| ベルリン 天使のいる街 3
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(速水さん!!)
剥がれ落ちた仮面をどうする事も出来ずに、言葉もなく立ち尽くすマヤに、黒沼の声が飛ぶ。 「カット!!」 たちまち、電気が通ったように正気に戻ったマヤは、訝しげな表情でマヤを見つめる桜小路と目が合う。 「あ、あ、あの、私…。ご、ごめんなさい…」 素に戻ってしまったマヤは、萎縮しきって、申し訳なさそうに口ごもる。 「なんだ、北島、NGか?ボケッと突っ立って、台詞忘れたわけじゃないだろう、お前に限って、なんだ、どうしたんだ?」 体の3倍ぐらいの大きさに膨れ上がったダウンジャケットに両手を突っ込んだまま、黒沼が近づいてくる。 「あ、あの、私、ちょっと変なもの見ちゃって…」 そう言って、再び人垣に目を泳がせると、そこには真澄の姿はもうなかった…。 (嘘?!やっぱり、幻覚だったの?) 再び呆然として言葉を失うマヤの肩を叩き、黒沼は言う。 「こう寒くちゃ、神経もイカレて、変なものも見えるかもしれんな。周りの皆もこの寒さにはそろそろ限界だ。今日はもうこのカットで終わりだ。明日には持ち越したくない。もう1テイク行くぞ」 「は、はいっ」 マヤは慌ててそう答えると、なんとか演技に集中しようとする。 「どうしたの、マヤちゃん?」 明らかに様子のおかしいマヤを労わるように、桜小路はマヤに優しく問いかける。 「ううん、ホントになんでもないの。迷惑かけて、ごめんね。次はちゃんと演るから、私…」 そう言ってマヤは、桜小路から絡められた微妙な温度を持った視線から逃れる。 (幻覚が見えたのなんて、今日が初めてじゃないじゃない。そりゃ、演技の最中に見えた事なんて今までなかったけど。前は毎日のように、見えてたし…。監督の言う通り、寒くてどっかの神経がおかしくなっちゃったのよ。じゃなきゃ、こんな所で速水さんの事、見るはずない…!) そう自分自身に言い聞かせると、マヤはゆっくりと目を瞑り、再び歌姫の仮面を被った。 『いつまでも、私があなたを愛してるなんて思わないで頂きたいわ!!』 再び同じ台詞をマヤは叫ぶと、引きとめようとする桜小路を振り切り、オペラ座の向こうに走って行く。 『もう2度と追いかけてこないでちょうだい!』 という捨て台詞を残して。 「カット!!オッケー!お疲れー!」 黒沼の声が広場中に響く。スタッフから湧いた、小さな拍手に同調して見物していたギャラリーからも拍手が起こる。大した数ではないが、異国のクルーが黙々と寒空の下で、撮影を行ってるのを興味深く見守ってる通行人もいたのだ。 スタッフが機材を片付ける音に混じりながら、黒沼が明日の指示を出す。 「明日はいよいよ、最終シーンの撮影だ。本当は予定通り、大晦日の花火の洪水をバックに撮りたかったんだが、どうやらすごい混乱らしくてな、安全上の問題から撮影許可が下りなかった。だが、ゲリラ的に祭りの様子だけは撮影し、演技の方は明日撮ったものをあとから、つなぎ合わせるつもりだ。だから、台本通りの台詞のある撮りは明日が最後だ。ま、悔いの残らんよう、しっかりとな」 「はい、がんばります」 桜小路はきっちりと答えると、何も言わないマヤを見る。 「マヤちゃん、返事は?なに?また、変なものでも見えてるの?」 からかうような口調でそう言うと、相変わらずボーっとしてるマヤの肩を抱きながら揺さぶる。 「え?ああ、はい!はい!がんばります!もちろんです!あの、さっきは本当にごめんなさい」 慌ててそう答えると、二人に頭を下げる。 「いや、お前も疲れてるんだろうな。今回はかなりの長丁場だったし、なんといってもこの寒さじゃな。よく風邪も引かずに、最後までがんばってくれたよ」 めずらしく、優しい調子の黒沼に桜小路は笑いながら言う。 「監督ぅ、まだ一日残ってますよぉ。そんな風にしんみり言っちゃうと、マヤちゃん勘違いして終わったと思って、明日来ないかもしれませんよー」 「はは、それもそうだな」 そういって、3人は小さく笑うと、まだ片付けをしてるスタッフに声をかけ、引き上げる事にする。 