written by アルフィン











□□第2夜□□


寒気を満たす冴え冴えとした月光の中で
あたしは愛しい人の腕の中にいる夢を見る
現実ではあり得ないこと、あってはならないことだと
あたしの中に棲む冷たい月が教えてくれる



稽古場の電気設備が故障した。
復旧のためには業者を入れ、工事をしないといけないということで、今日の稽古が中止になった。

どうしたらいいんだろ?
昼間は稽古に没頭すればいいと思っていたから、昼間の過ごし方なんて考えていなかった。
気分転換に映画でも見に行かないかと誘う桜小路君を何とかやり過ごし、稽古場の最寄り駅である表参道から地下鉄へ潜る。

『梅祭り』
地下鉄のホームに梅の花の写真が大きく載ったポスターが掲示されていた。
湯島天神、2月8日からか・・・・・。まだ3週間近くも先だ。
でも、もしかしたら咲いてる木もあるかもしれない・・・。

表参道駅から千代田線で湯島駅まで行き、地上に出てからは何となく人の流れに沿って歩いていたら、目的地に着いてしまった。

目の前に広がる人混みと縁日の屋台

え?どうして?
横を歩く熟年夫婦が、今日は初天神で、うそ替え神事が行われるということを教えてくれた。
人混みに流されるように屋台の間を泳ぐ。
あたしの時間はまた、あのころへ戻っていってしまう。

無意識に、あの日あの人が買ってくれたものを購入し、
横にあの人がいるような錯覚の中で焼きそばを口にする。



(ほかに欲しいものは?)

唇に吹き戻しの感触が蘇る。




え?
すぐ目の前にあの人がいた。
あたしは現実と幻覚の狭間に落ちてしまったのだろうか?

「は、速水さん?」

よく知る広い背中がゆっくりと振り返る。

「奇遇だな。匂いにつられたのか?」

「ち、違います。今日はオフだから、その、梅でも見に行こうかと思って・・・。」

「梅って・・・。確かに湯島天神は梅で有名だが、ここの梅祭りは2月からだぞ。」

「だ、だって・・・・、もしかしたら少し早めに真冬に咲く梅だってあるんじゃないかと思って・・・・。」

「チビちゃんらしいな。それで、梅を見る代わりに縁日を満喫しているという訳か。
ここで会ったのも何かの縁だ。ほかに欲しいものがあれば買ってやるぞ。」

速水さんは一瞬まぶしそうに目を細め、あたしの姿を見て楽しそうに話し出した。
あたしの心の中に温かい風が流れ込んでくる。

「い、いえ・・・。もう十分食べたと思います。」

「くくくっ、そうだな。焼きそばは美味しかったか?」

「え、なんで?」

「状況証拠。」

マヤの頬に人差し指をあて、ソース付の青のりをすくい取る。

「(/////)!! いいんです。紅天女は体力使うんですから、これぐらい食べないと。
速水さんこそ、お昼食べたんですか?」

「そういえば、まだだったな。君が満腹というなら、そのたこ焼きを半分くれないか?」

思いがけない楽しい時間が始まった。
2人で頬張ったたこ焼きは、さっき無意識に口にした焼きそばの百万倍も美味しかった。
巻き戻された時間の中で、幸せな会話が往復する。
でも、これは神様がほんの気まぐれでくれた時間。
これ以上速水さんを縛ってはいけない。
あたしはそっと息を吸い込み言うべき言葉を言う。

「速水さん、もう会社に戻らないといけないんじゃないんですか?」

速水さんは少し驚いて、でもいつもの鬼社長の表情に戻って返事をする。

「ああ。」

次に来る言葉は、「送っていこう。」か「稽古、頑張れよ」。
そのどちらに対しても、あたしはきちんと返事をする自信がない。
ところが、速水さんは全然違う言葉を口にした。

「昨日話したプラネタリウム、行く日を決めておこう。区立文化会館は、確か平日だけの投影だったはずだ。君の次のオフは?」









約束の日
朝から落ち着かないあたしは、約束の時間が最終投影だというのに、その2時間も前に区立文化会館に来てしまっていた。
今にも雪が降りそうな鈍色の空。
それを見上げながら、速水さんに初めてここに連れてきてもらったことを思い出す。




