19 予定外の出来事
" 嵐の夜に抱きしめて 2"
written by 杏子
悪寒がブルブルと背中を駆け上がる。手足がすっかり冷えて、寒いのに顔の近くだけ熱い気がする。

(熱…あるんだろうなぁ…)

そんな事をまるで他人の体を心配するようにマヤは思っていた…。

真澄の車がマンションの地下駐車場に滑り込み、マヤは真澄に体を支えられ、フラフラと車を降りる。
車を降りた瞬間、ガクリと膝が折れた。

(自分の体に力が入らないほど、弱ってしまったなんて、アタシはホントに馬鹿だ…)

無茶をした事への後悔と、体が言う事を聞かない事へのだるさからマヤはその場に倒れこんでしまいそうになる。
と、その瞬間、体がフワリと宙に浮く。突然、両膝の裏に真澄の腕が入れられたかと思うと、マヤの体は横抱きに軽々と持ち上げられた。

「君が嫌がるのはわかってるが、暴れる元気があったら、今は大人しくしてろ。無茶をした罰だ」

有無を言わせぬ口調でそういうと、熱を測るように自らの顎をマヤの額に押し付けた。

(うわぁ…)

突然近づいた、真澄の顔にドキドキして、マヤは口から心臓が飛び出しそうになる。

(キレイな顔だなぁ…)

今考えなくてもいい事を、ぼーっと考えながら、マヤはまた体温が一度上がった気がした。

「熱があるな…」

そう言って額から顎を離す瞬間、真澄はそこへ、それとはわからないほどの短いキスをした。





部屋まで辿りつくと、真澄はどさりと一度、マヤを床に下ろす。

「いた〜い、もっと優しくしてくださいよぉ〜」

なんとなく、成り行きで部屋に来てしまった気恥ずかしさから、マヤはお茶らけてみる。考えてみればこんな夜中に真澄の家に来たのはこれが初めてだ。電気の付いていない暗い室内は、いつもと明らかに違う空気が流れている。

「馬鹿につける薬はないとはよく言ったもんだ。まったく、君は俺を心配させる事だけを生きがいに生きてるようだな」

いつもの皮肉たっぷりの冗談の向こうに、本当に心配そうな色が見えたので、マヤは言い返せなくなる。

「…う、ごめんなさい…。でも…、だから、迷惑かけたくなかったんじゃないですかぁ。こうやって、迷惑かけるの嫌だから、自力で帰ろうとして、それで…」

床にしゃがみこんだままのマヤの前に真澄は腰を下ろすと、顔にへばりついた濡れた髪を丁寧によけてやりながら言う。

「それが、迷惑だって言うんだ…」

「え?」

「君が俺に迷惑をかけまいとする事全てが、俺にとって迷惑だと言ってるんだ」

訳がわからないという風にマヤは真澄を見つめ返す。

「もっと、俺に迷惑をかけて欲しい。我儘や強情を張れとは言わない。だが、困ったときぐらい、俺を呼び出せ。なんのために俺は居るんだ?」

言葉は強いが少しも意地悪な響きを含まないそれは、マヤの体内を滑らかに滑り落ちていく。顔に張り付いた髪をすっかり除けてやると、真澄は素早く口づける。

「ホントに君は、困った子だ…」

そう言って、濡れた体を包むように抱きしめた。

瞬間、真澄の中で、押し込めていた欲望に火が付く。触れてしまった肌から情熱が這い上がり、それは自らの体内で熱を持って暴れだす。

(彼女は弱っているんだ…)

すっかり冷え切った体で震えてるマヤをその腕の中に感じると、場違いな自分の欲望に苦笑する。ゆっくり5秒数えて、それを体の奥底に押し込めると、マヤの両腕を掴み立ち上がらせる。

