第3話 |
| ホテルの近くに真澄行きつけのレストランがある事を思い出す。真澄はかなり前から通っているという話だったが、11年前も存在していたかは定かではない。 「えっと、この近くに凄い美味しいフレンチビストロがあるはずなんですけど、そこに行きません? でも凄い人気のお店だから、予約なしでいきなり行っても入れるかなぁ」 いつもの癖で、スマホですぐに調べようとしたが、持っていない事に気づく。ここで11年後の最新iPhoneが出てきたら、確かにおかしな事になるだろ う。いや、そもそもこれは夢なのだから、そういう現実的なものが登場しないのは、ごく当たり前の事なのかもしれない。無理やり、マヤは自分自身をそう納得 させると立ち上がる。 最初は難色を示していた真澄もウィスキーグラスが空になる頃には行く気になったのか、こうして渋々ついてきた。しかし、辿り着いたレストランの前で絶句している。 「どうしてここを知っている?」 「え?」 「ここは先週プレオープンしたばかりで、まだ看板も出していない。スタッフのオペレーションがスムーズになるまでは、関係者のみでの営業するとオーナーも言っていた。検索したって、まだどこにも出てこない。それを君は食べた事も来た事もある口ぶりだった。一体……」 これが殺人事件のアリバイ工作が崩れる瞬間ならしどろもどろになるところだが、未来から来たというマヤの余裕がそうはさせない。むしろ、面白くなる一方だ。大体において、自分のほうが真澄より優位に立ったことなどこれまで皆無だったのだから。 「一緒にご飯を食べてくれたら、あとで凄い事教えてあげます。なんで私が速水さんの事知ってるのかとか、このレストランを知ってるのか、とか。驚きの事実なので、絶対聞いたほうがいいですよ。興味出てきましたよね? だから行きましょう!」 そう言って、勢いよく看板もまだないビストロのドアを開けると、コートの上から真澄の腕を掴んで引っ張る。掴んだコートの表面の感触が、真澄がいつも愛 用しているカシミヤコートのそれで、マヤは思わずハッとして振り返る。色も形も今年着ているものとは違うので、おそらく違うコートのはずだ。でも、11 年も前の若い時から、好んで身につける物の趣向はおそらく確立され、変わっていないのだろう。自分が知る真澄の一端に触れた気がして、思わず意味もなくふわりと笑 いかけてしまう。マヤのその笑顔に戸惑ったように、真澄は一瞬立ち尽くした。 「強引だな」 「速水さんほどじゃないですけれど」 マヤのその返答に、呆れたように真澄は息を一つ吐くと、 「レディーファーストだ」 そう言って、先頭を入れ替えるかのごとく、流れるように位置を変えるとマヤをレストラン内へといざなった。 ![]() 「”三田牛のカルパッチョ”これ速水さん好きです。あと、”ムール貝の白ワイン蒸し”これも絶対外せないです。あとはこれ、”ホタテのクリームリゾッ ト”。リゾットって締めっぽいじゃないですか。ここのは全然違って、前菜にぴったりのさっぱり感と食欲そそる感あって、絶品なんです。速水さん、いつもそれ 頼みます」 「ちょっと待て。君はどこの”速水さん”の話をしているんだ。俺はこの店はオープニングに一度顔を出しただけで、まだ一度もちゃんと着席して食べた事もない。オーナーが知り合いだからたまたま知ってただけだ。いつも頼みます、とか一体どこの誰の話をしているんだ」 明らかに混乱しているか、もしくは困惑しているか。いずれにしても多少の不快感を感じさせる真澄の口調に、マヤはいよいよネタばらしをするタイミングが来たと悟る。 メニュー表を手に持ったまま、こちらに引き寄せると、ぐっと体を乗り出す。世紀の秘密の告白を小声でするために。 「あの……、凄い秘密なんですけれど……」 物凄いくぐもった小声で切り出す。満員で予約なしでは入れないのではと心配した店内は、プレオープン中ということもあって、もう一組ゲストがいるだけで、普通の話し声では響いてしまう。 「私……、なんと……、11年後から来たんです! あなたより11歳年下だから、今は同じ23歳ですけれど」 じっとこちらを見ながら、不規則に白いテーブルクロスの上を指先で叩いていた真澄の手が止まる。嫌になるほど、この瞬間も美しい指先だ。 「……面白い冗談だ」 表情筋の一切をしばし固定させていた真澄が、鼻孔から息を漏らすと、呆れたように笑った。 「初対面の女から、色々な声の掛けられ方はしてきたが、そのパターンは初めてだ」 予想はしていたが、案の定、全く信じてもらえないようだ。 「じゃぁ、ワインをあてます」 唐突なマヤのその言葉に、真澄はまたしても怪訝そうに眉根を動かす。 「このお店で、速水さんがいつも頼んでるお気に入りのワインがあるんです。