恋する二人の夏休み 1
written by wanko

「えっと…大丈夫かな…。忘れ物はない…よね…?」

訊ねる相手のいない部屋で、マヤはもう何度目になるのかもわからない荷物のチェックをしていた。
昨夜…いや正確には7日前から始まったこの準備は、たった3日の国内旅行に行くとは思えない程の入念さをもって行われている。

「…今朝使ったお化粧品もドライヤーも入れたし、着替えも全部入ってるし…、スリップドレス用の下着もあるし…」

そこで、マヤの頬は紅色に染まる………。

スタイリストのミオに教えて貰ったランジェリーショップは、今までマヤが足を踏み入れたことのない専門店であり、店員の勧めも的確だった。マヤがドレスの説明をすると、すぐにストラップレスのブラがいくつか目の前に並べられ、サイズの計測、試着とテキパキと進み、どうしても必要だったものはすぐに買うことができた。

だが、マヤはそのまま店を出ることができない。壁際にディスプレイされた一組のランジェリーに目を奪われていたのである。その様子を敏感に察知した店員は絶妙のタイミングでセールストークを始めた。

「そちらは本日入荷しました商品でございます。お色が素敵でございましょう?」

なるほど淡いパープルで、多少の光沢があり、左胸に小さな薔薇の刺繍が施されている…上品な可愛らしさを持った商品であった。

「あっ…、でも、あたしにはちょっと大人っぽいかも…」

「あら、そんなことはございませんよ。お客様は色白でらっしゃいますし、このようなお色が映えるかと思いますわ。ご試着なさってみてはいかがですか?」

「でも…」

「それに、きっと彼氏も喜ぶことと思いますわよ」

この言葉にボンっと音を立てて赤くなったマヤに、店員の怒涛の攻撃は更に続き、結局、マヤはその下着のセットを購入することになっていた。

「ありがとうございました。又、お越し下さいませ〜」

店員の声を背中に聞きながら、ショップの紙袋を大事そうに抱えたマヤは、だがしかし、買わされてしまったという後悔はひとつもないことに気がついていた。

勝負下着…そんなつもりは全くなかったが、これは、マヤが初めて、「誰かに見られるかもしれないことを意識して選んだ下着」であることに間違いはなかった。



『プップー…』


通りから聞こえてきたクラクションの音でマヤはハッと我に返る。壁掛け時計に目をやると、約束の8時を既にまわっていた。

「いっけな〜い。時間になっちゃったじゃない…」

アタフタと焦りながら、ボストンバッグを抱えて、それでも

「えっと、火の元は確認したし、窓も締めたし。…よし、OK!」

と、指差し確認をしながら、マヤは部屋を出て行った。



マンションの玄関前、真澄はオープンカーのドアに半ば腰を掛けるような形で寄りかかり、煙草を吸っていた。
朝日を受けてキラキラと透ける前髪、伏せた瞳の長い睫毛、煙草を挟みながら口元にあてられた美しい指先…。マヤの鼓動は跳ね上がり、駆け寄ろうとしていた足が止まる。

