天使の休日 3
「いや〜〜ん、杏樹さん、どうしてここまで私の好み分かるのぉ?」

コンビニの袋を覗き込み、ガサガサとその中身を見ながらマヤは悲鳴を上げる。

「そうなの、そうなの、雪見大福食べたかったのぉ。速水さん、ハーゲンダッツしか知らないとかいうけど、 これもおいしいんですよ。びよ〜んて皮が伸びて、おいしいのぉ」

ペタリとフローリングの床に座り込んだまま、一つ一つお菓子を確認しては悲鳴を上げるマヤを、 真澄は少し離れたソファーのから見つめる。天使が買ってきたビールの缶を、上から掴むようにして揺らすと、残り少なくなった 中身がピチャピチャと音を立てた。

「天使たるもの、そのぐらい知ってなきゃねぇ。アタシ、マヤちゃんのファンだしぃー」

肩越しに二本目のスーパードライを真澄に背後から突き出しながら、天使は答える。

「ええー、そうなのぉ?」

マヤは大きな目を更に大きくする。

「あの……、むこうにも、その……、テレビとか、あるわけ?」

差し出された缶を受け取ったあと、今度は真澄がそれに対して噴出す。

あまりにも現実離れした空間と話題。誰に話しても決して信じてもらえないような話であるが、 これが現実であることを真澄は誰よりも分かっていた。
そして、マヤも……。



突然現れた男装の天使に、マヤは一瞬驚いたが、すぐに飛びつくほどに喜んだ。 元気にしてたか、いつもしっかり覗き見してくれてたのか、たちまち質問攻めにする。それに対して天使は、いちいち面白おかしく 答えるものだから、マヤはおなかを抱えてヒーヒー笑うのだった。

「マヤ、彼女はなんでもお見通しだからな。隠し事はできないぞ」

ソファーの上で、軽く片膝を曲げそこに肘を付いたポーズで真澄は言う。

「え?そうなの?」

天使と真澄の顔を交互に、見ながらマヤはきょとんとした表情で答える。

「例えば、君が先週、俺と喧嘩したあと、腹いせにジョニクロをトイレに流したことまで 彼女は知ってたぞ」

途端にマヤの顔はカッと火がついたように赤くなり、しどろもどろに受け答える。

「あ、あ、あれは、だって、速水さんがいけないんだもん」

「そうそう、あれはシャチョーがいけなかったわねぇ。どっからどう見ても、シャチョーがいけなかったわぁ」

そう言ってニヤニヤと笑いながら、天使は豪華客船のような助け舟を出すと、マヤの隣にピタリと座り、二人で 真澄を笑うのであった。

水城といい、天使といい、どうやら女は皆、マヤの味方につくようだ、と真澄は苦笑しながら、ビールを飲み干した。






結局缶ビールを4杯も開けた真澄は、タクシーで屋敷に帰った。
ホテルに宿を取るという真澄の提案を、マヤと天使は揃って拒否し、どうやら二人で今日は朝まで 真澄の悪口に花を咲かせるつもりらしい。
車は明日にでも誰かに取りに来させると言い残し、天使が無免許で運転することを激しく拒否した。
明日はマヤも真澄も一日、仕事が詰まっていて時間もないので、代わりに誰か世話をするものを寄越すと言ったが、天使は訝しげに 首をかしげる。

「あたしの存在、おおっぴらに知られてもいい人なんて居るの?」

その質問に真澄は、ニヤリと意味深に笑って答える。

「いる。一人だけな」

天使はなんとなく分かったような、曖昧な笑みを浮かべて、おどけたふうにそれに答える。

「おまかせいたしまっす」






リビングのカウチを引き出して、そこに寝ると天使が言うと、マヤは自分の寝室で布団を並べて寝ることを提案する。
マヤのパジャマはどれもお話にならないほどにサイズ違いもいいところなため、大きめのTシャツをパジャマ代わりに一枚着ると、 持て余すほどに長い足がニョッキリと裾から突き出す。

「すごいねぇ、芸能界でもなかなか、杏樹さんほどスタイルいい人いないよぉ。九頭身?」

そんなふうに言って、手のひらをいっぱいに伸ばして、天使の顔の長さを測り、実際に確かめようとするのだった。

「あぁ、もう、やめて、やめて」

そんなふうに言って、笑いながら天使がマヤの邪魔をすると、二人はじゃれあうように布団の上に転がる。

「杏樹さんさぁ、このままこっちに残って、芸能人にでもなればいいのに。モデルさんでもいいし、話面白いから、 タレントさんとかも出来ると思うよ。あ、女優さんもいいかもしれない」

無邪気にはしゃいだ声を上げるマヤに、天使は気のないふうに答える。

「やぁよ、女優なんて。あたし、好きでもない人とキスなんて出来ないもん」

ふざけた拍子に出たような言葉を装いつつ、天使のその言葉はどこか核心を突いたように、マヤを揺さぶる。

『好きでもない人とキス』

確かにそう言われてしまえばそうなのだが、どこかその言い方は否定的で高圧的で、マヤを嫌なふうに刺激する。

「あ、あたしだって、そんな好きで、色んな人と、その……、恋人でもなんでもない人とキスしてるわけじゃないし。
で、でも、それがお仕事だし、お芝居してるときは、その人のこと本当に恋人だと思ってたり、 本気で好きになってたりしてるわけで……、だから」