「さぁ、はやく、シャワーを浴びて暖まれ」

そう言って、足取りのおぼつかないマヤをバスルームまで連れて行った。

「安心しろ。覗いたりしない。タオルはそこの棚に入っている。着替えは…」

もちろん真澄の家にマヤの体に合う着替えがあるはずがない。真澄は苦笑いを浮かべながら、とりあえずそう促す。

「適当に見つけて、君がシャワーを浴びてる間にここに置いておく。わかったか?」

相変わらず、熱のためかぼーっとして反応の鈍いマヤの顔を覗き込む。
返事の代わりに俯いた頭が小さくこくり、と俯いた。





冷たい手足に少しずつ感覚が戻ってくる。バスタブのふちに腰掛け、頭のてっぺんからシャワーを浴びると、あったかいシャワーが世界で一番幸せなものであるようにさえ思えてくる。

ふと、シャワーヘッドを持ったまま体の動きが止まる。

(熱があるのは、雨のせいだけじゃない…)

自分の置かれてる状況を考えて、どくりと心臓が一度跳ね上がる。

(ううん、ホントの熱は大した事ない。もっと、高い熱だってだした事あるから、アタシにはわかる…。さっきから、心臓がこんなにドキドキして、顔が熱いのは、もっと違う理由…)

急に今こうして、自分が真澄の家でシャワーを浴びている事がとんでもない事のように思え、マヤはその場でぐるぐる回りだしそうになる。

(ど、どうしよう…。どんな顔して出てけばいいんだろう。っていうか、今日、ここ泊まるんだよね、あたし…。
って、何考えてるのよぉ。きっと、速水さんはそんな事考えてないってば。そんな、子ども相手にねぇ…。誰もそんな…。
えー、でも…)

訳のわからない一人芝居をしながら、色々考えてみたが、考えても何か気の効いた答えがでてくる気配もまるでなかった。いつまでも熱いシャワーを浴びてても、のぼせかねない。
意を決してシャワーの栓を元の位置に戻した瞬間、突然、マヤは暗闇に放り込まれる。

(う、嘘?停電?)

咄嗟の出来事に真っ暗闇の中で平衡感覚を失い、のぼせたマヤの体がぐらりと揺れる。

「きゃーーーーーーー!!」

バスルームに置かれたワイヤーのシェルフにぶつかり、シャンプーやら風呂桶やらが、激しい音を立てて床に散らばった。

「どうした!!マヤ!!大丈夫か?!」

駆けつけた真澄が脱衣所の扉を勢い良く開ける。

「あ、はい…。あの、びっくりしてちょっと、よろけた拍子に、棚、倒しちゃったみたいで。あの、ごめんな…」

予告なく、続けて聞こえたバスルームの扉の開く音に、マヤは絶句する。真澄が壁を伝ってこちらに歩いてくる気配がする。

「きゃっ、ちょっと、あの、速水さん!!は、恥ずかしいから…!!
いやっ、見ないで!!」

真澄がくすりと小さく笑う声がする。

「見えないよ、この暗闇じゃ…」

確かに電気の落ちたバスルームは完全に闇に包まれ、シャワーヘッドから滴る水滴の音だけが異常に響き渡る。何も見えない事への不安、全裸で居る事への羞恥心、そして目の前に立ちはだかる真澄の存在感。あまりの展開にマヤは一歩も動けなくなる。

「近くに雷が落ちたらしいな。長くかかるのかもしれない。
大丈夫か?歩けるか?」

どうやら、真澄は本当にすぐ側まで来てるのが息づかいでわかる。

(と、とにかく、ここから出なきゃ…)

いつまでも全裸で立ち尽くしているわけにはいかないわけで、勇気を出して、暗闇の中に手を差し出し、さまよわせながら一歩、歩き出す。
その瞬間床に残っていた石鹸の泡に足を取られ、マヤは前のめりに倒れ込んでしまう。

「きゃぁ!」

完全にコントロールを失った、一糸纏わぬマヤの小さな体は、すぐ目の前まで来ていた真澄の腕の中に落ちていった。



1.10.2003







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