ROOM 2





《  in my room  》
 




 なんでこんなにリアルなんだ。
 触れてしまった唇の表皮の感触、漏れる吐息、あるいはキスとキスの合間、唇が離れた瞬間にお互いがお互いの唇を見つめながら顔を斜めにし、次のキスの場所を探す熱量の高い間合い、そんなものの全てがいちいちリアルな感覚を伴うので、真澄は訳が分からなくなる。
 ただ、その唇に触れる事を止められない。
 ふいに笑いが込み上げ、息が漏れて笑ったのを咎められる。

「なんで笑ってるんですか? 私のキスが下手だから?」

「違う、夢でなければ君がここにいるはずもないし、こんなキスなんてするはずもないのに、夢だとは思えないほどリアルだから、一体どうなってるんだと思わず笑いが込み上げた」

 機嫌を損ねたようだったナイチンゲールが少しだけ、納得したように表情を緩める。

「安心してください、夢ですから」

「みたいだな」
 
 そう言って、またキスを続ける。何度でも甘く、ついばむようなキスだけでは満足できなくなり、少しでもマヤが逃げようとする気配を察知すると、後頭部を押さえて、強く密着させるようなキスをする。
 次第にインフルエンザとは違う熱源が己の下腹部でそれこそリアルな熱を帯び始め、固くなるのを自覚する。
 体を密着させていたマヤがその熱く硬い存在に気づいたのか、

「あっ……」

という表情をして、視線を下にする。

(こんなところまでリアルになるのか?)

 夢の中でまで獰猛な己の分身のリアルさに、真澄は苦笑しながら、マヤの体を反転させると、間隔を空けて上に乗るようにして自らの肢体の下に閉じ込める。下腹部が当たらないようにしたのは、夢の中とはいえ、最低限の配慮だ。

「痛っ──」

 急にマヤが顔をしかめ、後頭部のほうに手をやる。どうやら、髪を留めていたバレッタが当たったようだ。枕と頭部の間に指を差し入れ、目視なしの指先の感覚だけでバレッタを外すと、マヤがなんとも言えない不服そうな表情で上目遣いにこちらを見上げる。

「なんだ?」

「そういうところ! 慣れてるって感じで、なんかいやらしい」

「はぁ?!」

 呆れて変な声を上げてしまう。これでいやらしいとは、どういう意味だ。

「ブラのホックを見ないで外せる人ってすっごい慣れてる人みたいでエッチって、前さやかとかと話したことあるけれど、バレッタだって普通男の人は使い方わからないものなのに、見もしないで手探りだけで一瞬で外せちゃうなんて……」

 そんな些細なことで……、とその可愛らしい嫉妬のような小さな怒りすら、真澄には可愛く思えてしまう。勿論、そんな事を口に出したら、きっともっと怒らせてしまうだろう。
 真澄は笑いを堪えながら、銀色の花の細工のバレッタをそっとベッドサイドテーブルの上に置いた。