だから、あっちこっちで好きでもない人と遊びでキスしてるような人とは違う、そう言おうとするが、その言葉は天使に 遮られる。

「マヤちゃんさぁ、シャチョーが他の女とキスしてるの見たことある?」

唐突に発せられたその問いは、一瞬マヤの脳内を白く染め抜くほどに、動揺させる。ガバリと上半身を起こし、 隣で布団の上に寝転んだままの天使を見下ろすようにして叫ぶ。

「な……、なに言って……!!そ、そんなのあるわけないじゃないっ!」

動揺はそのまま声に伝わり、喉元で震える。

「そうだよねぇ、あるわけないよねぇ。シャチョーそんなことしないだろうしねぇ」

天使は寝転んだまま、長い黒髪を片手の指先で弄びながら言う。

「じゃぁ、想像してみて。シャチョーがマヤちゃん以外のほかの女とキスするところ。それも美人で、スタイルよくって、 誰が見てもいい女ってタイプの人とキスするところ」

マヤは天使の真意が分からず、荒く息をしながら、突っかかる。

「な、なんで?どうして、そんなの、今想像しなくちゃいけないの?」

「シャチョーはそれ、いっつも見させられてるからさぁ……」

天使の細い長い指先から、黒髪がはらりと零れ落ちる。
マヤの呼吸が止まり、無意識に唇が開く。
そのまま黙って、まるでそこに何かがあるように天井を見続ける天使を マヤは呆然と見つめる。
シンとした沈黙だけが、布団の上に横たわる。

マヤはゆっくりと瞳を閉じ、瞼の裏に真澄を思い浮かべる。そして、その長い指が見知らぬ女の髪の間を通っていく 。自分に対していつもそうしてくれるように、ゆっくりとその手が後頭部に回り、女の顔を引き寄せる――。

そこで、空想の風船はバチンと音を立てて割れた。

「む、無理……。そんなの想像できない。
心臓が痛くなりすぎて、想像できないよ」

天使はごろりと寝返りを打つようにして、マヤの方を向く。

「ごめんね、意地悪なこと言って。でも、想像するだけでもそんなに痛いのに、実際見たら、どれぐらい痛いと思う?」

そう言って優しく、優しく、マヤの髪を撫でる。

「男は嫉妬深い生き物なのよ。んでもって、シャチョーはめちゃくちゃ、男なわけよ」

わかる?そんなふうな言い含めるような瞳で、天使は俯くマヤを覗き込む。

「頭では分かってても、心がね、なかなか、言うこと聞かなかったりするもんなのよ」

マヤは、ただコクコクと頷く。何か声に出したら嗚咽が混ざってしまいそうで、何度もツバを飲み込んでそれを堪えるようにして、 ただ頷く。

「社長の奥さんも大変だけど、女優のダンナも大変なのです。
今度はジョニクロお便所に流したりしちゃだめだよ」

そう言って、天使は穏やかに笑った。






翌朝、あたふたと稽古場に出かけたマヤに取り残された天使は、

「クローゼットにあるもの、入るんだったらなんでもいいから着て」

というマヤの置手紙にしたがって、とりあえず扉を開けてみるが、どう考えてもサイズ違いもいいところであった。 けれども、昨日の続きでまた真澄のアルマーニスーツを着るのはどうにも嫌である。第一、季節は初夏。夜風にあたる時刻なら ともかく、昼間の蒸し暑い時刻から黒スーツなど、願い下げだ。
ひとしきりマヤのクローゼットを荒したあと、天使は満足気に姿見の前に立つ。

「い〜んじゃないのぉ♪」

マヤサイズのTシャツは、天使の長身だとへそ出しどころか、下から胸まではみ出そうな短さで、胸元の ”Just Shake”というロゴははちきれんばかりに伸びきっている。また、マヤには膝丈のミニスカートも 天使の腰元では、腹巻の勢いでなんとかぶら下がっているといった感じだ。異様に長い手足が、強調されるようなスタイルだが、 元来身軽な格好が好きなので、これ以上ないほどの自分らしいスタイルだと、天使は満足気に微笑むのだった。

ピンポーン

インターフォンが来客を告げる。恐らく昨晩、真澄が言っていた、自分の存在を知っても構わないというその人物であろう。 ペタペタと素足のまま、フローリングの床を歩いて天使は玄関へと向かう。

「合言葉は?」

玄関横のドアフォンの受話器を取ると、ドアの向こうに居るその相手におどけた声をかける。 相手は絶句してるようだ。

「な〜に、あなた、ノリ悪いわねぇ。そういう時は、『あっちょんぶりけ〜』とか、『赤パジャマ、青パジャマ、黄パジャマ』とか、 なんでもいいから言うもんなのよぉ」

しょうがないので、ガチャリとドアを開ける。

前髪が顔半分を覆い隠した奇妙な髪型の男が、絶句したまま立ち尽くしていた。


6.14.2003








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