約束の居場所 1
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「彼から頂きました…」
そう言って、恥ずかしそうに左手の薬指にちらりと輝くものを見せた、トップアイドルの問題発言はその日のうちに日本中を駆け巡る大スキャンダルとなった。 大都芸能社長室。 「あれほど私生活は晒すなと言及してあっただろ!!問題のシーンの画像は全部差し押さえろ!!ワイドショーだろうと、報道番組だろうと同じだ!!怪しげな情報は片っ端から潰せ!!わかったな!!」 一気に怒鳴りつけると、真澄は受話器を叩き付けた。 コーヒーを運びに社長室に足を運び入れた水城はその一部始終を目にし、眉を顰める。 「随分な言い様ですわね、社長。今時、アイドルの色恋沙汰なんて珍しくもなんともないじゃありませんか。スキャンダルさえ生かして戦略を立てるのが芸能プロのやり方だと、豪語していたのは真澄様、あなたではなくって?」 いらいらした様子で一瞬、水城に目をやると、真澄はタバコに火をつける。 「時期が悪い。あと2ヶ月後だったら、アルバムのプロモーションも軌道に乗っていた。大体彼女の売り方は私生活の極秘でやってきた。タレントの売り方は俺が一番よくわかっている!!」 不機嫌を全く隠す事なく、次々と暴言を吐く真澄に水城も閉口する。 しかし、真澄の当惑も当然であった。日本のトップアイドルの問題発言はマネージャーさえもあずかり知らぬ寝耳に水の事件だったのだ。 大都芸能所属の歌手coccoは、2年連続で日本のレコード総売上一位に君臨する、日本のトップアイドルである。コギャルの教祖だ、カリスマだのの称号を欲しいままにし、他のアイドルの追随を許さぬほどの驚異的な売れっぷりである。大都芸能の音楽部門の売り上げの3割は彼女が占めてるといい、coccoのブランド名が弾き出す売上額はそこらへんのアイドルやタレントとは桁違いの数字である。 そんな彼女が、とある化粧品のイメージキャラクター決定の記者会見上で、記者から洩れた 「その指輪はプレゼントですか?」 という、どうとでも切り返せるありきたりな質問に 「彼から頂きました…」 と、真っ赤になりながら答えたので日本中が一気に色めきたったのである。私生活極秘で、プライベートな素顔を全く見せず、恋の噂も知らぬ存ぜぬで逃げてきたcoccoが『熱愛宣言』と、折りしも話題に事欠いていたマスコミはこのスキャンダルに飛びついた。 「相手は誰だ?」 「結婚、引退か?」 「大都芸能音楽部門、存続の危機?」 と、トップアイドルの何気ない一言はあっという間に尾ひれをつけて広がり、大都芸能に少なからぬ混乱を与えた。 「全く最近の若い奴は、商品としての心構えがない。自分ひとりの名前じゃないというのがわからないのか!商品としての看板を掲げてる自覚がまったくない!!水城君、新人マネージャーの担当に厳重注意を入れといてくれ!」 相変わらずの真澄の罵声に水城はチクリと釘を指す。 「それだけ、タレントや女優の商品としての立場がお分かりの真澄さまでしたら、さぞご自身の私生活も、充分にコントロールできている事でしょうね」 意味深にそれだけ言い残すと、水城はいつもより強い調子でドアを閉めて社長室を後にした。 ちっと舌打ちしたくなるような気持ちで真澄は残された書類に手を付ける。水城の意図した事は真澄にも明らかだった。 一つまかり間違えば、スキャンダルの火種になりかねないものを、今の真澄は抱えているのだから。 紅天女の上演権がマヤに移り、また彼女自身が大都芸能のものになったのは、3ヶ月前の事だった。そして、私生活でもマヤを手に入れ、引き換えに大都存続の危機を踏まえた上で、紫織との婚約を破談にしたのも、つい2ヶ月前の事である。 圧倒的に大都にとって不利な条件を突きつけられての破談劇ではあったが、もうこれ以上自分の気持ちを偽って生きていく事の出来ない真澄にとっては、多少の被害は計算の上であった。ギリギリのラインで妥協し、提携事業を押し進める真澄にとって、ここ一年がまさに勝負所となる。表向きの破談の理由は、両家の利害関係の不一致と、当たり障りのない理由で通しているが、もちろん実情は真澄のマヤへの断ち切れない思いにあった。 しかし、紫織へのせめてもの配慮という点以外にも、現在の自分の置かれた立場を考えれば、一切のスキャンダルが命取りになりかねないのは、真澄にも明らかであった。