半ば嵌められたような気分になっていたデートもどき
そんな気持ちを持ったまま入ったプラネタリウム。
開いた扉の先は漆黒の闇。
不安になって辺りを見回した瞬間、頭上から降り注ぐ星空が押し寄せてきた。
目眩を覚えよろけるあたしの肩を速水さんの大きな温かい手が支えた。
その瞬間、あたしの中で何かがゆっくりと動き出した。

あの時の感動を的確に表現する言葉は今でも浮かばない。
けれど、もう一度あの感覚を2人で味わうことができたら、あたしの中で何かが変わるかもしれない。
そんな想いが高じて速水さんにあんなお願いをしてしまった。
速水さんは快く返事をしてくれたけど、本当に良かったのだろうか。
マイナスのもの思いに囚われて、会館の周囲をあてもなく徘徊する。



その時
携帯電話がメールの着信を知らせた。
速水さんからだった。

緊急の仕事で遅れる。
寒いから会館の中とか暖かいところで待っていて欲しい。
どんなに遅くなっても必ず行く。

そんな内容だった。
でも、あたしは一人で会館に入ることなどしちゃいけないような気がして、そのまま暮れてしまった冬の夜空を見上げた。

他の季節よりも空気が澄んでいるとはいえ、都会の夜空には数えるほどしか星がない。
梅の里で一緒に見上げた星空とは全然違う・・・。
都会では、スモッグや様々な思いが星空を隠してしまう。
一生懸命お祈りしたら、その煙幕は晴れるのだろうか。

ずっと見ていれば、もしかして奇跡が起こって星空が見えるかもしれない、
そんな馬鹿げた想いがいつしか祈りに変わり、本当に実現するような気がして、
一心に空を見上げて念じ続ける。



ふいに風が流れた。風が運ぶ煙草とコロンの匂いがあの人の訪れを告げた。
あたしはゆっくりと振り返り、精一杯の笑顔を浮かべる。でも、その笑顔は、きっと失敗作だ。

「ごめんなさい。ちゃんと暖かい所で待っていなくて。
でも、プラネタリウム、速水さんと一緒に見ないと駄目なの。
一人で見ても意味ないの。」

速水さんが凍りつくのがわかる。ああ、何か違う言葉を続けなきゃ。
すると、ふいに速水さんに抱き寄せられた。

「ごめん。いつも君には辛い思いばかりさせている。」

「いいえ。速水さんは何も悪くないです。今日はもう帰ります。
あの、もう1度だけ一緒にプラネタを見る約束をください。
それで駄目なら諦めますから・・・・・。」

あたしは精一杯明るい声で言おうとした。でも、声が震えてしまう。

「・・・・・・プラネタの代わりに満天の星空では駄目だろうか?」

「え?」

「本物の満天の星を見に行かないか。」

何が起こったのだろう?
ううん、何でもいい。速水さんと星空が見られるなら。
あたしは感極まって声に詰まり、ただただ速水さんの腕の中で頷き続けた。







車が着いた先は伊豆の別荘だった。
速水さんは手早く別荘の中から毛布を取ってくると、あたしをくるんで海岸へ降りた。

寒風が押し寄せる海岸は、厚く重い雲がたれ込め、星空は雲の隙間からわずかに見えるだけだった。
満天の星空にはほど遠い・・・・。
そして、追い打ちをかけるように白い風花が海からの冷たい風に運ばれてくる。雪が降り出した。

こんな時、どんな話をしたらいいんだろう?
あたしのためにこんな遠くまで車を運転してくれた速水さんに申し訳なくて、途方に暮れる。
肩から伝わる速水さんのぬくもりにさえ、謝りたくなってしまう。

「天気も確認せずに迂闊だったな。済まなかった。中で温かい物でも飲んで、戻ろう。」

このまま一緒にいたいと思うあたしが、心底ホッとするなんておかしいと思いながら、速水さんのあとへ続く。

別荘に戻って、2人とも夕食がまだだったとようやく気づき、速水さんがあり合わせの材料でパスタを作ってくれた。
この人は、ホントに何でもできるんだ。
できたてのパスタの隙間から漏れる白い湯気。
冬空の下で吐く息と同じ水蒸気のはずなのに、とても温かで柔らかい。
不意に泣きそうになって急いでパスタを頬張る。
とても優しい味がした。

速水さん、どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?
あたしは途方もない勘違いをしてしまいそうです。
この時間をこのままずっと共有していたいなんて、あたしが言い出したらどうしますか?

