第3話

 食事が終わる。
 ローソクのついたケーキは出て来なかった。さすがの真澄も自分の為に頼む気にはならなかったのだろう。
 
 ──何もお祝いできなかった。

そんな気持ちだけがマヤの胸の奥に澱のように残ってしまった。

「楽しい食事だった。付き合ってくれてありがとう」

 まるでマヤの心の中を読み取ったかのように、真澄の声が俯くマヤの顔をのぞく。

「お礼なんて……。この食事だって速水さんの驕りだし、せっかくのお誕生日なのに何も特別な事出来なかった。ローソクのケーキも頼んでなかったんです ね……」

「男はケーキは普通頼まないだろ」

 そう言って真澄は笑う。

「それに君とこうして過ごす事が俺には何より特別だ。昔はやっとの想いで君を連れ出したところで最後まで席に座らせておくにも一苦労だった」

 敵対心剥き出しの野良猫のように毛を逆立てて、この人に反抗していた過去が蘇り、マヤは居たたまれなくなる。

「もう、その話はできれば時効で……」

 消え入りそうな声でそう言いながら、真っ赤になって俯く。

「今はどうなんだ?」

「え?」

 柔らかな声でそう聞かれ、驚いてマヤは顔を上げる。

「今は俺の事をどう思ってる?」

「……意地悪で嫌味で勝手で強引で──」

「酷いな。昔と変ってないじゃないか」

 がっかりした声を装いながら真澄が笑う。

「でも時々優しくて、いつも本当の事を言ってくれるから頼りになるし、私の周りで一番かっこいい大人の男の人だと思ってます。モテ過ぎて頭おかしくなって るのか、あたしに対しての言動が時々どうかと思うのもありますけど」

「褒めてるのかけなしてるのか分からないな。好きか嫌いかで言ったらどっちなんだ?」

 シンとした空気が流れる。冗談ばかりを言い合ってきたけれど、冗談ではない言葉を選ばなければいけないと本能が言っている。

「好きです」

 まっすぐに目を見て、そう答えた。

「大っ嫌いな人と食事なんかしません」

「なら、まだチャンスはあるな」

 そう言って真澄は満足げに笑うと席を立った。
 一体なんのチャンスだというのかマヤには分からなかったが、これもまた今宵の真澄の口説き文句の一つなのかもしれない。

「送っていく」

 そう言われ、真澄とのバースデーディナーの時間は終わりを告げた。
 席を立った瞬間、思った以上にワインを飲んでしまっていたことに気付く。ぐらりと足元が揺れ、よろめいた拍子に真澄の腕を掴んでしまう。

「ご、ごめんなさい。飲み過ぎちゃったみたいで……」

 そう言って体制を整え離れようとした瞬間、肩を抱かれた。

「大丈夫か? 車を正面に待たせてある。そこまで歩けるか?」

 フラつく足元をそうやって真澄に支えて貰いながら、マヤはコクリと頷く。逆に平常心であったら到底耐えられないほどの密着感に包まれながら、ほんの数段 の階段を真澄に伴われ降りていく。階段を一段踏み外しそうになった瞬間、真澄が強く肩を掴み、カッと体温が上がった。

「あと少しだ、頑張れ。車に乗ったら眠っていればいい」

 せっかくの夜を酔っぱらいの醜態で締めくくるなど、恥ずかしいにも程があるが、酔ってしまったものは仕方ない。

「ごめんなさい。ついワインが美味しくて……」

 沈み込むように後部座席に座り、頭を真っ直ぐにしようとするが、強烈な眠気と重力には逆らえず、真澄の肩の方へと傾いていく。

「あ、ごめ……んなさい」

 そう言って、慌てて体を起こそうとしたが「いいから」と言われ、真澄の手のひらがマヤの頭部を真澄の胸の方へと抱き寄せるように倒した。上質なスーツの ウールの匂いと男性らしい香水の香りが鼻孔を塞ぎ、嫌でも大人の男を感じさせる。若い同年代の男の子からはしない匂いだ。

