第一話





 









 十一月三日から二月二十日までの三ヶ月と少しの期間、二人の年の差は十二歳になる。お互いの年の差をいつも気にしてきた二人だが、十一歳差を更に超える 十二歳差のこの数ヶ月が少し居心地が悪い。
 もっともそんな事を気にしているのは自分だけかもしれないとマヤは思う。真澄がそのような細かい事をいちいち気にするだろうか?

(分からない……)

 二月の冷え切った夜空に息を吐いては、そんな自分の内側で燻る小さなわだかまりを可視化させてみる。少なくとも自分は気にしている。その証拠に誰かに

「そういえば、二人は何歳差?」

と、この魔の三ヶ月半の間に聞かれても、サバを読んで

「十一歳差」

と必ず答える。絶対に。
 まるで年齢詐称をしているかのような、そんな居心地の悪い期間も今日で終わりだ。自分は今日、二十三歳の誕生日を迎え、また真澄との年齢差は十一歳にな る。

 そして大都芸能のあの速水真澄とつきあうようになって、今日でちょうど二年になる。






  

「二十三歳の誕生日、おめでとう」

「もう一回?」

 照れ臭さも手伝って、そんなふうに言いながら、マヤはカクテルグラスの華奢なステムに指を添えてグラスを持ち上げる。

「何度祝ったっていいじゃないか」

 レストランの食前酒での乾杯、それからデザートのバースデープレートが運ばれてきたきた時にもう一度、そして今、更にもう一度。レストランでの食事を終 え、ホテルのラウンジでこうして食後の一杯を前に真澄がまた誕生日を祝ってくれる。
 真澄がいつも飲む、底の厚い重厚なウィスキーグラスと、マヤの持つ華奢なカクテルグラスをあわせると、思わず笑みがこぼれてしまう。
 こうして真澄とつきあうようになって無事に二年が経った事や、誕生日の夜という特別な時間を一緒に過ごせる事、そういった喜びがふと込み上げて、頬を緩 ませる。

 そう、幸せなのだ。きっと……。

 二年という月日は、二度の紅天女公演、二度の引っ越し(一度目はしらゆり荘から一人暮らしへ、そして二度目は今月に入って真澄と同じマンションの一つ下 のフロアへ)、二本の映画、二本のドラマに出演を重ねるという、充実の時間そのものだった。それも全て、今目の前で静かにウィスキーグラスを傾ける、この 人の存在と采配あってのことだった。

 つきあって二年とはいえ、最初の一年は、めったに会えなかった。
 それはあの鷹宮家との破談というありえない決断をした真澄が、出来るだけマヤを巻き込まない為にという配慮だった事も、自分はよく分かっている。マヤ自 身が多くを望むことも勿論なかった。
 けれど、少しずつ外で会う事も増え、
「何も隠さなくていい。悪いことをしている訳じゃない。堂々としてていい」
そう真澄が先日の引っ越しの際に言ってくれた時は、常にどこかにあった後ろめたさや緊張感がようやく解かれたようで、とても嬉しかったのだ。

「二杯目は何を飲む?」

 空になったグラスを前にいつものように真澄が声をかける。

「少し甘くて、色が綺麗で、できれば紫で、それから意味が素敵なカクテルお願いします」

 欲張りなリクエストを出すのも、二年の間で定番になった二人の遊びのようなものだ。酒の名前も種類も全く知らないマヤは、こうしていつも好みを言っては 真澄に選んでもらう。自分の好みやリクエストを真澄がどのように叶えてくれるのか、ちょっとした魔法を見る気持ちでマヤは心ときめかせて待つのだ。
 真澄がウェイターに何かを伝えている。楽しみを壊したくないので、その会話からは目も耳もそらし、マヤは窓の向こうに広がる東京の夜景に視線をやる。丸 の内の摩天楼が、いくつもの光の柱となって遠くまで連なっている。
 大手町タワーの最上階六フロアを専有するアマン東京。そのラウンジは三十三階に位置する。地上二百メートルの高さに存在する、まるで空中庭園のようなその場 所は、都会のサンクチュアリと呼ばれていた。

