太陽と月に背いて 3
「本当に一人で大丈夫なの?アタシが付いていってやってもいいんだよ。式場には入れなくても、外で待っててやってもいいし…」

「いいの!大丈夫!!ほら、それに、桜小路くんや亜弓さんも招待されてるし、一人じゃないもの…。大丈夫…」

心配する麗の声を遮るように発せられたマヤのそれも、最後は自信なさげに尻すぼみになる。



結婚式には花嫁より綺麗にしてはいけない、という決まりがあるという。心配しなくても、あの紫織より綺麗になれる人なんて居ないのではないだろうか…。鏡に映るいつもよりお洒落をした自分を蔑むように見ながらマヤは思う。
綺麗な服を着ても、覚えたてのメイクをしても、自分は何もかも平凡に見えた。自分が特別な存在になれるのは、やはり舞台の上だけなのだな、と嫌でも自覚させられる。
沈んでいくマヤのそんな気持ちを見透かしたように、麗は肩を叩く。

「綺麗だよ…。アンタも綺麗になったね。…うん、大人っぽくなったよ」

誉められたはずなのに、優しい麗の言葉なのに、マヤは泣きそうになる。
「麗…、そんなこと言わないで…。そう言われる度に、そうじゃないって思えて、哀しくなるよ…」

麗は一瞬、言葉を失いかけるが、すぐにその沈黙を打ち消すように、マヤの髪をくしゃりとやる。

「ホントだって…。その新しい髪形だって、今日の服にもアンタにも、よく似合ってる。 ほら、行っといで!遅刻するよっ!!」

そう言って、マヤを送り出す。



飛び出したアパートのドアの向こうで、春の日差しに暖められた空気をマヤはいっぱいに吸い込む。吸い込んで、吸い込んで、胸に溜まりきっているこの思いが、今日こそは出てってくれればいいと思う。

(そんなの無理に決まってるのに…)

諦めたように小さくかぶりを振ると、短くあごのラインで切りそろえられた髪が、軽やかに揺れた。



マヤは、真澄が勝手に切るなと言った髪を、勝手に切った。
それは、真澄と紫織の結婚式の前の日だった…。



『恋に破れた女が思いを断ち切るために、髪を切る』
一体、いつの時代の話だ、とマヤは自分でも苦笑してしまう。
物心ついた時から、マヤの髪はずっと背中の真中あたりまで届く長さを保っていた。特に長い髪に思い入れがあったわけではないが、それが自分らしくもあり、また何より慣れ親しんだ安心感があった。
誰に誉められたこともなかったけれど、真澄はこの髪を綺麗だと言ってくれた。長い髪が好きだから、ずっと伸ばしていて欲しいと言った。そして、この髪の毛一本さえも自分のものなのだから、勝手に切るな、と言いつけた。

(ずっと髪を伸ばせば、髪の毛だけでも、速水さん、好きでいてくれるかな…)

そんな風に思ってもみた。真澄の指がゆっくりと、自分の長い黒い髪の間を梳いていったことを思い出す。
けれども、紫織もまた、美しく長い髪を持っていることを思い出し、それは虚しい行為に思われた。

『切るな』
と言われたから切ったわけではない。そんな天邪鬼をおこす気力も、反抗心も残っていなかった。
ただ…、ただ何かに縋りたかっただけだった。
『これで、もう大丈夫。追いかけたりしない…』
そう思い込める何かが欲しかっただけだ。
心を切り落とせないかわりに、髪を切り落とした…。
それだけの事だった。
髪を切った昨日の帰り道は、まだ寒い春の夜風が、晒されたうなじのあたりを容赦なく吹き付けた。

(寒い…)

そう思ったら、もう出ないと思った涙が、また零れ落ちてしまった。



(やっぱり人間の心はそんなに器用に出来てないな)

少し軽くなった頭をふりながら、マヤはため息づいた。
真澄への想いは昨日失った30cmの髪の毛とともに、捨ててきたつもりだった。けれども、人の気持ちなんて物のように切ったり捨てたりなんて出来ない。30cmも髪を切って分かったことは、結局それだけだった。

(でも、けじめだけは自分でつけた…)