リビングで速水さんが作ってくれたココアを飲みながら、あたしは2人の間を流れている優しい時間の行く方を考えて、しだいに沈み込んでいった。

ふいにテレビの音声が流れた。

「繰り返しお伝えします。急速に発達した雪雲は関東全域を覆い、明日朝までに多い所で20センチ、南関東においても10センチ程度の積雪が見込まれます。中央高速、東名高速は閉鎖。首都高もこのあと全面閉鎖の見込みです。」

驚いて外を見ると、パラパラなんてかわいいものではなく、のそのそと大振りの湿った雪が庭に降り、既にかなり積もっている。

「まずいな・・・チビちゃん、君だけでも東京へ帰らせたいが、おそらく電車はもう終わっている。高速が閉鎖されているとすると、チェーンを巻いて一般道で戻るしかないな。時間がかなりかかると思うが、我慢してもらえるか?」

速水さんが外へ出ようとする。
あたしの心はあの嵐の夜に引き戻される。
同じことを繰り返すのはいやだ。
あのあといつも考えていた別の道。
あたしは速水さんの腕を掴んで言ってはいけない言葉を口にする。

「速水さん、このまま、ここに一緒にいちゃ駄目ですか。」

「何を言い出すんだ。確かにこんな大雪の日は動かない方がいいが、俺と2人きりでここに泊まるなんて、いくらなんでもまずいだろ。」

「速水さんが困るんじゃなければ、あたしは構わないです。明日は稽古午後からだし・・・・・。」

「そういう問題じゃない。チビちゃん、俺を過大評価しないでくれ。俺だっていつもいつも紳士でいられる訳じゃない。」

速水さんはこんな時でも自分の立場に相応しい言葉を口にする。
でも、あたしはもう止まれない。
あの嵐の夜と同じことを繰り返してしまったら、後悔の念に押しつぶされて、死んでしまうかもしれない。

あたしは、速水さんの肘を掴んだまま、真っ直ぐ速水さんを見つめ、最後の一言を口にする。

「・・・・・・それでもいいんです。
あたし、速水さんの阿古夜になりたい。駄目ですか?」

「! マヤ、自分が言っている意味がわかっているのか?」

返事をする代わりに速水さんの腕の中に飛び込む。

ここで、はっきりと拒絶されたら
ううん、曖昧に言葉を濁されたら
きちんと速水さんのことを諦めよう。

速水さんのしなやかな指が顎に触れ、ゆっくりと上を向かされる。
見上げた先に切なさに揺れる瞳があった。

「マヤ、俺は君のことを・・・・」

苦しそうに言葉を発する速水さんの唇に、人差し指をゆっくりと添えて塞ぐ。

「速水さんはもうしゃべっちゃ駄目です。
何か約束してしまったら、速水さんは全力で守ろうとする。
例え不可能なことでも・・・・・。
あたし、速水さんを苦しめたくない。
だから、今思っていることを言葉にしないでください。
今夜、あたしは北島マヤではありません。
速水さんの目の前にいるのは、阿古夜です。
明日になれば消えていなくなる存在です。」

驚いた目であたしを見つめる速水さん。
少し背伸びすれば届きそうな所にある速水さんの唇にあたしは自分の唇を重ねる。
不意に強い力で抱きしめられた。

速水さん、あなたが好き。
もう、どうしようもないほど好きです。

こんなことをしたらあなたを苦しめてしまうのはわかっています。
だから、せめて、あなたが辛い約束などしないように、
感情に流されて、あたしを愛しているなどいわないように、
あなたの唇を塞いでしまいます。

月光が積もった雪に反射して、室内を青白く儚げに照らし出す。
あたしに覆い被さる速水さんが青みがかった切ない白光を反射する。
「速水さん・・・・あたし、速水さんのことが好きです。
どうしようもないくらい好き。」