 気を取り直すように、再び甘いキスを浴びせる。自由になった髪の間を何度も梳かしながら。

「もしかして私にうつそうとしてます?」

 やまないキスの嵐に降参するようにマヤが笑う。

「確かに昔からよく言うな、うつしたら治ると」

 そう言って、また一つキスを落とす。

「ふふ……、私にはうつりませんよ」

「なぜだ?」

 下からこちらを見上げるマヤの顔に、満面の笑みが広がるまでの数秒間。

「夢だからでーすっ!」

 そう言って、大笑いして抱きついてくる。再び体が密着する。勿論、下半身の獣は少しも静かになっていない。

「熱、大丈夫ですか?」

 額をつけたまま、マヤが気遣うように言う。

「あぁ……、まぁ……」

 曖昧にそう答える。

「あんまり大丈夫じゃなさそうですけれど」

 密着させられると、どうしたって逃げ場のない真澄の別のリアルな熱源が、二人の体の間で剛鉄な硬さを主張している。

「大丈夫だ」

 無理やりにでもそう口にする。

「これ以上はしない」

 これほど甘いキスを死ぬほど浴びせておいて、我ながら矛盾したような台詞だ。

「どうして?」

 頼むから、そんなあざとい台詞を潤んだ瞳で言わないで欲しいと真澄は夢の中だというのに、哀れにも懇願する。

「インフルエンザがうつる」

「今更じゃないですかっ?!」

 呆れたようにマヤが笑う。

「そうだな」

 そう言って、欲望とはできるだけ違う柔らかさでそっとマヤを抱きしめると、顎の下に収めた小さな丸い頭頂部に大切なものを置くようにゆっくりと言葉を選ぶ。

「夢で君を汚したくない」

「汚れるんですか?」

 そう言われると、汚れる、という表現は少し違う気がした。

「いや、違うな……。夢だと、覚めた時に虚しすぎる。俺なんかが夢で君を抱いたりしては駄目だ。夢だからこそ、駄目だ。そういう意味での汚したくない、だ」

 わかったか?とでも言うように、真澄は再びお互いの額を合わせて、そう言い含める。

「キスはいいの?」

 腕の中の小悪魔が愚かな男の矛盾点を突くように聞いてくる。

「キスぐらいしてもいいだろ」
 
 そう言って、また一つ甘く唇を奪う。禁断の果実とはよく言ったもので、やめられる気がしなかった。こんなに自分がキスをする男だとは、自分でも思っていなかった。虚しくも、全ては夢の中だというのに。

(いや、夢の中だからなのか?)

 そんなもっともな疑問がふと脳裏を過る。夢が己の願望がもっとも素直に現れる場所だと考えれば、これが自分の一番したかった事ということになる。これが本当の速水真澄の姿、ということになるのか?

「速水さん、めちゃめちゃメロいですね」

 夢中でキスをしながらそんな事を考えていた真澄を呼び戻すような声。

「メロい?」

「恋人に甘いってことです」

 先程まで、己の中でモヤモヤと肥大化していた疑問の泡が綺麗に弾ける。

「君に甘いだけだ」

 これは北島マヤ限定の速水真澄の姿だと思うと、いくらでも甘くなってしまえる気がした。仕方がない、この世で唯一死ぬほど愛する女なのだから。

「なんで普段からこういうふうに優しくしてくれないんですか?」

 突然のその言葉に驚かされる。

(普段から?)

「夢じゃない時の速水さん、塩すぎる」

「塩?」

 メロいだの、塩だの、言葉のわからない十一歳も年上のおじさんに対して、諭すようにマヤが答える。

「意地悪だったり、冷たかったり、そっけなかったり、そういうの塩って言うんです」

「じゃぁ、反対は砂糖というのか?」

「言いませんっ!!」

 どうやら呆れて怒らせてしまったようだ。こちらに背中を向けて、分からないと思って頬を思い切り膨らませた姿も、とてつもなく可愛いなどとは本人は夢にも思っていないのだろう。

「本当はこうしたいと思っている。ちゃんと君とつきあって、思う存分甘やかしてやりたいと思ってる」

 向こうを向いていた背中がこちらに振り返る。

「どうしてそうしないの?」

「まだ出来ないんだ。あともう少しで整う。自分の中のけじめみたいなものだが、ちゃんとしたいと思ってる。だからあと少しだけ待ってて欲しい」

 男を疑うような眼差しで、マヤが下からじっとりと見上げてくる。先程までの死ぬほど可愛い上目遣いとは少し違うそれは、次第に真澄の中で頑なに錆びついたように凝り固まっている何かを溶かしにかかる。

「完璧じゃなくていいんですよ。全部整うまでなんて待ってたら、永遠にそこから抜け出せない。”いつか”とか”今度”はいつまでたってもやってこないって 本当ですよ。そんなの待ってたらおじいさんになって死んじゃいますから。完璧じゃなくても、速水さんはそこから出たほうがいいんです。気持ちがあれば大丈 夫です」

 ベッドの上で半身を起こして、真剣な眼差しでマヤがこちらを見下ろす。全てを知る神がそっと真実を諭すような口調。

「光はヒビから差し込むから……、閉じこもらないで殻を割って、いい加減出てきて下さい」

 優しく髪に触れながらそう言ったマヤが、最後に真澄の額にキスを一つすると、まるでそれが眠りの池の縁からそっと落とされる合図のように、静かに真澄は眠りに堕ちた。



 瞼の裏に光を感じる。
 眠りの膜にヒビが入る。
 光だ──。

 その光を頼りに、真澄は長い眠りから覚醒する。

 ようやく覚めた夢の向こうには、朝がきていた。
 


 



2026 . 2. 28



…to be continued















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