そう思うと、少しだけ気が楽になったのも事実だった。髪を切るという行為は、『泣く』以外にマヤが初めてとることが出来た、この恋に対する行為だったから…。
ふっといつものくせで、髪の毛をかきあげたが、短い髪はあっという間に、マヤの指の間から零れ落ちた。あるはずのいつもの感覚を奪われ、マヤは一瞬立ち止まる。
哀しいぐらいにいい天気だった…。






『あたしが、大都を選んだ理由…。そうですね、来月の速水さんの結婚式でわかると思いますよ。どうして、あたしが速水さんの大都を選んだのか、どうして、速水さんに紅天女を預けたのか…。きっとわかりますよ…』

(あれはあの子のいつもの気まぐれだったのかもしれない)

そう思ってはみたが、真澄は式場の控え室で一向に落ち着かない気持ちでいた。マヤがこの式に参列することを真澄は知っていた。

「マヤさんには桜小路さんとご一緒のいいお席をご用意いたしましょうね」

そう幸せそうに言う紫織の声を思い出す。紫織は隣の控え室で最後の準備をしているようであった。この日のために、有名メークアップアーティストなどを呼びつけ、それは大変な騒ぎであった、

ふと見上げた鏡に映った新郎の顔は、情けないほどに陰気で、悲愴で、絶望的だった。

「これがこれから結婚する男の顔とはな…」

そう自嘲的に呟いてみるが、一切の感情を押し殺し、こんな時まで立派に「世界一幸せな花婿」の仮面でもなんでもつけて、演じきれてしまいそうな自分の器用さに吐き気がしてくる。首元をきつく締め上げる、燕尾服の蝶ネクタイを無造作に引きちぎってしまいたい衝動に駆られた…。

一ヶ月前のあの社長室で唐突に交わしたキス以来、真澄はマヤと会っていなかった。
ほんの悪戯心のようにマヤには見せかけたが、たかがキスひとつであれほど心臓が締め付けられたのは、生まれて初めてのことだった。感情が暴走しだしそうだった。会ってしまえば、もう気持ちは抑えられない気もした。
しかし、目の前に差し迫った運命の扉は、一切の選択の自由を真澄からすでに奪っていたのが現状であった。

(マヤと出会ってさえいなければ、この結婚に疑問をもつこともなかっただろうか…)

そんなことを考えてみる。野望と目的のためなら手段を選ばない自分のことだ、きっと喜び勇んで結婚でもなんでもしたのだろう…。

(いっそ、出会わなかったことにして、忘れられたら…)

考えてみても無駄な過去への仮定法で、気持ちを誤魔化そうとしたこともあった。しかし、それは無理なことだった。
出会ってしまったことは、紛れもない事実であり、そして自分がマヤを愛していることは、誤魔化しようのない真実であった。

(どうせ、報われない恋だった…)

最後にはいつものお決まり通り、自嘲的にそう自分の胸に呟く。

(あの子が俺を許すことなど、絶対にない…。
俺には一生、影が相応しい…。紫の影が…)

コンコン

ドアをノックする音に、真澄はハッと我に帰る。

「お祝いのお品が届いてます」

すでに溢れんばかりに控え室にも溢れ返ってる、祝い品や花の山を見つめ、

(まだ来るのか…)

とうんざりした気分になる。

「あぁ、ご苦労…」

そう言ってドアを開けた瞬間、真澄は絶句する。花屋の配達人らしき者が差し出したそれは、大きな紫のバラの花束だった。

「…誰からだ…」

思わず低い声で搾り出す。

「あ、はい…、こちらにメッセージを承っております。カードです。どうぞぉ〜」

陽気に花屋はそう言うと、何度も『おめでとうござます』を繰り返し、帰って行った。

(紫のバラとは言え、絶対に手に入らない種類のものではない…)

そう言い聞かせても、言いようのない不安と予感が混ざり合ったその渦に巻き込まれそうになり、真澄の動悸は激しく上がる。
一分ほどためらったのちに、思い切ったようにして、真澄は添えられた白いカードを開く。

『速水真澄さま そして紫のバラの人へ』

その出だしを視界に入れた瞬間、真澄の体温は一気に下がった。












2003.3.1


…to be continued

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