ROOM 3


 

 《 
in your room 
  

 数時間前、大都芸能本社。

「あら、マヤちゃん、今日、もしかして真澄様とお約束あった?」

 社長室の扉を開けると、明らかに動揺した表情で水城が出迎える。それは、この部屋の主の不在を伝える声音だった。

「あ、そうなんです、今日、次の出演作についてとか来期の契約について話があるって言われてて……」

 水城の困惑した表情から、改めてこの呼び出しの意味について考える。出演作のオファーにしても、来期の契約にしても、大都芸能の社長自ら説 明する必要は確かにないはずだ。マネージャーや水城などでも済む話でも、真澄はこうやって何かと理由をつけてマヤを社長室へと呼び出す癖があった。そして 毎回決まって、その後はどこかへ食事に連れ出されるというお決まりの流れだ。
 実際話を聞いてみると、真澄がわざわざ説明しなければいけない内容でもなく、忙しい真澄の時間を奪っている気がして

「この程度の内容だったら、次からメールでもいいですよ」

などと伝えた時には、

「所属の女優の様子を確認するのも社長の大切な仕事だ」

と怒ったように言われてしまった。

 紅天女の上演権を獲得後、自然な流れで大都芸能へ所属して、もう四年になる。不毛な片思いを自覚してからも同じだけの年月が流れた。
 試演後、鷹宮紫織との破談を突然発表した真澄は、異常な量の仕事をこなしてるらしく、多忙を極めていると聞く。だからこそ、こんな些細な事で毎回呼び出 す真澄の意図が分からず、思わず口にしてしまった言葉だが、気にかけてくれる社長に対して、いささかそれは失礼な物言いだったと今更気づく。
 
 所属事務所の社長と女優。

 接点はあるようで、実は思ったほどない。普段マヤが日常的に接するのは、役者や監督、現場スタッフといった面々で、社内の人間であればマネージャーや水城のほうがよっぽど接点がある。一介の女優が社長と会える機会など、実はそんなにないのだ。
 それなのに、いや、それだからか、真澄は些細な理由でマヤを呼び出す。
 きっと、あれほどまでに欲した「紅天女」の上演権を持った女優だからだ、と何となく理由はわかっているつもりだった。自分の存在など所属の女優の一人で、それ以上でも、それ以下でもなく。
 それでも自分は真澄に呼び出される事をイヤだなどと一度だって思ったことはない。

「個人的なお約束だったのね。社内のスケジュール管理表には反映されていなかったから、気づかなかったわ。連絡できなくて、ごめんなさいね。真澄様、体調崩されていて、しばらくは出社しないのよ」

「え? 入院とか深刻なやつですか?」

 想定外の水城の言葉にマヤの指先に力が入る。

「いいえ、インフルエンザになってしまったの。だから5日間出社出来なくなってしまって──」

 そこまで言って、ふと水城の目線が何かを思い出したようにマヤを捉えて止まる。

「そういえば……、マヤちゃんも先週インフルだったわよ、確かB?」

「はい、インフルBでした」

 幸い、舞台と次の仕事の合間でキャンセルしなければいけないような仕事は入っていなかった為、特に迷惑をかけずに済んだが、一人きりでマンションで過ごす5日間の自宅療養は中々に孤独だった。病気になって改めて、一人暮らしのしんどさと心もとなさを実感したところだ。

「じゃぁ、免疫があるからうつらないわね……」
 
 独り言のようにそう呟いた水城が急にマヤの両肩を掴む。

「マヤちゃん、この書類届けてもらえる? それから真澄様がちゃんと療養してるか、見てきてもらえる?」

 急転直下の想定外の依頼に、マヤがあっけに取られていると、あっという間に住所とあろうことか鍵まで渡された。

「何かあった時の為に真澄様の鍵、お預かりしてるのよ。急な海外出張とかもあるから。あと真澄様、普段からインターフォンを無視したりする癖があるし、寝てたら気づかない可能性もあるから、気にせず使って大丈夫よ」