「あ〜、腹減ったな。おでんの屋台がないのは痛い所だが、どうだ、桜小路一杯行くか?」 寒さにアルコールはかかせない、と豪語する黒沼は連日桜小路を誘う。 「いやぁ、カンベンして下さいよ、と言いたい所なんですが、実は僕もお腹ペコペコでね。飲みはともかく、何か食べて帰らないと寝れそうにないですね」 と、黒沼の誘いを受ける。撮影の都合上、中途半端な時間に食事を取らねばならず、今日も遅い昼食と早い夕食を兼ねた妙な時間に食事を取ったっきりだった。 「マヤちゃんは?もちろん来るよね?一番お腹空いてるのはどう考えたって君だろうからね」 いつもならここで、 「ひど〜い、桜小路君、人のこと食い気虫みたいに言ってぇ」 と、ぎゅるるるるるる〜という効果音付きで聞けるのだが、マヤは俯いて黙ったっきり、心ここにあらずという風情である。 「マヤちゃん?」 桜小路がもう一度確かめるように促すと、ようやくマヤは顔を上げ、本当に疲れた声で言う。 「あ、ごめんなさい。あたし、なんか今日ものすっごく疲れちゃってて、もうどっか行く元気ないみたい。どうしてもお腹空いたらホテルでルームサービス頼むんで、今日は帰らせてもらっていいですか?」 そうまで言われて、無理に誘う事は出来ないだろう、 「じゃぁ、ホテルまで送っていくよ」 そういう桜小路を振り切るように、 「大丈夫、ほら、タクシーそこに止まってるし」 と、広場の前にオペラ座からの帰り客を当て込んで待機している、タクシーの行列をマヤは指差した。仕方なく、桜小路はマヤをタクシー乗り場まで連れて行くと、運転手にホテルの名を告げ、ドアを閉める。走り去るタクシーが見えなくなるまで、見つめている桜小路の背中を見ながら、黒沼はうんざりしたように呟く。 「まったく、幻覚が見えたり、見えてるものの前で立ち尽くしたり…。どいつもこいつも、いつまで経っても、おんなじ場所に突っ立ってやがる。なんとか、ならんもんかねぇ」 ![]() マヤを乗せたタクシーは、撮影のあったオペラ座から1ブロックも離れていないグランドホテルまで、ものの数分で付いてしまう。 「近くてごめんなさい」 そう言いたくても、ドイツ語の出てこないマヤは、少し多めにチップを渡し、 「ダンケ シェーン」 と言ってタクシーを降りる。フロントでキーを受け取り、豪華なソファーが無造作に並ぶラウンジをつき抜け、奥のエレベーターホールへと向かう。 と、新聞を大きく顔の前に広げ、ゆったりとソファーに腰掛けてる男の前を通り抜けた時、信じられない声を耳にする。 「チビちゃん、君がNGとはめずらしいな」 「!!!!」 声もなくまるで感電したかのように、マヤは立ち尽くす。 『チビちゃん』 そう自分の事を呼ぶのは世界でたった一人…。男は顔の前に大きく広げた新聞をゆっくりと下ろすと、マヤが何度となく思い描いた、少し人をからかうような、それでいて優しさが溢れ出すような、暖かいあの笑顔がそこにあった。 「は、速水さん!!」 (これも幻覚だったら、私、ホントに頭がどうかしちゃってるんだわ) そう思って、後は二の句も告げずぽかんと口を開けたままのマヤに、真澄はさらに声をかける。 「どうした、おばけでも見たような顔をして。正真正銘の速水真澄だぞ」 と、今度はお得意の高笑いを始める。 (幻覚どころか、幻聴まで聞こえちゃうなんて、私、重症かしら…) そんな事を思いながらも、体は自然に真澄の前のソファーに腰掛ける。 「こ、こんなところで何してるんですか?撮影だったら、そんな偵察にこなくても順調に行ってますよ」 「はははっ。大都芸能の社長ともあろうものが、わざわざ海外まで偵察になんてこないぞ。俺もそれほど暇じゃない」 すまして答える真澄に、マヤは少しカチンときて、膨れてみせる。 「そ、そんな事、わかってますよ。じゃぁ、なんでこんな所に居るんですか?ちゃんと教えてくださいよ。じゃないと私、いつまでも幻覚を見てるような気分で、気持ち悪いじゃないですか!」 「…まぁ、仕事だな。いや、義務といった方がいいかな」 「大都の?」 