”う…わぁ、なんて綺麗なんだろう…”
キッカリ5秒…その場に立ち尽くして、見惚れるマヤ。

煙草の煙を吐き出しながら瞳を上げた真澄は、 マヤの姿を捉え、からかうような微笑を見せた。

「どうした?寝坊でもしたのか?」

慌てて駆け寄ったマヤに、真澄は笑いながら声を掛ける。

「ごめんなさい。ちょっと、ボーっとしちゃってて。
でも、寝坊はしてませんよ。今朝は目覚ましより早く目が覚めたんだから」

少し赤い顔をしながらも、幾分、誇らしげに胸を張るマヤ。

「それはチビちゃんにしては珍しいな。だけど、遠足の日とかは早く目が覚めるタイプだろ、君は…」

「…なんか、それ、あたしのこと馬鹿にしてません?…まぁ、でも確かにその通りだけど…」

「馬鹿になんかしてないさ。それに今朝は俺も君と同じで、5時には目が覚めた」

「やだ、速水さん、それは早過ぎでしょ。3時間もいったい何やってたんですかぁ?
…歳を取ると早起きになるって言うけど、本当なんですね!」

「こらっ!…全く、君の方が俺を馬鹿にしてるじゃないか…。
さぁ、貴重なたった3日間の休みなんだ。喧嘩が始まる前にとっとと出発するぞ」

そう言いながら、真澄はマヤのボストンバッグを車の後部座席に載せ、助手席のドアを開ける。

「はぁい」

満面の笑みを浮かべてマヤは乗り込み、こうして二人の夏休みが始まった。






真夏の日差しによるマヤの日焼けを避ける為、幌を閉めた車の中で…。
マヤはあのプロポーズから2ヶ月余りの日々を思い返していた。

お互いに忙しさは相変わらずで、会える機会が増えた訳でも、真澄が急に優しくなったとか…そういう訳でもない。逆に小さな喧嘩は日常茶飯事となっていた。

けれども、あの赤い手帳にしか、自分の本当の気持ちをぶつけることができなかった頃とは、確実に何かが違っている…マヤはそう確信していた。

”自分ばかりが恋している”…なんてことをもう思ってはいない。

”速水さんも同じ温度と密度と重さでもって、あたしを好きでいてくれる”…素直にそう信じることができた。

だから、少し位のワガママを言ったりすることもある。それで喧嘩になって、ちょっと後悔して、反省して…、そしたら素直に謝って…そうして、どんどん二人の間から、無理や強がりや…いらないものがなくなっていく…自惚れではなく、そう信じることができたのである。


真澄にしても同じである。拗ねた態度や甘えた口ぶり、大胆な愛情表現等、以前の彼では、絶対にマヤには見せることができなかったことも自然と出来てしまう…。

(こんなに素直なヤツだったか?俺は…)と自分で自分に驚くことが、度々あった。
自分自身でさえ驚くのだから、マヤの反応はそれに輪をかけた驚きを含んでいる。

「信じられない、速水さん。それが大都芸能の鬼社長の言うことなのっ!!」

と、真っ赤な顔で言うマヤの、その新鮮な反応が楽しくて、嬉しくて、愛しくて…、真澄の素直さには拍車がかかる一方である。

あれほど気にしていた11歳の年の差なぞ、思い出すことすら困難な記憶の彼方に消し飛んでいるのであった。






出発から3時間、カーブを大きく右に曲がったところで、マヤが歓声を上げた。

「うわぁ、見て見て、速水さん!海っ!!すっごいキラキラ光ってる。とってもキレイだよ。
あっ、でもやっぱりダメ。速水さんは運転に集中してください」

前方に、快晴の夏の空を映して、真っ青に輝く海が見えてきたのだ。世間より少し早目の夏休みを取った為、まだ、浜辺はそれ程の賑わいは見せてはいない。しかし、今年は猛暑とあって、海で遊ぶには最高の日和である。

「海ーーーーっ!!速水さん、早く車停めて、早くっ!!海に行きましょうよ!」

「あぁ、あと10分も走ったら別荘に到着するから、もうちょっと我慢してくれ」

「はーいっ!!」

マヤはウキウキと高揚した気持ちを隠さずに話し掛ける。

「伊豆の別荘って、速水さんはよくお休みの時とかに遊びに行く場所なの?」

「遊びに…って言うと、ちょっと違うかもしれないな。あそこは俺の緊急避難場所だったんだ」

「避難場所?」

「あぁ、一人になって自分の心を取り戻す為の場所だ。まぁ、考えることは君のことばかりだったがな」

「えっ、そうなの?
…もう、いったいどんなことを考えてたのかすっごく気になるんですけど!!」

「まぁ、そこはあまり突っ込まないでくれ…。
とにかく、俺にとって伊豆の別荘はマヤ以外を連れて行きたいと思ったことはないし、マヤを連れて行くなんてことは絶対に不可能だと思っていた。まさか、君と一緒に夏休みを過ごす為に訪れることができるなんてな」

マヤは真澄の抱えていた苦悩の全てを知っている訳ではない。けれども、心が通じ合うまでの様々な確執を考えると、今の言葉に込められた真澄の想いがわかるような気がした。

「それはあたしだって同じです。まさか、速水さんと夏休みを過ごすことができるなんて…。
あたし、今年の夏休みが今までで一番、待ち遠しかった…。あの日から本当に手帳にばってんつけながら、待ってたんですよ。もう3日間、これでもかーって言う位に遊んじゃうんだから。速水さんも覚悟してね!」