 流れるように渡すべき書類と鍵を渡され、断る間もなくマヤは気づけば真澄のマンションの前まで来てしまった。

「多分、死んだように寝ている可能性もあるから、ちょっと様子見てきてもらえると助かるわ。それから食べ物とかもおそらく何も気にされてなさそうだから」

 そう言われて、ますます心配になり、どうかと思うほどの性急さでここまで来てしまった。

(勢いってこわい……)

 そんなことを胸でつぶやきながら……。










 エントランスやエレベーターホールのドア、はたまたエレベーターの階数ボタンすら、預かった鍵に仕込まれたタッチセンサーを使わないと進む事のできない 仕様の、いわゆるタワーマンションの最上階へとマヤは向かう。これをいちいち真澄を起こして解錠してもらうのは病人に対して申し訳なかったと思うので、鍵 を渡されて良かったとマヤは思う。先を読む力のある水城はやはり有能だ、などと少し笑いながら。

 いくら水城の許可を得たとはいえ、本当に最後の玄関のドアもそのまま入るのはさすがに気が引け、インターフォンを鳴らす。
 応答なし。
 もう一度、今度は少し長めに鳴らす。
 応答なし。

『普段からインターフォンを無視したりする癖があるし、寝てたら気づかない可能性もあるから』

 水城の言葉が脳裏に蘇る。仕方ない、とマヤは最後の鍵を慎重に解錠する。とてつもなく悪いことをしているような、言ってしまえば不法侵入の泥棒にでもなったような気持ちになり、心臓がドクドクと脈打っている。
 背後で玄関のドアが静かに閉まると、異様な静けさに包まれた部屋の空気に、自分がどこか入ってはいけない異空間に取り込まれてしまったかのような錯覚に襲われる。
 しばらく逡巡した後、

「おじゃまします」

小さな声でそう言うと、マヤは玄関をあがった。









 たとえば廊下に倒れているとか、リビングの床で寝ているとか、そういう最悪の事態はなく、予想以上に整然と綺麗に片付けられたリビングの様子に、マヤはしばらく部屋の主の痕跡を探すように、広いリビングの様子をゆっくりと視線を動かして辿る。
 シンクに一つだけ洗わずに置かれたままになっている透明のグラス、それだけが唯一この部屋で所定の位置にいない物のように思われた。何も置かれていな いキッチンカウンター、冷たいダークグレーのタイル、まるで新品のようなブラックレザーのソファー、カーテンのようにはためく事もない、床までしっかりと 下ろされたブラインド。あまりの生活感の無さに、真澄らしいだけでは片付けられない、どこか孤独が潜む無機質な空気を感じてしまった。

 鷹宮紫織との破談から四年。なぜか真澄はずっと独身を貫いている。噂によると、破談の際に被った損害を個人的に速水英介から背負わされ、その責任を果たすまでは何も自由に出来ないらしい。
 そのせいなのか、ここ数年の真澄の仕事の仕方は尋常でなく、いつも水城が嘆いていた。あのままではいつか体を壊すと。
 これがただのインフルエンザで寝込んでいるだけならいいのだけれど、と不安もあってマヤを送り込んだのも察せられる。

 寝室と思われる部屋のドアを緊張しながら静かに開ける。
 大きなベッドが一つだけ置かれた室内。暗闇に目が慣れるまで少しだけ待つと、ベッドの上の真澄の輪郭を捉える。そっと近寄り、顔色を見たくて、ベッドサイドのランプの小さな灯りを点ける。

 乱れた前髪、喉仏から首元までが見えるラフなTシャツ姿が少しはだけた布団から見えている。そもそもの寝顔もそうだが、どれもこれも見慣れない真澄の姿だ。
 そのままそっと寝かせておきたい気持ちと、少し額に張り付いた前髪から察する発熱の具合が気になって額に触れたい衝動が葛藤し、僅差で熱のほうが気になり、そっと額に触れる。

「うわ……、熱い……」

 予想通り、額の表面は高い熱を内側に孕んで、真澄の身体の内部で蠢く病の存在を主張していた。








2026 . 3. 1





…to be continued


















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