「こちらブルームーンでございます」

 ほどなくして、美しい紫色のカクテルが運ばれる。

「わぁ……、綺麗……」

 いつものようにマヤの口からは感嘆のため息が漏れる。真澄が見せる魔法はいつだって美しい。

「ジンとバイオレットリキュールを割ったカクテルだ。紫は残念ながらバラではなくすみれの着色だがな」

 そう言って真澄がいたずらっぽく笑う。もう「紫のバラ」は二人の間で決して触れてはならない禁句ではなく、二人だけの大切な響きを持っている。

「パルフェタムール」

 続いて真澄が口にした呪文のような響きにマヤはそっと耳を寄せる。

「リキュールの名前だ。フランス語で『完全なる愛』という意味がある」

「完全なる愛……。ふふ、速水さんみたい。気に入りました」

 そう言って、細いステムを持って掲げたグラスに、キスをするように唇を寄せる。

「ブルームーン……」

 覚えたばかりのカクテルの名前を、まるで呪文のようにマヤは口にする。まるで誕生日の夜に特別な夜の帳が開く呪文のように……。











「二十三歳か……」
 
 手元のウィスキーグラスの中でゆっくりと溶けていく氷の表面をそっとなぜるような声。
 それはいつのまにかアルコールが飲めるようになった自分への感慨か、それとも出会ってから十年という月日が流れた事に対する驚きか。

「早い? それとも遅い?」

 敬語が削がれ、砕けた口調になっていくのは、きっと舌を甘く痺れさせる紫色のこの美しいリキュールのせいだろう。

「君が大人になるのをずっと待っていた身としては長かった。だが、あのチビちゃんが二十三、という意味ではあっという間とも言えるかもしれないな」

 一瞬のようで永かった。相反するようで、それは成立する種類の感慨である事はマヤにも分かる。自分にしてもそうだ。
 あの十三歳の頃の何も持たなかった自分が女優になると決心し、紅天女まで歩いた道のりはとてつもなく遠く果てしないものだっと同時に、無我夢中で駆けて きた女優としての一つひとつの舞台は全てが一瞬で、瞬きのように儚い。

「速水さんはどんな二十三歳だったんですか?」

 知りたいという思いから、ソファーに浅く腰掛け、マヤは身を乗り出す。

「どうだろうな……」

 真澄は思案するように、グラスを少しだけ傾け、氷を揺らした。

「つまらない男だったはずだ」

 そんなはずはないとマヤは首をふる。真澄の目線が眼球の奥で止まり、もう少しだけ記憶を辿っているのが伝わる。

「社会人一年目か……。仕事を始めたばかりで舐められないように、肩肘張って、常に刺々しかったな」

 少し思い出したようにそう言って苦笑した。

「彼女とかいました?」

 アルコールのせいだろう。普段だったら、とても聞けないような事を平気でマヤは口にする。

「どうだったかな。覚えてない」

「覚えてないとかあります?!」

 思わずマヤは叫んでしまう。

「つきあった人を覚えてないとか、そんな事あります?」

「そういう意味じゃない。仕事を常に優先してた。真剣な恋愛などする暇も余裕もなかったという意味だ」

 その言葉の意味を上目遣いでマヤは追う。

「じゃぁ、遊んでたってことですね」

 子供じみた不機嫌の粉をふんだんにふりかけたような声を出してしまう。

「何を言っても怒られそうだな」

 そう言って真澄は苦笑しながら、膝の高さより低いガラステーブルの上にグラスを置いた。
 
「ずるい」

「何がだ」

 アルコールが回っている状態ですねると、一気に言動が幼くなる自覚はあったが、どうにも止められない。

「私は好きになった人も、つきあった人も全員覚えてる」

「そっちのほうが嫌だろ」

 苦虫を潰したような表情で、真澄がグラスのウィスキーを再び煽る。

「どうして?」

「俺の過去は取るに足らないものだ。心が動くような恋愛もした事がない。ただ、通り過ぎていっただけの、顔も名前も思い出せない存在ばかりだ。だが君の過 去の男達は、しっかりと君の中に根を張り、思い出として居座ってる。しかも俺ですら顔も名前も知ってる男ばかりだ。どう考えてもそっちのほうがたちが悪い だろうが」