もちろん11年前だから同じものがあるかは分かりませんけれど、もしあったら、間違いなく好きです。私が頼んだワインを美味しいと思ったら、今日のこの食事、最後までつきあってもらえますか?」 「俺の好みはうるさいぞ」 しばしあっけに取られたあと、呆れたように真澄は笑う。それを承諾と受け止め、マヤはワインリストを順番に指で辿った。 ![]() 「23歳の二人にかんぱーい!」 満足げにマヤはグラスを掲げる。奇跡的に同じ名前のワインがあったのだ。もちろん年数の違いがあるので、多少の味わいの違いはあるだろうが、そもそもこ のワインはソムリエが直接無名のワイナリーから買い付けて仕入れてきたものらしく、ワインリストにはまだないそれを奥から持って来させる事に成功した時点で、 かなりの高得点を挙げられた気がする。大満足だ。ソムリエもどこで知ったのだと物凄く驚いていた。 一口飲んで真澄が驚いたような表情をしたのをマヤは見逃さない。 「ね? 美味しいですよね?」 「まぁ……、悪くはないな」 「素直じゃなーい! 美味しい時は美味しいって言わないと。速水さんはね、素直に感情や思った事を口にできないせいで、この先いっぱい損するんですから。練習しておいたほうがいいですよ、美味しいもの食べたり飲んだ時ぐらい、感情を表に出す練習!」 諦めたように真澄は応えるかのごとく、ワイングラスを掲げると 「君が選んでくれた恐ろしく美味いワインに乾杯」 そう言って笑った。 ![]() 最初は料理を黙って口に運んでいた真澄が、口にするたびに新鮮な驚きを一瞬浮かべ、頷きながら味わう様子は、一皿ごとに自分に対する警戒心と猜疑心が解かれているのではないかという期待をマヤに与える。 「さて……、11年後から君がはるばるタイムスリップしてきたとしてだ、どうして君は俺の事をそんなに知っている? 食の好みや、ワインの好みまで知ってるとは、ただの企業スパイではなさそうだ」 マヤがすすめたメニューやワインがことごとく口に合う事に対して、どうやら真澄も内心、何かを認めざる得ないと思ってきたようだ。 マヤはもう一度身を乗り出すと、さらなる秘密を小声で告げる。 「あの……、11年後のあなたと私は恋人なんです。だから、速水さんの好きなもの知ってるんです!」 「ちょっと待て! 11も年下の子供に俺は手を出したのか?!」 想定外の衝撃からか、飲みかけたワインを喉に詰まらせ、真澄が大きな声で反応する。 「あ、大丈夫です。手を出したのは私が二十歳を過ぎてからです。成人してます。速水さんは32歳になってました」 なんでもないことのようにシレっとそう言って、マヤはゴクリとワインを飲む。対して真澄は、左の手のひらで頭を抱えると左右に首を振った。 「タイムスリップして昔の恋人に会う、そういう映画やドラマは確かによくあるネタだが、現実にこれはないだろ」 「大丈夫、多分、忘れます」 「これだけ強烈な印象を残しておいて、忘れるとかないだろっ!」 「そういうものなんです」 「どういうことだっ?!」 次々と繰り出されるマヤとの想定外のやりとりに、いつもは冷静沈着なはずの真澄の声が荒ぶるのが、マヤは面白くて仕方ない。 「だってこれ、夢なんですから」 「夢?」 「そう、夢」 混乱のあまりに凪いだ真澄の瞳の表面が、シンと一瞬静かになる。 「だって、おかしくないですか? 23歳の速水さんに会いたい、一生どう逆立ちしたって会えない、私と出会う前の23歳の速水さんに会いたいって思った次の瞬間、私ここにいたんですよ? こんなの夢じゃないと説明つかないじゃないですか」 腑に落ちたような、いや全くもって落ちていないような、振り回されすぎて、むしろ無の境地のような表情で真澄がこちらを見ている。 「だから、今夜はお互い思いっきり自由にしてみませんか? 今夜だけは色んな面倒くさい事とかしがらみを忘れて、やりたかった事、やってみたかった事、全部するの!」 「君は何をしたいんだ?」 「23歳の速水さんと23歳の私で、素敵なデートがしたいんです。誕生日なので。ほんとにそれだけです。あと、念のため言っておきますけど、ほんとに企業スパイとかじゃないですからね」 嘘発見器にかけられたとしても100%動じない、という自信満々の姿勢でマヤはそう言い切る。 特別な何かでなくていい。 23歳の真澄と過ごす、ごく普通の一夜でいいのだ。 「わかった……、11年後からやってきた、ワガママな未来のお客様をしっかりおもてなししてやる」 腹を括ったように、真澄はグラスに残るワインを一気に飲み干した。 2026 . 1 .24 …to be continued
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