑なに真澄を 縛っていた鎖を解く。こぼれ落ちた言葉はあまりにシンプルで、ストレートだった。 マヤは真澄のその言葉に一瞬戸惑ったようだが、言葉を一生懸命に探しながらそれに答える。 「あたしね、時々、速水さんが分からなくなるよ。時々、どうしてそんなこと言ったりするのか、まるで分からなく なる時がある。 こんなに好きな人のことなのに、どうして分からないんだろうって、そのたびに哀しくなる。 こんなに速水さんのこと好きなのに、どうしてそういう私の気持ちも分かってもらえないんだろうって、哀しくなる」 切なさを帯びたマヤのそのけなげな声が真澄の胸を締め付ける。 「きっとあたしが子供だから……。恋愛経験もないような、速水さんが言うようなお子様だから、突然知らない人みたいになっちゃう 速水さんの気持ち、分からないんだろうって、そう思ったら……」 そこでマヤがシュンと小さく鼻をすする音が聞こえた。 「そう思ったら、哀しくって、不安になって、結婚なんか出来ないって、泣けてきた……」 真澄は今すぐマヤを抱きしめてやりたい衝動に駆られ、居てもたってもいられなくなる。 「でも、電話してくれてありがとう。今日も電話なかったら、どうしようかと思ってた。今日も電話なかったら、ホントに 速水さんのこと分からなくなって、結婚……出来なくなってたかもしれない」 マヤのその言葉に、真澄は想像以上にマヤを追い詰めていてしまった現実を思い知らされる。 「会いに来てくれてたらもっと嬉しかったけれど、こうして声を聞かせてくれただけでも、嬉しいかな」 「どこに居るんだ?」 遮るように真澄は声を上げる。今この瞬間にこの胸に抱きしめて、そしてキスをしなければ、抱えきれないほどの この思いに窒息してしまいそうで、必死な声を上げてしまう。 「え?どこって、家に居ますよ」 間の抜けたその声に、真澄は思わず訝しげに眉間に皺を寄せる。 「さっき、家に電話したが、居なかったぞ」 まさかマヤが嘘をついてるとは思えず、つい問い詰めるような口調になる。 「だ、だって、速水さんからの電話だったら、いきなり出るのも悔しいかなぁ、って思って……。留守電にでも喋ってくれたら 出ようと思ったけど、何にも言わずに切っちゃうし。 あ、でも、メッセージなくても、あれ速水さんだって分かったよ」 誰も気づかなかった校庭の小さな秘密を見つけた小学生のような声で、マヤは言う。 「なんでだ?」 そんなマヤの声につられて、真澄も耳を傾ける。 「チッて舌打ちしたでしょ。あの音で分かった」 その瞬間、胸にじわりと広がった温かい波に、真澄は胸を押しつぶされて、息の仕方も忘れそうになる。やっとの思いで、一度だけ大きく 息を吸って吐くと、静かに言う。 「会いたい」 短いそれだけの言葉に、思いの全てを無理にでも押し込めるように、真澄はもう一度呟く。 「君に会いたい」 「私も、今すぐ速水さんに会いたい。羽でもあったら、速水さん飛んでこれるのにね」 その言葉に真澄は、一瞬、脳裏に靄(もや)がかかったような奇妙な感覚を覚える。 そして、すぐにその正体を突き止め、穏やかに笑う。 『羽でもあったら……』 マヤのその言葉をゆっくりと胸の奥で繰り返しながら、天使の得意気な表情を思い浮かべる。 (羽を貸してもらったのか……) 「今すぐ飛んできたら、会ってくれるのか?」 もうその声には、迷いはなくて。 「やだ、飛んできてくれるの?」 クスクスと笑う受話器の向こうのマヤの声にさえ、温かいぬくもりを感じる。 「飛んできました」 そう言って、真澄はドアの横のインターフォンを押す。 弾けるように飛び出してきたマヤを、真澄は廊下で抱きとめると、強く強くその胸に掻き抱く。 かける言葉も見つからず、胸に埋められていた愛しい顔が、ようやくこちらを見上げた瞬間、耐えかねたように唇を奪う。両手を両頬に あてがい、その瞳の中を何度も覗き込む。うっすらと揺れる瞳の表面に、確かに自分だけが映っているのを確認すると、 もう一度確かめるように唇を重ねる。 マヤが瞬きをした瞬間にその目尻からこぼれ落ちた、頬を伝う透明な雫を、真澄はゆっくりと親指で拭う。 「飛んできてくれてありがとう」 そう言って少し照れくさそうに、マヤは微笑んだ。 廊下の踊り場の影、階段の2段目に腰掛けながら、天使は待ちかねていたようにビールの缶を開ける。プシュっと短く、気泡が 破裂する音がして、細かなしぶきが頬に飛ぶ。 ごくりと喉元を下る、白い泡と金色の液体が、心地よい酔いを体に送る。 「第一ラウンド終了〜。ひと足お先に乾杯〜っと。全く、世話のかかる二人だこと……。 あ〜ぁ、いつまで抱き合ってんのかしらぁ〜、ご近所さん来ちゃったらどうするのよ、シャチョー!壁に耳あり、廊下に目ありよぉ〜! あぁ、もうおばちゃんは心配だわっ!!」 廊下で重なりあう二つの影を見つめながら、天使は二人には聞こえない声で野次を飛ばす。 「さてと、第二ラウンド行きますか!」 一気に飲み干したビールの缶を片手でグシャリと潰すと、 お菓子とスーパードライで溢れかえったコンビニの袋を持ち、天使は立ち上がった。 6.13.2003 ![]() |
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