 真澄の呆れた言い分にマヤは口をとがらせる。

(そんなことあるわけない。絶対すっごいモテてたし、彼女とかもいたはず)

 二十三歳の真澄を想像してみる。
 今の自分と同い年だというのに、比べ物にならないくらい落ち着いて大人の雰囲気をまとっている、それでも今より一回り近く若い真澄。
 きっと色々な経験を沢山積んでいる。
 過去はどうしたって、手が届かない。永遠に自分なぞが手が届かない場所だ。

 出来る事なら会いたいと思う。
 一緒に成長する事ができない年齢差で出会ってしまったからこそ、遥か昔に完成された大人であった真澄だからこそ、自分と出会う前の真澄に会ってみたいと マヤは思う。

「速水さんは私のこと全部知ってるのに、私は何も知らなくてズルイ。私も二十三歳の速水さんに会いたかった。私と同い年の速水さんに会いたかった」

 言っても無駄な事ばかり、駄々をこねる子供のように口をついて出てくる。

 前日までの舞台の疲れもあって、かなりの睡眠不足の状態で種類の違うアルコールを何杯も飲んでしまったのがいけなかった。仕事相手ではなく真澄といると いう安心感から、随分と速いペースで飲んでしまっていたようだ。

私も二十三歳の速水さんに会いたかった……

 ブルームーンの入ったグラスをもう一度煽ったところで、マヤの記憶はプツリと途切れる。






 


(うわっ、今、一瞬寝てたっ!)

 真澄を目の前にして、一瞬寝落ちしてしまった感覚に、マヤは慌てて飛び起きる。

 ──突然の違和感。

 目の前の真澄は、確かに真澄なのだが、先程までの真澄ではない。
 違和感の正体を突き止めるべく、頭のてっぺんから爪先までゆっくりと視線を動かしていく。

 スーツが違う。
 ネクタイも違う。
 髪型も少し違う。
 何なら顔も違う。
 違うっていうか若い?

 そこまで気づいて、マヤは慌てて周囲を見回す。ホテルの様子も先程までと違うのだ。確かにここはアマン東京の三十三階ラウンジなのだが、内装が違う。置 かれたソファーのレザーの色や、配置、そういったものが少しずつ違う。

 そして一番の違いは、目の前の真澄は全くこちらに興味を払っておらず、向かい合ったソファーに座っているが、まるで他人のような空気なのだ。真澄はこち らに一瞥をくれることなく、新聞を読んでいる。

 次の瞬間、ありえないものをマヤの目が捉える。
 真澄の持つ新聞の日付は確かにマヤの誕生日である二月二十日と記されているが、その日付の前には十一年前の西暦が書かれていたのだ。

 ソファーの背もたれに手を置き、マヤは慌てて振り返り、周囲を見回す。周りの人たちの服装に少しだけ違和感を感じる。流行が確かに今のものではない、微 妙に昔流行ったものばかりなのだ。
 咄嗟に己の服装をパタパタと叩きながら慌てて確認したが、自分の格好は先程までと同じだ。ということは、どうやら自分は二十三歳のままだ。自分まで十二歳になった訳ではないらしい。

 もう一度正面を向いて、目の前の真澄の存在を目で辿る。
 新聞の日付を今一度確かめる。間違いなく十一年前の今日だ。
 そしてこの人は、十一年前の二十三歳の真澄なのだ。

 そしてこれは、間違いなく夢だ!

 都合の悪い、あるいはあまりにも都合の良い状況に出くわした際

「これは夢だ」

と自分で自分を納得させるのは、人間に備わった当たり前の感覚だ。少なくとも、自分はそういうタイプだとマヤは自覚している。

 これは夢だ。
 夢ならば、やりたかったことをしよう。

 こちらには目もくれず、新聞を読み続けるその人にマヤは声をかける。

「こんばんは」





2026 . 1 .7





…to be continued















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