なんとしてもここ一年は、マヤとの関係を隠し通さねばならない。ようやく思いが通じたというのに、人目を気にして二人で会う事さえままならない現状に、真澄はうんざりしたようなため息をこぼす。それが、幸せなため息の範囲であるにも関わらず…。 アクシデントが起きれば業務が押すのが普通である。coccoの一連のスキャンダルの対応に追われ、いくつかの会議が押す形となり、真澄はマヤとの約束の7時になってもまだ会議室の椅子に括り付けられていた。 会議の合間を縫って急いでマヤの携帯に連絡を入れる。 「あぁ、チビちゃん、俺だ。済まないが、会議が押しててな。約束の時間だが、あと一時間はかかりそうだ」 本当はあと一時間で終わる保障はどこにもなかった。それでも、『いつ終わるかわからない』と言ってしまえば、たちまちマヤとの夢にまで描いた逢瀬は泡となって消えてしまうようで、真澄は小さな嘘をつく。 「待たせるのは悪いから、帰ってもらってもいいぞ」 すぐにマヤが否定の言葉を言ってくれるのを期待して、縋る思いで心にもない事を言う。それがエゴだと充分にわかっていても…。 「あ、えと、一時間ぐらいデパートでも見て、時間潰してるんでいいですよ。待ってます」 軽やかなマヤの声に、どんな会議の難題がクリアされた時よりも、ほっとするような安堵感が広がる。 「一時間以上かかってしまうかもしれないが…」 ずるい男は後から、本当の事実を付け足していく。 「いいです、いいです。今日デパート10時まで開いてる日だし。でも…」 少し影の差した『でも』という接続詞にたちまち、真澄は不安になる。 「なんだ?」 「でも…、無理しないで下さいね…」 途端に締め付けられるような切なさ、溢れ出す想い、愛しさにに真澄はこのあと控えてる会議への武装が完全に解けてしまいそうになる。 「俺は平気だが、君の腹が空き過ぎて、倒れないか心配なので、出来るだけ急いでいくよ」 いつもらしさを無理矢理取り戻すように、マヤを怒らせる言葉を的確に選んで真澄は笑う。案の定電話の向こうで、ぷりぷりと怒り出すマヤに 「15分の遅刻ごとにケーキ一個サービスだ」 と付け加え、電話を切る。 たった数分の電話でのやり取りがこんなにも心を満たすという事実に、少し苦笑しながら真澄はその日最後の会議へと向かった。 水曜日の新宿は中途半端に混んでいる。真澄からの連絡を貰ったマヤは、少なくともあと一時間は真澄が待ち合わせ場所には現れない事を確認すると、雑踏の中へ踏み出す。 (留守電付のFAXが欲しいなぁ) などとぼんやり思いながら、目にうるさい広告が一面に垂れ下がる電化製品店に入ると、壁一面に並んだTVは一斉に同じチャンネルを映し出し、奇妙な感覚をマヤに与える。 なんとなく目が離せなくなり、その映像を目で追うと、かわいらしい少女のような女性がはにかみながら 「彼から頂きました…」 と発言した映像が繰り返し流される。 「あ…」 華やかな顔立ち、小動物を思わせるくりくりした大きな目、そして何よりも全身からスターとしての洗練された垢抜けた雰囲気が立ち上るその姿に、マヤは小さな声を上げる。 同じ大都芸能の所属タレントと言うより、庶民派感覚の抜けないマヤにとっては、coccoは遠い芸能人の一人だった。何度かすれ違った事はあるにはあったが、特に直接話をする機会もなかった。 芸能リポーターに行く先々でもみくちゃにされながらも、笑顔で指輪をはめた手を隠す事なく振ってみせる彼女の映像に、マヤは縛り付けられたように動けなくなる。映像が次のニュースに切り替わるまで、マヤはいつまでもそこに立ち尽くしていた。 約束の時間を一時間過ぎて、待ち合わせのデパートの前までマヤは戻るが真澄の姿はない。小さなため息を一つつくと、マヤは眩しいほどの照明が照りつける、昼間の明るさのような店内に足を踏み入れた。 (どうせ、速水さんまだ来ないだろうし。ちょっと、ぶらぶらして時間つぶさなきゃ…) 世間の同じ年頃の女の子だったら、きっと臆する事なく嬉々として、散策するような華やかなデパートの売り場もマヤにはなんとなく気後れしてしまう場所である。おしゃれを楽しむとか、流行の服に飛びつくとか、世間並みの買い物に対する遊び心を知らずに育ったマヤは、経済的に余裕の出きた今現在でも、いまだに買い物は苦手だったりする。