はっきり答えない真澄を怪訝そうな顔でマヤは見つめる。 「あぁ、限りなく大都の仕事に近い、俺の義務かな」 「な〜にそれぇ。訳わかんないですよ」 面白そうに今度はマヤがケタケタと笑う。 「お一人なんですか?」 少しの沈黙の後、さほど重要な事でもないかのようにサラリと真澄は答える。 「いや…、紫織さんと一緒だ」 マヤの表情から笑いが剥ぎ取られ、残されたのは奇妙な沈黙。 (そっかー。そうだよね、新婚夫婦だもんね、旅行ぐらい来るよね。速水さんたら、気使ってくれてるのかな、ハッキリ言わないなんて) マヤは今度は真澄にもわからないような寂しげな笑いを小さく浮かべると、 「それはまた、結構な事で…」 嫌味で言ったつもりではないのに、不自然に切り取られたような自分の声のそれは、なんだかみっともないくらいにガタガタしてて、マヤは途端に恥ずかしくなる。 「ダメじゃないですかぁ。奥様置いて、夜遅くにこんな所でフラフラしてちゃぁ。早く帰った方がいいですよ」 取り繕うようにマヤはぺらぺらと喋りだす。 「あ、それともなんですか、さっそく紫織さんに愛想付かされちゃって、追い出されたとか?ダメじゃ〜ん、速水社長!!」 自分でも馬鹿みたいな事を口走ってると、わかっていたがどうにも止まらず、唇は次から次へと勝手におかしな事を喋り続ける。 真澄が何も言わずに自分をじっと見つめている事に耐えられなくなったマヤは、更に上ずった声で言う。 「あ、あの、私、明日も撮影、早いんで、失礼します」 目の前にとっ散らかしてしまった玩具をすべて放棄して逃げ出す子どものように、その場から走り出そうとする。咄嗟に真澄の手がマヤの腕を掴む。 (こうやって腕を掴まれるのはもう何度目だろう…。そして、いつも腕は手放されてしまう…) そんな事をぼんやり頭の隅で思いながら、マヤは真澄を見つめる。 「速水さん。腕を放して下さい。どうせ、いつも放してしまうぐらいだったら、最初から掴まなければいいのに…」 責めてる調子ではなく、哀れな響きがマヤのそれにはあった。 「いや、今晩は放さない」 意味深な口調で言うと、真澄はさらにマヤの腕を掴む手に力を込めた。 「な…!!何、ふざけた事言ってるんですか!腕、とにかく放して下さいよ!」 マヤは強い調子でいう。真澄に呑み込まれたくなかった。なんとか自分の足で立っていたかった。そうでないと、今まで必死に抑えてきた気持ちがあふれ出してしまいそうだった。今まであんなにがんばって、耐えてきたものが、全て爆発してしまいそうだった。 「辞めてください、こういうの。私…、もう限界なんです。これ以上、苦しめないで下さい。欲しいものが手に入らない事にやっと、私、慣れてきたところなんです。これ以上、私の事、掻き乱さないで下さい…!!」 涙ながらに訴えても、ちっとも腕を放してくれない真澄に、マヤは絶望的な声を上げる。 「速水さん、あたし…、ほんとにもう限界なんです…。お願い…」 振り絞るような声で言って、泣き崩れそうになるマヤの腕を引っ張って真澄は突然歩き出す。驚いて、マヤは叫び声を上げそうになる。 「ちょっ…!ど、どこに行くんですか?は、放してくださいっ!は、速水さん?!」 真澄は構うことなく、まっすぐエレベーターホールに向かう。マヤから鍵をひったくると、素早く数字を読み取る。 『509』 エレベーターにマヤを押し込めると、迷う事なく5階を押し、エレベーターは一気に二人を五階まで運んでいく。重力に逆らう独特の浮遊感に襲われ、マヤは気が遠くなりそうになる。相変わらず自分の腕を強く掴んで放そうとしない、真澄の怒ったような険しい横顔を見ると、一体何が起こったのか、そして一体何が起ころうとしてるのか、検討もつかず、体がガクガクと震えだす。 「は、速水さん…」 最後に残っていた理性と勇気のありったけを振り絞って、名前を呼んだ時、ようやく真澄は振り返った。苦しそうに歪んだ顔は、血を吐くように低い声で呟く。 「俺も限界だ…」 12.29.2002 ![]() |
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