あなたにほめられたくて 1
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illustrated by YOKO
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※※このお話は、YOKOさんより頂きました、”おつかれさまイラスト”に杏子が感激のあまり、勝手にコバンザメってお話をくっつけさせていただいたものです。イラストは、第二話の一番最後に出てまいります。蛇足のようなお話で申し訳ありませんが、お付き合いくだされば幸いです。
「……たの?」 「え?」 すぐ隣の助手席から、身を乗り出すようにして顔を覗き込まれ、真澄は間の抜けた声をあげる。 「あ〜、また聞いてなかった。速水さん、最近、人の話聞いてな〜〜い」 膨れたような声をあげてみせるが、決してそれが本当に怒っているわけではないことを、真澄もよく知っていた。けれども、今日一日言うべきことを、いつ言うか、どう言うか、そのタイミングばかり気にして、どうにも心ここにあらずであったことは否定できない。 先ほどから自分がマヤの話に集中できない理由、それは仕事ややっかいな問題を抱えてるわけではない。なんとしても、今日こそはマヤに伝えたいことがあるのだ。 「だからね、明日からは別のお弁当になるの。みんなが、あそこのお弁当はマズイマズイ、あんまり言うから、違うところのになるんだって。あたしは、なんでもいいんだけどなぁ〜」 そんなことを一大事のように話す。 「速水さんはぁ、お弁当って何から食べる?まず、ごはん?あたしね、まず絶対に、白いご飯を一口、口に入れてから食べるの。なんかね、お手拭で手拭くのと同じように、白いご飯で口を整えてから、食べ始めるってかんじ?」 大きな目が素早く2回瞬きした瞬間、心の奥底まで見透かされたようで、真澄は言葉に詰まる。それをまったく別の意味にとったのか、マヤは乗り出していた身を伸びたシートベルトに引き戻されるように、ゆっくりと元にもどすと、深くシート座りなおした。 「ごめんなさい……。なんか、またどうでもいい話しちゃった?速水さん、お弁当なんて食べないよねぇ……」 「いや、そんなこともないぞ、逆に忙しくて外に食べに行く時間がないことのほうが多い。水城君がそんなときは、弁当を用意してくれてたりする」 まっすぐに車線を見ながらも、チラリとマヤに目線をやる。途端に色のついた表情が輝くのを確認するように。 「うわぁ、なんか、速水さんのお弁当とか言って、超豪華そうっ。お重とかに入ってるんでしょ〜。いいな、いいな、あたしも食べたいな」 冗談でも、話の流れでもなく、こういうことを本気でマヤが言うことが、真澄の目にはとても愛おしいもののように映り、思わず頬がほころぶ。 「食べにくるか?」 「え?」 きょとんと、マヤの目は宙に浮いたまま止まり、微笑むために緩んだ口元は、わずかな隙間をあけたまま、閉じるきっかけをなくす。 「社長室でランチはどうか?と、聞いてるんだ」 真澄の左手の指が、ハンドルから離れ、固まったままのマヤの目の前で、前髪に人差し指だけで軽くふれる。聞いているのか確認するように。 「え?え?社長室で、速水さんと一緒にお弁当食べるの?お重の?」 真澄は噴出しながら答える。 「お重の」 「ホント?いいの?」 「いいよ」 二人の間に、なんともいえない生温かい空気が広がる。嬉しいようでいて、どこか気恥ずかしいような。けれどもお互い、上がってしまった頬を下げることなく、笑いあう。 「ゴザ持って行っちゃおっかなぁ〜」 照れ隠しにマヤがそう言うと、真澄がくしゃりとマヤの髪を撫でる。 「お菓子は200円までだ。バナナは入らないぞ」 「もぉっ!!」 そう言って、マヤは嬉しそうに真澄の腕を叩いた。 二人が付き合うようになって3ヶ月、こうしてお互いの忙しい仕事の合間を縫って会った後、真澄がマヤをアパートまで送り届けるのももう両手の指で数えられないほどになった。 あと2回、角を曲がれば、楽しかった逢瀬のひと時は終る。思わず真澄は、突発的に違う方向にハンドルを切りたくなり、そんな自分を持て余すように苦笑する。 「あ、やだ、速水さん、思い出し笑いまでしてる。おじさんぽ〜い」 何も知らずにそう無邪気に言うマヤに、今日一日、行き場を失っていた真澄の言葉がこぼれ落ちる。 「思い出し笑いじゃなくて、俺は困って笑っているんだが……」 そう言った真澄の瞳が、少し意地悪で、狡猾で、けれども、どこか熱心な色を帯びているのでマヤは戸惑う。 「困ってる……の?って、何に?」 不安げに片手でシートベルトを無意味に弄る。 「このまま君を家まで素直に送り届けるのが悔しくて、できればどこかに、連れ去って、家になんて帰してやりたくないな、などと考えてしまうから困ってるんだ」 真澄は、スラスラとそんな言葉が自分の口から出てきて驚く。口が裂けてもこんなことは昔の自分は言えなかった。マヤと居ると、またマヤと喋っていると、どこか心の鍵が外れる瞬間がある。 もう一度、苦笑する。 さっきよりも、さらに柔らかい微笑を浮かべ。 「そして、こんなことを平気で口走る自分に、困ってるんだ」 マヤは、困っているのは自分のほうだ、と思う。そんなことを真澄に言われ、どう答えていいのか分からず、美しい真澄の横顔を見つめたまま、言葉を失う。 「また……、そうやってあたしのこと困らせる」 責める意味は1mmも込めずに、ふくれたような表情でそう呟く。