とくに、ちょっと見てるだけでもすぐに 「とってもお似合いですね」 と、顔も服もなにも見ずに条件反射で、接客してくる強気なデパートの専門店の販売員などは、最初から負けと決まってる勝負に挑むようで、マヤはすっかり萎縮してしまい、楽しいはずの買い物もたちまち憂鬱な作業になってしまうのである。 女優も真っ青の完璧なメイクを施した販売員がカウンターから首を突き出し、客を舐めまわすように見る化粧品売り場のコーナーを、マヤは逃げるように走り抜け、アクセサリー売り場でふと足を止める。 販売員の居るカウンターだったらきっと足も止めなかったかもしれない。が、そこの専門店の白い外壁に埋め込まれた小さなオブジェのようなショーケースは、まるで美術館の陳列品のようで、店員の目も届かないその場所で、マヤは誰にも邪魔される事なくその輝く石に目を奪われる。 小さなガラスのショーケースは四方からライティングアップされ、眩いばかりの光を放ってる。その小さな細い指輪は6本の立て爪でダイアモンドを中央に鎮座させ、なんともいえない美しいフォームを造り出し、小さなミニチュアの椅子の上にちょこんと座っていた。マヤが『指輪』と聞いて乏しい想像力の中から思い浮かべる、完璧な指輪の姿がそこにあった。 椅子の後ろには、美しい外国の男女が額を寄せ合い、笑いあうモノクロームの写真が掲げられている。 『Diamonds are Forever』 の文字をゆっくり左から右にたどる。 (ダイアモンドは永遠に…かぁ…) どうかしている、と思った。物を見て、ましてや宝石を見て心動いた事なんてマヤには今までなかったのだ。物欲とか、独占欲とは違う種類の感情であると思いたかった。しいて言えば、『羨望』だったかもしれない。マヤは気が付くと、自らの細い指をショーケースに沿わせ、食い入るように透明な光に見入っていた。 と、突然、宙をさまような浮遊感を打ち破る携帯の呼び出し音。あわてて、かばんの底から携帯を探し出し、マヤは5コール目にしてやっと電話に出る。 「あ、はい、もしもし?」 「あぁ、悪い、マヤ。今、デパートの前に居る。どこに居るんだ?」 「あ、ええっと…」 マヤはあわてて、ショーケースから目を逸らし、外壁に刻まれた店名に目をやる。 「えっと、宝石屋さんみたいなんですけど。う…なんて読むのかな? ティ…ティファニー?」 マヤはもちろん知るはずもなかった。それが、世界で初めてダイアモンドの6本立て爪の形を婚約指輪の定番として世に送り出した老舗の宝石店である事も、恋人への贈り物としてベタすぎるほど有名になってしまったブランドである事も…。 真澄は一瞬、マヤとティファニーという組み合わせを訝しげに思いながらも、 「わかった、すぐ行く」 それだけ言うと、人ごみの中をかき分けこれ以上は一分でも遅れられないと足を速める。小さな背中が見える。 (販売員に捕まってるのではないか、と心配したが、どうやら外側のショーケースを眺めていただけのようだな) マヤらしい、と小さく笑うと真澄はその背中に声をかける。 「一時間30分の遅刻は、ケーキ6個分に相当かな?」 おどけた様子で声をかけると、いつものはちきれんばかりの笑顔の代わりに、少し寂しそうな笑顔でマヤは振り返る。 「おそ〜い…」 いつもなら『あんまりお腹すいたから、地下で試食品食い倒れツアーに行ってた』とか『香水をかたっぱしから試して、臭くなって頭いたい』とか『すごいもの見つけちゃったの!』と100均の戦利品を見せびらかすマヤであるが、どうも様子がおかしい。 「何を見てたんだ?」 真澄はマヤの背中ごしにガラスケースを覗き込む。途端にマヤはなんだか、自分が随分場違いな場所に居る気がして、また身の程知らずなものを見ていた気がして、恥ずかしくなる。 「ええっと、あの…、ダ、ダイアモンドってきれいなんですねぇ…」 あたふたと言い訳するように取り繕う。 「あたし、宝石の名前とかも、ぜんぜんわかんないし、それに何より似合わないし、あの、きょ、興味とかぜんぜんっ、ないんですけど…。あの、すっごいキレイだなぁって見てただけなんですけど…」 マヤは恥ずかしさのあまり、真っ赤になる。真澄はそんなマヤが堪らなく愛おしく思え、思わず頬がほころぶ。 「そうだな、ダイアモンドは俺も一番好きな石だ。遅れたお詫びだ、買ってあげるよ」 そう言って、マヤを店内に連れて行こうとする。と、マヤは突然、体を強張らせ、声を上げる。 「だ、だめです!