愛しい人との一晩だけの契り
東京までの道すがら、速水さんは終始何かを言いたそうだったけど、聞かないですむように、あたしはしゃべり続けるか、狸寝入りをした。

何もなかったように午後からの稽古に参加し、紅天女の世界に没頭する。
演じていればその瞬間は忘れられる。
紅梅が舞うあの奥までたどり着ければ楽になれる。

相変わらず眠れぬ夜の散歩は続いた。
日々細くなっていく月を見上げ、時に白い風花とともに舞い、
我ながら警官に会ったら職務質問を受けるよな、と思う徘徊を続けていた。





「北島、今日はもういい。」

「えっ?」

「もう帰っていいと言ったんだ。早く帰ってたっぷり栄養と睡眠を取れ。
稽古を重ねる度に氷が溶けるように小さくなっていくおまえは普通じゃない。」

「あ、あの、大丈夫です。もっと・・・もっと紅天女をやらせてください。」

「今夜十分睡眠を取ったら明日イヤって程やらせてやる。だから帰れ。」





稽古場を放り出されたあたしは途方にくれる。
空を見上げれば、どんよりと曇っていて、今夜は月も見ることができないようだ。
それでも、とぼとぼ歩いていると、街は夕方から夜へと変貌していった。
ふと気づくと目の前に大都芸能の社屋があった。

そっと最上階を見上げる。闇の中からちらちらと白い綿帽子が降ってくる。
見上げた先にある社長室の窓で、何かが光ったような気がした。

突然、携帯電話が鳴った。

「・・・・・・はい。」

「速水だ。こんな時間にすまない。
変なことを訊いて申し訳ないが、今どこにいる?」

「っ!・・・・・・・あの、会社の、大都芸能の前にいます。」

「なっ!今行くから、すぐ降りるから、そこにいろ。」

どうしよう。
また速水さんに迷惑をかけてしまう。
どこかに隠れようか?でも、よけい迷惑が・・・。
思わぬ展開に動転していると、自動ドアをこじ開けるように速水さんが飛び出してきた。

「マヤ!」

速水さんの姿を見た瞬間、全身から力が抜けた。

「・・・・・ごめんなさい。」

なんとか気の利いた言い訳をして、この場を立ち去らないと。
凍てついてしまった頭を一生懸命動かそうとしていると、不意に抱きしめられた。
温かくて、懐かしいぬくもり・・・・。

「おいで、中に入ろう。こんなに凍えて・・・・・。
今一番大事なことは暖まることだ。」

「だ、大丈夫です。もう帰ります。ごめんなさい。お騒がせしました。」

愛しさに目が眩んで、動けなくなる前に急いで離れようとするのに、速水さんの腕はがんとして動かない。

「わかった。でも、一人で帰らせるわけにいかない。」

速水さんに半ば抱え上げられるように、地下駐車場に駐めてある速水さんの車の助手席に乗り込む。
一度、社長室へ戻った速水さんが戻ってきて車を発進させた。
あたしは、何をどう伝えたらいいのかわからずに前だけを見つめていた。
すると、右手が急に温かさで包まれた。

速水さんの指があたしの指に優しく絡む。
思わず、力をこめて、その指にすがりつく。

「会いたかった。どんな形でも、君に会えて、こうして一緒に入れて嬉しいよ。」

あたしの中で、何かが外れた。涙が勝手にこぼれ出す。

「俺に会いに来てくれたのか?
君も俺と一緒にいたいと思ってくれているのか?」

どう答えたらいいかわからずにただただ頷く。

「・・・・・離れられないな。今夜、君をこのまま帰さなくてもいいか?」

ああ、あたしはまた、速水さんに言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。
でも、もう止められない。

絡んだ指が外れないように力を入れ、速水さんを見上げる。

「はい。そばにいてください。」





速水さんの横で、2度目の夜を越えようとしている。
窓の外には凍りつきそうな寝待ち月が浮かんでいる。

速水さんは何度もあたしに何かを言おうとする。
切ない瞳で、あたしに無言の訴えを続ける。
けれど、あたしは、言ってはいけない言葉だとわかっているから絶対に言わせない。
罪を犯すのも罰を受けるのもあたし一人でいい。
だから、速水さんには何も約束させたくない。


届かないはずの月に手を触れてしまった。
冷たく鋭い刃になった月を抱きしめて
あたしはどこまで歩いていけるのだろうか。






03.22.2006






…to be continued









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