「俺と同じペースで飲むからだ。てっきり酒に強いのかと思ったが、まだまだ練習が必要だな」

 そう言ってからかうように真澄の指先がマヤの前髪に触れる。

「速水さんは……、凄く奇麗にお酒飲みますよね。グラスの傾け方とか凄く奇麗で、あたしずっと見てました。ずっと……」

 数秒置きに意識が途切れる。もうダメだと瞼のシャッターも半落ち状態になる。自分が何を喋っているのか、それがうわ言なのか夢なのかも分からなくなる。 こういう時は何も喋らないに限ると思ったが、すでに意識を半分手放したマヤの唇からは、取り留めも無い本音の欠片が無防備にこぼれ落ちる。

「指も……奇麗で……、ナイフとフォークが……羨ましかった。速水さんに……触って貰える女の人は……幸せ……ですね……」

「速水さん……はどんなふうに……、キスとかするのかな……とか、そんなことばかり……」

「いい匂い……、速水さんの匂い……好き」

「速水さん……、好き……、帰りたくな……い……」

 その言葉を最後についにマヤの意識の束は、完全に眠りの底へと沈んでいく。
 そのすべてを数センチの至近距離で延々聞かされた真澄は、頭を抱えるように手のひらで顔を覆う。

「チビちゃん……、頼むから本当に俺以外の男と飲むなよ……」

 そう言って真澄は、マヤの小さな肩を抱く手にグッと力を込め、もう一度強く抱き寄せた。









「マヤ、着いたぞ」

 よっぽど深く眠ってしまっていたのか、あろうことか真澄に横抱きにされていた。とっくに車は降りていて、玄関の前まで運ばせてしまったようだ。

「す、すみません……。お、下ります。下ろして下さいっ」

 そう言って下ろされると、慌てて玄関の鍵を探そうとバッグの中を弄った瞬間、ガチャリと真澄が開錠する音とありえない光景にマヤの意識が一気に戻る。

「って、ここ、あたしの家じゃないじゃないですかっ!」

「廊下でわめくな、とりあえず入れ」

 シンと静まり返ったマンションの廊下に響き渡る自分の叫び声に、さすがにマヤも怯むと真澄に押し込められるように玄関になだれ込む。
 急激に酔いが醒め、意識がはっきりしてくくる。

「送ってくれるんじゃなかったんですかっ?!」

 噛み付くように抗議する。

「送っただろ、俺の家に」
 
 真顔でシレっとそう言われ、マヤは絶句する。

「ずるい」

「ずるくない。そういうルールだ」


──君が俺の誘いを振り切って家まで無事に辿り着いたら君の勝ちだ。 逆に君を俺の家まで連れ帰ったら、俺 の勝ちだ。


 数時間前の真澄の言葉が確かに脳裏に蘇る。

「でも、こんなの──」

「日付が変わるまででいい、一緒にいてくれないか?」

 切なくなるような声でそう言われ、マヤの心の芯がぐらりと揺れる。そうだ、今日は真澄の誕生日なのだ。

「で、でも……、そんな時間までいたら終電なくなっちゃう……」

「送っていく」

「でも、速水さんお酒飲んじゃったじゃないですかっ! それにっ──」

「うるさいっ!!」

 真澄が強く音を立ててドアに左手をついたかと思うと、真澄の体とドアの間に挟まれたマヤの体は玄関のドアに強く押し付けられ、激しく唇を奪われる。延々 と駄駄を捏ねるマヤの口元を制圧すように、真澄の右手が荒々しくマヤの顎の辺りを押さえ込んだ。
 抵抗を試みたのは最初の一瞬だけで、あっという間に濁流に飲み込まれる。無我夢中でそのキスに応えてしまう。

 その時、マヤの背後でガチャリと鍵の閉まる音がしだ。

「俺の勝ちだ」

 真澄の瞳が満足げに笑い、もう一度強く口付けられる。
 その瞬間、自分は流されたのだとマヤは悟る。その心地よい荒々しいキスに……。

 最初から勝てる相手ではなかったのだ。こんな小娘が百戦錬磨の大人の男、それも速水真澄ほどの存在と同じ土俵に乗ろうとする事自体、どうかしていた。

「約束だ。今夜君を俺の好きなようにする。いいな……」

 低い艶のある声が、今宵の運命をそう告げた。




 


  2018.11.6







…to be continued















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