絶対だめです!あの、指輪はだめなんです…」 尻すぼみな調子でマヤが叫ぶと、真澄は訝しげに、俯くマヤの顔を覗き込みながら言う。 「チビちゃん、何がだめなんだい?君だってキレイだと思って見とれていたんだろ?」 マヤは困った顔で、どう答えたらいいのか考えあぐねるが、ゆっくりと途切れ途切れになんとか言葉を繋ぐ。 「あ、あの…、私、嘘とかつくの下手だから、きっと速水さんに迷惑かけちゃう…」 「?」 真澄はマヤの言ってる意味にてんで見当がつかないというように、小首をかしげる。 「えっと、だから、あの、今日のcoccoさんみたいに、『誰からもらったんですか?』って聞かれたら、きっと私、上手に嘘つけなくって、ボロ出しちゃって、速水さんに絶対、絶対、迷惑かける…。 だから、指輪はすっごく嬉しいけれど、貰えない。速水さんから貰ったって言ってもよくなるまで、指輪は貰えません…。っていうか、あの、指輪が欲しいってわけじゃぁ、なくって。指輪なんかなくっても私、速水さんの事、好きだし…って、あれ?もう、何言ってるんだろう。わけわかんないや…」 言っててマヤはなんだか情けなくなった。どうして、真澄はわかってくれないのだろう。仮にも芸能社、それも今日あれほど指輪が原因で騒動を起こしたcoccoの所属事務所の社長ではないか。こんな事言わなくたって、わかってくれたっていいじゃないか。それに、本当は自分だって堂々と、真澄から愛されている証に指輪をはめてみたい気もする。そして、 『お付き合いしている方から貰いました』 って言ってみたい気だってするのだ。それは、マヤの中に目覚めた、始まったばかりの二人のぎこちない関係に対する小さな束縛心かもしれないが、そんな事を想像してみるぐらい許されたっていいではないか。そんな乙女心も分かってくれない真澄に、だんだん腹がたってくる。 「ああ、もう、とにかく欲しかったわけじゃないし、それに私には宝石なんて豚に真珠だって、どうせ速水さんだって思ってるだろうし、もう、いいの。それより、早くご飯食べに行きましょ!」 映画館を途中で出て行くようなせわしなさと強引さでもって、マヤは真澄を促す。 「あぁ」 短く答え、マヤに従いその場を離れた真澄であるが、不用意に自分が発した言葉が、今まで気付かなかったマヤの心の隙間を浮かび上がらせたようで、途端に重い足取りになるのであった。 一年で決着を付けるつもりでいた。一年で鷹宮との提携事業の後始末をつけ、英介にも誰にも文句言われる事のない立場に自らの身を置いたら、それだけの力を自分につけたら、すぐにでもマヤとの関係も公にするつもりでいた。自分には七年待った自信があった。一年ぐらいどうという事もない、という思いもあった。そして、知らず知らずのうちにマヤにもそれを課していた。 多くを望まない彼女だからこそ、極当たり前にそれを受け入れると思っていたから、自分もなんの疑問も持たなかった。が、しょせん彼女はまだ20歳を過ぎたばかりの、少女のような年頃なのである。世間一般の男女の普通の付き合いを望んだとして、どうしてそれを咎める事が出来よう。おおっぴらにデートをする事もままならず、社で会っても他人の振り。激務に押され、電話さえもままならない。 しかし、心のどこかで、彼女も芸能人であるゆえ、仕方のない事だと思ってくれると思い込んでいた。芸能人にスキャンダルは禁物、故にこうした、秘めた関係を続けなければいけない事情は真澄サイドからの事情だけではなく、マヤにもあるのだ、と。 しかし、日本のトップアイドルまでもが、『熱愛宣言』する事が許される今日、やはりこの二人の関係に色々な意味で制限を与えているは、どう考えても自分が原因なのである。 きっとマヤはそんな事まで考えていないだろう。 『速水さんが私を選んでくれた瞬間から、私はすでにいっぱい速水さんに迷惑をかけてしまってる』 付き合い始めたばかりの頃、泣きそうになってマヤが言った台詞だ。 それでも、溢れ出る自分の想いを形にする事が許されず、また『自分のものである』と公言する事もできないという苦痛は、嫉妬深い真澄にとっても、大きな足枷となっていた。 そして何より、やっと手に入れたマヤを、そんな不安に脅かせるのが、真澄はたまらなく悔しかった。 1.7.2003 |
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