「覚悟…ね…」

意味ありげに笑いながら真澄は言った。

「お手柔らかに頼むよ、チビちゃん。
………ところで、俺は非常に楽しみにしてたんだがなぁ」

「えっ?何をですか?」

「君の言ってたスケスケワンピ」

「え…」

真澄の口から出た言葉にマヤは一瞬固まる。そして、その顔は急激に赤くなった。
確かに、この夏休みの為にあのスケスケワンピは買ったのだ。それでも、やはり、気恥ずかしいような気がして、今日は一緒に買ったカプリパンツを身に着けていた。

「あれは、ちょっと、その、やっぱり…、街中で着るのは勇気がいったので…。
あ、あ、明日着ます。リゾート地なら、なんとなく大丈夫な気がするから…」

「そうか、じゃあ、お楽しみは後で…ってことだな。明日は見せてくれよ」

真っ赤になったマヤを横目で見ながら、真澄は上機嫌で車を別荘の駐車場に停めた。






「うわぁ、なんか、スゴイ…これぞ別荘って感じですねぇ…」

真澄に促されて、広々としたリビングに入ってきたマヤは、そのまま大きな窓に吸い寄せられていく。
窓越しに青く輝く海が一望でき、その窓を開け放つとテラスに出ることができた。

「あっ!バーベキューセットだぁ」

マヤは歓声をあげながら、テラスに置かれたバーベキュー用のコンロ、パラソル、テーブルとデッキチェア等を一通り見て回っていた。

「今夜の夕食はバーベキューが食べたいなぁ。ねっ、速水さん」

「そうだな。マヤ、冷蔵庫を開けてごらん」

「冷蔵庫?」

怪訝そうな顔をしながらも、マヤはキッチンに向かった。
そこには、業務用かと見紛う程の巨大な冷蔵庫が置いてあり、マヤはその中段の扉を開けてみた。

「あっ!お肉!!すご〜い、これって、バーベキュー用だよね?」

その他にも様々な食材がきれいに並べて納められていた。すぐにでもバーベキューが始められそうである。上段の冷凍庫を開けてみると、マヤが好きなアイスクリームが入っているし、下段の野菜室を引き出してみれば、そこには大きなスイカまであった。

「うわっ、丸ごとのスイカ…、あたしスイカ割りもしたいっ!」

「あぁ、もう覚悟はできてるから、君の望みは全部叶えて遊び倒してやるさ。
俺としては君とスーパーで買い物をするのも楽しそうだと思ったんだが、とりあえず、必要そうなものは用意しておいてもらったよ。何か足りないものがあれば、明日にでも一緒に買いに行こう」

「ううん、もう十分だよ。私が欲しいものは、全部速水さんわかってるんだもの。
それにこのまま1週間、ここに閉じ込められても大丈夫な位の量があるし…」

「最終日に季節外れの台風でも来てくれれば、君と二人でここに閉じこもることができるのにな…」

真澄は9割本気の言葉を囁きながら、マヤの肩を引き寄せ、彼女の小さな体を自分の両腕で囲ってしまう。

「ふふっ…、忙しすぎの社長さんには、その位夏休みがあってもいいのにね。
水城さん達も喜ぶんじゃないですか?
たまには鬼社長の居ぬ間に羽を伸ばしたいと思ってますよ、きっと…」

真澄の腕の中から、上目遣いでイタズラっぽい笑みを浮かべながらマヤが言う。

「可愛い顔して、カワイクナイことを言う唇だ…」

言いながら、真澄はマヤの唇の上に人差し指をあてがう。

「黙らせるには、塞いでしまうのが一番かな…」

マヤの瞳の奥を覗き込みながら、ゆっくりと真澄の唇が近づいてくる。
ぼやけた視界に急いで瞳を閉じるマヤ。
その様子に真澄はフッと息だけで笑いながら、唇を重ねた。
触れあった唇…急激に込み上げてくる愛おしさをどうすることもできなくて、くちづけは激しさを増していく。
触れ合うだけのものから、徐々に愛情を注ぎ、又奪うものへ…。

二人の吐息が満ち、酸素が薄くなったような室内で、マヤは溺れてしまいそうになる。



01.07.2005





…to be continued









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