ふくれてしまうのは、そうする以外に術がないからだ。 二人を乗せた車がマヤのアパートの脇に止まる。 沈黙に耐え切れず、マヤが、じゃぁ、と声を上げようとした瞬間、真澄がその行く手を遮る。 「結婚しないか?」 マヤの呼吸が止まり、大きく息を吸い込んだ瞬間に上がってしまった肩がその高さで止まる。 マヤからなんの言葉も出てこないのを確認すると、真澄はゆっくりと言葉を繋いでいく。その言葉の意味を一つ、一つ、分かりやすく解きほぐしていくように。 「こうして、君と会って、一緒に楽しい時間を過ごして、そしてその時間が終わると、次の瞬間から、俺は君に会いたくなる。次に君に会える時まで、まるで体の一部を失ったみたいに不完全になる。 いつも君といたい……。 どこかで待ち合わせて、そしてアパートの前で終る、そういった切り取られた時間の一部ではなくて、ずっと君といたい」 幸せにする、とか、死ぬまで愛する、とか、考えてたありきたりのプロポーズの言葉は全て、どこかに消し飛んでしまい、でてきた言葉は、日常的にいつも自分が思い望んでいたことだ。 ずっと、一緒にいたい、そういう気持ち。 アパートが見えてきたら終ってしまう、そういう時間ではなくて、ずっと、ずっと、まっすぐに前に続いていく、永遠の時間……。 あまりにも何も言わないマヤに不安になって、真澄がその表情を覗き込むと、ようやくマヤは何かを言葉にしようと、口を開く。けれども、その口元は一度ひゅっと酸素を取り込んだあと、言葉を探してしばらくさまようと、結局色のない吐息を吐き出す。 (やはり、まだ早すぎたか……) まだ結婚というものを、それも大都芸能の社長などという立場の自分との結婚に対して、マヤが尻込みするというのも、真澄としても充分に理解できた。時間をかけて、説得するつもりもあった。愛に迷いさえなければ、いつかは解決される問題だ、そう、どこかで強く信じているようなところもあった。 『返事は今日じゃなくても……』 そう真澄の口が動きかけた瞬間、マヤの俯いた顔の下から、小さな声が聞こえる。 「あたし……、なんにも出来ませんよ」 その自信なさげな声に、真澄が慎重に耳を傾けると、さらに小さくなった声が続きを呟く。 「料理もお掃除も、なんにも出来ない。それから、社長さんの奥さんらしいことも、きっと何一つ出来ない。それどころか、なんで速水さんほどの人が、こんなキレイでもなくって、チビでさえないあたしなんかと結婚するんだって、みんな言うよ……。絶対、言う」 そこまで聞くと、真澄は苛立ちにも似たため息をつく。 また、それか、そんなふうに。マヤの『奥ゆかしい』とか『日本人の美徳である謙遜』を通り過ぎた、極度の”あたしなんか”に代表される、自信のなさは、時に真澄を苛立たせる。こんなにも自分は、彼女を愛しているのに、そして、それをきちんと態度でも言葉でも示しているというつもりなのに。 「マヤ……」 少し厳しさを持った色で、そう真澄に名前を呼ばれた瞬間、それを遮るようにマヤは慌てて言う。 「ご、ごめんなさい。せっかく、せっかく、速水さんプロポーズしてくれたのに、こんなあたしにプロポーズしてくれたのに、こんなつまらないこと言ってごめんなさい。 ちっとも、成長してなくて、ごめんなさい。 あの……、すぐに、結婚しますって、答えられるような大人じゃなくってごめんなさい……」 そう声を震わせるマヤの様子に、真澄はすっかり言葉を失う。 「ホントは凄く、嬉しいんです。あたしも速水さんのこと大好きだし、いつも一緒にいたいって、思ってるし、そうできたらいいな、って今この瞬間も思ってるぐらいで……」 そこまで聞いて、真澄は声を上げる。 「じゃぁ!」 だったら何も、問題ないじゃないか、そう言葉を繋げようと思ったが、またしてもそれはマヤの言葉に遮られる。 「あたしも、こんな自分嫌なんです。自信ばっかりなくって、そういうの、もしかしたら卑屈なふうに速水さんの目にも映ってるかもしれないって、わかってるんです。 でも……」 そう言ってマヤは俯いたままだったその視線を真澄の瞳に合わせる。 「やっぱり、自信がないの……。怖いの……。こんなんじゃ、いつか速水さんに嫌われちゃう、呆れられちゃうって、そう思うと、急に怖くなる……」 マヤの声は震えている。あと数秒そのままにしておいたら、きっとその頬を涙が伝っただろう。真澄は、たまりかねたように、顔を近づける。壊れかけた何かを包み込むには、これしかない、とでも言うように。 優しい、優しい、ふれるだけのようなキス。 気持ちが体の隅々まで、ゆっくりと行き渡るようなそんなキス。喉元にこみ上げていた塊が、ゆっくりと溶かされていくのを、マヤは閉じた瞼の裏で感じる。 「あと、もう少しだけ、ほんの少しだけでも、自分に自信が持てたら、速水さんのお嫁さんにして……」 ゆっくりと唇が離れると、マヤは吐息がこぼれるようにそう呟いた。 『自信なんかいらない、気持ちさえあればそれでいい』 そう言って、無理やりにでもyesの言葉を引き出したくなった真澄ではあるが、マヤの気持ちを理解してやろうとする。 「あんまり自信たっぷりになられても困るから、少しでいいぞ」 わざと茶化すようにそう言うと、安心したように微笑んだマヤの額にそっと口付けた。 けれども真澄は、このとき、自らのプロポーズの言葉が引き起こした、マヤの小さな決心とそれに伴うとある計画に全く気づいていなかった。 7.2.2003 |
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